まーくん的日常...まーくん

 

 

日記ふうに - 2002年11月25日(月)

…って、これ、本来は日記なんですけど(笑)。
たまには思いついたことを、そのまま書いてみます。

今日二十五日は「三の酉」なんだそうです。

一年の無事を感謝し、くる年の幸福を願う神事、「酉の市」。
毎年十一月には、この「酉の市」が各地で開かれるのですが、本家本元はなんといっても台東区千束にある鷲(おおとり)神社。
そこへ、かの有名な「熊手」を買いに善男善女が集まるということです。

今年は「酉」の日が三回あるので、今日の「三の酉」が、まさにラスト。
けっこうなにぎわいを見せるのでしょう。(僕は行かないですが)

この「三の酉」が終わると、浅草周辺に住むひとたちは「ああ、今年もついに終わりに近づいたなー」と感慨にひたるんだそうです。
いってみれば、年末年始への前奏曲なんでしょうね。

最近、「幸福だなあ」と感じることが、きわめてまれです。
日々ルーティンに追われ、なんとか片付け、月に一回その報酬をいただく。
そんな生活も二十数年になりますが、給料をもらっても、右から左に消えていくんで、「これで何を買おう」なんてこともあまり考えなくなりました。
これって、ちょっと寂しいですよね。

この「まーくん的日常」も、休み休みではありますが、約8か月も続いています。
たまに、自分の過去の日記を冷静に読み返してみると、
「僕ってけっこういいこと言ってるじゃん!」
とわれながら感心する記事もあれば、
「アフォみたいなこと書いてるなー(汗)」
というのもあります。

こういう変化も、一種のバイオリズムによるものなんでしょうか。
表現意欲が高まる時期、低下する時期があるのかもしれない。
そのへんを、研究してみたら面白い…わけないか(笑)。

ということで、今日はちょっとテンション低めな僕ですが、今後ともよろしく。


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新規開拓 - 2002年11月19日(火)

きょうは、飲み友達と一緒に、新規開拓してきますた。
なにをって、もちろん、キャバクラです(笑)。

なんと、そういう店なんてこれまでまったくなかったJR田町駅の東側(芝浦)に、新店が出来たんですね。
お店の名はイニシャルで「D」。
芝浦工大のはす向かいのビルの7階にあります。

僕に最初についたのは、お店の中でも一番ベテランらしい28才のコ。
六本木で6年くらいやっていたそうですから、かなりのキャリア。
六本木を離れてからしばらく無職だったが、生活も苦しいので復職されたとのこと。
六本木ではなかなか作法のうるさい店で鍛えられたそうで、お酒の出し方なども、実に堂に入ったもの。
アップにした髪や、ロングドレスが、落ち着いた彼女の雰囲気にマッチしています。
仕切り上手な彼女は、リーダー的存在といえそう。

二番目についたのは、なんと19才のコ。お店の中でも最年少のひとり。
実は田町の西側にある某女子大に通っているんだそうな。
(耳の大きい元アイドル歌手、M・Iちゃんの後輩ってこと。)
睫毛が長く、パッチリとした目が可愛い。
デビューしたころのhitomiにちょっと似ていて、彼女もアイドル性十分。
オジサンにも、若い男性にも受けそうで、ナンバーワンの資格ありと見ました。

最後に来たのは、このコも19才。
以前は池袋にいたそうで、ちょっと他のコとは雰囲気が違います。
お客にガンガン突っ込みを入れるタイプといいますか。
しっかりドリンクはおねだりするし、営業もガンガンかけてくる。
「次回、ちゃんとアタシを指名しなよ!!」
てな感じ。
「キミ、本当に未成年?」
とこちらも言いたくなるくらい、やたら「慣れてる」ふうなので、さすがのオッサンもタジタジ状態(笑)。

お姉さんタイプ、アイドルタイプ、ヨゴレ系(?)、各種揃っているようで、なかなか面白い店でした。


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創業と守成 - 2002年11月18日(月)

