耳鳴りおやじの日記
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2004年12月26日(日) |
首都大学東京のゆくえ |
とうとうはじまったかという感じだ..
首都大学が英語授業の外注でトラブルを起こしているらしい..
また、たくさん採用者を募集しているが、主任教授以外はすべて任期制である..
今まで採用していた先生方はどうなるのか?あまりにも強引すぎる..
いずれにしてもこの流れは主流になるのだろうか?それとも崩壊するのか?結局、経費節減の一貫ではないかと感じる..
この大学で若くして就職した教員は、長期的な住宅ローンすらも組めない..そんな職にだれが着くだろうか?
結局、主任教授以外はその下の教授すらもポスドクと同等で、早く出ることを考えると思う..おそらく、そういう不安がない、大手私立の永久職に望むだろう..
任期制の制度導入と合わせて大幅な給与の支給を約束しなければ意味がない..プロ野球と同じだ..
これから大学はどこへ向かうのか..憂鬱..
2004年12月25日(土) |
ラストクリスマス.. |
未だにラストクリスマスを最後のクリスマスと勘違いしている方がおられるようだが...
”去年のクリスマス”である...
この時期、学位発表会とクリスマスイブが重なり、パートナーや家族がいる方で、学位申請をする人は2重の苦しみ?となる..
私もそのひとりだったが、辛かった..これを乗り切ればという気持ちでいたが、もう、その余韻は薄れかけている..
一般的には1年は正月からスタートするものだが、私にとってはこの1年は学位発表会(これがきつい)からスタートしている..来年度は正月からに修正をしなくてはいけない..
今年もクリスマスは楽しかった..子供からクッキーももらったし..
当分の間、年末年始ぼけにさせていただきます..1年に1回ぐらいいいんじゃない?
2004年12月24日(金) |
クリスマスパーテイと幸福感 |
昔、私は幼稚園や保育園の先生に憧れたもんだ..
近所の子供会のクリスマスパーテイに参加すると、そんな気持ちがこみ上げてきた...
子供会のクリスマスパーテイというのは、地域福祉の一貫である..親は参加せず、世話役の親と多くの子供たちで行うイベントだ..
中には親が離婚している子、うちのように障害を持っている子もいたり、様々だが、こういう集まりはとても意義のあるものだ..
日本では研究者は研究バカで研究の事しか頭にない先生が多いが、意外にもアメリカでは、研究を仕事と割り切り、週末などボランテア活動に参加している人も多いという..
子供が好きだったり、趣味を生かしたいという気持ちがあるのなら、こういう地域活動を積極的に行えば良いと思う..
そうすると、幸福感というのは別のところにあるのだと感じられる.. 仕事というのは自分の中の一部分であって、すべてではないと自覚できる..
極端に言えばお金をいくら稼いでも得られない部分があり、むしろそれを意識することで幸福感が高まる..
...しかし、これは一般的に言えることなのか、それともおやじのみの幸福感なのか...どっちなんだろう...わからなくなった...
2004年12月23日(木) |
忘年会という行事... |
今年度のメインイベント..F先生との忘年会..15年ほどのつき合いがある中でいったい、何リットルのビールを飲んだのだろうか?恐ろしい..
その年が大変な年であればあるほど、癒される会である..
今年は大きな災害がたくさんおきた..洪水で家が流された人、地震で家族を失った人、遙か遠くでは家族ごと、爆弾で吹き飛ばされた人たちもいただろう..
そんな人にとっては、是非、忘年会を行って欲しい..辛いだろうが、嫌なことを忘れてリセットしてほしい..新しい年には必ず、いいことがある..
明日はクリスマスイブ、そして学位審査会である..去年の事を思い出した..今年は去年に比べると楽な1年であった..
クリスマスに子供と何年かぶりに余裕をもって向かえあえる気がする..
まあ、今年もいろいろ演出を考えているが、成功するのだろうか?
..と言う間に、今年も終わり..来年はおやじの歌を唄いたい?..
昨日はミニ忘年会だった..
そして、その場所はカウンターが主な席の居酒屋だった..
カウンターの先に見えるのは料理をするおやじとおばさんだけだ..店内にはテレビがおいてあり、主におやじがひとりで訪れてテレビを見ながら一杯飲むタイプの”おやじバー”である..
