どこか遠くへ 行こうとしていた 切りそろえた髪ももう肩だった 無造作に結わかれたひとつの束から 取りこぼされた後れ毛のように きみのことばはいつも迷いながら自由で 世界のひずみをあらわにして すぐに見えなくなった
つかまえたい と 指が袖のなかで震えるとき きみはいつもどこか 別の場所にいて はじめからひどく疲れていたのだとでもいうように 明かりが映し出す塵を まつげにとまらせては はねかえしていた
かたくなだった 遠いところへ 行こうとするきみに寄り添うことは うそではなくて なにもかも せめぎ合いながら あまりにも ほんとうで 曇天はなまぬるく喉までうずめて おわりが なかった ばらばらで とても 雨は 降るときを まだ知らず しずく なんだね すべては こぼれて つたって 落ちれば いちぶだ 落っこちてしまえば 混じってしまえるって 唐突に あやまりたくなって わらった きみは ここにかえってきて ちいさくなにか言った
ああ そうだね と わたしは 後れ毛をくくる 乱暴さで しがみついていた くもりぞら 雨はまだ
いってしまって いいよ いってしまったら だめだよ あまりにも ほんとうで ポケットからキャンディ みずたまのキャンディ きみになら あげるから 食べてるあいだだけ いて くちのなか あまいので いっぱいにして しゃべらなくていいよ だって キャンディ 食べてるんだから
わたしはみずたまで うさぎを折って つくえのうえを はねてまわる 空は飛べない 海にもいかない 溺れちゃうからね うさぎ うさぎ 折り目のついた足は ひどくいびつで 遠くまでは いけない はねて はねて いま あきれた? わらってるの? それ わらってるの
よかった キャンディ きみに溶けて わたし ぬけがらの みずたま うさぎ
片耳に なった 髪を切ったらばれてしまうね なにもいわずに 片側にいるときだけ しゃべって ポケットに入れて つれてって たどりついたら 紙くずと一緒に 風に放っても いいから
どこか遠くへ 行こうとしていた みずたまのキャンディ おしつけて わらった 唐突に あやまりたくなって
くもりぞらの せいにした
くるぶしからつきだしたしなやかな枝だ みどりのしずくを先端に飼って 足を出すたび鳴きごえはひかりとともに漏れ出して ちいさな破裂を繰り返しては低いところで充ちてゆく
春が来て 春は過ぎ もう夏のはなしをだれかがしている まっすぐにのびる熱を帯びた銀の針が きのうとあしたをぴったりと縫い綴じてしまいそうな
地の底からかえるのこえ 目がしらに異国の町
ここではないどこかの わたしではないわたしが こちらを見て笑っていた その笑顔がとても好きだと思う 体中が軽くて もうすぐあれはひかりにとける こなごなになってここに降る 夏が来る
ごうごうと水脈の音が 途絶えることなく聞こえたから わたしのなかの王国を 今夜はしずかに眠らそう 暗がりを抜けるまで ざわめく肺をさすって さすって
王さま、 あしたは いいかおりの焼きたてのパンと ひかりの化身のオレンジの マーマレードを食卓に並べて 朝にしましょう くにじゅうでいちばん高いところから ぎんいろの鐘を打ち鳴らして 森のはずれのいずみにも その波紋がとどくように みずすましがすべってゆく 甲羅の欠けた亀が 傷あとに飾った水滴の ちいさな無数の球体の中で 空がいくつもひらかれていく
くるぶしがうずいて 走りたいと言った わっさわっさと揺れる枝から 夏の卵が孵りはじめた
夏か、 じゃあ、 しかたないな
くるぶし 目がしら 貫いて 流れ はりだしていく入道雲に はりついた王国の地図を 両腕でたどって わたし 朝のためのパンを焼く 太陽がこぼした ひかりのジャムで あしたの食卓が やさしくあるように
ひかりにとけるまで 笑っていて その笑顔がとても好きだと思う
くるぶしからすくすくと伸びだした枝が ささやかな木陰と 木漏れ陽をつくった ここから
そこまではゆく
走ってゆく
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