この「エンピツ」の各日記ページを見ても、更新がしばらくとまっている日記って結構多いと思う。
「お気に入り」に加えておいても、その日の題名がなかなか変わらない日記が、全体の半分くらいあったりする。
かくいう僕の日記も、平気でひと月以上更新せずにいたりするわけだから、ひとのことは言えないんですがね。(^^ゞ

まことに「創業」よりも「守成」のほうがずっと難しいことなんである。

でも、ムリに毎日更新しようとすると、精神的に負担になって、そのうち、
「ええい、やめてしまえ!」
なんてことになってしまうので、あまりに忙しいときや、書く気分にならないときは、ムリして書かないことにしてます。
数少ない愛読者の皆さん、そういうことで大目に見てくらはい(汗)。

さて、日記と同様、男と女の仲も、付き合い始めるのにもひと苦労があったりするが、長く続けることはもっと大変なことだと思う。

ことに「結婚」なんて、数十年、下手すると半世紀以上一緒に暮らすってことですよ。
それまで、数ヶ月、数年単位でしか異性との付き合いが続かないことが多かった人間に、結婚だけは例外的に長く続くなんてことはあまりない。
でも、若いひとを見ていると、数ヶ月単位で相手を変えているケースなんてザラだもんなー。
結婚だけは長続きするようには、とても思えないね。

昔はそれでも、女性が自活していく道があまりなかったから、子供が生まれれば、それが「カスガイ」となって、まあ長続きしたものだが、今では女性も経済的に夫から自立したひとが多いから、子供を引き取って独りで育てていけるようになってきた。
もはや「子はカスガイ」という言葉さえ、死語になりつつある。

だから、「離婚」しないようにするって、独身者が考えている以上にモノスゴク大変なことなのだ。

「結婚」のきびしいところは、たとえ夫婦ふたりのうちひとりでも
「もうイヤ」
と思ってしまったら、もうアウトということだね。
いかに自分は相手のこといまだに好きだと思っていても、ダメなものはダメなのである。

もちろん、片方が「イヤ」と思っても、相手が食い下がって係争に持ち込む限り、なかなか離婚は成立しない。
とくに従来は、法制度上、社会的に立場の弱い「女性」の側の拒否権はかなり厚く守られていたから、男性の側が奥さんをイヤになっても、そう簡単には別れられなかった。
つまり、男性が女性に「あきた」という理由だけでは離婚できず、たとえば女性側が浮気をするなど、決定的な責がない限り、別れられなかったのだ。
これを「有責主義」という。

しかし、最近では「破綻主義」といって、一定以上の期間、一緒に暮らさなくなったり、夫婦生活が実質的になくなったりした夫婦は、どちらかに決定的な落ち度がなくても、裁判所が離婚を認めるという方向に変わっている。
極論をいえば、「あきちゃった離婚」だって、OKということになる。

こうなると、どちらかの愛情が冷めただけでも、もうアウトってこと。
「おたがいが愛し合う」、これ以外に結婚を継続させていく手はないということになる。

まさに「創業は易く、守成は難し」といえそうだ。


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「平成の御三家」<カワイイ男論の検証> - 2002年11月13日(水)

「平成の御三家」。
今から10年ほど前、こういうふうに呼ばれた三人の若手俳優がいたのを、皆さんは覚えていますか?

―反町隆史・竹野内豊・金城武?

ノンノン!
吉田栄作・織田裕二・加勢大周。このひとたちのことです。

彼らはTVドラマや映画での活躍により(さらに吉田・織田はCDも出していました)、当時もっとも女性に人気のあった俳優でしたが、今はどうでしょうか?

