耳鳴りおやじの日記
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勤続表彰を受けた...
なんとなく、年老いたおやじにわざとらしく誕生日を祝ってもらうようなかんじで複雑な心境である...
しかし、過去を振り返る良い機会をもらったような気もする...たとえば30年表彰とか受けた場合、この30年間にいろいろなことがあったなあとか、こんな事をした、こんな失敗もしたなんて考えることができる...
私の場合、独身だったなあ..結婚したなあ..家を買ったなあ..子どもの障害で悩んだなあ..耳を悪くしたなあ..学位を取ったなあ..良いスタッフに恵まれたなあ..というところか..結構楽しい.. 良く考えれば、かなりお世話になっているなあ、なんて気になってくる..大学の思うつぼである..
次の表彰まで何をしようか..でも枯れていくだけかな..そもそも生きているかなあ..天国で表彰されたりして..
”1日1日を大切に”なんていうのは、おそらくおやじが考えたことだろう..次の表彰までこつこつと頑張るしかない..そしたらいつかはいいことがあるでしょう..
さあ、まずは目の前の仕事!
日本人の若者がイラクへ行き、どうやら遺体で発見されたようだ..非常に残念と言わざるを得ないが、家族には申し訳ないが、多くの日本人は彼には同情していないと思う..
ワーキングホリデイを使って外国に行く..しかし、それはあくまでいろいろな人の助けがあって成立している..イラクに行くとか、行かないではなく、自分の居場所を少なくても親に知らせるくらいのことをすべきだったのではないか...むしろ、彼の親に同情する...
今の世の中、若者が好きなことをしすぎだと言うが、考えてみれば若者はいつの時代も好きな事をしている...
それを止めたり、戒めたりするのが、教育現場であり、親であり、地域であるはずではないか...
社会全体が、自由を認め、自己責任を主張するのは良いが、それは逆に考えれば、教育責任の放棄である...
フリーター、ニートという名前が付いている若者は、社会的に恥ずかしい立場であるという事をすべての人が認識させなくてはいけないと思う..
社会全体がアルバイトの資格に教育機関に所属していることを明記すべきである...学校に通っていない子どもにアルバイトはいらない...親が養えばいい...
うちの子も厳しく育てよう...そううまくいくかな...
ひさしぶりに実験を行った...最近、ストレスのかかることが多かったので、実験のことで頭を満たすと、”幸せ”である...
実験の合間に今年度、学位を取る予定のUさんと話した...さぞかし、嬉しいのかと思えば、その逆で気分が落ち込んでいるという...
話を聞くと、やはり今後の身のふり方らしい..就職が本当にないらしい..
4年前に学位を取って出た卒業生も、論文書けずじまいで外に出される感じである...
最近、国が”余剰博士”が多いから、民間にもっと雇えと言っているらしい...民間は”もともと、博士を増やそうと言ったのは国だ..その後かたづけを民間にさせるとはけしからん”と反発しているらしい..リストラで民間も厳しいのだから、国が責任をとるべきだと思うが..
しかしまあ、被害者は”余剰博士”と言われる人たちだ..国と民間に踊らされている...
そこで私の提案である...外に活路を見いだすのである...それも、アジアである..
今、中国、台湾の景気は良い..企業も活気づいている..特に女性は働きやすいようである...
アジアでは日本の研究者は高く評価されているから、企業も比較的受け入れてくれるのではないかと思う..
また、アメリカに比べればテロの可能性も低い..
日本の景気が回復するまで、中国などで働いて論文などを稼いでおく.. 日本が落ち着いたら戻ってくる..そこそこの論文と貯蓄、そして外国のキャリアも着くというおまけもある..
ポスドクの間に研究と中国就職計画をたてるべきである!いざ、中国へ!
最近の大学事情についてH先生と話した...
H先生は、近く新しい学科ができるが、その学科長になる人だ...
しかし、話す内容は暗いことばかりだ...
