携帯に花札のかたちのストラップをつけていて、いただきもので気に入ってるのだけど、今日それが駅の自動改札に引き込まれそうになって生命の危機を感じました。 花札っていっても形だけで金属製だし、ある程度厚みもあるから油断していたけど、切符出すときに一緒に携帯を持っていたら、そのまま吸い込まれそうになった! 切符よりもストラップの分だけ先に投入口に到達したのがいけなかったのですね。ごくごくあたりまえに入っていこうとしていたので、身を翻してあわてて阻止しました。相当あたふたしてしまった。人の目も痛いし。大人なのに。 あのまま引き込まれていたらどうなっていたのか。とりあえず紐が連れて行かれて、本体部分で引っかかってガクンガクンガクンっていう音が響き渡ったに違いないです。無残。いや、むしろそこで咄嗟に携帯から手を離すほど反射神経もあきらめもよくないわけなので、そのまま流血沙汰になっていた確率のほうが高いのかも。でもどんな流血? 想像もつきません。恐。 事故にならなくてよかったです。大事な花札が無事だったのが何より。よかったよかった。気をつけよう。 でも、意外なところに危険は潜んでいるものなんですね。わたしの存在自体が危機だという話もあるけど。子供とか、結構あぶないんじゃなかろうか。あと、ものすごく髪の長いご婦人とか。フリンジのついた服好きな兄さんとか。そんなひとは電車はつかわないのか。フリンジマニアはスター的とかロッカー的とかアウトロー的な生活だから電車じゃないのか。偏見か。すいません。 とにかく気をつけたほうがいいですよ。用心に越したことなし。自分に言え。
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「弟を殺した彼と、僕。」という本を読んだ。 書店で見て手に取ったのだけど、きっかけは帯だった。推薦文を寄せている方が、信頼している映画監督の森達也さんだったから、興味を持った。でも、そういうふうに帯を見て買うっていう行為に、どこか引け目を感じてしまうところがあって、ずいぶん迷った。 なんだろう、本でも映画でも推薦文を読むと、これを見て本なり映画なりを選択するひとがいることを、このコメントを書いている人は喜ぶのかな、って思う。短い文であれば特に。 帯というもの、そのものは結構好きで、ダ・ヴィンチに帯のコーナーがあったときよく読んでいた(今もあるのかな)。帯を作った人は、それを見て手に取る読者が増えたら、すごくうれしいと思う。狙いがあたったってことだし、販売促進のために、いろいろと考えた結果の推薦文であったり、帯のデザインだったりするだろうから。そういうものが熱意をこめて作られているのだとしたら、それは素敵なことです。見てて本当に楽しくなっちゃう装丁とか帯とかポップとかって絶対あるし。 ただよくわからないのは、推薦文を書くことに至る経緯みたいなものなんだと思う。推薦した人が本当にその本を好きになって、それで書いているんなら読者として、購入者として本当にうれしいのだけど。以前映画の公開記念トークショーにいったときに、その映画が正直つまらなくて言うことなくて困ったって、出演者の人がぽろっともらしたのを聞いたことがあって、そういうの、ああ、ただのつながりなんだなって思わされてしまう。作品への思い入れじゃなくて、まず関係性ありきの出演だったんだと。 それから、そのコメントをしている人に思い入れがあるときは、決め手にしないでくれって言われているような気になる。自分でも、決め手にしちゃいけないって思う。それはあくまでもきっかけで、まあ、あたりまえなんだけど、その先はちゃんと自分で考えて選ばなければいけないって。なんか私に頼らないでくださいと、ぱっきりと線を引かれたような感覚がある。俺が買わせたんじゃないからなって。なんじゃそりゃ。自分で書いてても支離滅裂。だいたいこんなことうだうだ考えているのって、いかに自分が影響されやすいかを露呈してて、とても情けないや、まったく。 たぶん、今回は森監督だったからっていうのも大きかった、監督の作品からはいつも、先入観や偏見や一般論ではなくて、自分の頭で考えることの重要さとくるしさを教わるから。テレビがいうから、新聞が書くからじゃなくて、自分の目でみた世界はどうだったのかということ、それを問い続けること。だから、監督の推薦コメントを読むと、いつも試されている気がしてちょっとだけ身がひきしまるかんじがする。
結論としては、帯に興味を引かれました、だから中を少し立ち読みしました、読みたいと思ったので買いました、ということなんだけど。選ばされているのか選んでいるのかなんて、最終的には明確になるものではないだろうし、どっちの要素もあってあたりまえなんだろうけどね。乗せられるぐらいの余裕があってもいいと思うし。ただ、そのことに自覚的でいたいなって。
本自体はとても興味深くて、読めてよかった。感じるところもたくさんあったので、その感想はまた、書きたいなあと思います。
ものすごいお金持ちだったらさあ、本でもCDでも手当たり次第に買って、体験して、そのうえで考えればいいと思うのだけど、そういうわけにも行かないですから。選ぶっていうのは本当に、大変な作業だ。というか、苦手です。でもだからこそ、本当によいものに出会えたときの喜びが大きくなるんだろうな、まあ、とても月並みなまとめですけど。
2004年08月09日(月) |
そのくるぶしに1億バーツ |
雨の日にやたらふくらはぎに泥がはねるので、 つねづね歩くのが下手なんだなと思ってはいたけれど、 ここまで厄介とは思いませんでした。
ここ数日ひさしぶりにかかとのある靴を履いているのだけれど (かかとが高いんじゃなくて、あるだけです。ローファーみたいなもの。 ふだんは上履きレベルでぺたんこな靴ばかりなので) 両足のかかとが逆の足の内くるぶし(っていうのか? 足首の内側です)にぶつかって、 なんかしらないけど靴ずれ状態になっています。 普通に流血中。 まだ数えるほどしか履いていないのにこれじゃあ、この先どうなってしまうのか。 こんなところ怪我する人、普通はいないと思うのに。 きっとガニ股なんだろうと意識してまっすぐ歩いてみようとしたら、 変なところに力が入って筋肉痛になりそうです。 それで気づいたんですが、たぶん、 よく転ぶのも平らな場所でつまずくのもそうだと思うんだけど、 足首から下が常に脱力していて、上部の力に任せてぐねんぐねん揺れているようです。 だから振り子状態でお互いの足にぶつかり合っているのだと。 どうしたらいいものか。
流血に負けずにがんばっていれば、いつかバレリーナのつま先みたいに 私の内くるぶしの皮膚も頑丈になるのかなあ。 なればいいなあ。 ならないほうがいいかなあ。 どうせ根性出すならちゃんと歩く練習したほうがよいのか。むしろ。 筋肉痛か流血か。
しかしストッキングはいてたら、毎日破けるんじゃなかろうか。 経済的によろしくないので素足でよかったです。
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なんか妹ののび切った髪の毛が天然パーマのせいでゴージャスな感じになっていて、 日本人離れした巻き毛っぷりを見せています。 「どこで私に欧米の血が入ったんだろうねえ」というので、私も、 「どこで私に東南アジアの血が入ったんだろうねえ」と答えたら、 そっちが正解という目をしていました。 この夏の日焼けも冬を越えそうな予感です。
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