人生事件
−日々是ストレス:とりとめのない話 【文体が定まっていないのはご愛嬌ということで】
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未だちゃんと好きだけれど。
誰かに想われるということは、相手の気持ちに応える応えないに関わらず、自分の存在意義に変わる。そのときの自分を、どんな自分でも、見ていてくれる相手。とても貴重だと思う。
つないだ手の暖かさも、どうでもよいようなつぶやきを拾ってくれるやさしさも、髪をなでてくれるやさしい仕草も、今は大事。 だけど、今、この人の手を振り切ったらどうなるんだろう? 時間を置けば、親への後ろめたさも、遠距離恋愛の寂しさも、結婚に対する不安も、すべてが消えていくんだろうか。
時々、どうしてか、そんな後ろ向きな考えに囚われる。 デートの晩、彼を待ちながらそんなことを考える私。
気持ちの波は、まだ強く打っているというのに。
2003年04月26日(土) |
なんで恋人は私を一番に想ってくれないんだろう? |
究極の選択だなんて言わせない。
私は、「仕事と私、どっちが大事なのよ!?」と彼を詰め寄ったことはありません。ただ、時々、非常に強く、私よりもPCが好きなのではないかと思ってしまうことがあります。
人の手は、最大2本だと思います。3本も4本も持っている人は、いないでしょう。 PCっていうのは、1台を両手で触るものです。精々、片手で一台ずつ、計2台を操るくらいのものです。デザインなんかをやっている人は画面に図面を残したまま、次に取り掛かりながら見るってこともあるようですが、素人が触る分には、1台で十分だと思います。 なのに、彼はひとりでPCを3台所有しています。私が1台借りていたときは、計4台ありました。彼の仕事はコンピューター関係でも、デザイン関係でもありません。ただの会社員・肉体労働者です。
彼のPCの使い道は、エロ画像やエロ動画の収集や、チャットや、メッセや、ニュースや天気をインターネットで見たり、デジカメで撮った画像を編集したりと、そのくらいのものです。それに伴い、Donutだとか前はスージーだとかソフト拾ってきて、使いやすいPCネット環境を探求しているようです。サイト経営は昔ちょこっとしていましたが、今はしていません。なのに、どうして3台も要るのでしょうか?
「なんで?」
素直に簡潔に聞いてみました。
「ええやん」
答えになってない答えで答えられてしまいました。キーボードたたかれながら。
遠距離恋愛の私たちは月に1回しかデートできないのに、そのデート中にPCを立ち上げる彼。私が食事を作っている隙や、眠っている隙を突いては、PCの前にお座り。メッセンジャーを立ち上げて、私の知らない女と会話をしていたときには、さすがに怒りました。「暇だったから」って、私にビールのつまみ作らせておいて何ぬかしてやがるこの親父っ、って感じでした。 以前、日記更新を彼の家からしたのだって、性交痛が出現して構ってもらえなくなったからだったっけか。
・・・本当は愛が足りないんじゃなくて、最初から愛なんてなかったような気がしてきました。 そうよね、私よりPCがいいのよね。私はPC以下の存在なのよね。「おまえと比べて、触ればすぐに反応する、素直な奴だし」って言ってたもんね。
泣いてやる。
2003年04月25日(金) |
もっこりだとかこんもりだとかの表現は |
雨後のたけのこ。
母が、たけのこ堀りに行ってきたと連絡してきた。うちは毎年、たけのこ掘りに行っている。母の勤めている店のオーナーが竹山を持っていて、この時期、うちの家族もそこに掘りに行っているのだ。 私も昨年まで母と一緒に数年連続行っていた。実に斜面の厳しい山なのだけれど、たけのこ掘りの楽しさに目覚めてしまうと、どんな急斜面でもわくわくどきどき上ってしまう。今年は実家を出てしまっていたので、一緒に行けなかった。
たけのこは、見た目にはっきりわかるほど生えたものはいけない。そんなのもう、硬くておいしくない。ちょっと出てるか出てないかくらいがちょうどいい。そういうのを発見できたときの、喜びといったら・・・うふふ。そんなたけのこの見つけ方を、オーナーは「生え始めている場所は土がもっこりしているからわかるわよ」と言う。このオーナー、女性なのだが、「もっこり」という形容はいかがなものなのだろうか? なので私は「こんもり」と言い換えている。母はオーナーの影響で「もっこり」だが、私は若い独身女性としてのプライドを持って「こんもり」と言う。こだわりの表現法だ。しかし何にせよ、少し性的っぽい印象を受けるのは、私の根本が間違っているせいなんだろうか・・・。
