耳鳴りおやじの日記
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おやじ仲間の近所の?さんのホームページで印象的な言葉..
”「居場所」・・・このキーワードは別に子供達だけが求めているものではなく、大人の世界でもほぼすべての人が「居場所」を求めて生きている、と言っても良いかも知れない。ただ、大人は子供よりももっともっと視野が広く、情報が多いのであらゆる「居場所」に自分の存在を据えることが出来る。”
今の世の中では、自分の存在を認め、確認してくれる場所、”居場所”があまりにも少ないのかもしれない..
?さんはシステムエンジニアだが、インターネットを”場所”にしてはいけないとも言う..あくまで”道具”しなければならないのだ..
本来ならば、”家庭”が”居場所”なのかもしれない..しかし、その機能が年々、消失して来ている気もする..
大学生相手でも、彼らに居場所を与える必要がある..それはあまりに簡単な事だ”名前を呼んで、目を合わせ、顔を見る”それだけだ..
それだけで、学生は変わる..”確認されている”実感を感じるからかもしれない..
おやじとしては、自分の子供に家庭という”居場所”を作ってあげたい..それが、おやじとしてやらなければならない一番大事な仕事である..
不思議と、子供たちに居場所を与え続けると、自分もそこに居場所を感じることが出来る...これが教育の原点かもしれない...
そんなことを教えてくれる?さんのHP教えて欲しい人はメールくださいな
2004年09月29日(水) |
したいことをしている |
いつも読んでる実験医学に面白い事が書いてあった..
”人間は結局したいことをしている”という...
実験で失敗しても、それは、その安心感を求めているという..
これは確かにそうかもしれない..実験が上手くいっていないときに
”本気で結果を出す気か?”と自問自答したときがあったが、本気で出す気が出たときと結果が出始めた時期は重なる..つまり、結果が出ていなかったときは”結果をださないつもり”で実験してたことになる..
イチローは”やりたいことをやっていれば、失敗しても悔いがない”という話をしていたが、”やりたいこと”を真剣にこつこつやるという前提がなくてはならない..
逆に考えれば、本当に真剣にやっていれば、結果はどうでもよくなるのかもしれない..それくらい真剣にやることが必要なのかもしれない..
”結果が考えられないくらい真剣にやる”
これが”したいこと”なのかもしれない..
おやじもたまには良いこというなああ.....
O大学が、休日授業を辞めたらしい...結局、学生が大学に来なかったからだ..
そもそも、もんかしょうの圧力からか、授業数をたくさんやれとか、いうきっかけで、休日も授業をするはめになっている大学が多い...
一度、決めたことひっくり返すのは大学のメンツに関わることなので、休日は学生以外、出勤するそうだ..そのコストはどこから出てると思うんだ!
学生いわく、”もともと休日授業は出ていないから、授業自体を辞めても同じ!”
授業数をやれとか、1回も休むなとか、休日もやれとかいうなら、学生にも”授業を絶対休むな、休んだら退学だ”とセットでやらなきゃ、だめでしょお..
一体、どうなっているんだ..
昨日は、2時間待って10分走ってきた..
最初はぐずっていた子供たちだが、行けば元気はつらつ!
どうみても立入禁止にはみえない噴水で、走る前にずぶぬれになって遊び、疲れた状態で走る!!
なんと、うちの息子はアンカー、聖火を受け継ぐ前にガスを出して遊んでたりして、怒られたりしたが、まあ、なんとかゴールまで!
楽しい一日でした.....おやじ満喫.......
2004年09月26日(日) |
大学人として幸せなこと? |
ある研究会に参加した..
T大の先生が、日本の大学教育の課題について、かなり面白い話をしてくれた..そして、後は..大学の事情..疲れた..
この研究会に参加している人たちは、大きく分けて4種類に分類される..
