人生事件  −日々是ストレス:とりとめのない話  【文体が定まっていないのはご愛嬌ということで】

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2002年07月31日(水) エロチックモード再び?

何度でもめぐってしまうものなのかもしれません。

一昨日と昨日、ぼんやり日記才人見てて思ったんです。
またも、例のごとくかな、と。
日記才人では、ちょっと前からアダルトにカテゴリされた日記はアクセスランキングには含まれなくなりました。そう、その『ちょっと前』が、『だいぶ前』になりつつあるのかな、と。

一時、日記才人でのアダルト日記のあり方についての議論が積極的に頻繁にされていたのは、私の記憶の中ではまだ新しいことです。が、よく見れば登録ナンバーも20000台になっているので、一部分でとはいえ、ある種流行り病のように盛り上がっていた上記の議論のことを知らない人もぽつぽつでてきてるってことですよね。
だからなんでしょうか、アクセスランキング、見てみてください。
日や時間帯によって少し傾向は異なりますが、それでも、一般常識・許容範囲の『エロティック』な1行コメントよりも、以前よく目にしていた『アダルト』な感じのちょっと過激刺激的?的な1行コメントが増えつつあるように見えるんですが、私の気のせいですか? たまたまみんなが揃ってエロモードのときに私の目に付いてしまっただけですか?
まあ、私、この連日の暑さのせいで頭沸騰して相当おかしいので、それを強く言い切れるだけの自信がないんですけど。

不倫系等の告白・のろけ日記も最近妙に増えてきていて、なんとも不思議な世の中です。
ところで、不倫するのは勝手なんですけど、私、当事者以外に迷惑かけるような不倫は嫌いなんですよね。特に子どもがかわいそう。不倫相手の子を認知してもらわずに産もうって、エゴじゃないのかなあ。
産んだ挙句に「やっぱりお金もないし私には育てられない」って保健師に縋ってくるのはどうかと思うなあ。まだおろせる時期にこっちは手に職のない親にも頼れない女手ひとつで育てる大変さを等々と説明したのに。まあ、その立場になってみないと実感できないっていうのは分からないでもないけれど。

でね、何が言いたかったかって言うと、またも、

「どうよ?」

ってことで。
では。


2002年07月30日(火) 桃顔娘と髪跳ね保健師

桃娘と私は仲良し。

桃顔娘、通称・桃娘との出会いは、衝撃的だった。
彼女が生後5ヶ月の時にはじめて顔を合わせたのだが、桃娘はとってもかわいいのだ。ちょっと太めで。おまけに、顔の造作までもかわいい。
赤ちゃんらしいふっくら、ではなく、見た目は「あーデブか標準かちょっと迷う?」っていうくらい。で、とっても元気そうなかわいい顔してる。
ふっといあんよと手で拍手もする。愛想もよい。ついでに握力も強い。

そんな彼女が生後5ヶ月時、桃娘母と間違えて私に抱きついてきたのだ。背後から。
抱きつかれて振り向いて、「あらーこんにちは〜」と笑った私の顔を見て、桃娘は「間違えた。誰よこの人!?」という露骨に嫌な顔をした。
あっははははは、このおっちょこちょいめ。

そして、桃娘母とは意気投合。桃娘の両親は大阪出身者だった。夫の転勤で神奈川にきたとのことだった。現彼氏のおかげで大阪弁が耳に心地よくなっていた私は、
桃娘母の話し方がとっても好きだと思ったのだ。

でも、私たちは運命的な関係。
桃娘親子とことあるごとに(子育て相談会とかお遊びの会とか)、順番どおりに色々な保健師がかかわりながら事業を行っているのに、なぜか私がお話を聞く役目になる。
だから、桃娘は現在8ヶ月になるが、出会ってからずっとずっと私が見ているようなもんだ。離乳食は何が好きかとか、おもちゃは何が好きだとか、そういうことまで知っている。
保健師も対象数が多いから、そこまでソラで覚えている人ってほとんどいない。
よほど、体重の伸びが悪いとか発達以上のある子なら憶えているが、桃娘のように特に問題なくすくすく発達している子どものことを憶えているのは珍しい。

市民に公平なサービスを、とは言うけれど、こういう例だってある。
まあ、議員に裏から手を回されてある健康な母子にちょこちょこ訪問することはあってもさ。


2002年07月29日(月) 私の「好き」は売れて欲しくない「好き」

デビュー時から好きだった人が売れっ子になっちゃうのは、私には全然うれしいことではない。

まあ、私の言う売れっ子の定義も、テレビとか新聞とか雑誌とかの広告や売れ筋ランキングに入るものだけではないんだけど。マニアックでも、そのマニアの中で受けていれば十分売れっ子だ。歌手でも小説家でもまんが家でも一緒。
売れていると、なんとなく飽きてしまう。ネタがマンネリ化することが多いから。