さらに、たけのこは頭を引っ張ればすっぽり出てくる、なんてものではなくて、周囲の土をある程度掘り下げてからでないと変なところで折れてしまう、とてもデリケートな植物だ。だから、たけのこを傷つけずにスコップで丁寧に土掘る力が要る。むきむきと掘って、抜いて、むきむきと担いで山を下る。ちなみに私は、いつもオーナーから借りた背負いかごを背にして行動していた。
そういえば先日、たけのこのお刺身が、意外にポピュラーな食べ物じゃなかったことに気づかされた。新鮮なたけのこを毎年仕入れていた我が家では、当たり前の食べ物だった。生たけのこのさきっちょのわやらかくて薄いところを、わさびじょうゆにつけて食べる、たけのこのお刺身。これがまた、いがいが感がなくて、おいしい。 ちょっと高級な和食屋に同期と行ったらメニューにあって、6人中私ひとりしか食べたことがなかったので頼んだならば、私にとっては「なんじゃこりゃーーー!」というものが出てきた。うにもびっくりな、氷のお山とざるの上げ底の上にちょこんと数枚ぺらぺらたけのこが乗ってた。値段にも量にも驚かされ、もう、私の心臓バクバク。
たけのこって雑草みたいなものなのに、何でスーパーや料理屋だとあんなに高いんだろうか・・・。皮をむけば、あんなに小さくなってしまうものなのに。掘り賃・湯で賃込みなんだろうか。
田舎育ちの私には、たけのこの相場が全然分かりません。
2003年04月24日(木) |
ネットでは得られない、現実世界での癒し |
まどろみのもり。
趣味で年間500冊は読んでいた本を1年で丸々1冊読めないだとか、ずっと見たかった映画がいざテレビでやっても最後まで見られないだとか、そういう些細なシグナルが、ここ1〜2年続いていた。
私が日記更新を頻繁にするというのもシグナルのひとつで、ここ最近、自分でも自分的にちょっと異常更新だな、とはうすうす感じていた。また、台所に立つ気にならない日も増え、買い物に行っても食材を何も買わずに帰るなど、以前ならば考えられないようなこともあった。いつもと同じ時間か、それより少し早く寝ても朝起きられず、目覚ましを止めて布団の中でぼやぼやし、気づいたら遅刻ギリギリの時刻で飛び起きることもしばしばあった。
すべてすべてが、シグナルだった。
今日、心理相談員である臨床心理士と小一時間ほど話をした。 その後、少しずつ、私の中で物事が整理されはじめた。
許容量を超えそうならば、自分にできるだろうと思われる閾値を低くすればいいのだと、そう言われて、肩の力が少し、抜けたのだ。
どうして、誰かに話すだけで楽になっていくのだろう。日記に吐露するだけではどうにもならない胸の内を、他者に吐き出して楽になる気持ち。こんなところでネットの限界を感じたりして。
私の出口は、もうすぐ。
2003年04月22日(火) |
手の届く範囲にいながらも、永遠に片想い |
私たちの存在意義とは。
病院勤めの看護師友だちが、「また戻ってくると分かっている人を見送るのはつらい」と言った。 再発する疾病というのは少なくない。再発すると分かっていても、退院させなければならない時期はある。だけど、病院の玄関先で、病院スタッフと患者、もしくは元患者が「またね」とは言ってはいけない。本当なら、病院という狭い空間の中で出会わないほうがよいのだから。でも、患者と病院スタッフとして出会ったことに意味はなかったとは言わない。 そう、彼女は言った。
同じ分野の職業従事者とはいえ、私の仕事は、どちらかというと、生活に関わるものだ。病院で生涯すべて過ごす人はほとんどいない。人生の少しの間、入院するだけだ。入院は非日常。私は人様の日常生活にもぐりこむ。 だから、病院に行くのであれば「いってらっしゃい」、病院から帰ってきたら「お帰りなさい」だ。
人様の生活事情に寄り添うって大変だ。私のような独身小娘でも、夫婦の性生活を一緒に悩まなくてはならないし、嫁姑問題にお付き合いしなければならないし、明治・大正生まれの人生の大先輩方を支えなくてはならない。 経済問題、疾患問題、家族関係問題など、人はそれぞれの家の事情を抱えている。聞けば聞くほど胸が詰まる話も多くて、その場限りのものならばまだいいのだけれど、必要あればその後問題が解決するまでずっとずっと付き合っていかなければならない。また、そういうお宅ほど重い話が多くて、最初は聞くだけでいっぱいいっぱいだ。聞くことで関係が作られて、関係が作られたら支援していくことができるとはいえ、ときに逃げ出したくなることもある。