”会って話をすると、人の目があるので大事な話はむしろ 電話の方が話しやすい”
どんな大学か?ここは?これから新しい学科を作ろうとする人が堂々と していられないとはどういうことだ? かなり政治的な取引が内部にありそうである...
最近、いろいろな人と話して大学の事情がよくわかってきた...
大幅な軌道修正が必要かもしれない..
...しかし、研究のストレスは次のプロセスだが、こういった交渉のストレスはかかる割につながるものがない..これがまた、ストレスである..
....最近、ホントにやつれてきたおやじである.....
2004年10月25日(月) |
自然災害から感じること |
地震の被害があまりにもひどい..
今年は、台風による被害もひどく、なぜ、日本だけこんな目にあわなくてはいけないのかと感じてしまう..
そして、こういうときに思うのは、人は無力であり、最後は助け合わなくてはいけないということだ...
昨日、SOのイベントがあったのだが、なかなか居場所がない彼らを救うことが出来るのも同じ人間である...施設コンフリクトで排除する事にエネルギーを注ぐのであれば、彼らにどういうサポートができるかということにエネルギーを注いで欲しいものである...
サポートしようとしても、必ずぶつかる壁は出てくる..だから、最初から壁はいらないのだ..
どうも疲れているとクライ話になりがちである..今週は学祭..若いエネルギーでももらって元気出すか...
近所のおやじ友達?のIさんの日記で..
佐世保小6女児事件の被害者の父親、御手洗恭二さん子どもである怜美さんに宛てた手記の中で
「子どものすべては理解できないと分かったうえで、理解する努力を続けてください。それぞれの家がそれぞれのやり方で」...と述べている。
これは、教育と言うよりは人としての生き方にかかわる言葉である...
障害児に対しても生徒に対しても学生に対しても、友人に対しても先輩に対しても..そして自然現象にたいしてもこの言葉は当てはまる...
すべてがそんなに簡単には理解できないのである...だから、ストレスが溜まるし、なかなか上手くいかない..そもそも上手くなんかいかないのである...世の中は...
しかし、理解できないから捨ててしまったらそれまでである..じゃあ、理解できる事を探そうか..なんて言っても簡単に理解できることは大したことではない...
理解しようとして苦しみ、失敗して、そしてまた考える..その連続である..
”障害者を理解してください”..真剣に理解しようとしない言葉である..そんな簡単な事ではない..
理解しなければ幸せに生きることができない状況に立たされて初めて、理解しようとするものだ..
なんか、最近の私は説教おやじになっているなあ..ストレス溜まっているのかなあ..
おやじの教育熱も高まってきたところで...
生徒に考える能力を与え、選択の幅を広げる...か? 考える隙を与えず、すべてを学ばせる...か?
中学高校で選択幅を広げ、好きな科目を取らせ、嫌な科目はとらない...という方向にきている...これが結局、学力低下を導く..
いずれにしても、生徒にプレッシャーがかからないと意味がないと感じる..それを乗り越えてこそ、意味がある..
選択の幅を増やすのは良いが、それなら評価を厳しくして必ず下から4割は落とす....ぐらいのことをやらないと、楽な科目を選択するだけである..科目間の差をなくすためにもそれぐらいの事をやらなければならない..
逆にそれくらいのことが、できないのであれば選択の幅を増やすことは教育の質の低下につながる...
おやじの古くさい感覚から感じるのは、それは多くの学校でできないと思う..なぜなら、評価を厳しくすれば落ちこぼれが激増し、授業が成立しないだけでなく、ドロップアウトする生徒が増えるからだ..
この方法で成功するのは国立大学ばりばり入学実績をもつお金持ち学校しかできない..だから公立では無理である..
だから、現実的には選択幅をなくし、5教科7科目(今は違うかも?)をしっかり学ばせる..嫌な科目でも面白くさせるのが教育である..
アラカルト方式は教育放棄の道へ進む...それを認識している現場教員は文科省のやり方に幻滅し、さらに教育意欲を低下させる..
ゆとり教育を主張している役人は、今、精神的にゆとりがない..間違いない!!!
今年は本当に台風が多い...