例えば・・・と出すと、ここであえて出すとその人がマニアックな人たちだといっているようなものになってしまうな。
まあ、ここで名前を出しても構わない初期から私が好きだったのにいきなり売れちゃった例としては、エレファントカシマシとか山崎まさよしとかスガシカオ、くるり、けむり。まんが家だったら、羽海野チカとか。小説家だったら、月村奎とか。
他はあえて伏せるよ。

目がいいからデビュー時から追っちゃうんだよ、と友人は言う。けれど、私は細々やっている人たちを応援するのが好きなのだ。マニアックなのだ。

だから、今目をかけているあなたも売れないで、お願い。
中途半端に売れて、本やチケットが手に入りにくくなっちゃうのは、非常に迷惑な話なの。

売れないよりもちょっと売れた方が迷惑な昨今。


2002年07月28日(日) 青天の霹靂で複雑気分

昨晩、友だちがふたり、泊まって行った。

短大時代に出会った友人たちで、某共済病院整形外科ナースと某県保健師。短大4人組のうちの3人。3月に銀座で会ったきりだったので、久々の再会だった。
お昼過ぎに私の住んでいる地域で待ち合わせして、夜は、昼はすし屋で夜は飲み屋という、我が地元の人お勧めの魚介のおいしいお店。そんなところに行った。
自慢ではないが、たいして酒に強くない3人組だったので、2時間くらいで3人分のコップの数は5つ。しかも、生中1杯にあとはサワーという、アルコール度の低かった私たち。
生の魚介を堪能し、オーダーミスで来たお味噌汁をおいしくいただき、私たちは帰って来た。私のおうちに。お泊りお遊びだったので。

で、今度は部屋で麦茶飲みながらテレビを見ていた。
「明日どこに行くー? 車でもレンタしよっかー」なんて話をしながら。
そこで、友人のひとりが思い出したかのように発言した。

「あー、11月の上旬にさ、結婚式するから受付お願いするわ」

私ともうひとりの友人、絶句。
ふたりとも、彼女が彼氏と「結婚したい」とも「婚約した」とも聞いていなかったのに、突然の告白。というか、命令。

「・・・婚約したんだ」
「うん、これ、婚約指輪」

胸元のネックレスに通してあった指輪を指差し、彼女は笑った。
小さなルビーに細い金だった。

「・・・それ、いくら?」
「1万3千円くらい。だってさー、指輪にお金かけるくらいなら、もっと他に使うよー」

ちなみに、彼女はスターウォーズの大ファンで、初期のガンダム好きで、映画オタクで、漫画が大好きな人だ。彼女の部屋はDVDやらビデオやらフィギュアやら本やら画集やら同人誌やらで埋め尽くされている。
そんな趣味のお陰で、彼女は下手な男と付き合って金を使うくらいなら自分の好きなことに金は使う、男を見つける暇があったらアニメイトに行く、夏休暇はコミックマーケットの為に取る、という主義だった。
そんな彼女に、昨年、彼氏ができた。彼女の母親の友だちの息子さん、29歳を紹介されたのだ。彼女が24歳のときのお見合いだった。
彼は、彼女の趣味についていける男だった。彼自身も美少女ゲームが好きだという、ちゃんと趣味を持った人だった。
だから、彼らはとっても気が合ったのだと思う。だから、交際1年経ないで結婚にいたることになったのだと思う。

一応、おめでとうとは言っておく。しかし、私は内心複雑だ。
料理のできない彼女を、どうして手放しで彼のところに嫁にやれようか。結婚祝は、まな板と包丁、それからお料理1年生ブックに決まりだ。
いや、根本的な複雑気分はそこにあるのではない。
身長170台後半、体重120kgの大柄の彼を、どうやせさせるかだ。
いや、これも違う。
本音は、初めて付き合った男と結婚できる彼女がうらやましいのだ。軽くやっかんでしまっているのだ。

だから、「うらやましいなあ」とちゃんと伝えた。黙っているのは、なんかよくないと思ったから。

だけど、彼女からすれば、私の人生の方がうらやましいものだという。
学生時代から彼氏と呼べる人がいて、その後もぽつぽつ引っ掛けてはデートしたりしている。身体の付き合いとしては1人しかいないが、色々な経験はしているだろうと彼女は言う。
確かに、言われてみればそのとおりかもしれない。だけど、私は初めての人と25歳で結婚できる彼女がうらやましい。付き合っている人がいても、私の春はどこにあるのかわからない。

しかし、もっとも痛かったのは、もうひとりの友人の言葉だった。
「私なんて、26歳になったのに、まだ男いないよ・・・」
私たち、4人組の中で一番かわいい彼女。なのに、出会いがなくって、殿方とお付き合いのしたことのない彼女。うちの母でさえも、何故彼女に男ができないのかといぶかしむほどで。

「だ、大丈夫だよ・・・こんな、偏った趣味の女でも結婚できる世の中なんだから・・・」

妙齢の女4人組のうちの本日不在の女も、初めて付き合った男と現在半同棲中だという。
私たちもお年頃になってしまったんだな、とちょっとだけがっくりしょんぼりぼんやり遠い目になった。


