人生事件
−日々是ストレス:とりとめのない話 【文体が定まっていないのはご愛嬌ということで】
日記一覧|past|will
2004年04月29日(木) |
顔が見えないからこそ、何だって言える世界 |
そりゃ、病気。
Web世界を覗く時間が日常生活の中に組み込まれても、パソコンや携帯電話から離れられる時間があるのならば、それは正常な証拠。パソコンの前に座ったまま何十時間飲まず食わず出さずでいる人がいるという現実に、驚く。携帯電話を手から離すことに恐怖を感じてお風呂にまで持ち込む人がいるという現実に、落胆する。
『家事もしないでパソコンばっかりして、って夫に怒られて…』 泣きながら電話かけてきた相手に、そりゃ旦那も怒るだろうよ、とは答えられず、そういうところが病気たる所以なんだよなあと、「つらいね」と相槌を打つ。家事も、育児も、自分のことさえも、すべてを放棄した状態の妻に、勤めから帰った夫だって困ってしまうだろう。
誰にも会いたくないといいつつ、ネットでチャットだのメッセだのメールだのと、誰かと会話をする。会話というのは、言葉と言葉のやり取りで、人間と人間との対話のはずだった。だけどそういう人にとってはきっと、人対人なのは、会うこと、電話をかけることだけなのだ。Webでやり取りする相手は、きっと人間じゃないのだ。人間じゃないから、楽なのだろう。そして、ふと我に返り、苦しくなる。
これも、時代の流れと、電話をかけて相談できたことを、褒めた。
2004年04月27日(火) |
地域の駐在所で我が名を叫ばれる |
うれしいような悲しいような。
事務所に、地域の駐在所より私宛に電話が入った。話を聞くと、テレパシーとか電波が聞こえはじめた高齢者が、駐在所で興奮して私の名を叫んでいるのだと言う。「××センターの佐々木さんて言ったら、お宅しかいないでしょ?」と言われた。
確かに、その高齢者とは面識があった。というか、独居で痴呆が危ぶまれる人だったので、2年ほど前から足しげく顔を出しては様子を見ていた。しかし、とうとう痴呆でない何かを発症。
病気になっても覚えてもらえているほど頼られる先になれて、よかったというのか。
2004年04月24日(土) |
愛も不幸をも生み出す行為 |
誰も気づいていなくて孤独感を感じた。
通勤に、バスと電車を使っている。出張がない限り、同じ時刻、同じ車両に乗るので、メンバーもおのずと顔なじみになる。席も、同じようなところにかけている。 いつも、バスで見かける高校生カップルがいる。この、男子校生のほうが曲者で、毎朝大いびき。隣に座る彼女はうるさくないのかな、とも思うが、好きな人だし自分がゆっくり寝る時間帯でなければいいのかもしれないと考えれば、まあ耐えられる範囲のものなのだろう。私には結構騒音なのだが。
そんな男子校生が、たまたま起きている日があった。私は彼らの斜め後ろの席に座り、ぼんやり収納雑誌を読んでいた。そんな時、たまたま視界に何か違和感のある動きが見えた。よく見ると、男子校生の足にブレザーがかけられていた。ちょっと不自然なほど下半身をしっかり覆っていた。そして、その布地が怪しくさざめいていた。ちょっと身体をずらしてみると、少女の手がそこに伸びていた。嗚呼。
朝からするなとは言わない。公衆の面前云々なんてことも言わない。ただ、失敗するなと、不幸を作るなと、それだけを伝えたい。もしかしたら、不幸の連鎖の中にいる子どもたちなのかもしれない。だったら、絶対に絶対に、この先の連鎖に巻き込まれずに立ち直って欲しいと思う。
愛された記憶がないからうまく人を愛せないというのは正しい。愛情という名のしつけの中に暴力があった人に、暴力なく愛せと言うのは難しいものだろう。心身のスキンシップなく、物だけ与えられて愛を注いだと思われて育った人も不器用にしか人に接することができない。そんな環境で育った人が、身体のつながりしか異性を信じられなくても、それはそれで仕方がないと思う。
今しあわせなら今のしあわせを維持してねと、そっとふたりを見送った。
2004年04月23日(金) |
限りなく白に近いグレー |
事実を知る者は、沈黙する本人のみ。