去年も千葉でこのような居酒屋に行ったが、日本全国津々浦々、こういうタイプの居酒屋は存在するし、長く続いている気がする..
その空間は若者のバカ騒ぎがないせいか、不思議と静かであり、とても居心地がよい..
また、全体的に余裕がある..この余裕はどこからくるのかと考えていたら、そうかこの店は多くの部分が調理場で客の座る場所がむしろちいさいのだと感じた..また、調理場が目の前なので注文しやすく、また調理をしている人が直接渡すので極めて”温かい”のである..
こういうところは”たそがれおやじ”にはぴったりである..全国にこのおやじバーをもっとひろげたいものだ!
昨日懇談会があったそうだ..
次男が、算数、国語..図工、体育に至るまですべての評価がAだそうだ..
A評価をもらえる児童はクラスで人数が決まっているため、だれでももらえる評価でないうえに、小学校も地元では有名な教育校なので、全体的に学習意欲が高い...
担任の先生曰く”当学校では異例です!”
..しかし、なんであいつは私と違って勉強が好きなんだろうと思うことがある..朝、6時起きでドリルをやるやつなんか、今時いるかあ?
家でも勉強をやれなんて言ってきた覚えはないし、むしろ、ええかげんにやれとからかっていたのに...
しかし、おやじとしてはうれしいかぎりだ...男は文武両道、サムライ精神を持つのが日本男児の基本だ!(女は雅が日本の基本!)
息子の成長と共に枯れゆくおやじ..枯れまいと焦るおやじだが空回りするばかり..そこで一句!
息子自慢 枯れゆくおやじの 虚しさか...
2004年12月20日(月) |
世界で一番おいしいクッキー.. |
子供たちが、24日にサンタさんのためにクッキーをつくるそうだ..
いつもお世話になっているかららしいが、おやじとしてはかわいくてしょうがない..
24日、こどもが寝静まってから食べるクッキーはさぞかしおいしいのだろう...おそらく、私が今まで食べるクッキーで一番美味しいに違いない..
今日はおもちゃを買いに行こうか...この時期、忘年会とクリスマス、学位発表会などでばたばた忙しい...
どうでもいいけど、年末固めないで欲しい物だ..
用事で東大のA教授にメールを書いたら、深夜0時過ぎに戻ってきた..一体、あのおばさん、遅くまでなにやっているのか?
忙しいだけでなく、たまにはひとかけらのクッキーで幸せになることもあるんですよと言いたいもんだ..
実は大学でクリスマスのためにケーキ準備していたりして..そんなことないか..
T先生は私にとって重要な存在である... その先生と昨日は忘年会を行った..
私が分子の世界に入るきっかけを生んでくれた先生である..
”君は若い頃の私に似ている”と声をかけてくれたことを今でも覚えている..
T先生が就職した年齢が今の私の年齢だ..T先生は全くスタッフがいない、実験器具もないところからスタートしている..
T先生もすぐに教授になったものの、その後の苦労は大変なものだったと感じる..すべての会議に出席しているからだ..
いくら研究能力が高くても、1人ですべての事をこなすのは困難に近い..しかし、それをうまくやりくりして、今年度はすばらしい国際誌に載せることに成功している..
まだまだ、おやじとして壁にぶちあたり、乗り越えていかなければならないが、T先生のように教育と研究のバランスがとれた”バランスおやじ”に改造していきたいものである..
おやじ改造計画は、まだまだスタートしたばかりだ..
私の師匠のK先生は、一週間のある時間、図書館にこもっていた..
大学院生である私は、なぜそんな時間を持たなければいけないかと思ったものだが、最近、その気持ちがわかる...
昨日も日頃の雑用から逃れて、実験に没頭していると、いろいろな事が頭を駆けめぐる...
最近はインターネットという恐ろしいツールがあり、世界のどこにいても キーワードで拾ってくるので、思いついたアイデアをサーチすると目的に近いサイトがヒットする..
世界には、やはり同じ事を考える人がいるもので、極めて重要な論文を見つけてしまった..感動のあまり、心拍数がマックスに達しそうだった..
考え、共有し、具現化する..
これこそ、人間の高尚な活動である...そういう環境にあることを感謝したい..