2002年07月27日(土) 子どもがいない人にはわからない

サトラレ。

時々、
「あなたにはお子さんいるんですか?」
と尋ねられる。
それは、乳幼児健診や障害児や虐待ケース訪問の場面でだ。嘘をついても仕方がないので、私は正直に「いません」と答える。
そして、言われる。

「あなたには子どもを持ったことがないから」
「親と子どもの気持ちが分からないのよ」

子どもを持つ気持ちは、わからない。持ったことがないから。
だけど、保健師という仕事は、ある程度統計や事例に基づいたもので、「根拠」としていいものを活用して行っていく専門職だ。
なのに、言われる。「あなたには分からない」と。

ならば、私は聞きたい。
子を持つ親が、子の気持ちをわかるのか。みんながみんな、親になれば、子を持てば同じ気持ちを抱くのか。
それだと、保育士も教師も医師も小児科の看護師も習い事の先生も塾講師も乳幼児用グッズ開発者も、子を持っていないと駄目だということではないか。
そりゃ、子どもがいた方が語り口調も「うちもそうだったわ〜」等、親近感がわいたり、先輩なんだ、と思ってもらえるという利点がある。
でもこちらも色々と勉強している身なのだ。たくさんの乳幼児と親御さんと出会っているのだ。素人の思い込みを修正し、よりよい道を提供しようと日々努力しているのだ。

だから、それは、偏見なのだ。


2002年07月26日(金) 同期の悩み、同期の恋

7月26日金曜日。
20時くらいから横浜・氷川丸のビアガーデンで同期男女5人で飲んで、その後23時過ぎ、大さん橋埠頭で同期もうひとりと待ち合わせした。

男女6人、大さん橋で飲んで、微妙に異なる年齢の中で昔見たアニメや流行った歌手などの他愛のないおしゃべりをしてた。ベンチにいた何組ものカップルは、夜も更けてくると徐々に姿を消し、残ったのは私たちと数組のカップルだけだった。
一番年上のおねいさんの終電の時間になったので、場はお開きとなった。

あとから来た彼は、なんだかとても凹んでいた。あまりに凹んでいたので、
「どうしたの?」と尋ねると、
「そのうちうわさで聞くかもしれないから」と彼は言った。
「仕事でなんかつらいことでもあったの?」
「まあ、そんなようなもん」
彼は無理に笑おうとしたが、悲しい思いをこちらに伝えるだけに留まってしまった。

彼と私だけが同じ方面に家があったので、最寄駅からタクシーに乗った。
「彼女欲しいな」とつぶやかれた。
「いやされたいときあるよね」と私は答えた。

私は彼の彼女にはなれない。とりあえず、私たちは来週、気晴らしに焼肉を食べに行くことにした。
彼が話をできる場を提供することくらいしか、同期としての私には思いつけなかったからだ。



彼には悪いが、私は食べる意味で焼肉をとっても楽しみにしている。だって、ひとり焼肉ほど寂しいものもないから。


2002年07月25日(木) 佐々木(仮)家の人々 〜 毎日がセルフサービス

佐々木家の朝食は、全員セルフサービス。

冷蔵庫の中のものは何でも使っていいし、パンも一応母が用意しておいてくれる。ご飯が食べたい人は自分で炊く。おかずは自分で作る。

父も自分でパンを焼いて目玉焼き作ったり、そば茹でて納豆かけたりしてた。
妹もチャーハン炒めたり、ラーメン作ったりしてた。
私もプレーンオムレツ焼いたり、サンドウィッチ作ったりしてた。

小学校1年生の頃から、朝は台所に経つのがあたりまえのことだった。台所でパン焼き権やフライパン権でもめるのも日常茶飯事。
むしろ、誰かが用意してくれたときの方が気味悪いほど新鮮で。とても特別なことだった。

だから、同僚が娘(24歳)と息子(20歳)にも朝食作っているだとか、息子(高1)に朝食作っているだとかの話を聞いて、私びっくり。
親と同居中の人は大抵、親に作ってもらっているもんなんでしょか???

やればできると、いつもできるじゃ大違いなんで、少しは自立を求めた方がいいかもしれないと思う。やればできる、って人って、ひとり暮らしになったらほとんどやらないから。
外食続きだと、栄養失調になってしまうんだよね。まったく。


2002年07月24日(水) 気の早いトイレット

短気は損気よ。

最近、デパートやホテルのトイレはサービス精神に満ち満ち溢れている。溢れすぎていて、使うあんたはなんもせんでええんよ、と言われているようだ。
座るなり便座が温かいのはあたりまえ。何の操作もせずに、用を足している音が他人に聞こえないように流水音が流れたり、用を足すなり便器内のものを流してしまうものまである。
すごいですな。