どん詰まりな人生だなんて、楽しみが見つけられない人生だなんて、そう表情のない顔で、抑揚のない声で言わないで。そう言える相手がいるだけ、あなたはしあわせだと思うから。
仕事以上の意識で付き合っている人もいる。支援者のいない、孤立した人たち。 同情と言われてもいい。そういう人には、心配あれば業務時間内で、いつだっていくらだって会いに行く。何があっても、問題が改善すれば、解決すれば、私は必要のなくなる人間なのだから、そのときだけは、ありったけの思いを注いであげたいと思う。
出会ったあなたをひとりにはしないと、そう誓う。
今回は、一種、愛の告白日記なのです。
私はひどく単純なので、日記を見に来てくださればそれだけでうれしいし、メールいただけたらさらにうれしいし、リンクしてくだされば、もう、感謝感激雨あられです。 ちなみに、リンクしてくださった先には必ず顔を出していますし、メールには「返事は要りません」と書かれているもの以外には1ヶ月以内にお返しするようにしていますので、未だの方はもう少しお待ちくださいませ。
私にも、好きな日記というものがございます。 私の読む日記傾向は、独身か既婚かと言えば既婚が、女性か男性かと言えば男性が、恋愛射程範囲外か恋愛射程範囲内かと言えば恋愛射程範囲内が、非エロかエロかと言われればエロが多いです。
さらに細かくすると、同性の場合は独身同年代が多く、主婦層の場合は食事に関することを書いている人が多いです。 異性の場合は、全員私より年上、エロも得意(技術的な問題ではない)とする素敵なひとたちばかりです。言い方を変えると、私に彼がいなくて、相手に特定の相手がいなかったら、個人的に親密なお付き合いを考えてみたいわ、という方々なわけです。ただ、文章と実際がまったく異なる人はいるわけで、積極的に絶対、とは言えないのですが。
まあ、そんな人たちの日記を、私はいつもそっとそっと、遠くから見ているわけです。私が見ていることがなるべくばれないように、蔭からちょこっと。
そんな中、最近のことなのですが、私が日記を始めるきっかけになった日記を書いている男性が、少なくとも1度は私の日記を見てくださったということを知り、もう、鼓動早鐘状態・呼吸困難寸前。まるで、完全片想いの相手と真っ向から視線が合ってしまったがごとく。 その方の日記の傾向・文章・構成は、私の日記とはまったく異なったものですが、とにかく、好きで憧れがあるのは確かな相手で。
面と向かって告白はできないけれど、人生の一時、彼の時間と交えたことを感謝しつつ。
愛を込めて、ちゅ。
2003年04月18日(金) |
水に浮かぶ櫻色の地図を追って |
強い雨が降ったその翌日は、快晴だった。
職場近くには桜並木があって、そのすぐ脇には小さな川が流れていている。桜が散り始めたその頃、家庭訪問に行くためにバス停に向かう途中、普段は意識して目をやらない川面に、ふと視線が行った。
散り落ちた薄ピンク色の小さな花びらが、集合して大きな地図を作っていた。
ピンク色は私の好きな色だ。桜も、好きな花だ。その、ドッキング。 桜の地図は、風で水面が揺れるたびに形を変えた。私はバスが来るまでしばし、それを見ていた。
今年の桜前線は、とうの昔に私の住む地区を過ぎて行った。ゆるゆると北上し、今は東北地方に掛かっているようだ。もうすぐ、我が妹の住む地へと。
いつか、彼と桜前線と共に旅をしたいと思った。
2003年04月17日(木) |
『メルヘン』の意味を私は知らなかった |
最初は意味が全然分からなかったので、しばらく考え込んでしまった。
メルヘンって言ったら、子ども文学の印象が強い。おとぎばなしとか幻想小説とか、人間以外の生物も出てくる外国文学のそういうものをひっくるめてメルヘンて言うんだろう。日本の昔話は、メルヘンには入らない気がする。メルヘンの定義がどんなものなのか、正しくは知らないのだけれど。
メルヘンって言ったら、『詩とメルヘン』。サンリオから出てる、もう休刊になってしまうらしい、詩とイラストの雑誌。私は、おおた慶文というイラストレーターが好きで、時々本屋で立ち読みしていた。
メルヘンって言ったら、そんな感じだったのに。
「ああ、あそこね、メルヘン地区ね」
と、私がどこの地域で働いているか問われて答えたら、軽くそう言われた。 メルヘンって言ったら、童話。童話って言ったら、同和。というより、『同和』が同じ読み方の『童話』になって『メルヘン』に行き着いたんだろうけれど。 『メルヘン地区』と呼ばれるところで仕事をしていて、はじめてそんな呼び方をする人たちがいることを知った。
何度も問いますが、偉い人間とダメな人間て、住んでる土地で分かるんですか? 先祖の仕事で、人の価値って決まるんですか?