台風によって身内を亡くされたひと、家を奪われたひとの気持ちは一言では語れない..
首都圏でも台風は様々な影響を与えてきた...一番、影響受けるのは交通網である...これは停止すると家に帰れないからだ...昨日は多くの会社が早く社員を帰しただろう..
大学も休講になった...しかし、その分は補講だ...今年は台風補講だらけである...これは学生にとってうれしいのだろうか?
大学という組織も独立行政法人化され、今までのようにはいかない時代である..しかし、サービスを受ける学生の視点から改革をしないと、首を絞めることになる..
大学にとって台風の目が近づくのは2007年、全入時代...しかし、そのために行った改革が失敗すれば大きな爪あとを残す..
今わかっていることは、初等中等教育が失敗しているという事実である..それをどう改善するか、大学とどう連携するかという視点から改革をしなければ、ならない..
なんか、暗くなるおやじでした..
健康日本21って何?とか、ニュース読んでいたら、ここ4年間の間に肥満の人が急増し、厚生労働省が危機感を募らせているようだ...
以前は肥満と判定される人を”4人に1人”から”6人に1人”と数値目標立てていたようだが、それが4年後に”3人に1人”になってしまったというのだ...
そういえば、うちの大学でも新入生の糖尿病が増えているという...
これは厚生労働省と文部科学省との連携不足もあるとおもう..厚生労働省の数値目標をどう改善するかは、教育現場と深く関わるからだ...
学力は低下するし、体力は低下するし、肥満は増えるし...少子化の進行で1人1人のケアは上がるはずなのにむしろ、低下傾向にある..
一方で、喫煙者の割合は低下している...3割を切ったそうだ..肥満になるならないは個人の問題だろうって言うヒトがいるが、そうなら学力も同じである...だからそんな議論は無意味だ...
社会の機能がシステムなら、個人の能力もシステムである..人間をシステムと捉えて体の事、学力の事、心の事などをシステムとして良くしなくてはいけない....
健康日本21、数値目標って言うじゃない〜、でも実際は肥満だらけになっていますから〜残念...
肥満日本まっしぐら21..斬り...早く仕事しよ...
大昔、このテーマで書いたことがあったが、健忘症がひどく、すでに忘れている..再度、このテーマで書きたくなった..
京大総長が”わかる”とは何かという事を書いていた..
”50ヤードなので柔らかさが重要であった”を例に出している..
まず、ゴルフを全くやっていないひとには何のことかわからない.. 仮にわかったとしても、体の柔らかさとは何か?というのは、
”体験”してみなければわからないのである..とある.. つまり、体で理解するということだ..
このインテリおやじは、わかる過程は3段階あって、最初の段階は”言葉の理解”、次の段階は”言葉が示す対象世界の理解”、そして最後は”感覚の理解”であると述べている..
逆に考えれば、”経験していない人”は”本当にわかっていない人”とも考えられる..
今の教育が、いらない教育を切り落とし、必要なことのみを残していくことを目指しても、必要な教育がテストの点数を取るだけのものなら、結局、その内容の理解につながらないのではないか?
感覚とは、外部とのコミュニケーションだから、生物にはこれがないと成長しないのかもしれない..
高齢化社会、おやじも経験の時代である..どんなに老いても経験だけは誰にも負けない..といいたい(言えるかな??)
娘の誕生日だった..
まあ、良く大きくなったものである..親からみれば、まだ小さいときの思いでが強く残っている..
”パパへ かんしゃしています”なんて手紙で書くもんだから、うれしいのを通り越してうるうるもんである..
この言葉を次にもらうのは”結婚式”の時かと思うと、なおさら泣けてくる..
運動会といい、子どもの誕生日といい、子どもがいなければ体験しないイベントである...世の中には子どもが欲しくてもできない人も多いが、結婚を避けていたり、子どもをつくらない大人もすごく多い..
それぞれの生き方があり、否定は出来ないが、人として成長するためには様々なエネルギーの必要な経験を積む必要がある気がする..