しかしながら、この勝手に機械がセンサーで人影を感知していろいろサービスしてくれるトイレット、あんまり使い勝手がよくないと思うのは私だけなんでしょうか。

ドアを開けて入ってカギを閉める。その一連の動作を終えるなり、流水音が流れ始めたときの焦りといったら。
ちょっとお待ちになられて、まだバッグをフックにかけてないし、ズボンのチャックも下ろしとらんわ!
って思う。音を聞きながら慌ててバッグ置いて、ズボンとショーツを下ろし、さて、と座ったところで終わる流水音。むなしい。

さらには、用を足す前に水がザアアアを流れ、いざ用を足した途端、これまた流水が止まったり。しかも、どうにかして流さなくちゃと思ってセンサーの方を見たら、「もう一度水を流す方は、赤ランプがついてから手をかざしてください」なんて書いてあったりする。ショーツを上げ、ズボンを上げ、チャックと留め、バッグを肩にかけ、だけどそれでも赤ランプにならなかったりして。

トイレくらい、もう少しゆっくり入らせて欲しい。


2002年07月23日(火) 嗚呼 バイオハザードのゾンビの声が聞こえる

バイオハザードをやりたい今日この頃。

実家にプレイステーションを置いてきてしまったので、ゲームができません。そもそも、実家から洋服やテーブルを持ってきたときにはテレビがなかったので、ゲームだけあっても仕方がないと持ってこなかったのです。
けれど、今はテレビもビデオもあります。あまり見る時間はないけれど、先日、むしょうにテレビゲームがしたくなりました。しかも、私が唯一持っているバイオハザード・バイオハザード2・バイオハザート3、どれでもいいから。

私のゲームテクニックはすごいです。感心されるくらいです。

「おねえちゃんて、本当、妙な動きさせるよね」

妹談です。
ゾンビに襲われそうになって逃げるつもりで壁に激突してみたり。とんちんかんな方向に弾を打ってみたり。じりじり寄るつもりが、何の用意もせずに敵の前に飛び出してみたり。
本人いたって真面目なんですが、どうにもうまく人を動かせません。
どうしてなんでしょう。

まあ、実生活でも妙なんですから仕方ないです。
今日、職場の自動ドアにぶつかってみました。私がトイレに行ってる隙に行かれてしまったヤクルトのおねいさんを「ミルミル〜」と追いかけた結果です。
ミルミルは無事にゲットしましたが、ちょっとたんこぶができてしまいました。

妙齢のオトメがこんな理由でたんこぶ作ってていいのか? ちょっと寂しい梅雨明け直後。


2002年07月22日(月) オープンな人、クローズな人

オープンすぎるのもどうかと思うが、クローズすぎるのもどうかと思う。

私はどちらかというとオープンな人間で、食生活も性生活もそれなりの関係の人であれば、恥ずかしがることもなく話してしまう。
けれど、中には謎な私生活の人間もいて、差し障りはないだろうと思うことを聞いても、あまり話たがらなかったりする。クローズな人間・・・別に無口なわけではなく、誰に対しても、それこそ家族に対しても意図的に話したがらない人。そういう人って、私から見ると不思議な存在。自分の中に溜め込みすぎて、苦しくならないんだろうか。

オープンな人間とは話しやすい。基本的に、おしゃべりな人は好きだ。しゃべりすぎる人は嫌いだけど。エロ好きで、適度に口が堅くて、タバコは吸わず、お酒はたしなむ程度で笑い上戸、だとなおよい。
クローズな人間・・・どうやって付合っていっていいんやら、よく分からない。その場の感想だけでは長くは付合っていけない。

私の高校時代からのお友だちにもひとり、そういうタイプがいる。しかもこの人はクローズな上、潔癖症の気があって、同じ皿でおかずをつつけない人だ。中華料理や鍋は一緒に食べられない。だから、私はなんとなく彼女のことを敬遠していた。なのに、彼女は私を気に入っているのか、高校卒業後も「会おう」と連絡をよこす。謎だ。

エロも苦手で、どちらかというとおおざっぱで、何かに夢中になると人の気持ちなど無視して突っ走る私のどこがいいんじゃろうか。彼女とはタイプが反対なのがいいんじゃろうか。でも私、彼女のこと、いつ会っても苦手なんですが・・・

本当に意味のない出会いはないと思うが、何故、しっくりいってないと思う関係が6年以上も続いているんだろう? ・・・実はこれ、しっくりいってたんか? わけわからん。


2002年07月20日(土) メニエール病とセックスワーカーのおねいさんとあの日看護婦だった私

総合病院の、予約制の耳鼻咽喉科外来で働いたあの頃、私はそれほど性に興味が無い時期で、色々な意味で幼かったのだと今は思う。
あれはもう、3年前の出来事。


患者さんで、メニエール病という病気を持った人がいた。メニエール病は原因不明の病気で、めまい・耳鳴り・難聴が3大症状。これに付随して吐気や嘔吐がある人も多い。
これは珍しくない病気で、罹患している人も多い。大抵、メニエール病の人はうちの外来で受診後、点滴を受けて帰っていた。
その中に、色白の、そこそこきれいなおねいさんがいた。薄幸、という言葉が似合ってしまうような、そんなおねいさんだった。カルテを見たら36歳となっていたが、すっぴんでは27・28歳に見えるおねいさんだった。彼女の職業は、セックスワーカーだった。

