人生事件
−日々是ストレス:とりとめのない話 【文体が定まっていないのはご愛嬌ということで】
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2004年03月27日(土) |
おいしい距離、許される距離 |
ハイ、その距離アウト!
この二ヶ月、歓送迎会シーズンでストレスフル。おいしいもの食べて楽しくおしゃべりして、という飲み会ならいいのだが、仕事上の付き合いというのはなかなかに時折苦痛を伴う。その席で役職的に偉い方と同じテーブルになった日には、「若い子はどんどん食べなさい」と自分にとっての規定量以上を食べなくてはいけないこともあり、話も盛り上がるわけもなく時間が来るまでひたすら皿を空にすることに専念するしかなくて。最初は「おいしい〜」と感じられたものも時間が経つにつれ、おなかの満たされ具合が上がるにつれ、何が何やら分からないわ状態に陥ってみたりして。飽食国家が恨めしくなったりもする。
先日も、事務所近くの他課出張所と合同送迎会があり、その出席者で一番若い私と同僚がくじ引きの席順だと言うのに主賓と同じテーブルに着くような事態に陥り、ふたりして翌日の胃のもたれ具合が涙ものだった。 しかも、その送迎会の夜の帰り道、酒に酔った他課の独身男性が、我が今はまだ独身同僚に「近寄りすぎ!」という超至近距離まで迫るという事態が起き、同僚に助けを求められたり。実は1年半ほど前同僚が転勤してきてすぐに、その独身男性に「新しい人、年幾つくらい? 彼氏いるのかな?」と問われたことがあって、その当時は本当に何も知らなかった私は「今回はじめて一緒になった方なんで、何にも知らないんですよ〜」と返した覚えがある。しかしそんな同僚は、あと1ヶ月ちょっとで結婚することが決まっている。いまさらもう遅い。 しかし、人に迫る人を、久しぶりに見た。同性の多い職場なので、そういう狭い世界での色恋沙汰を忘れていた。
付き合いが深まれば、お互いがお互いの距離の間隔の狭さを許容する。しかし、そこに急に踏み込んではいけないのだ。急すぎると、相手は引く。少しでも、交流した後でないと、それはルール違反なのだ。受け入れる度量があっても、大抵は惑う。 そんな他課の彼は、対人サービス業従事者。そのくらいわかっていると思っていたのだが。
焦りすぎはすべてを失うし、頑張ったところで振り向いてもらえないことだって、たくさんあるのだ。
2004年03月23日(火) |
いつか、燃え尽きてしまうことがあっても |
振り返り。
今の仕事について、2年が経とうとしている。この2年、私は学ぶことばかりで、人に何かを返していたのかと考え込むと、深い淵に入り込んでしまう。 人の笑顔に会った、人の泣き顔に会った、時に不快な思いをさせ、時に怒りを思い出させ、殺していた感情との対峙を迫った。 誰かの人生を、大きく変えてしまったこともあったかもしれない。
ただ町で出会い、知り合った人とは決定的に何かが違う仕事上での出会い。決して、プライベートでは関わってはいけない人たちが多すぎて。
生活と、その人の気持ちを家族以上に把握するような、そんな仕事。あなたに寄り添うという姿勢を見せる近い存在でありながら、ここまでしか支援しないと線を引く、そんな冷たさを持ちえるような関わり。
一生付き添うことはできない。一生のうちの、一回でもいい、一時でもいい。心に残らなくても、その人が先に進むにあたり何らかの効果が生まれていれば。
不完全燃焼など、日常茶飯事の仕事なのだから。
2004年03月11日(木) |
咲いたら、いずれは散るのだから |
落ち着かない気分にならないほうが、おかしいのかもしれない季節。
春一番が吹いたり梅や桜が芽吹くなど、世間は春、色めいて。そんな中、仕事柄顕著に春を感じるのは、精神不安定者の増加にか。プライベートであれば、同居中の婚約者の存在にか。
母と妹と、私のおごりで高くて小さい寿司を食み、春物衣服をぶらりと見て、父の職場の人へのバレンタインのお返しを買うのに付き合う。締めは、ゆったりと過ごせる甘味処のクリームあんみつ。
ずっと、じっと、身体に力を込めたまま、現実ばかりを見ていてはいけないのだ。時には目を逸らし、それから変わり行く現実を捉えていかなければ。
たまに息抜きをしないと、苦しくなるだけ。
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