日記帳




2009年05月30日(土) この日を待っていた

ついに『1Q84』が発売になり、そわそわと落ち着かない日々を過ごしております。今朝などは、新聞を開いてまず不意打ちのように目に飛び込んできた大きな宣伝広告の、タイトルを見ただけで些か胸が熱くなってしまったほどであります。これが、ファン心理というものでありましょうか。

耳に入ってくるのは「某出版社開業以来の異例の売れ行き」だの「販売開始前にして既に重版決定」だの、なんとも景気の良い話題ばかりで、これは我が居住地においてもことによるとしばらくは手に入らなくなるかもしれない(田舎だから大丈夫と高を括っていたけれど)、やっぱり初日に買いに走るべきだったかと、少々後悔しています。

つまり、長年の愛読者としては由々しきことに、まだ手に入れていないのです。先週はなんだかんだと忙しかったもの、と気落ちして呟きつつ、来週中には万難を排して入手したいものです。

しかし、いざ手元に確保したらしたで、中身が気になってこれまたそわそわと過ごすことになるのだろうなあとも、危惧しています。以前に読んだ『間宮兄弟』に出てくる、「読書以外は何もしない日」でも実行したいところであります。


2009年05月25日(月) 鉄塔を想う

鉄塔写真が好きです、特に夕暮れのシルエットが大好きです、という話をとある場所でしていたら、それじゃあこんな本なんかどう? とお勧めされたのが、『鉄塔武蔵野線』でした。原作は未読なのですが、先日たまたま映画版を見る機会があったので、たまには(恐らくは生まれて初めての)映画感想など(5/26追記)。

武蔵野鉄塔(実在するそうです)に通し番号が打たれていることを発見した小学生の主人公が、友人と一緒に1番鉄塔を目指す、数日間の冒険譚なのです。もう、映画の冒頭から最後まで、夏休みの風景や匂いや音が満ち満ちています。

主人公たちの行く手には、度々大人たちが「立ちはだかる」のですが、優しい言葉も厳しい叱責も、旅を邪魔する障壁でしかないのだ、と考えると、どれだけ諭されても罵られても、決して目的地を明かさない頑とした表情の裏には、ただ秘密を守るためだけでなく、どうせ理解してはもらえまいという想いがあるようにも思えてくるのでした。

主人公が「今、自分は人生の中でも最も幸せな時間のひとつを過ごしているんだと分かった」という風に独白する場面があって、自分が同じくらいの年頃にきっと味わったことがあるだろう至福の瞬間(でもそれが幸福であると気付かないままに通り過ぎた幸福な時間)に思いを馳せていました。子ども時代は「一年」と言えば気が遠くなるほどに長かった、ということにも。

夏休みの高揚感だけでなく、気だるさや侘しさまでをも懐かしく思い返す日がいつか来ようとは、あの頃には想像だにしませんでした。そして、「夏休み」という言葉の響きには、どうにもセンチメンタルな気分にさせられます。

もちろん、鉄塔も盛り沢山に登場するのですが、例えば主人公と同じ発見をしたならば、私も番号順に辿るくらいのことは実行に移してしまうかもしれないけれども、叱られたり追いたてられたり、という危険を冒してまで「鉄塔の真下にまで行く」という最初に決めたルールを守るだけの情熱はもう持ちえません。それが妥協を覚えるということ、社会の「常識なるもの」を遵守するということか、私もいつの間にか大人になってしまったものだ……、とふと苦笑交じりに思ったのでした。


2009年05月24日(日) いまほしいもの。

新聞の新製品広告で見つけた、こんなもの。

http://www.takaratomy.co.jp/products/gachagum/

粒ガムには縁がありませんが、これのためならば常備しても良い、とも思います。ぜひ、パソコンデスクにひとつ欲しいものです。



2009年05月22日(金) 今年は君と縁がある

巷では品薄で入手困難なアレが、二日に一枚とはいえ支給されるのは間違いなく有難いことではあるものの、次第に気温が上がりつつあるこの季節、一日の大半を顔の大部分を覆われた状態で過ごすのは思っていたよりも辛い、と贅沢な愚痴を言いたくもなる、マスク・ウィーク五日目であります。
時々息継ぎでもしなければ窒息しそうだ、と席を立つ度にぱくぱくと深呼吸してから仕事に戻る姿は、さながら陸に上がった金魚のようであるに違いありません。
なにはともあれ健康第一、みなさまどうぞご自愛を。

金魚といえば、ファミレスでホットケーキを挟んで向かい合う父と幼い娘の話を書こうとして、ワードパッドを開いては閉じる、という作業を繰り返しています。ぎこちない会話と、夏祭りで掬った金魚と、失踪した母親と、そんなもろもろ。
停滞しているひとつの理由は娘の名前にあって、「まほろ、という名は幻にもまほろばにも通じる良い響きだ」という一文と良く似たくだりを、最近読んだ本の解説に見つけてしまい、微妙に困ってしまっているのでした。


2009年05月10日(日) その花の名は

・あちこちで見かけるようになった、こんもりと背の低い植え込みに咲く、小さくて釣鐘状の花の名前はドウダンツツジと言うらしい。漢字だと、「満天星躑躅」や「灯台躑躅」などと書くそう。なんとも物書き脳に訴えかける字面ではありませんか。

・トケイソウはパッションフルーツと同じ仲間。あの、過剰なまでに華やかな姿は南国のpassionなのか。じっくり眺めていると、花を見ているというよりは精密機械を観察してくるような気分になります。

・白樺の林が延々と続く様は、次第に木が並んでいるのではなくもっと別なものの群衆に見えてくる、その様子を喩えて「白骨がぼうっと立っているような」という言葉が頭に浮かんだのですが、果たしてこれが私の独創なのか、何かの本で読んだ表現だったのかが定かでなく、悶々としています。

・本日は母の日。我が母上は「カーネーションなんて詰まらない」とのたまうお方なので、紫色の紫陽花を贈り物に。いくつになっても有難く、そして敵わない存在へ、今日ばかりは照れずに感謝の念を伝えましょう。

***

拍手御礼。5月1日にコメントを下さった方へ。
今年のGWは柄にもなく行動的に過ごしたので、すっかりお返事が遅くなってしまいました……と言い訳を(申し訳ありません)。
「せぴあ」も「手紙」も随分と懐かしい話で、「拍手御礼画面」などという辺鄙な場所でもなければ晒しておくのも忍びないような代物ですが、楽しんでいただけたのなら幸いです。
そして、画面表示についてもご指摘ありがとうございます! こしょこしょと手直ししてみたのですが、その後改良されておりますでしょうか……?

手を入れがてら、ほとんどガラクタ同然の扱いをしていた文章を更に二つ引っ張り出し、御礼画面に加えてみましたので、怖いもの見たさでご覧いただくのも一興かと存じます。





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