1.立場上、企画をしなくてはいけない国立系の人たち 2.教育研究が主な仕事で、審査に関わっている人たち 3.大学がつぶれそうで、情報が欲しい人たち 4.立場上、考えなくてはいけない教養系の人たち
特に3番の人たちは、真剣だ..早く何とかしないと潰れるという危機感がある..
聞いているうちに、大学人としてどういう状況が幸せかという気にさせられた..
教育ができること?研究ができること?
おやじとしてはおそらく、研究ができることだと思った..今回の発表で”教育が大事!”と力説してした2番の人は、それ自体が”研究”なのだ..
研究の延長上に教育があるという事が大学人として望ましい姿かもしれない..そうじゃないと体がいくつあっても追いつかない..
そんな気がする..
イチローが、もう少しで大記録だ...
彼を見ていると、結果というのは気にしない方が良いと思ってしまう..
昨日も自己記録を超えたようだが..
”1日で越える予定ではなかった、限界は可能性があれば越えてみたいです、まあ、よかったです”
まるで、ひとごとだ..
自分の前にある課題、ボールを打つ、という技術を楽しんでいる気がする
その単純な作業に楽しみを見つけているのかもしれない..
サムライイチローの活躍に期待したい物だ..
授業が本格的に始まる週である...
若い頃は、最初からばりばりやらなくてはという意気込みがあったが、最近では新しくエネルギーを使うときには急に大きな力が出るものではないと考えるようになった..
だから、授業はじめは学生もぼちぼち、教員もぼちぼち...そして、だんだん、調子がのってきて、ハイパフォーマンスまで達する事が重要と考えるようになった..
最初からとばしても、ミスが多くなるし、ストレスが高いだけだ..だから、様子を見ながら進めていく..その方がやりやすいのだ..
授業もドラマのように、起承転結..最初は惹きつけるだけで十分である..
刺激を与え続けると脱感作してしまうように、ある一定の期間に適切な刺激を与え続けることが興味を持ってもらうのに重要なのだろう..
授業はぼちぼち、体はよぼよぼ、それでスタートだ!
K大学のM先生からメールをもらった..
彼とはこの前の学会で知り合ったばかりである...
彼はまだ学振だが、すばらしい活躍ぶりである..
先日の学会では座長をつとめただけでなく、我々の分野では非常に注目の高いアメリカのB教授に”おそらく”単身で渡り、筆頭者の論文を数報書いている上に、レビューまで書いている..
すでに世界を代表する研究者である...
そんな彼が、私のようなおやじと知り合えて嬉しいっていうのだから、世の中、わからないものだ..
私も他領域で学び、失う物も大きかったが、得るものも大きかった..と実感している..
M先生のような若手の実力者に少しでも貢献できるよう、せいぜい長生きします...
2004年09月20日(月) |
ぼーとするのもいいもんだ.. |
授業が始まったと思ったら、いきなり、連休..拍子抜けである..まあ、いいかと思って、なんとなくボーとしていたら..
研究のアイデアが出てきた..知り合いのS先生の研究発表を思い出していたら、発想が駆り立てられた..
インターネットで文献を調べると、確かに遅れている分野である..おそらく、S先生自身も気づいてないと思う...
S先生は極めてたくさんのデータを出しているが、それを放り出しても良い論文にはならない..
実はそのデータの中に”ダイヤモンドの原石”が眠っていたのである..
それを磨くことで、素晴らしい論文に成長するだろう..
今度、お会いしたときは是非、その話をしよう..そして共同って形で一緒に論文を作れないかなあ..必ず、インパクトのある論文が作れそうなんだけど..
理想にすぎないかな..嫌がられるかなあ..悩むおやじでした..
2004年09月19日(日) |
文魂理才、理魂文才... |
同志社で文理融合の学会があったらしい...
そこで、村上さんという先生が、”文魂理才”という事を言っていた..
”文系固有の精神を持って、理系の研究方法を活用すること”
これを”データサイエンス”と呼んでいた..