現在でも映画・TVドラマ等で昔とかわることなく活躍しているのは、織田裕二だけであるといっていいでしょう。
あとのふたりは、一応現役ではあるものの、第一線とはいいがたいところで、細々とやっているに過ぎません。

彼らが登場した10数年前は、まだバブル全盛期の余韻が消えやらぬ頃。
当時この三人の中で、いちばん勢いがあったのは、吉田栄作だったと記憶しています。
CDデビュー即大ヒット、即紅白歌合戦に出場したほどですから。
(織田裕二もその後ヒットを飛ばしましたが、吉田栄作にはそうとう遅れをとってのチャートインでした)

三人の中でも一番「カワイイ」顔立ち、和製マイケル・J・フォックスとでもいうべきルックスをしていたことが、吉田の人気の一番大きな理由だったといえそうです。

ところが何年かのうちに、彼のその勢いは急に失速します。
なぜでしょうか?

彼は自分の人気ぶりにやたらと自信をつけて、「自分は大物」という意識を誰はばかることなくちらつかせるようになりました。
これに一番気分を害したのは、ほかならぬ彼をスターダムにのし上げたファンの女性たちでした。

「カワイイ感じだから応援してスターにまでしてあげたのに、そんなゴーマンなオトコだったなんて、私たちを馬鹿にするにもほどがあるわ」

と、いうことです。

おまけに彼は何を勘違いしたのか、「日本ではオレの大きな器を生かす場がない」とでもいわんばかりに、アメリカへと役者修業に旅立ってしまいました。

これが裏目に出て、その後彼はすっかり「忘れられたスター」となってしまい、気づいたときには、日本のどこにも自分の戻るべきポジションがなかった、とこういうわけです。

一方、加勢大周もまた、デビューして数年後に大きなつまずきをしてしまいます。

彼もまた自分の人気に自信をつけて、「独立」を考えるようになります。
ところが、所属事務所から独立するにあたって、今まで通り「加勢大周」という芸名を名乗ろうとしたところ、旧事務所の社長から、「その芸名は、自分が腐心して考えたものだ。使用まかりならん」とクレームをつけられ、法廷での係争にまで発展します。

一時は、加勢大周と、旧所属事務所が擁立した新・加勢大周(現・坂本一生)が同時に芸能活動を行うという、異常な事態にまでなりました。

結果的には、もともとの加勢大周が、その芸名の使用権を認められ、現在に至ってはいますが、その一件ですっかり「ミソをつけた」というのが、実状です。
彼の人気も、デビュー当時にくらべるとすっかり下火となってしまったのです。

その後加勢は、活動の拠点を日本から台湾に移すことで新たな人気を獲得し、なんとか活路を開いたように見えます。
が、それでも旧事務所とのトラブルはいまだ解決していないようで、つい先日も旧事務所に損害賠償として6600万円を支払うよう、東京地裁の判決を受けています。
当然、解決にいたるまでは、今後かなりの年月がかかりそうです。
よくよくトラブルと縁の切れないひとなのでしょう。

これらの件に関しては、一概に彼に非があるとは思いませんが、最初の「独立」のときはよくよく慎重に事を運ばないと、富も人気もすべてパーになりかねないことを、もう少し自覚してやるべきだったように思います。
スキャンダルというものは、なんら非のない、いわば被害者側でさえも大きなダメージを与えてしまうものだということですね。

さてその間、もうひとりの御三家、織田裕二は実に地道に仕事に励んでいました。
彼は87年に「湘南爆走族」で映画デビュー、その後いくつかの作品に出演しましたが、器用にはこなすものの、これという当たり役もないままでした。

そんな彼のイメージを大きくアップさせたのは、91年に放送されたTVドラマ「東京ラブストーリー」でした。

柴門ふみさんの漫画を原作としたこのドラマでは主人公カンチとして、奔放な帰国子女リカ(鈴木保奈美が演じました)に翻弄されながらも一途な愛をつらぬくという役柄を好演、これまでは人気の面で他の二人に水をあけられていたのを、一気に盛り返したのでした。