理由のない差別は、許しがたい行為だ。同じ役所にも、その辺わかっていない職員が多くて、日々、奴らを頭突きしたくなる。
よっぽどのこと、言うほうが差別されていいと思う。
2003年04月16日(水) |
愛がなくても求愛したり、愛があって求愛してしまったり |
他者の求愛行為を目撃。
いつだったか、彼とのデート中、発情したハトの集団と出くわしたことがある。 静岡かどっか行ったときだった。首を膨らませたオスバトが、メスバトを追い掛け回すそのシーン。ちょうど、春だったように思う。 「春は生殖時期なのかねえ」と私たちはコーヒー片手に、ひたすら延々に片想いだったり両想いになったりするハトたちを、小一時間ほど眺めていた。
あとで調べて分かったことなのだが、ハトは年中繁殖するが、強く発情するのは春と秋のツーシーズンだけらしい。あとは、惰性で交尾なのだろうか。人間と一緒だな。愛がなくてもできるし、子ども作る気がなくてもするし。
そういった艶ある行為を目撃することって、結構多い。最後まで至っているのは夏の夜の公園くらいのものだが、街中での抱擁やキスは日常茶飯事だ。 私も結構、外でも平気でする。とは言っても、通行の邪魔になったりする場所や、エレベーターみたいな狭いところで人がいてもする、なんてことはない。人がいないところと、たまに駅の改札でするくらいのものだ。隙を見てはちゅっ、と。 彼は最初とても抵抗あったようだが、2年以上も断続的に続け、どうにかこうにか慣れたようだ。密室でないと彼からしてくることは少ないが、私からする分には避けたりしなくなった。
どこにいても愛しくて、つい場所なんかわきまえずに愛をささやいてしまう。こんな甘ったるい自分、男がいないときには知らなかった。
愛ってとっても迷惑。
わけではないが、恋愛のマンネリ化は遠距離恋愛でもあったらしい。
恋人が近くにいればいるほど、恋人との過ごす時間が経済的な関係もありいつも同じようになる、いわゆるマンネリ化する傾向にあるが、遠距離恋愛でも、同じようにお付き合い方法がマンネリ化するようだ。 遠距離恋愛歴2年と4ヶ月、私、そんなこと今の今まで知らなかった。
だからといって、私と彼との付き合いが、お金をかけないものになったかというと、そうではない。ただ、もう、どこかイベント的なところに行くような感じではなくなっただけの話しであって。 東のディズニーランドも西のUSJも行った。浜松に行ってうなぎを食べたし、山梨でほうとうだって食べた。モザイクにだって行ったし、赤レンガにも行った。 だけど、私たちのデートは大抵土日や祝日なので、どこも混んでいる。だから、ここ最近は、ゆっくり過ごしたいねと、私の家を拠点としてゆっくりした休日を選んでいた。
2泊3日のデートでも、朝起きて、愛し合って、ブランチ食べて、愛し合って、少し外に買い物に出て、夕飯食べて、一緒にお風呂入って、ビデオ見ながら飲んで、愛し合って、寝る。そういう、同じことの繰り返し繰り返しの生活で。愛し合うことさえも、たまにのことなのに、少々マンネリ化傾向。
会うことは特別なことなのに、やっていることはごくごく平凡。だけど、いつもはできないことで。毎日していることを、ひとりでするのとふたりでするのとでは、心の満たされ度は全然異なる。だけど、やはり、少しはやりきれないほどの暇さ加減は出てくるわけで。
G.Wはどこも混雑してはいるけれど、少し、何かイベントでもしようかな。
2003年04月14日(月) |
佐々木(仮)家の人々 〜 馬並みな話 |
そんなとこまで似なくたって。
気が付けば部屋が雑然としているところとか、靴やバッグが好きなところとか、母と私はよく似てる。 妹はきれい好きだし、父は私と母の許容範囲内で怒り出す。だから、母とふたりでいると、とっても楽だ。DNAの組み方が似ているのだろう。
ちなみに、母と私は乳房の大きさも似ている。腕をまっすぐに伸ばしたときの形も似ている。好みのオカマのタイプも似ている。色合いの好みも似ている。髪質も似ている。服の好みまで似ている。
先日、妹が学校で馬の解剖をしたと報告してくれた。
私は思わず聞いた。 「あのさ、ほら、よく馬並みって言うじゃん? 馬のアレ、どうだった?」
