人生事件  −日々是ストレス:とりとめのない話  【文体が定まっていないのはご愛嬌ということで】

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2009年10月24日(土) 通じ合いたいのに、相手にその気がない悲しさ

「俺の、俺の、俺の話を聞け〜」と毎日のように、小さな生き物に向かって歌いたい、つーか言いたい。ただでさえ、微妙に発達のバランスの悪い4歳児。親の話など、全然、聞いちゃいねえ。2分どころの話じゃねえ。一言だって入ってないとしか思えねえよ!

挙句、料理中に話しかけられて生返事していたら言われるんだ。
「ねえ、お母さん聞いてる? ちゃんと聞いてね。お顔、こっち向けてね」
…母さん、忙しいんだっちゅーの。その台詞、いつも園で言われてるんか?

本当、意思の疎通が図れんわ。


2009年10月22日(木) 「私って次の誕生日でいくつになるのかな?」と真顔で同僚に聞いた理由

ぼけぼけ、というより、あんまり気になってないといったほうが正しい。

「今年でいくつになるの?」と聞かれて、真剣に悩む。30も31も32も33も、一緒くたのような…で、「多分、○歳」と答える。「昭和何年よ?」と尋ねられ、答えたところで「そうだね」とか「×歳になるんだよ」と言われる。認知症が入る前から、自分の年齢に疎い。30代、じゃダメなんかのう。

思えば、妊娠中も「妊娠○ヶ月」のカウントがキライだった。産後は子どもの「生後○日、○ヶ月」のカウント…そんなもん、細かく覚えていられなかったし、誕生日さえ忘れなきゃいいじゃん!みたいな…。

そう、私には大して意味がないんだよ、細かい年齢なんて。


2009年10月19日(月) 「情けは人の為ならず」の精神で

存在自体が和める老御夫婦に出会う。ものすごい、癒し。「もうこの人ったら全然しゃべらないからわかんないのよ」「お前が口を挟ませないからだ」の掛け合いさえも、スローテンポ。もう、超スロー。必要事項を聞くまで、1時間半以上。ああ、素敵な家庭訪問時間だった。

将来は、素敵な高齢者、素敵な患者になろうと日々決意する。決して、クレーマーもどきや病人・高齢なんだから大事にされて当たり前、なんて人間にはならない。「本当はサービス外なんだけど、内緒ね☆」とか「いいよ、いいよ。わかんなくなっちゃったら何でも聞いて。あなたにならいくらでも説明するから」と人に優しくされるべく、人に優しく、感謝の気持ちを持っていこう。

プライベートでは、ええ仏様を目指そう。(いや、その前に何者で就労を続けていくかを模索せねば)


2009年10月18日(日) 「気持ちが路頭に迷う」ような表現しかできない

「歌って踊れる技術職になろう!」と唱えていたのは、私の指導保健師だった。私、音痴で運痴なもんだから、それに追従するのは無理と、端から思っていたのだけれど。

あれから、8年。今、何をしたいんだか、不明。私って、何者なの? 何者になりたいの? 謎は深まるばかり。

独身だったら、PTかOTか心理職に転職すべく大学編入考えるんだろうが、そんなん無理。想像は出来るけれど、実行するだけのエネルギーがない。それに、家族が路頭に迷うことだけは避けなければならない。毎月一定額を、毎ボーナスを鬼のように貯蓄に当てているのは全部、家族のためなわけだし。

ここに詳細を書けないような部署に今いるがために、何だかさっぱりな内容で、苦しい…。どっかに穴はないだろうか。妄想を叫べるような。

あああん。


2009年10月15日(木) デイ・ドリーム・ビリーバー

私と彼と、どちらが先に逝くんだろう?
看取る方がつらいと分かっているから、私なら経済的にも精神的にもひとりでやっていける力があるから、そういう意味で、私は見送る方をとりたい。

先に逝っていいから。私のことは気にしないで。そのうちに追いかけていくから。それまで待ってて。


佐々木奎佐 |手紙はこちら ||日常茶話 2023/1/2




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