2004年06月22日(火) |
六月の雨を穏やかと名づけた |
六月は怖い。誕生日があるから。 変わらないことばかりに襲われて、深い沼にはまってしまいそうになる。 何かをずっと待っているような、でもそれがこないことを願ってもいるような、おかしな気持ちになる。
日本の夏の気候はだんだん、東南アジアに似てきたなあと思う。 六月に台風がきたり、タンクトップを着ても違和感がなかったり、冬と夏の間が、どんどん短くなっていくかんじ。 旅行の記憶には、転機がいっぱい詰まっている。はじめてひとりで知らない町で夜を越えたこと、新しい笑い方を覚えたこと、友達と深く知り合ったこと、たくさん。そして、いつもそこに、東南アジアの長い夏の、むせかえるような暑さや、すべてを焦がすような日差しがあった。 もし日本の気候がどんどん変わっていって、いつか六月も長い長い夏の中に取り込まれてしまうのならば、それはそれでいいのかもしれない。変わっていく私に、寄り添ってくれているようで。灰色雲の梅雨から、爆発するようなスコールと、すべてを開け放ってしまいたくなる光の季節へ。 六月のキャミソールなんて、ほんと、とても不思議な感じ。
夏が嫌いな友達と、冬が嫌いな友達。暑くても寒くても、一緒にいられたらと思う。 そのためにきっと、文明はあって、街中には冷房も暖房もいつだって適温を守っている、たとえばカラオケボックスなんていうスペースがあるんだからさ。 そのためにこの排気ガスと人ごみの都会でがんばって生きてるんだから。
どうか穏やかにその日を迎えられますように。 何一つ怖いことはないんだって、わたしに、教えてあげられますように。
目を凝らしてようやく見てとれるほどの透きとおるような炎だった
ともし火のために爪に塗る油はひんやりとぬめっていて わたしたちはそれを嫌がった 怖気づくあしくびをとらえられて ちいさな油つぼに両手の指をひたすとき いつも背中がざわざわとした 油のにおいに呼ばれた目に見えない生き物たちが 背を這っているのだと思った わたしたちはそのように無数の生き物たちをうしろに宿して 爪のさきを火にゆだねた
わたしの指はよくささくれたが それがともし火の夜だと萎えるものだ 油は傷にしみるということはないが 皮膚をむかれた内側にそのとろりとした液体が直接触れるのは 気持ちのいいものではなかった 油に誘われたように染み出していくひとすじの血の糸が つぼの中で溶け出していくときは 思わず目をそむけて きつくたしなめられた 同じように誰かの体液が つぼの中で幾重にも交じり合っていくのかと思うと 喉もとにすっぱいものがせり上がった
母の姉は若いころともし火の朝に消えた 手紙も無く理由はわからないままだったが その夜も母は爪を燃やし 時を重ねては燃やし わたしを生み わたしの爪にも火を放つ
ともし火を繰り返す指先の皮膚は 年とともにほんの少しずつ硬く強張ってゆき 役目を終えた大人たちの指は 干からびた果実のように色艶を失っていた 黒ずんだ角質は母が髪を梳いてくれるときにも こめかみの辺りにごわごわと引っかかり 時々はほんとうに引っかき傷をつくった わたしは髪を撫で付けてそれを隠した
母は気づいていたのだろうか
ともし火の日 朝はごくありふれた休日として始まる 洗濯物がひるがえり 女たちは道端で談笑し こどもたちは泥道を駆けずり回る 市場通りは賑わい 力強い鱗を飾った魚や 何年も眠っていた酒瓶が 店先を華やかに行き来する 男たちは日々の労働をねぎらいあいながら たまの賭け事に興じたりする けれどひとたび日が落ちると 大人たちはかたくなに口を閉ざし 儀式の準備を始める わたしたちは丸裸にされて昼間の泥をこそぎ落とされ 丁寧に選ばれた衣服を身に着ける 大人たちの表情は失われ 同じ面をかぶっているように見える そして暗がりがいっそう濃くなり すべての音が地面へと沈むころ 火がともされる ちりちりと熱が指に生まれ 色の無い炎がけものの舌先のように闇を舐める 薄い煙はほそくつながり上へ上へと昇っていき 羽虫が何匹も集まっては飲み込まれていく 炎が自然に消えるまでは両手を掲げていなければならないと わたしたちは何度も言い聞かされていた しびれと汗がつたい 袖口が徐々に落ちてきてひじや肩までをあらわにする それでも決して腕を下ろしてはいけなかった 炎の続く長さはまちまちだったが 短いことは良しとされなかった 不思議なことだが痛みは無かった いっそひどく疼くような痛みでもあれば もう少し楽に振舞えただろう 実際わたしたちは所在が無かった ただ自分の先端が焼かれていくのを感じながら ひとびとの視線にさらされて立つときに いったいどんな表情がふさわしいのだろう わたしはうつくしくはなかったから 余計に居心地の悪さを覚えた ひたすらに引いては寄せる波のような むらのある熱さを頭の中でなぞり 油が燃えきってしまうのを待った
やがて 炎が絶えると わたしたちは大人たちに導かれ 闇の奥のさらに暗い隅で 氷水に指先を沈めた 押し殺したような静寂の中で 水はじゅっと泣いた それからひとりずつ家に戻されて あとは朝まで 起き上がってはならなかった 残された炎がいつまで続いたのかも 最後のともし火がだれのものだったかも その持ち主がどのように夜を終えるのかも わたしは知らないままだった
皮膚は三日ほどただれて もとに戻った 痛みはやはり無かったが 異物をくくりつけられたような おかしな違和感が指に残った
三日のあいだはまだ 背中がざわざわとうるさくしていた
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