人生事件
−日々是ストレス:とりとめのない話 【文体が定まっていないのはご愛嬌ということで】
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2002年06月30日(日) |
ペアなんて、夢見がちでもうれしいものはうれしくて |
自分でも知らなかったのだが、どうやら私はとってもペアものが好きだったらしい。今のところ、彼とおそろいのものは携帯電話と、私が買ってきたタイ土産の象のTシャツだけなのだが。人に見られてしまいやすいものは恥ずかしくて使えないけれど、隠れた、本人たちだけが知っているおそろいというのはとってもツボだったようで。「奎佐はペア好きみたいだから、今度はパジャマを一緒しよう」と彼が提案してくれて、自分がうれしくなっていることを自覚して、ペアものが実は好きだったことを知ったのだ。
彼との生活圏が離れているせいもあるのかもしれない。突発的に会いたい気持ちが募っても、そうそう会えない距離。 一緒のもの、それがどうした、という気持ちが彼と付き合う前は正直あったけれど、今やもう、そうやって彼をそばに感じられるものがないと苦しい。姿だけ思い浮かべては、寂しくなる。 彼と同じ、と思うだけで気持ちが落ち着くなんて、子どもだなあと思ってみたり、少女趣味だなあと思ってみたり。まるで、中学・高校生の恋愛のようだ。 だけど、こういう夢見がちな行動をしていないと、恋愛なんて続けていられないのかもしれない。
肉欲だけなら処理することは簡単だけれど、精神的な支えはなかなか見つけられないから。
彼に対して少し後ろめたいようなことがあったときに限って、いつもはお互いに時間や料金を考えて遠慮している電話があって。 私は今日、少し泣きそうになりながら、彼に「愛しているよ」と言った。
今年の3月大喧嘩して仲直りしたとき、私は大泣きして裏返った声でペアリングが欲しいと彼に言った。
1年半以上前のことになるが、付き合い始めた頃、何かの会話の間で彼が、「指輪を贈るならちゃんとしたリングでなきゃ贈りたくない」と言った。だから、私は決して指輪という単語は口にしなかった。付き合い浅いうちに買ってもらうような、買わせるようなことはしたくなかったからだ。 けれど、もう1年以上経ったし、何か形が欲しくなった私は、仲直りに乗じて指輪をねだった。そして、自分専用でなく、ペアがいいと。 縛り付けるような、縛られるような、そんなものが私は欲しくなったのだ。
今年の4月から、ようやく収入ある身になった。だから、さっき「いくつか指輪ピックアップしておいてよ」と言う彼に、「私もあなたの分を贈りたい」と私は言った。彼は「嫌だ」と言った。 「奎佐のお金なんだから奎佐自身の為に使え。俺にとってはそれが幸せだ」 「でもね、あなたの為にお金を使う事は、私にとっての幸せでもあるんだけど」 「俺のほうが収入多いんだぞ。馬鹿言うな」
男にもらうばかりの女になりたくないと思う私は可愛くない女なんだろうか。仕方がないので、指輪は値段とデザインをよく選んで買ってもらおう。その他で、彼に何かを返していこう。 そう、贖罪に近いほど真剣な気持ちで。
女だからって、当然「孕む」、ということはないんですが。
卵巣機能が著しく悪い私ですので、受精したら奇跡です。ちっとも月経周期が安定しないのでピル飲んでて、それで中出ししてできていたら、本当、それこそ何の采配かと思ってしまいますわな。
子どもができたら彼と結婚できる、と考えるのは危険思想だとは思います。けれど、性交中にちらと思ったのは事実で。