理魂文才という、逆ももちろんあると思う..
これは面白いなと感じた..
だいたい、文と理の壁は人間が作った壁である,,学問領域も同じだ..
じゃあ、なぜ、そこに壁が出来るか?それはつきるところ、人間関係、派閥だ..
文系の先生は理系の先生が嫌で、理系の先生は文系の先生が嫌である..
そう感じる理由はどちらも同じだ、それぞれでまとまりたいからである..
ばかばかしくて、話にもならない...
たとえば、最近、話題の”大学生に朝食を”っていうのも、文系の切り口と理系の切り口で、しっかりやったらいいのに、そもそも朝食を食っていない連中ばかりだから、興味がない..
だから、本当は朝食を食べさせるという家庭環境が、成績に関係するかもしれないのに、何もしないから、”成績が良い子は朝食を食べている”という”短絡的な”発想で天下の京都大学でも、朝食料金をタダにして学生に食べさせている..
日本の大学はどうでもよいことは、どうでもよく進められているというわけだ..
こんな日本に誰がした?
学会といっても、あまり発表は聞かず、いろいろな人と話していたが、その内容は最近の大学事情である...
H大学では、教授になると200万程度つくようだが、Wさんが教授に成る年に独法化され、それはなくなったそうだ..
そして、驚くべき事にほとんど研究費がなく、科研費がとれないと研究ができない状態である...ひとりならまだしも、学生を抱えては辛い状態で、なんと、今回の学会は自費出張だということだ..
教授が学会に自費出張って..?
そして、ほとんどの先生の研究費が出張費込みで50万程度..教育費は雀の涙くらいしかないという..
10人以上の国立公立私立の先生に事情を聞いて、”居心地が良い”と応えたのは1人しかいなかった..その先生は私立の先生だ..
要は、大学全体で評価されるかどうかよりも、自分の所属する大学で、評価されることが、求められて来る気がする..
大変な時代と痛感した学会でもあった..
学会から帰ってきた...
ホント疲れた..普通学会では寝るのだが..いろんな人としゃべりすぎて 寝る暇がなかった..
ひさしぶりに出た学会であったが、決して廃れていることはなく、むしろ盛況だった..
非常に刺激を受けたのが、若手のエネルギーだった..あるセッションは、座長が若く、発表者も平均年齢30だった..しかし、研究レベルは学会の中でも極めて高かった..しかも学振だ..
たまたま、若手の座長と前の日に飲んだので、知り合いになった関係で
”かならず、質問してください、しないとあてますからね”
...と、いつも僕が学生に言っていることを言われた....むむ
そのセッションで感じたことは、それぞれが既存の組織や考え方にすがっているわけではないということだ..自分でブレークスルーする方法を見つけ、実行している..チャレンジャーであることだ..
これからの可能性を感じた..
若手のエネルギーを受けてリフレッシュしたおやじでした...
2004年09月12日(日) |
教職取っても先生になれない? |
大変なことになりそうだ!
文科省の説明によると、教員になるためには教職の単位とは別に2年間の専門職大学院に通わなくてはいけないことになる..
これはおそらく、大きな波紋を呼ぶだろう!
たとえば、教員養成系大学(または学部)では、卒論を指導した教員と大学院の教授が全く別になり、学部で基礎研究をしていた学生は、大学院で実践研究をすることになるからだ..
通常は学部と大学院一貫教育で研究を進めるものだが、その常識が覆される..
また、現在では教職の単位さえとれば、教員免許状はもらえたので、教員養成機関がないところでも教員になれたが、教員になるためには専門職大学院に行かなければならないことになり、負担は増えることになる..
ただ、悪いことかというと理念的にはいいのかもしれない..本当に教員になりたい人が、大学院に進み、実践研究を行うのだから..
大変な世の中になってきた..
セカチューにはやられた..
悲しい話であるが、それ以上に脚本がうまい..