彼女がメニエールの症状緩和の点滴を受けに来るときは、もうフラフラでどうにもならないほど具合の悪いときだけだった。予約をしていても、耐えられそうなときには受診しに来ない。朝方まで働いていることもあるので、昼間起きられないときもあると言っていた。けれど、予約が無くても、辛いときには朝一番に電話してきて「お願いできませんか?」と言う人だった。
本来、そんな受付はしてはいけないことになっている。けれど、彼女だけは特別だった。私たち耳鼻咽喉科外来ナースは、彼女のことがとても好きだったのだ。心配だったのだ。

いつも、具合がどん底に悪い状態での対面なので、ベッドに誘導し、毛布をかけ、点滴準備をしてドクターを呼びにいく。その後は液漏れはないか、つまりは無いかと点滴管理と、具合悪くなっていないか等の体調管理をする。彼女は点滴の間、眠っていることが多かった。

けれど、彼女と話す機会が一度だけあった。
彼女は泣きながら、自分のことを話してくれた。

3度中絶していること、膣が弱くなっていて仕事でもプライベートでも性交が辛いこと、お付き合いしている人がいるけれども結婚はできないこと、田舎のご両親のこと。
私も一緒になって泣いてしまった。その日の午後最後の、外来ベッドで。

まるで、小説やドラマの中のことのような、そんな話しだった。
けれど、彼女が帰った後、カルテをそっと見たら、産婦人科の欄に、彼女の中絶手術をしたドクターの名前などが記載されていて、私は泣いてしまった。
ドラマなどの話にしやすいものは、現実によくあるからこそ題材にしやすいのではないかとはじめて気がついた。



セックスワーカーになる女性にも様々な思いがある。
お金儲けをしようという人、性の対象として見られたい人、楽な商売だと思っている人、それしか選択する道が無かった人。

私は、彼女に出会えてよかったのだと思う。セックスワーカーを自分の人生の選択肢に入れていない私と彼女は、ああいうところでもなければ話もしなかった。



意味のない出会いなどないと、私は思う。


2002年07月18日(木) 『こんな風にして終わるもの』

1998年10月に発表された曲でした。

『お願い あの場所だけには 新しい彼女を連れて行かないで
あの場所だけが 証言してくれる あなたが私を愛していたと』

6〜7年ほど前に聞いた曲かと思っていたのに、実は4年くらい前だったようです。4年位前・・・私が短大生だった頃です。その頃にどうして、早朝のラジオ番組なんて聞いてたんでしょう? 私、カセットウォークマンだったのに。寝坊したとき、親に駅まで車で送ってもらうときに聞いていたのかもしれませんな。
名前は伏せますが、情報下さった方々、本当にありがとうございました。中には、わざわざネットで探して教えてくれた方もおりまして、本当に人生捨てたもんじゃないな、と。

上記の歌詞の曲は、小谷美紗子さんという方の、『こんな風にして終わるもの』という歌でした。近所のCDショップに行ったけれど手に入れられなかったので、明日、仕事帰りに大都市に出て探してみるつもりです。

何で、この曲が私の心に響き、ずっと憶えていたのかは分かりません。誰のものかも分からずに、歌詞も、メロディーも鮮明に覚えていて。
でも、『好き』という気持ちは、そんな、理由などつけられないものなのかもしれません。



『こんな風にして終わるもの』

ようやく知ることのできた曲名から、今までの自分の恋を思い出し、少し泣ける思いがしました。高校時代に初めて付き合った人との終わりを、付合うか付合わないかのところで自然消滅した人のことを。
初めてお付き合いした人のことを思うと、今でも胸を締め付けられる。自分から手放した、はじめての恋。別れの理由は、何本もの糸が絡み合ったもので。何より、私の親友とも付合っていたということが最大の理由で。私と彼女は、彼よりもお互いを取った。私はカエがいいと言い、カエは奎佐がいいと言った。
私とカエの仲は今も続行中だが、彼とは音信不通。だけれども、彼を一概に責める気にはならなくて。苦いけれども、あれはあれで、とてもいい思い出になったのだと思う。全身全霊で、それこそあるところまでは盲目的に、泣きながら好きだといった相手。一生忘れられない。

恋の終わる瞬間というのは、意外にあっけないもので。本当に、『さめる』という表現に尽きる。
覚める・冷める・褪める。どの『さめる』もうまく当てはまるもので。

人は、『さめる』ことがある『恋』を、何度でもしてしまう。同じ過ちを繰り返してしまうこともある。
そんな愚かさがあるからこそ、誰かを好きになる行為が楽しめるのかもしれない。学習ばかりしていたら、前に進む勇気を無くし、厭世的な人生になってしまうのかもしれない。

私、一生誰かを好きでいたい。「終わり」があるのなら、「始まり」はあるはずなのだ。私はそれを「必ず」のことであると、信じていたい。


2002年07月17日(水) あなたのひとみにうつるわたしは、いったいどれほどきよらかなんだろう?