怖いですね。 これは、女の性なんでしょうか。それとも、私の性格故なんでしょうか。
まあ、彼のほうも、できて欲しいと考えているのでなんとも言えないんですが。
2002年06月09日(日) |
佐々木(仮)家の人々 〜 長女の交際に対する母の意思表示 |
母から、はっきり意思表示をされました。
彼との付き合いが長くなってきたからでしょうか。思えば、関東−関西間の遠距離恋愛にもめげず、もう1年半近く付き合っています。 だからなんだと思います。今まで、彼の名前と年齢と住所と家族構成と職業しか聞かず、その交際に対する意見はだんまりを決め込んでいた母に、とうとう言われてしまいました。
「相手は結婚、考えているんでしょ?」
帰省中、母と二人でスーパーに行く途中、聞かれました。
「うん。したいとは言われてるけど、私、まだ仕事はじめたばかりだし、結婚て言われてもね、まだ困る」 「彼もいい年だものね」 「うん。でも、まあ、まだそんな具体的には話しされてないし」 「あんた若いんだから、もっと、年相応の人と付き合わないの? 前の人、ちょうどいいくらいだったじゃない」 「ワタナベさん? でも8つ離れてたし、自然消滅しちゃったからしょうがないじゃん」
そんな会話の流れでした。
「・・・でもね、そのお付き合いには賛成しかねるよ。本当は。それにTちゃん(父)だって、離婚歴があることには抵抗あると思うよ」
言われなくても、そうだろうなとは思っていました。だって、相手は15歳、ときに16歳年上で、バツイチで、子の親権は養育費を払わないという条件で前の奥さんのところにあって、収入は多くなくて、両親は健在で。 24歳の私がお付き合いをする相手として、両親だけでなく、友人や他人にまでいい顔されない条件持ちの人です。 私も今すぐ結婚踏み切れないのは、本音を言えばそこにあります。 将来に対する不安材料が多すぎるのです。
年老いた彼の両親を看取ることになりそうだということも、下手すれば彼さえを看取ることになりかねません。彼に嫁ぐと、大阪に住むことになるので東京の実家にはなかなか帰りにくくなります。万が一うちの両親に何かあったとき、私は何のしがらみもなく彼の家から出ることができるのでしょうか? 収入も、彼は年齢の割りに少ない方です。3〜4年前に転職し、社会保障はしっかりしたようですが、手取りは以前に比べて少なくなっているようです。地方公務員の技術職で従事している私の収入は、何年かすると彼を軽く追い越してしまうことも引っかかりのひとつになっています。だって、子どもを産んだら、育てる費用も必要で。
計算ばかりで結婚するのも嫌ですが、計算なしに結婚に踏み切れるほど私は冒険的な人間ではありません。愛あればすべてを乗り越えられるわけではないことを知っているから。だから、苦悩するのです。
よりよい人生の路は一体どこにあるのでしょう? 結婚することが人生の終わりでも始まりでもないのだけれど。
補足:この日記を読んでくださった人からメールを頂きました。文章中、少し言葉が足りなかったようなので、その人に返信したメールを一部掲載します。
今現在の彼とはチャットで知り合いましたが、 お付き合いをはじめたのは実際に会ってから何週間も過ぎてからでした。 ここ1年ちょっとは月に一度、どちらかの家に行き、逢瀬を重ねています。 ふたりの間では「結婚したい」という互いの意志確認だけはしています。 ただ、彼は「今すぐにも嫁に来て欲しい」と思っていて、 私の方はというと、色々な背景から今すぐに結婚することには「迷い」を持っています。 本音を言えば、「彼との結婚」に迷いを持っています。 好きの度合いとしては、彼を結婚相手にしてもいいくらい好き、なのですが、 それを彼と結婚したいという強い意思に置き換え、実行に移すだけの勇気が持てていないのです。