妹は冷静な口調で言った。 『お母さんも、それ1番に聞いてきた』
…やっぱり馬は大きかったそうです。
身体もアレも。
はじめての、選挙投票事務をしてみた。
土日返上、市の職員ということで、借り出されただけの話なのだが。
しかし、いきなり初っ端から寝坊してみた。年の近い独身同僚に電話で起こされ、6時25分に起床。同じ会場で過ごすことになった、よく知らない役所の人に車での迎えを頼んだというのに、私は張り切りすぎて寝過ごしてしまった。6時10分に待ち合わせだから、5時に起床、ってことは、前日21時半には就寝ね!って…これがいけなかったよう。寝すぎた。謝罪からはじまった選挙当日。
私の仕事は、朝の7時から夜の8時までの入口での受付。名簿と持ってきた投票案内との照合、と本人の照合。って言っても、知らない人々ばかりなのですべてが『自称』なもんで、見るべきところは年齢層と性別のみ。 時々、子どもの持ってきたり、夫婦で間違えてしまったりするらしい。だから、そこだけよく見ろといわれたので見ていた。
というか、朝7時から投票開始だからって、何故、並んでいるんだ? 7時から20時まで、長時間開放しているのに、開始前から並んでいるだなんて…私以上に、張り切りすぎ。その政治参加意欲に脱帽です。
また、「投票案内、家族分全部川に落としてしまいました」「大事にしまってどこにやったかわからなくなってしまいました」「私のだけ、親がなくしてしまったんです」等、投票案内の再発行者が結構いた。特に、お年寄りは、本当に大事にしすぎてしまう人が多いらしく、以前に行われた『7月某日』の投票案内を持ってくる人が目撃されたくらいだ。 顔見て「若いなあ」って思って年齢よく見たら、昭和58年生まれが、とうとう選挙に参加するような時代になっていたことに気づかされた。ちょっと鬱々してしまったのは、何故なんだろう?
さて、私たち受付嬢がカウントダウンを始めたのは、19時半から。 19時45分、××さん夫婦。19時50分、○○さん。そして、やっぱりいた。19時55分、喪服のおじ様が…息を切らして駆け込んで来た。 「す、すみません…投票用紙(注・投票用紙ではない)、忘れてきました」
抄本を確認してから投票案内を再発行するシステムになっている。それは、私たちの受付の前段階の仕事。私たちはそれを待ち、受付をして投票用紙を渡す。
20時の鐘の鳴る中、おじさんは息を整えつつ、ゆっくりと投票用紙を書き、出て行った。
耐久13時間、プラス設営・片付け等。ようやく終わりを告げた。
2003年04月12日(土) |
愛が失われたわけではないのです |
実は、よく読んでいなかった。
私は行政手続等、ひとつ間違っただけでも融通利かないもの以外には、かなりアバウトな人間だ。 新しい機械なんかは特にそう。ビデオもCD・MD・カセットデッキも、携帯電話も適当に押してみて、できればそのまま続行、できなければしょうがないので説明書を読む。
そんな私が、いっくら新しくなったからって、この忙しさもあいまって、よく読むはずがなかったのだ、"新"『日記才人』。私、悪いことは(多分)しないし、と思って。
サイインインしたところまではOK。マイプロファイル見つけたところまではOK。その中に新規登録があるのを認めたところまではOK。 その後が、問題だったのだ。 「上部に大きく書いてあるじゃないのさ、青い四角で囲われて」って言われたらそれまでだが、私、全然見えていませんでした。
『注意:旧日記才人で日記を登録していた方は日記の取り込みをしてください!』
この一文を見逃して、私、新規登録しちゃったのよ…。新規登録に他意があったわけじゃないのよ…。
だから、マイ日記才人に私を登録していた方は本当にごめんなさい。いきなり私の日記、登録抹消です。辞めたわけではなく前の登録番号に変更しただけですので、お心ある方はどうぞ、再登録をばよろしくお願いいたします。
2003年04月11日(金) |
信じていた足元を揺らす存在との出会い |
もはや、自棄酒。