堤さんには脱帽だ..
しかし、10代にしてこの世を去る人は決して少なくないのだろう..
自分が不治の病におかされている人は、おそらくまともにこのドラマをみれないと思う..
残された人は、亡くなった人に辿り着くことはできないけど、生きて頑張り続けることで、亡くなった人を思うことができる..
ちょっと違うかなあ..
同じ大学の別分野のM先生と話していたら、全く同じようなことに対して興味を持っていることがわかった..
ただ、実験系は同じでも、求める物が違っている..興味の方向性が違うのだ..面白い物だ..
そして、M先生は自分のスタンスを強く持っている気がした..自分はこういう研究をする、というはっきりしたものを持っている..
H先生はいるものの、基本的には違う実験系なので自分で工夫しながら、実験系をつくり、学生を指導しながら試行錯誤して行っている..
アメリカでは、研究室間の壁があまりないのか、他の研究室にある物は買わないようである..みんな共有して使っている..お金はポスドクを雇ったり、人件費に使っているようだ..
日本は研究室、研究者間の壁がありすぎるのかもしれない..もっと共有してできることがたくさんあるに違いない..
研究室ですべてを揃えてお山の大将になるのも良いが、他に使えるところがあるなら、無駄な事に思える..
もっと視野を広げ、使える技術が近くにあるのではないか..そういう視点で回りを見渡そう..がんこなおやじさん!
いきなり、視界の横がちらちらしはじめた..右も左もだ..
これはやばいと思って、眼科に行ったが特に問題ない..一時的な脳神経脳血流量の問題だろう..
無理のできない体になってきている..前日に少し無理をして実験したこと、睡眠時間が短かったのが原因だろう..素直な体になっている..
老化してくると積極的に体調管理しないと、フル回転で仕事ができなくなる..体調管理で特に重要だと思われるのが、睡眠だ..食事、運動も大切だが、どれだけ、質の良い睡眠がとれるかで次の日が決まる..気がする..
耳を悪くしてから、何かあるとすぐ、休養を取ることにしている..良い機会だからだ..そのためにも元気なときにはできるだけフル回転する..
フル回転する年でもないかあ..ぼちぼちというのがいいのかも..
これからは、ぼちぼちおやじに名前を変えようかな..
2004年09月08日(水) |
地震、台風、テロ... |
日本全体が災害に見まわれている...
2度の大きな地震で、専門家は西日本も活動期に入ったとの見方を持っているようだ..
こういう地殻変動と海温上昇は関係しているのかもしれない..日本の南では、海温上昇しており、これが、台風を大きくし、進路を変えている..
特に紀伊半島あたりの住民はホントに、地震と台風に見舞われ、気の毒だと思う..土砂崩れにも注意して欲しいと思う..
日本内部は民族間紛争はないので、ロシアの小学校のようなことはないと思うが、安心してはいけない..アルカイダのようなテロ組織が世界中で活動しており、憎しみをテロに変える活動をどこでも簡単に起こそうとしているからだ..
おやじとしてこういう時代をどう生きていくか..真剣に考える時期にきている..
2004年09月07日(火) |
大学院のうちにやっておくこと |
最近、ほんと嫌なニュースばっかりで、気が滅入る...
..とまあ、それはそれとして..昨日、他の研究室の勉強会に参加した..
いろいろ考えさせられたが、大学院のうちに何をやるかということだ..
材料として、幹細胞だ、ガン細胞だと難しい材料を使っているが、一番大事な研究の背景の理解、そこから導き出される研究目的、研究遂行の現実性が全くなっていない..
大学院生は、私も経過してきた時期だが、今までの経験では、最先端で難しいことを模索してやろうとすることよりも、サイエンスとは何かということを学ぶことだと思う..これは医学でも教育学でも同じ事だ..
金を出せば、高いものは買えるし、実験は進められるが、扱っているだけというのでは、論文は完成しない..