もともと10代の頃から結婚願望の強かった私としては、 好きな相手が「結婚したい」という意思を持っていることは嬉しいです。 けれど、周囲から、自らストップをかける原因があるのです。
結婚を考えているからこそ迷っていることがある、 という答えでうまく伝わりますでしょうか? ただの恋人としてのお付き合いで終わらせていいと思っている恋であればこんなこと考えません。 結婚を考えているからこそ、その考える過程の中で迷いが生じてしまったのです。
<略>
では。
2002年06月08日(土) |
一生言わないという、やさしさ |
GW中、彼は私の部屋に泊まりに来ていた。GW中、3日間、私は仕事に出かけた。
その3日の間、彼は1日目だけ横浜に外出した。それは知っている。 だけど、それがチャットで知り合った女性と会う為だったってこと、私は後日知ってしまった。
あの出不精で、人ごみの嫌いな彼が外出したというだけでも、正直おかしいと思っていたのだ。そもそも、関東に来る前、 「お前が仕事中に、例えエッチはなくても他の女に会ってたら嫌だよな?」 なんてこと言っていた時点でおかしかったのだ。 「Y?」 と私と彼が知り合ったチャットの中のメンバーひとりの名を挙げる。関東圏だと彼女しか思い当たらなかった。 彼は頷いた。私は「二人きりで会われるのは嫌だ」と言った。彼は「わかった」と言った。
あの「分かった」がどの「分かった」だったのか、今もって不明だ。絶対に合わない「分かった」だったのか、ばれないように会うという意味での「分かった」だったのか。
どちらにしろ、彼と彼女は会った。
私と彼の携帯電話が同機種同カラーであるところからそれは発覚したのだ。いつも「メールみたい。鳴ってるよ」と私が教えると「開いて読んで」という彼だったので、あの日も彼がトイレに行っているときに鳴ったから開いたのだ。 そのメールの送り主は私も知っている男性だったので、彼にメールを読んで聞かせた。そして、ふと、受信メールの題名一覧に違和感のあるものを見つけてしまったのだ。 私は読んではいけないものを読んでしまった。
そのとき、私はその場で問いただすことはしなかった。メールの内容が、私のことで悩む彼を応援しているメールだったから。だけど最後には、『まあ、私と会えたんだから、いいこともあったと思ってよ』の一文。 だから後日、私の中でモヤモヤする気持ちが増えつづけ溜まりこみ、些細なきっかけで小爆発が起こった。
「あの日、本当にひとりだったの?」 首を傾げた私に、彼は「ひとりだよ」と答えた。 「誰かに会ってたんじゃないの?」 「会ってないよ。ひとりでブラブラしに行ったんだよ」 「・・・じゃあ、信じる」
彼は私に「言わない」ことを決めたのだ。ずっとずっと、もしかすると一生言わないつもりなのだ。 だから、私もあのメールを「見なかった」ことにすべきなのだ。
でも、きっと、秘密を持った彼のほうがつらいものを肩に乗せてしまったのだと思う。 罪悪感と共に。
2002年06月07日(金) |
佐々木(仮)家の人々 〜 インターネットカフェに来た理由 |
人生色々あるもんです。
本日仕事帰りにそのまま実家に戻ろうかと母の携帯電話に電話したら、夫婦ふたりで「今、旅行中なんだ」と言われました。我が携帯電話代の無駄でした。
なんだなんだよ、お母さん! 4月中旬の、あの話は何処に行ったのよ?!