人に言えない秘密なんて多すぎて、隠し持ちすぎて。
自分でその場で思い出し、数え上げることすらできない。

本当に『いい人』なんて、この世にはいないんだと思う。誰しもがどろどろした何かを胸の内に抱えているだろうと思う。きれいな人間なんて、いない。強いて言うのであれば、そのどろどろをどれだけ他人に悟られずに生きているか、より悪いことを考えない思考者が、いわゆる『いい人』と称されるのだと考える。

私は、医療保健福祉分野で働く人間だが、『いい人』では決してない。努めて「悪いことなど考えていないと錯覚してしまうような『いい人』」を演じているだけだ。
プライベートでは悩みながらもどこか楽しみながら人の気持ちをもてあそぶし、昔のことだが、恋愛関係で女友だちのことだって裏切りさえしたことがある。
援助している人に「またそんなことで悩んでるわけー?」と言いそうになったこともあるし、「この人きらーい」と思ったことだってある。
それでも、笑顔を絶やさず、時に厳しく諭す顔で、対象者たちに接している。

うまく生きていけるかどうかは、どれだけ自分の心にカヴァーをできるかということだ。だけど、そのカヴァーの下の私を知って欲しいと思うこともあって。だけど、すべてを誰かに知られたら、きっと生きていけない。絶対に死んじゃう。すべてをさらけ出そうとしてはいけないのだ。

そう、それは例え、親兄弟であっても、恋人であっても。


2002年07月15日(月) 「どかんと一発」というか、「どかんと景気よく」というか

「どかーん」

突然ですが、私、真心ブラザーズ好きなんですよね。昨年12月のライブにも行ってしまったくらい。
それで、「どかーん」。
まだ私が10代だった頃、「ニュースステーション」の野球コーナーで、

『どかんと一発 やってみよ〜お〜よ〜』

『ずっとやなことが頭をかすめてエエ〜 ゆううつなきもちがひろ〜がってゆく』

等々の歌詞で流れていた曲。聞いたことがある方も多いんではないかしら。男くさいような、なんとなくそこはかとなく感じられるなよなよっちさ。そのくせ歌詞はかわいらしくつぼをつく。そんな印象で、私、真心ブラザーズ好きなんざんすよ、2年ほど前から。でも、アルバム全部は持ってないんですが。
だから、この「どかーん」て曲が真心ブラザーズが歌ってたってこと、一昨日知ったんですわ。彼氏さまと行ったラブホテルのカラオケで。