被虐待者が虐待加害者であることはよくあること。虐待の連鎖というやつだ。 虐待の話を、されたこともしたことも、されていることもしていることも、生の声で目の前でされるということは、醜聞を聞くような好奇心を満たすような気持ちで聞くことは、決してできやしない。
電話をするとなったら、かなりの心づもりが必要とされる。その日突然思いついて即決行、だなんてことはよほどのことがなければ私にはできない。相手によっては、1週間くらい前から「あの日に電話をする」と決め、カウントダウンしていかないと、いざ当日になるとかけられないようなこともある。 それくらい、話が予想つかず、そして重いのだ。
そしてたった数分でも、心の話を聞いてしまったら最後、その後はしばらく、聞いてしまった自分の感情をコントロールすることに非常に努力を強いられる。 不思議なことに、そういった話を聞いた日は、自分の子ども時代や親のことを思い出す。子がいる人は、このことも思い出すらしい。 自分の過去を揺さぶられるのだ。
自分にはまったく関係のない他人の経験談により、こんなに身のうちを掻き乱されるというのは、滅多にないことだと思う。感動とは縁遠い、悲しみと怒りと恨みと切なさと歯がゆさと愛しさと困惑感が、いっぺんに、一緒くたに聞く側に投げ込まれる体験談。 親との確執、子どもとの距離の掴みにくさ。 男女間の関係のもつれなんかより、もっともっと奥が深くて、根深い何かを持っているそれら。 話をするほうもされるほうも、心身ともに削られる。だけど、それはふたりそろって前に進むためには必要なことであって。それは、わかっていることだけれども。
寿司と枝豆とわかめスープと梅ワインが、最近の定番。ひと月に数度、私はひとりでお酒を飲む。虐待の話を聞いた日は、飲まずにはいられない。
最近、少し泣くことにも疲れてしまった。
2003年04月10日(木) |
つぶれるまで飲ませる、タチの悪い男のような |
あの手この手の、甘いことばを使って飲ませる。
アルコール度は高いけれども飲みやすいカクテルってたくさんある。私は、カシスオレンジが大好きで、あれをグラスで2杯飲むと、もうぐでんぐでん。だけど、カシスオレンジは甘いので、1杯目はカシスグレープフルーツで、2杯目にカシスオレンジを頼むようにしている。気分変えたいときには、カンパリオレンジ。私は甘党です。
酔うと人が変わる私。隣席者が喫煙者だったりすると、タバコのにおいを紛らわせるために、飲む量がハイピッチになりがちなので困る。見る間にたちまち呂律は怪しくなり、姿勢保持が少し困難になって後ろに寄りかかったり、ぐらぐら左右に揺れて人にぶつかって寄りかかってみたり。話も脈絡なく続け、えらい気分よくなってしまう。 それを知っている彼は、私を酔わせて挙動不審さを楽しみ、笑っているようだ。彼の「おいしいならもっと飲め」ということばは、タチの悪い誘い文句だ。 ただ酒ほどうまいものはないと、いつもより多めに、3杯目に突入してつぶれることもしばしばだ。
だから、片手に紫煙をくゆらすような殺人未遂者と彼と甘いことばには気をつけなければならないと、私は学んでいる。
けれど、春なので、そんな私が甘いことばで人を誘惑し、騙し、泣かせる仕事に従事している。秋も秋で、同じ仕事をしている。 乳幼児のポリオ予防接種は春と秋の年2回の開催。麻疹や風疹・三種混合なんかは年間通してやっているけれど、ポリオは年2回だけ。
ポリオは経口接種する予防接種なので、スポイトで取った液を口の中に放り込んでおしまい。 その液、子ども用の風邪薬シロップみたいで、飲んだ直後は変に甘く、口に残る何かは甘さのない変な味という代物。 それが1センチほど入ったスポイトを片手に、「おいしいよ〜」「甘いよ〜」「上手にごっくんできるかな〜?」と派手なガラガラや我が笑顔で近づき、気をゆるめついでにガードも許したところでポイと口の中に注入。おかげで子ども、大泣き。飲む前から泣いていたら、子を抱く母と共謀して力づくで口を開かせ、飲ませたら口を閉じさせ…。 悪いことをしているわけではないのだけれど、騙さなければいけないこの仕事。
乳幼児たちよ、私を恨むことなかれ。
2003年04月09日(水) |
私という彼女を持った男のつぶやき |