自分のやりたいことは山ほどあると思うのだが、それを遂行するために大学院の時期があると考えた方がいいんじゃないかなあ..
M先生の学生は良いとしてH先生はもう少し、学生を見てあげた方が良いのではないかな..
...なんて偉そうに書いているわけだ..
2004年09月03日(金) |
他分野の交友関係.. |
ある科学雑誌を読んでいたら、N氏が留学先からレポートを書いていた..
N氏は私も関わりがあり、うちの飲み会に呼んだり、実験結果の議論もしてくれたものだ..現在はアメリカにいるが、いつかは実力をつけて戻ってくるだろう..
不思議なことに、知り合いの他分野の友人は、最近になってパーマネントになっている..30代後半でだ..
T大のTさんは、最近、T大助手になったが、昔、銀座のおいしい焼き鳥屋に行って、たわいもない話をしたもんだ..海外で経験を積み、日本戻ってきたが、フランクな人で、私のようなおやじを相手にしてくれる女性である..
同じく、T大に9月から、助手に採用された友達もいる..彼とは昔、テニスをしたり、飲み会で楽しく飲んだりした..
いずれの友人も、極めて優秀である..そして自分の仕事を素直に楽しんでいる気がする..不安定な状況でも、焦らず、地道に成果を残し、他人に関してもやさしく、他分野の私に関してもフランクな対応をしてくれた気がする..
これから、接点は少なくなるが、研究者とではなく、人間としてつきあっていきたいものだ..
思えば、交友関係が広がったもんである..それだけでも価値がある..
2004年09月02日(木) |
もう、やりたい放題だ、国は.. |
郵便局を民営化する話がホットだ..
本来なら、企業努力で縮小する方向で考えるべきなのに、ローソンなどで 郵パックを扱う事業を展開し、もともとそこでがんばってきた宅急便業者が撤退することになったそうだ...
ホント、やりたい放題である..こういう話を聞くと早く民営化した方が良いと感じる..
大学も同じだ..おそらく、あの手この手で私学にプレッシャーをかけてくるだろう..まあ、合併統合が進んでいるので郵便局よりはましかもしれないが..
今まで、国に守られてきた部署は、既得権をいかに維持するか必死になる..おそらく、ルールを無視した事をやってくるだろう..
大切なのはどういう手を使ってくるかということを考え、前もって戦略を立てることだ..
少子高齢化で大学も厳しい時代にはいり、2007年には大学全入時代..その時、大学として何をすべきか考えて置くことが必要だ..
その時までにおやじとして何をやるべきか..猿踊りで子供を笑わしている場合ではないのである..
朝の番組ではドーピングの話題で持ちきりだ..
おそらく、競技者に筋肉増強剤のようなものを使うことが問題視されているのは、副作用があることと、健常者に薬を使うことの是非だと思っている..(実際は違うのかもしれんが)
しかし、老化の研究にしても、健常者に薬を投与しようとしているのは医者なのである...糖尿病にしても、肥満にしても、そもそも、生活習慣で改善できるたぐいのものは、薬を用いる前にやるべきことがあるのだと感じる..
薬というのは、かならず副作用があると思う..それが病気を治すというメリットと天秤をかけて使用しているだけである...
薬は、裏から読めば”リスク”なのである..リスクと天秤に掛けたときにどうかということだけだ..
ドーピングを容認するつもりはないが、医者は同じようなことを他でやっているのに、あまり問題視されないのはおかしい!!
朝の脳天気なお嬢さんが”こんなの絶対だめですよ”と出演料もらって、涼しいクーラーの利いたスタジオで言っても、彼らに何の説得力もないのである..彼らには金メダルを取らない限りは生活の保障もない場合があるからだ..かれらはドーピングのリスクと成功報酬とに天秤をかけている..
はあ、疲れた..毎日の仕事量と給料と天秤にかけると割に合わないけど、まあいいか..
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