『真心ブラザーズ』を引いて、「どかーん」て見たとき、「あれ?」って思ったんですよね。

「どかーん? まさか・・・」

まさかと思いながら、リクエストしてみて、流れてきた曲に驚愕。

嗚呼、運命って素晴らしい。



だから、今度は私、6〜7年ほど前、早朝のラジオ番組のオープニングか何かでかかっていたあの曲を知りたい。

『お願い あの場所だけには 新しい彼女を連れて行かないで
あの場所だけが 証言してくれる あなたが私を愛していたと』

星の数ほどある曲の中から、自分の好きな曲を探すって難しい。それこそ、心の琴線に引っかかった曲など忘れた方がしあわせなくらい。


2002年07月14日(日) デートの後、メールで

1年7ヶ月ぶりに切った髪型を、デート後、「面と向かってはあんまり言えなかったけど、めっちゃよかったで」と彼はメールで送ってきた。ものすごくびっくりした。

メールって、本当に便利。直接には言えなかった言葉を、伝えることができる。
伝えられて、しあわせな気分になった私は、やっぱり言えなかった言葉を彼に送った。

私たち、こんな簡単な行為でお互いしあわせになれるなんて。


2002年07月12日(金) 荷物の少ない人選手権でいつか優勝してみたい

私、荷物の少ない人間なんですよね。そりゃもう、他人と比べて「私、何か忘れ物してる?」って思ってしまうくらい。旅行時も、それこそ家具も。

旅行用荷物なんて、他人に比べると顕著に少ない。彼氏さまよりも少ないと分かったときにはショックだったが、汗をかきやすいので替えのTシャツが数枚入ってると聞いて、ほっとした次第。
女友だちと旅行となると、「何で奎佐、そんなに荷物小さいの?」と言われる。わたしとしては、「あんたはどうしてそんなに大きいの?」って気分だ。
試供品サイズの化粧品、日数分の洋服の着替え(パンツやスカートは夏でなければ1枚のみ、来たまま)、日数分の下着の着替え(2〜3日ならブラジャーは1枚)、靴下・ティッシュ・ハンカチ、折りたたみ傘。これらを2〜3日旅行用っぽいバッグに入れる。私にとって必要最低限入れても、バッグの1/2は空く。
友だちは、もう何も入る隙がないほどの荷物でくる。決してバッグが小さいわけではないのに。
海外旅行のときなんか、大変だった。私はスーツケースの2/3が空いていた。スーツケース旅行の理想は行きは1/2空いていて、帰りは全部かるく埋まるくらいと聞いたことがある。私は帰りも隙間ができる。友だちは、手荷物が増えている。なんか不思議。
でも、私、旅先などで「嗚呼、忘れた!どっかで買わなくちゃ!!」ってなったことはほとんどないから、これでいいみたい。
一体、みんなと何が違うんだろう。今度、友だちと旅行するときには、バッグの中を比べっこさせてもらおう。長年の謎が解けるかも。

私、家具自体も少ない。今、家には4.5畳と6畳の部屋があるが、家具はテーブルに椅子2脚、コタツ兼テーブル、テレビ&ビデオ(気に入るテレビ台が見つからず.現在床に置きっぱなし)、折りたたみ全身鏡、座椅子2つ。それだけ。たんすは押入れが広いので押し入れようたんすを購入し、使っている。押し入れ用組み立て式ハンガーかけも設置した。なので、部屋全体の空間は活かされており、どっちも広い。
別に、お金がなくって買わないわけでもない。高級家具は無理だけど、見てみたらスーパーの特価品くらいなら買えるお給料だから。
短大時代、下宿していたときも、1Kの部屋だったのだが、やけに荷物が少ないと友だちに言われていた。確かに、壁がなくなるほど家具をみんな入れていたので、それと比べると、私は荷物やけに少ないわなあ、って思った。でも、不自由していなかった。
なんだろ、私。気に入ったものさえあれば、余計なものは要らない人間なのかしら。でも、どうでもよさげな細かいものはチョコチョコ購入してしまい、整理に困ることもあるのだけれど。
きっと、目の付け所が違うんでしょうな。興味あって買ってしまう部分とか。

そして今日も、午後から2泊3日の旅行だというのに、やけにバッグががら空きで、再度荷物点検してしまったり。でも、追加で入れるもの、何もなかったわ・・・うーん。


2002年07月11日(木) 髪芸術屋さんに行って

早朝からの暑さにめげました。

今日の仕事はセンターからチャリで20分のところに行くことから始まりました。20分・・・それは、炎天下の中を20分走るということです。しかも、電動機付自転車ではなく、前にも後ろにもかごのついているママチャリです。

私の髪の毛は、顎から下20センチのところにありました。もうすぐ、腰につくくらいでした。それだけ長いと、ひとつにくくっても重くて、いわゆるポニーテールをすると下方にずれてくるという感じでした。お団子しても、大きいお団子になり、かわいさはかけらもありませんでした。
1年と7ヶ月、美容院に行くのが面倒で伸ばした結果がそれでした。

暑い中、田んぼ道をママチャリで20分。その間、私の黒髪は背中にあり、目的地に着く頃には、ワイシャツは髪の形に汗ばんでいました。

だから、私はとうとう決意し、本日仕事帰りに髪を切りました。初めて行った美容院のお兄さんは、私の見事なまでのストレートの黒髪を切ることを「もったいない」と賞していましたが、ぎりぎりひとつにくくれるくらいの長さにまで切ってもらいました。ついでに、いっぱい漉いてもらいました。

ようやく、切りそろえもしていなかった髪の毛ずるずるの暑苦しい女から、涼しげな女になりました。

明日、職場でどんなうわさが流れるのか、とっても楽しみです。彼氏のいないことになっている佐々木奎佐には、実は男がいたのではないかと勘ぐられそうな気がします。

いえ、彼とは別れてないです。だって明日から、大阪・京都デートですから。


2002年07月10日(水) 佐々木(仮)家の人々 〜 母とふたりでディズニーシー

今夜あたり台風が関東に上陸するとか。よかった、先週じゃなくて。

実は先週の水曜日、夏期休暇全7日取れるうちの1日を使って、母と東京ディズニーシーに行っていた。ランドの方なら約1年に一度は行っているのだが、シーは初。初 Tokyo DisneySea 体験だった。
梅雨時だから雨降ったら困るな〜って、ドキドキしながら当日を迎え、くもっていたので決行した私と母。東京都某市と神奈川県某市から、シーに向かってメールで「今どこそこ」と連絡しあいながら待ち合わせをした。