一昨日、彼女に、「マウスピースをつけて『筋肉ミュージカル2003』見るの」と言われました。なんでも、友人と旅行先で『SASUKE』を見ていて、その間のCMで『筋肉ミュージカル2003』が行われるのを知ったそうです。そして、ふたりで興奮して意気投合して見に行くことにし、日付を決めてそのチケットをとうとう取ったのだそうです。中央よりの割といい席だと、喜んでいました。
パパイヤ鈴木やきゃいーんの天野のような小太りが好きな彼女は、彼氏である自分の割れた腹筋を見るたびに、「あーあ・・・」と露骨に不満げなため息をついたり憎憎しげにチョップしてきたりします。それなのに、筋肉自慢の輩ばかりが出演するだろう『筋肉ミュージカル』は好きで見に行くだなんて、ちょっとおかしいと思います。彼女との交際を、考え直したほうがいいような気がしてきました。
(大阪府在住、40歳、15歳年下の彼女を持つ×1男の悩み相談より抜粋)
観賞する筋肉と実際に触る筋肉と、それらは心の琴線の全然異なるところを奏でていますのよ、彼氏さま? 筋肉美は見るだけで結構。だけど、そばに置いておくとなったら、やっぱり見た目より触り心地でしょう? ナイ胸のお前が何を言うかって? うるさいわね。 マウスピースだってね、決して近所のキックボクシングに通い始めたから作ったんじゃなくて、顎関節症の治療の為に作ったのよ? 何のための治療かちゃんと分かってる? 私の健康のためと、ふたりの性生活のためよ? ちょっと酔っ払って、マウスピースをつけてダンボールを殴っちゃったのは、たったの一度だけよ?
だから、ノープロブレム。
2003年04月08日(火) |
あなたはいつまで私に縛られているつもり? |
あなたにとってはじめての相手だから、私は忘れられぬ存在なの?
私にとってはじめての浮気相手とはいえ、正直言えば忘れているときがほとんど。存在自体、ごくごくたまにしか思い出さない。申し訳ないけれど、もう、私にとっては過去のひとりになってしまったといえる。
なのに、あなたはいつまで私に縛られているつもりなの? 付き合えないと言った私のことばに、納得したわけではないの?
早くしあわせになってと、散々なことをしておいて勝手に思う私を、責める気持ちがあったとしても、それは仕方のないことだけれど。
メールを送ってきたのは、望みがあると信じているから?
お願いだから前向きに、もう、後ろは振り向かないで。
2003年04月06日(日) |
桜咲く、その肌寒き季節の人恋しさよ |
晴天だけど、花冷えの日曜日。
膝枕をするのも嫌いではないけれど、膝枕をしてもらうのはとても好き。 よく、彼がテレビ見ているときや、パソコンに向かっているとき、寝転んでその大腿に頭を乗せては、彼を見上げて「好き」と笑ってしまう。 もしくは、背後から脇の下に頭を突っ込んでみたり。 そういう、人とくっつく行為がとてもとても精神安定剤になる。
今日みたいによく晴れた休日は、彼の存在がとても恋しくなる。天気がよさそうだからお散歩しようよ、なんてことばは、近距離恋愛じゃないから言えないし。 手をつないだまま一緒に畳の上に寝転がったり、一緒に芝生のある公園のベンチでまどろんだり、そういう、何も考えないぼんやりしたデートがしたいと思う。
明るい日差しの中、あなたにくっついて眠る私の髪をなでながら、どんな目で見てくれているのか、私、分かるような気がするから。
あなたが傍に欲しいよ。
2003年04月05日(土) |
愛しき彼の名前、私の呼び方 |
私のささやかな意地と目論見。
彼の名前は常に呼び捨て。ふざけて叱りつけるときとか、何かを諭すときには「さん」付けで呼ぶけれども、それ以外は呼び捨て。 一回り以上の年の差を知っている友人たちは、その事実に「年離れている相手に呼び捨てなんてすごいね」と少し違和感があるようだけれど。
うちのご両親4歳違いのカップルで、父は母を「Aちゃん or さん」、母は父を「Tちゃん」と呼ぶ。 友人の両親や友人カップルを見ていると、「ちゃん」付けが多い。でも、私は彼を「ちゃん」付けで呼ぶことは絶対にしない。