そして同年夏公開の映画「就職戦線異状なし」に出演、「若い世代の代表選手」的なポジションを得るようになります。
そして、最近の「踊る大捜査線」「ホワイトアウト」にいたるまでの活躍ぶりは、皆さんご存知のところです。

もともと、後のふたりにくらべると、さほどハンサム・タイプではないことも、むしろ大いにプラスになっています。
いわゆるカッコいいヒーローよりも、等身大の、普通の若者たちにも共感できるような役柄をおもにもらい、地道に演ずることで、彼は人気を徐々に伸ばしていったといえます。

私生活でも、それこそホモじゃないの?といわれるくらい女性の噂が少なかった(うまく隠したのかも知れませんが)ことも、彼の「好青年」的な印象を高めたといえそう。

そしてなにより、彼が好感を持たれたのは、彼自身の言動にまったく「驕り」が感じられない、ということだと思います。

スターには、人気を得ることで天狗となりダメになっていくタイプと、人気を得ても淡々と仕事を続け、決して偉ぶらないというタイプにはっきり分かれると思います。
もちろん、前者のスターとしての寿命が後者にくらべて著しく短いのは言うまでもありません。

後者のような、人間としての「カワイイ」部分が欠けていては、いかにカワイイ顔をしていても、平成御三家のだれかさんのように、人気がどんどん下がっていくものなのです。

演技、ふりによって「カワイイ」男に一時的に「なる」ことは、さほど難しいことではないでしょう。
ですが、長年「カワイイ」男で「あり続ける」ということは、存外難しいものです。

さまざまな場面で、さまざまなひとたちが、彼自身の「素」のキャラクターを観察し、その情報は光なみの速さで伝わり、あっというまに皆に知られるところになるのですから。
ムリに演技してみても、早晩ボロが出てしまう、そういうことです。

そういう意味で、織田裕二は最終的に、素の「人間性」で勝利を手にしたといえそうですね。

この「平成の御三家」の事例ひとつをとってみても、ただ顔がカワイイだけではダメ、むしろ性格こそ決め手にほかならないことがよくわかります。

ということで、若いみなさんも、見かけのカワイサを磨くことにばかり血道を上げず、内面こそ磨いていただきたいものです。


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「コワイ男」から「カワイイ男」へ - 2002年11月04日(月)

すでに二回にわたって書いてきたように、オトコにとって異性から「コワイ」という印象をもたれることは、いまや数多くのデメリットこそあれ、メリットなど何もない。

ところが、オトコどもは実に長いあいだ、自分が「コワイ」奴であることを、ことさらにアピールし続けてきたように思う。
それは何故かといえば、「戦乱」の時代が長らく(何千年、いや何万年か)続いてきたことが大いに関係しているだろう。

とにかく少しでも相手に「コワイ」と思わせる、つまり威嚇することが、日々これ戦(いくさ)の時代には不可欠の「自己演出」であった。

そのためには、「笑顔」など、オトコにとって不要のものであるとされてきた。
ニコリともせず、ひたすら「コワモテ」で通すこと、これがオトコの行動規範のすべてであった。

その「戦乱」の時代が、前世紀の後半、世界的にもようやく終焉を迎えるようになった。
それはまさに、「価値の転換期」でもあった。

日本では1945年8月の敗戦以降、オトコどもはオンナたちにとって「コワイ」ものではなくなった。
オンナたちは、オトコたちの腕力を恐れることなく、男女平等を謳歌出来るようになった。
二度と「戦う」必要がなくなった日本にとって、「コワモテ」のオトコたちもまた、不用品となったのである。

そして、オンナたちは、「愛玩出来るオトコ」「カワイイ男」こそ一番好ましいと考え、そういうオトコたちにむらがるようになる。
最初はアメリカ軍の白人兵士たちに。
彼らが撤退するころには、ウェスタンやロカビリーの歌手たちに。
その流れの上に、グループサウンズ、さらには現在のジャニーズ系アイドルたちがいることはいうまでもない。