「奎佐も萌(妹の名)も出て行ってしまって、これからお父さんとふたりの生活なんてやだわ〜。どうしたらいいのか分からない。だから、奎佐、なるべく帰ってきてね?」
・・・母さん。十分、ふたりの生活楽しんでるじゃん? まあ、仲違いしてるよりはいいけどさ。
というわけで、今日も風呂上りにインターネットカフェという、すてきな夜の過ごし方。
2002年06月02日(日) |
新聞屋のお兄さんの素敵な誘惑 |
神奈川県に住むことになったのだから、神奈川新聞を取ろう、と思ったのですよ。だから、ちょうどチラシの入って来てたA●Aに『神奈川新聞』の文字もありましたんで、お電話してみました。新聞屋のお兄さんは飛んできました。 「神奈川新聞、朝刊だけでお願いしたいんですが」 「ああ、お客さま、今なら朝●新聞を取ってくださるんでしたら・・・」
は、私はモノに弱い女です。食べ物にも大変弱いですが、モノにも弱いです。
洗剤500g11箱、ごみ袋30枚、ロールペーパー12ロール。 ビール券10枚、水族館の券2枚。
はい、もう、変なところで意志も弱いので、6ヶ月契約でございます。 今後、新聞の集金のたびにビール券をくれると聞いたら、もうそれだけでよしとしてしまいました。
でも本当は、こういう勧誘っていけないんですってね。モノはもらいすぎてもいけないんだとか。 だからね、これは内緒のお話なのです。
心の均衡を崩した。
まあ、5月病じゃないけれど、私にも限界が来たようで。とうとう、心身ともに疲れが溜まったらしく、目が充血どころじゃなくて出血して。あげく、涙もろくなってしまった。 ここ一週間ほど、夜8時半に寝て朝6時半に起きるという、現実逃避的睡眠を貪っていた。 その最後のフィナーレみたいなもんだった、この情緒不安定さは。
私の指導をしてくれる先輩保健師は、保健師歴17年で、その間に新人指導を一度もしたことが無かった人だ。だから、今回が彼女にとってもはじめての新人指導で。 人間、17年も同じ仕事をやっていれば、もう新人の頃の事など思い出せなくて当然なのかもしれない。 よって、必然的に自分が新人の頃どの程度まで出来て、何からが出来なかったのか、ということもわからない。 だから、こちらが応えられぬほどもレベルの高い要求もしてくることになる。 それに応えられぬ私はできるところまでをやって彼女に見てもらうのだが、彼女は彼女の思うレベルまで出来ぬ私にため息をつく。私の目の前で。 「えー、うそー、こんなこともできないの?」 何度言われた事か。そのたび私は「すみません。教えてください」と頭を下げ、泣くのをこらえていた。彼女の要求に応えられない私は、本当は保健師に向いてなかったのかもしれない、と思いながら。 また、彼女の指導者の言葉が徐々に厭味口調であるような気もしてきたが、被害妄想だと何度も首を振る日々が続いた。 けれど、昨日、やはり同僚の先輩とふたりで帰る機会にあった。そのとき言われたのだ。
「佐々木さんて、あの某さんの厭味っぽい口調にもよくへこたれないで頑張ってるよねー。えらいと思う」
そのときは泣かなかった。 「はあ、まあ。それなりにへこみますが、頑張って膨らむようにしてますから」って、答えた。 でも、私の心の中には、心がもろくなる「やさしさ」が忍び込んできていた。
そして、今日。 経験が2年上とか5年上の保健師先輩たちと会う機会があって、その会の中で、指導保健婦に私がどう助言すればわからなくて先輩に聞いたあるママの相談の話をしてみ、と言われた。先輩保健婦は「こんなことも聞きに来る佐々木さんも佐々木さんだと思ったんだけど」とみんなの前で言った。 私は悲しくなりながらも、「私、自分ならどうするだろうって考えたけどわからなくて某さんに聞きに行ったんですが・・・」と前置きして話した。 その話をするなり、若い先輩たちが、「それは新人じゃあ難しいよ」「そうそう、聞いて覚えていけばいいんだよー」と口々に言ってくれた。 涙があふれてきた。 役不足だ、とか、人として未熟過ぎるんじゃないのか、とひとりで悶々と思い、凝り固まっていた苦い気持ちが、若い先輩たちの言葉で少し滑らかなものになったような気がした。
彼氏さまに、ようやく今日、「最近、保健師を辞めようと思うようなことが何度かあってへこんでいたんだ」、と伝えることができた。 彼氏さまは、思ったよりも慰めの言葉をくれた。社会人としての自覚が薄いんだ、と怒られるかと思っていたのに、意外なやさしさを向けてくれた。 また、涙が出た。
しばらく、傾いだ心は立ち直れそうも無いけれど、まだまだやっていこうと思えるだけの勇気を得た。
心やさしい人たちに、感謝の念を。
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