子育てはエネルギーのかかる事だが、大人として成長するためには大事な経験である..お金がたくさんあり、かっこいい服や車を乗り回すことが大人ではないのである..
おやじは枯れるものだが、そこに栄養を与えてくれるのは子どもである..
娘にエネルギーをもらったおやじであった..
知り合いのMさんが独立を決意したそうだ...
不思議だと思うのは、サラリーマンを親に持つ彼がよく、決意したということだ..奥さんの影響かなあ..
でも、前のところでも本当に好きなことはできなかったらしい..だから、独立して本当に充実したことをやりたいと言っていた..
彼の能力は認めるが、本当にニーズがあるのか、不明である...それが少し心配ではある..
東京では活動する予定はないようなので、また、会って話しでもしたいもんだ..
大学の現状が厳しくなればなるほど、普通は競争が激しくなって良い研究をしていた人を取るのが普通である...
しかし、現状は必ずしもそうではなく、教授の息のかかった人を採用している...研究をがんばるより、どこの研究室から多くパーマネントを出しているかという事が重要になりつつある...一体、どういうことだ...
知り合いのコーチ、Mさんもそうだ...素晴らしい業績を上げたにも関わらず、トップが変わって契約打ち切り..
人事もそうだ...学生の希望が高く、頑張って教育、研究に励んでいても、トップがいらないと考えればそれまでだ..
世の中、不条理なことばかりである....
”もう、仕事なんてするか!”なんて嘆いたら、娘が泣き出した..
おやじは娘の涙に弱いなあ..今日から再出発である..
秋ドラマが開始した...見ている場合ではないのだが、頭の切り替えは重要だ..
”めだか”はいいんだけど、理想の先生像にされるとちょっとなあ..
ただ、昨日の放映で
”私にはできることとできないことがわからないんです”
限界がわからないという意味だが、こういう気持ちで仕事をすると、結果なんてどうでもよくなる..
なかなか、自分を追い込むことは難しいが、やるときはとことんやるという意気込みは大切だと思う..
おやじにとってはきつい言葉だが、ぼちぼちがんばります...
日曜はうちの家族最後の保育園運動会..月曜日は近くの市民運動会..日常活動性高い!
保育園の運動会って、結婚していない人、子どもがいない人には、めんどくさく見えるかもしれないけど、すごく感動する場所なんです..子どもが一生懸命演技している姿って、がんばってるなあって思うんですね..
我が身を振り返り、”がんばろう”と思う1日なんですね..
でも、今年が最後の運動会..みんなでお弁当食べるのも最後です..二度と戻らない大切な時間です..息子曰く”今年で最後だなあ”そうなんです...
市民運動会はいろいろあって、良かったですね。自閉の長男も、ハードル、やりなげ、走り高跳び..けっこうできるじゃない...
次男に得意な教科は?と聞くと
”う〜ん、得意なのは算数だけど、好きなのは体育”
おまえは偉い!!がんばれよ!!
家族でいられる瞬間..短く、過ぎ去る時間だが、大切な時間である..
こどもが小さいときにパチンコなんて行ってる場合じゃないですよ、そこのおやじさん..
子どもの体力低下にブレーキがかかっていない..
これはスポーツ能力がどうというものではなく、人間としての機能の問題である..
多くの人は体力とメンタル面を切り離しているが、これは絶対に関係していると思う..最近の心の問題と直結していると感じる..
特に教育、体育教育だ..ちゃんとやっているのかあ?体育教員!
最近の調査で気になっているのが、昔の世代と比較して運動をしていない子どもの体力が落ちていることだ..どれだけ、日常生活で体を動かしていないか...スポーツの問題ではない...
また、多くの国民はあまり、気にしてないと思うが、身長が伸びているが、50M走タイムが落ち込んでいることだ.. 私は以前、陸上部だからわかるのだが、小学生ぐらいは身長の高さが50m走に反映される..
だから、深刻なほど、脚の筋力が落ちている結果を反映している..一番、体ができてこなければいけない時期に、筋力がつかないのは異常である..