まだあの子は4歳なのよ!と叫びそうになった。性的虐待の疑い…疑いだけで終わってと、そう願う。
自傷行為としての自慰によるものなのか、ゆがんだ環境で育った他兄弟のいじめなのか、それともあの、母が知人だと言い張る同居の男の仕業なのか。会陰部の炎症は、事実を何も語ってはくれない。
性的虐待なのか確認したが、あの怪しい男に関しては限りなく白に近いグレーゾーン、そう言った児童相談所職員に、私は力なく「そうですか」と答えた。
複雑な家庭環境で育ったあの子たちの未来には、何が待ち受けているのだろうか。
2004年04月22日(木) |
アンバランスな状態だからこそ輝き、惹かれ、嫌悪する |
新中・高生のけたたましさに、同じ空間にいるだけで鬱陶しさを感じる。
まぶしいとかではなく、あの、爆発的な力は何なのだろう。新しい世界に踏み込んだばかりの者の、緊張を孕みながらどこか均衡を崩したような、集中力があるようでないような、声、仕草に突然恐怖を感じた。
異性を意識しだす年頃の、特に女は怖い。誰も彼もに媚びるような、それでいて反発するようなあの世代でどこか歪んだ経験をしたら、将来どんな人間になるのか。考えただけでも、憂鬱になる。少女が女になって、母になったときに接する機会が多くなるのが、私の仕事だ。
最近、教育について考える機会が多い。特にもう、小学生低学年レベルからの教育。暴力は受けないほうがよいことであって耐えるものではないことを、性行為は身体だけでなく心も伴なったときでないとつらいだけの行為になることを、伝えたい。幼少期の傷は、どんな程度であれ何年かかっても消えることはなく、何かの拍子に、癒されていた者でさえも古傷の痛みを訴える。そのときの行為が、そのときの自分から望んだことであっても。
経験は人を変える。よい方にも悪い方にも、すべてが経験によるもので。
寄りそうにも慰めるにも癒すにも、すべてに限度があって。
2004年04月20日(火) |
この空をあなたと分かり合えたら |
それは、ささやかで贅沢な願い。
同じものを見て、聞いて、触れて、すべてを同じ感覚で感じてくれなくていい。色や、形や、好みや、何かしらの感想の中で、1箇所でも重なり合う所があれば。
そして、異なる感覚を口にして、感覚を理解し合ったり、そういう感覚を持っている相手を理解したり、そういう、話せたり、聞いたり、感じたり、できる関係だったら。
あなたといるからしあわせだったと、死ぬ前に告げられたら。
2004年04月17日(土) |
何もないなら、それでいい |
単に、こちらの勝手な杞憂だというだけの話なのだから。
便りがないのは元気な証拠、と思い難い人たちがいる。集中的に連絡してきたりすることもあるし、何度尋ねても不在だったり居留守だったりすることもある。誰かに相談するという行動をも忘れるほど、自分の殻に閉じこもってしまう人など珍しくない。だから、そういう状態ではないのかと、私は心配する。
新聞沙汰になっていないからまだ生きているのだろうと、そう思ってしまう人もいる。だけど、新聞沙汰になるのは本当に最悪な状況の人であり、そこまででなくとも、傷ついている人はたくさんいる。死に至らなくても、障害が残ってしまうことはよくあることで。事が起こった後に会い、悔いることもある。
だから、気づいたら、放っておけないのだ。
2004年04月15日(木) |
驚くほどの価値観の変化 |
時代の流れで価値観が変化していく。
援助交際という売春行為も、できちゃった結婚という現象も、特に物珍しいものでない世代で育ってしまった私は、それらに対しての嫌悪感が低い。しかし、親世代より少し上になると、そんなのはとんでもないこと、として全般的には受け止められている。それが、個性云々という問題よりも、ジェネレーションギャップといっていいのだと思う。
きっと、今まだ若い世代に属している私が10代の考え方に驚いていても、今の10代にはそれが日常的な考え方であるし、その10代だってまたその下の世代の状況に驚いていると考えたほうが自然で。
外来的な医療従事者ほど、色々な世代と付き合う機会の多いものはないであろう。私は医療従事者の中でも保健師として、それこそ胎児からお年寄りまで、年齢層問わず生あるものすべてを対象としている。色々な価値観にぶつかる。一人の人に対し、自分の価値観と職場の人との価値観の相違に悩んだりもする。