...しかし、具現化できる体力はあるのか...この枯れ葉おやじに..ふー
日本全国で、先生のセクハラ等の問題が多発している...
私も教員の一人だが、教員というのは結構辛い仕事だと思う..一番辛いのは”教師づら”をしなければならないことだ...
先生である前に、ひとりの人間であるはずなのだから、一般的に言われる聖職者よばわりされるのは、おそらく多くの先生にとって負担になっているに違いない..
昔の大教授は女の1人2人ぐらいは囲っていたのが普通で、生徒や学生がいけないようなお遊び場所にもいけるだけの金も持っていたと聞いたことがある..
要するに”特別な存在”だったのである..しかし、今は聖職者よばわりされるわりに給料も安いし、業務も、責任も多い気がする..なぜか、予備校の先生は聖職者とは呼ばれないし...(関係ないか)
最近特に感じるのは、聖職者と呼ばれるように成長するのが教員の仕事だということだ..だから、他人に言われる筋合いはないし、もし、言われるのなら、自分が教えた生徒であり、学生からというのが本来の姿である..
なんてことを考えても、私は所詮おやじである..おやじとして学生に接するのみである..学生から”おやじ!先生ジャン(東京弁)”と言われるのが夢だ..教員、老いやすく、聖職者なり難し..
新撰組に続き、メダカ終了..
心温まる教育ドラマだった..
話はおいといて、こういう当たり前のドラマって求められているのかもしれない..
たぶん、こういう結末で生徒と泣いて終わるんだろうなあというそのままの最終回に安心感を感じるのではないか..
教育現場がうまくいっていないからこそ、あたりまえの教育現場が求められる..そんなドラマだった..
いつも大学生を相手にしていると、怒りたい心境にかられることがあるが、こんなドラマをみるとそんな気も失せてくる..
彼らは”かまって欲しい”だけなのだ..
そして、不安を抱え、何かに強力に支えられたいという意識を持っているようにも思える..要するに子供なのである..
不思議な事に”大学生”ではなく”子供”と思うと、”かわいく”思えてくるのである...
はあ〜そう思えるようになったら、完璧なおやじである..どうしよう..
今年も終わりである...
まだ、12月中旬と言うかもしれないが、クリスマス、忘年会など目白押しで予定がつまっているため、先が見えるのである..
今年はなかなか、人脈を広げることができたし、また、多くの反省をした...
何ができて何が出来ないかという事を考えた年でもあった..
また、学位取得の時と違って刺激が少ない年でもあった..
今年も後少し、忘年会で酒でも飲みながら、今年のまとめをしようか?
(あ、まとめられる成果がない!)
おやじ、朽ちていくのみか〜
なんか、ばたばたしていた1年であるが、もう少しで終了である..
そして、ドラマと言えば新撰組、なんとDVDも発売されるという..みたにこうきは好きではないが、このドラマは幕末の歴史を考える良い機会になった..
幕府のために、身をささげ、最後は裏切られて、斬首...結局のところ、剣の力が優れていても潰された若者たち..
そのころの若者たちの日本人気質はどこへ行ったのだろうか?
そのころの日本を知ることはできないが、新撰組の失敗は柔軟性のない厳しさにあったのだろう..
脱走者は切腹という規律は、組織維持の建前であったかもしれないが、多くの優れた若者を失うことになってしまった..
なんか、日曜日が寂しくなりますねえ..次は上戸あやのなんとからしいけど..おやじは興味がないなあああ..
2004年12月11日(土) |
...生き返りました |
とうとうあのおやじも死んだのかと思ったのでは.. いやいや、復活しました...おひさしぶりでございます...
死んだのはパソコンで、修理でてんやわんや..別にどのパソコンでもいいのだけど、なんか書く気がない..
まあ、いろいろありましたが、知らぬ間に年末です..
師走っていうけど、”走ってます”ねえ..
今日も学会..発表しない学会も寂しいもんだけど、とても刺激が多く、勉強になりますねえ..
学問の進展もさることながら、実験方法の提案、新規モデルの提唱、業者の新機械の発表など、人間の知恵とはこうもすごいのかと関心することばかり...
そんな学会に入っているだけで幸せもんです..
さて今日も行って来るか(もう始まっています!!!!)
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