他のオトコどもがどんなに眉を顰めようが、オンナたちは、彼らに対して黄色い嬌声を上げることをやめようとはしなかった。
そのうちに、武骨なタイプのオトコたちのなかにも、彼らのように女性にモテるほうがいいかなと考え直すものがひとり、ふたりと出て来る。
自分の過去のやり方を捨てて、新しい時代の流儀に従うようになる。
だんだん敵方へ「寝返る」男性が増えていったのである。

そして、何十年もの歳月が流れ、今や異性にカワイイといわれるために、ありとあらゆる努力を惜しまない男性が「多数派」となった感がある。

彼らは髪を染め、逆立て、眉毛を抜いたり剃ったりして書き入れ、ピアスをし、永久脱毛をほどこし、朝食を抜いて少しでも体重が増えないよう気を遣う。
そして、もちろんファッション雑誌を読んで、身だしなみや流行りにも気を配る。
まあ、涙ぐましいばかりの努力(笑)。

その「熱意」を、別のところに向けたらどうなんだ?なんていうのは、オヤジ世代の発言。
若い彼らとしては、ただただ女性に無視されたくないばかりに、やっているのだ。
いってみれば、死活問題(笑)。

ただ、僕が見るところでは、若い彼らのそういった努力も、どうも「空回り」しているんじゃないのー?という気もしないではない。
あまりに「カタチ」のうえだけの「カワイさ」をアピールすることしか、彼らの思考回路にはないのだ。

考えてみればいい。
男性が、ある女性を「カワイイ」と思うとき、それは単に彼女の容姿のみを「カワイイ」と感じているわけではないでしょ?

もちろん、「整った顔立ち」は重要にして不可欠な要素ではあるが、それだけでは十分条件とはいえない。
どんな美形であっても、ふだんはブスッとしていて、自分の恋人や夫の前でしか笑顔を見せない女性なんて、カワイイとは思えない。

やはり、愛想のよさ、惜しみない笑顔こそ、カワイイ女の第一条件。
あるプロの写真家によると、どんな「不美人」「非美人」でもいい感じに撮ることは可能だという。
つまり、彼女の「笑顔」を撮ればそれなりに見られるものだ、というのだ。

そのくらい、「笑顔」とは、最強の切り札、リーサル・ウェポンなのである。
雑誌アンアンの最新号で、女性の好きな女性タレントの第一位に松嶋奈々子さんが選ばれたそうだが、彼女などはまさにあの値千金の「笑顔」だけで、現在のポジションをつかんだといえそうだ。

その反対に、笑顔がよくないと、どんな端正な顔立ちの女性でも、「カワイイ」とは言われない。
一説では「ブス?ッ」としている女だから「ブス」だというらしいが、それはオトコについても同じことが言えるのでないかな。

男女の経済力の格差がほとんどなくなった現在、女性は生きていくために男性に媚びを売る必要はなくなった。
苦虫を噛み潰したような表情の、偉そうな態度を取るオトコに、ムリにへつらうことなどないのである。
そういう「ブスなオトコたち」は無視して、自分に対して愛想のいい男性を選べばいいのである。

かつて、
「オトコは度胸、オンナは愛嬌」
ということばがあったが、これを当世流に言いかえるなら、
「オトコは愛嬌、オンナはIQ」
とでもいうべきか。

アメリカでは、身分証明書・免許証等、ポートレート写真の基本は、日本とは違って、「満面の笑顔」が基本だという。
まだまだ過渡期の日本では、「ちょっと気取った、冷たそうな感じのオトコ」に人気があるのだが、流れは着実に変化し、「笑顔のカワイイ、素直な感じのオトコ」のほうにスポットが当たってきている。

まずは、一日一回、鏡の前に立ち、笑顔の練習から始めてみよう。
これまで女性に縁が薄かったモテナイ君も、これで人生、劇的な転回をとげるかも。


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