そして、お互いに理解しにくい性に関する価値観が、一番厄介に感じる、今日この頃。
2004年04月11日(日) |
それが、処世には大切なことだと思っていた |
一生にひとりくらいはしあわせにしたいと、そういう目標のある人生。
心のどこかに、しあわせになどなれないと、さみしいくらいがちょうどいいと、そういう思いがある人を私は好きになった。私は、私たち家族に会った彼が、「お前んちは本当に、あったか家族なんやなあ」としみじみ呟くほどの中で育った。決して裕福とは言いがたい家だったけれど、大事にされ、愛された経験だけは人一倍あると、自信がある。
期待して一緒になった人と、その間にできた子どもと、しあわせになれると思っていたのに、ダメになった過去。元々の性格ゆえもあるだろうけれど、彼はその経験からもう、ひとりで生きていくことを選んでいた。そうすれば傷つくことなく生きていけると思っていた。だけど、ひとりで生きていくのにも寂しさを覚えていた。そんなときにきっと、元彼女と、私と出会ってしまった。
私は、食べ物の恨み以外はパワーとスタミナがないのであまり根に持てるタイプではなく、精神の高ぶりも一過性で終わるものが多い。そこがいいところなんやと、彼に言われた。だから、お前といると楽なんやとも。
期待をしないと、一緒にはいられない。いつ捨てられるかとびくびくしていたら、先には進めない。期待を持って、目標を持って、自信を持って。
「死ぬまでに、俺のために泣いてくれる人をキープしておきたい」とそう言った彼に、「少なくとも私は泣くわよ」と答えたら、また、泣かれた。
2004年04月08日(木) |
あなたを泣かせたのは、私 |
まさか、あなたが泣くなんて。
彼とふたりで、目当てのテレビ番組終了後のニュースをなんとなく見ていた。たまたまその日の特集が乳幼児虐待で、虐待をしてしまう母のインタビューに対してなんだかんだ言っていた。 私の仕事は普段から"虐待"により近い者たちを相手にすることが多いので、変な話なのだが"虐待"の話題など珍しさに欠いてしまっている。だけど、子どもがいないことで子育てから遠い彼にとっては、非日常的な行為であり、そんなことをする親はひどいと、そういう感情を抱く。それについては、もう仕方がないと分かっているから、私はあえて反論はしないのだけれど。
虐待の話題から自分の親の話になった。親父にかわいがってもらったという思い出がないと、彼は前々から言ってはいた。物は沢山与えられたと。それが、父親の生家が貧乏で欲しい物も買ってもらえない状況だった故に、息子には不憫な思いはさせたくないと買えるだけ買っていたという、そんなことを付け足していた。
俺は、親を捨てたんかな。
私の元に来る日に見た、車のバックミラーに映る年老いた父親と母親の姿を思い出したのか、彼はふいに涙を流した。脳梗塞で倒れ、言語障害と麻痺の残った父親を車椅子に乗せ、それを押す母親。確かその日は、父親の歯医者に行く日だったはずだ。
お前が、お前の親捨てられないのはわかってるんや。
彼が、親を捨てたという感覚になるのは、当たり前のこと。遠ければ支援などできない。支援できないということは、捨てたと言い換えられても仕方がない。意図しない感情で責められるのも受け止めたい。
だって私、それでもあなたを手放したくないと、絶対にしあわせにすると、そう思っているから。
2004年04月02日(金) |
婚約者が婚約者のままに終わることには |
ちょっぴりショッキング。
実は、昨日、婚姻届を提出する、はずだった。エイプリルフールに届け出るのも乙なものじゃないかしらと、2月の下旬から決めていたのだけれど。
決して、某芸能人のように届け出書類に不備があったわけではない。
先週末に我が両親と彼と私がはじめて同じ席に揃うはずだった。そこで、父に証人欄に記入してもらおうと思っていたのだ。しかし、まさかの母の発熱、関節痛でお流れ。なので、婚姻届は証人欄白紙のままに未だ我が手元に。
佐々木奎佐、いつまでも未婚状態、続く。
|