うちの学生でも”クラブ辞めて勉学に専念します”という学生ほど遊んでいる..体を動かす時間を減らしても勉強に専念できる訳ではないのである..
もし、この日記をもんかしょうの人が見ていたら、ここ10年間の改革で
”何が良くなったか、教えて欲しい”
もし、それがなければ、もとに戻すべきだと思う..教育の枠組みの中でしっかり勉強させ、しっかり運動させる..それを拒む理由がありますか?
こどもに判断させて自由を感じさせるのではなく、こどもにしっかりとして教育を与えて、その後に自由を感じさせる必要がある..
少々、あつくなりすぎた、おやじでした..
とにかく忙しいのである...授業が始まっている上に書類が溜まっていて、消化できていない..実験も足踏み状態だ..
しかし、こういう状態は今までもあったし、なんとかやってきた気がする..忙しくてもひとまずやる..逃げないで実行することが重要だ..
頑張るときに頑張れないと結局後で後悔する..後悔先に立たず..である..
やることは全力でやって、結果を楽しみにする..っていいじゃない..
実験も足踏み状態..ヒットが出ない状態だ..まあ、イチローでもそんな時はある..以前もそんな時はあった..
だから、いろんな経験は重要だ..自分の状態より少し高い経験を積むことで、そんな状態が再び訪れても、なんとかできるという気持ちがある..
できるという気持ちがあれば、なんとなく出来てしまうものである..
年を重ねるだけでは、おやじは改造できない..経験を重ねる努力が必要である..
でも、もう努力してマスなんて年でもないけどなあ..努力おやじって..あつくるしい..
この時代に人事の話は難しい...
当たり前の教育理論だけでは説得できないからだ..必要だと思われる理由を列挙して、なんとか説得できるかというレベルだ..2年前とはまた、状況が違っている..
また、トップは自分の分野ならまだしも全然知らない分野の話なんて聞こうともしないし、どうでもよいことはむしろ削減方向に向いている..
そんな状況で説明するのは極めて厳しいわけだ...
幸いな事に、トップは私のようなおやじに好印象を持っている..だから、”どうでも良い”というグレーゾーンを”なんとかしよう”と考えてくれる..ありがたい話だ.. 結局、”がんばっている”という印象を刷り込むことが第一ステップだ..しかし、これはあくまで個人の問題であって、研究室として頑張っていると評価されないと、発展はない..いかに、チームで頑張れるかが問われる..
しかし、こういう仕事は本来なら古おやじの仕事だよなあ..まあ、いいか..若おやじも少しはお役に立てれば嬉しい..
まあ、がんばろう..
2004年10月06日(水) |
自己評価、自己点検! |
自己評価の書類を書いて大学に出した..
まあ、いろいろ出てきて..
”これじゃあ、多くの先生からお叱りの言葉をもらうよ” ”私だったら通しませんよ、こんなもん”
とまあ、こんな感じだ..こんな状況だから自己評価なんて無理なんだと感じる..
どんなに教員が一生懸命にやっても、学生が授業アンケートで ”わかりにくいです”という意見を出したら、それは素直な意見で理由を考えればいいだけである...学生が先生の顔色伺ってたら意見は言えない..
しかし、個人的には楽しいと感じる..批判されて初めて本音を感じることができるからだ..また、組織の仕組み、人間関係がよくわかる..
少し叩けばほこりですむが、たくさん叩くとゴミがたくさん落ちてきて逆に潰される..その駆け引きが難しい..たくさん叩いてもゴミが落ちてこないくらい、クリーンな環境を築きたい物だ..
おやじのがんばり時だ..
昨日もセミナーだった..S教授にいつものようにちくちく刺された... ..しかし、批判してくれる人は大事にしたい..
今の研究室はS教授がひっぱっているが、今の技術を昔から持っていたわけではない..しかし、今では革新的に技術が定着している..
これは我々の分野ではなかなかあることではない..なぜなら、ボスを超える技術を身につけることがなかなかできないからだ..