漢字2文字、読み方4字の彼の名前。大抵、読み方4字の名前の場合は頭の2文字に「ちゃん」を付ける。例えば、『大介』だったら『大ちゃん』(過去男の実名)、『清久』だったら『清ちゃん』(過去片想いの相手の実名)だ。
彼は、彼の両親及びおねえさんには呼び捨てにされている。歴代の彼女及び元嫁さんには頭の2文字に「ちゃん」付けされていたよう。 だから、なのだ。
年の差がある上、甘ったるい呼び方をしていると、どうしても甘えてしまう。自他共に認めるファザコンでもある私は、年上の男性に甘えるのが好きな反面、甘やかされっぱなしも嫌なのだ。親だと適度なところで突き放してくれるのだが、恋人はそうはいかない。甘やかしたいだけ甘やかしてくれる。
と言うのが、建前。 だけど、本当は、今までの女性たちと一緒くたにされたくないのだ。私が彼を知った頃に彼と付き合っていた女となんて、特に一緒にされたくない。思い出しても欲しくない。それくらい、私は彼の前彼女が大嫌いなのだ。
だから、私は、ずっと彼を呼び捨て。
2003年04月02日(水) |
あなたに会って、伝えたいことがあります |
もう、人生の半分を縛られている。きっとこれは、一生もののトラウマ。
中学生の頃、今思えば信じられない教師がいた。音楽の女教師だったのだけれど、私はこの教師に心的外傷を加えられ、そして、今もその傷が疼いている。何も言い返せず、傷つくだけ傷ついた、その傷が。
今の私のこの当たって砕けろ、だけどただでは砕けない、という性格が形成されたのも、半分はこの教師のおかげであるとも言えよう。私の性格は徐々に徐々に、変に強さを増していった。弱さを隠すかのように。 中学生当時の私は、もともと内向的だった性格と、いじめられっこということもあったせいで、人前で話すことが苦手だった。けれど、多感な思春期真っ只中だった私にはクラスに好きな男の子もいた。
そんな私が、いくら歌のテストとはいえ、教室の前で歌を歌うだなんてことは、まさに拷問だった。歌いながら声はかすれ、音程がひどくずれていくのが自分でも自覚できた。 みんなが見ている、みんなが聞いている。彼が見ているかもしれない。彼が聞いているかもしれない。そんなことを考えてしまい、頭がぐらぐらしていた。
泣きそうな気持ちで歌い終わり、授業が終わる間際、その教師は言った。 「今日、一番歌がうまかったのは、男子では○●・・・、女子では△▲・・・」 全員の評価を読み上げるわけではないのだから、そこまではよかったのだと思う。でも、彼女は続けた。歌のうまかった人を数人読み上げた後。「一番ひどかったのは」と。
一番ひどかったのは、だったか、下手だったのは、だったのか、それとももっと違う言葉であったのか、そんな細かいことまでは覚えていない。ただ、「うまくなかった人」というそこに、私の名が挙がったのは確かなことで。
その後、高校に上がり、親友になったカエたちとカラオケに行く機会があった。私が高校生の頃は、カラオケが爆発的に流行していた時期で、行かない人はまずいないという状況であった。私は歌わないつもりで行った。けれど、カエはそれを許さなかった。
親しい人の前であれば、私は歌える。家族の前でなら、親友の前でなら、友人の前でなら、付き合いの長くなってきた彼氏の前でなら、いくらだって歌える。歌うことは好きだし、聴くことだって好きだ。 だけど、同僚の前や、健康教育で歌わなければいけないときは、未だに緊張し、倒れそうになることさえある。
私が中学を卒業する前にあなたは結婚しました。私たちが卒業した後、子を生んだという話を人づてに聞きました。 あなたは今、どんな親御さんになっているのでしょうか?
先生、あなたに会って、伝えたいことがあります。
2003年04月01日(火) |
少しだけ勇気を出して |
私だって言おうと思っていたのに、先を越された。
「奎佐、もう、別れよう」 受話器を当てた耳元で言われて、少しだけ、心臓が縮んだ。 「ハイハイ、いいですよー」 と、私は、努めて軽い口調で流した。
少しの沈黙があって、「やっぱり冗談でも嫌や」と彼が言った。「ばかね」と私は答えた。
私たちの愛は未だ…
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