K大学のO先生と話していたときに”自分の技術ではここまでしかいかないということがわかる”と言っていた..S先生も分子的な事をやっているが、”高いジャーナルは狙えない”と言っていた..
こういう風に考えてしまうのは彼だけでないだろう..それではなぜそう思うのか?
考えてみると、何故か我々の分野は非常に閉鎖的で、外に出ようとしない気がする..もっと若い人を育てる努力をしないと足踏みをしているうちに 世間から取り残されてしまう..
押さえつけるボスではなく、若い研究者に様々な経験をさせて、ボスは刺激を受けて頑張るという構造を作る必要があるかもしれない..
分子の世界で医学が取り残された理由がそこにある..(ここでひっそり)おやじの提言である..
先日、福祉の会で中学校の先生と話をしていたら、興味深いことを言っていた..
”ここに多くの中学生がいるのに、うちの中学に来ないんです”
は?と感じた..なぜなら、その中学校は名門中と呼ばれているからだ..
いろいろ聞いているうちに、公立中への失望感が見えてきた..もんかしょうが、ゆとり学習だ、自由だと言っているうちに生徒の学力は急降下..大学進学率の低下を招くことになった..
加えて、公立は先生の移動が多く、責任が明確でない..それに対して私立は移動がなく、自分たちの学校に愛着を持ち、教育にあたっている..
では、大学はどうか..おそらく、就職率、サポート体制が良いところに流れていくだろう..今は企業が頭の良さとブランドで採用しているが、そうではないことに気づいて、私立に流れるかもしれない..
10年後、国公立大学は、しょうがないので研究者養成に向くが、ポスドクは余り、その状況を敏感に感じた受験者は受験しなくなるという悪循環におちってしまう..
どくほうかした大学は、私立と同様に受験に対して魅力ある大学像を描けないと縮小されるしかないのだ..
大学も試練の時代だ..
2004年10月03日(日) |
誰もまねできない、誰も追いつけない |
ある新聞がイチローを賞賛した言葉だ...
イチローは多くの日本人に勇気を与えてくれたのではないかと感じる..
アメリカに勝てない日本、という日本人感情は揺らいだと感じる..
研究についても言えることだ..自分の研究が誰にもまねできず、誰にも追いつけないものなら、素晴らしいことだし、それを求め続けているともいえる..
ただ、研究に必要な事はもうひとつあると思う..それはその研究が価値があるかという視点だ..どうでも良い研究なら誰もまねしないし、追いつこうともしない..
だから、研究者の場合は..”誰もが価値を認める”という視点が必要だろう..
教育についても同じで誰もが価値を認め、まねできず、おいつけない教育プログラムを提供できれば素晴らしいことである..
多くの研究者は、おそらく様々な理由から妥協して論文を書いていると思う..しかし、そこに”安心感”を求めると、そこで研究者としての発展はない気がする..
じゃあ、どうするか?イチローが球を打つことにこだわったように、自分の仕事にこだわりを持ち、コツコツやる..それだけだと思う..
ああ、だんだん、この日記も”耳鳴りがんこおやじの日記”になりそう..いやだあ..
2004年10月01日(金) |
耳鳴りをお持ちの方へ |
昨日、耳鳴りをお持ちの方からメールをもらいました..
耳が悪いだけでなく、耳鳴りが続くのは辛いことで、今も気にならないかというとそういうわけではありません..
分子生物学的にはこういう状態は”dominant positive”というんですねえ つまり、傷がつくことでシグナルが流れ放しになる..耳鳴りの事です..
それで、まあ、耳鳴りは大変なのですが、多くの先輩方が言われるように
結局”慣れていく”わけです..これは”大変なことだ”という感情から”たいしたことない”という感情の変化も含んでいます..
耳鳴りは治らないけど、耳鳴りに付随する感情、不安感は完璧に改善します..きっぱり!
アナウンサーの鳥越俊太郎さんも耳鳴りおやじだけど、今も大活躍ですよね..笑点の..誰だっけも鳴りっぱなしだそうです..
耳鳴りおやじの会でも作って、”みになる”話でもしましょうか!
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