シーはとっても空いていた。どれも、ファストパスの設置されているアトラクションすら、10〜15分待ちだった。学生さんが夏休みに入らぬ前の平日に行こうよ、と言った母は正しかった。一応ファストパスも取りながらあちこち回り、私と母は結局、目ぼしい乗り物には全部乗ってしまった。
ストームライダーもクリスタルスカルの魔宮もミスティックリズムもシンドバッド・セブンヴォヤッジもキャラバンかルーセルもフライングフィッシュコースターもマーメイドラグーンシアターもブルーフィッシュ・バルーンレースもリドアイル・ミート&スマイルもセイルアウェイもみんな、乗ったり見たりして楽しんだ。
シー未体験の方は、どうぞネット検索でもしてみてください。うち、画像ないので全部をうまくお伝えできないので。

私のお勧めは、ミスティックリズムというショー。パンフレットによると、『ジャングルを舞台に、精霊と動物たちが繰り広げる幻想的なダンスと空中バレエ』。いや、アルバイトのおねいちゃん・おにいちゃんたちのダンスとはちょっと思い難い、なかなか見ごたえのあるダイナミックな舞台でした。これを見て、私と母は、劇団四季の「ライオンキング」を見てみたくなりました。感性的に、そんな気になったんですな。私のおごりで、そのうちチケットを取る予定となりましたわ。

あとねえ、とっても楽しかったのが、セイルアウェイという、これもショー。ミッキーの豪華客船の船長としての初航海を祝うお祭りというコンセプト。これ、実はショー自体でなく、ショーを見ていた私と母の隣にいた家族連れの子どもさん(推定2歳の女の子)がね、とってもかわいくってかわいくって。
ミッキー・ドナルド・グーフィー等のかぶりものが客席に手を振りながら舞台に現れるたび、その彼女、ベビーカーから一生懸命手を振りかえすのよ。それもさ、笑顔で手を振るんじゃなくて、もう、なりふり構わず、義務かなんかのように余裕のない、怖い顔でね。それがとってもかわいくって、私と母のココロノツボを押しまくりで。幼き子のかわいいしぐさを十分に堪能してしまいました。


そんなこんなで、今夜は台風。大雨洪水警報でてるし、熱帯夜もいいところ。明日の予想最高気温は33〜34℃。もう、バッテバテ。


2002年07月09日(火) ココロの中を水がポチャポチャ

恋だ愛だと燃えるのは、人生のほんの一時のことなんだと思う。

市保健師やってると、ほぼ毎日が赤ちゃんとそのママ天国。妊婦・産婦・褥婦、胎児・新生児・乳幼児と出会う毎日。そりゃ、お年よりとの接触もあるが、その人数を上回るミルクくさい人々。父はあまり登場しない、保健師と母子の交流。乳幼児がいる母は、もう妻や女の座を忘れてしまっているように思います。
しかしねえ、赤ちゃんて本当、かわいいねえ。例え、オムツはずした途端おしっこかけられても、よだれで胸元べたべたにされても、奴らが相手なら、無条件に許せるわ。にたり、っていうか、にやり、って笑われると、もうあまりのかわいさに、ついついぎゅうぎゅう抱きしめちゃう。
そんなこんなで私、自他ともに認める子ども好きなわけで。先輩保健師方には、「佐々ちゃんは2年以内に子どもがほしくて結婚するよ」と予言される始末。今の相手を子の父にしていいもんだか分かりかねている私にそう言われましても、「そうですかねえ・・・」としか返せない。しかも、職場では佐々木奎佐は彼氏なしということになっている。
でも、お付き合いすることと、結婚することって全然違うってことを、あちこちの家庭を見ていてよく理解した気がする。

ふたりして高校中退して子どもを産み育てようと思うほど愛し合っていたはずなのに、ひとつの家庭に収まった途端に結婚生活が破綻したり。
籍入れただけで、最初から別居で8人も子どもをもうけた挙句に離婚してみたり。
19歳年の離れた人と結婚した途端に脳出血で倒れられて、新婚早々相手を介護する羽目になったり。

世の中って何が起こるか分からない。自分の人生に起こる可能性だってあるわけで。
いい人そうだと、この人とならやっていけそうと思ってもだめになることは多々あることで。
だから、子どもほしくても、旦那はどうかなあ、って思ったりして。いやはや。

よく考えてみると、毎日一緒にいる相手にドキドキをずっと感じていたら、ホルモンの出すぎとある種の緊張で、疲れてしまいますわな。そんなんじゃ、同じ屋根の下にいたらうまくいくと思っていたはずのものでも、いかんようになっちまいますわな。神経磨り減っちゃう。
だけど、本当に結婚してみたいのかと問われたら、躊躇する。ひとり暮らしが性に合っていることを思い出してしまったからなんだろうか。実家にいた頃は、仲良し夫婦(両親)を毎日見ていたんで、結婚ていいなあって思っていたんだけど。
必ずしも自分も幸せになれるわけではないことを、いろんな家庭を見て実感しちゃったんだな、これが。

結婚するって、勇気いるね。大冒険だね。ある種賭けだ。
心底、結婚しようとする人を尊敬する。同じ人と結婚しつづける人を尊敬する。
私まだ、結婚はいいみたい。
自分のことで精一杯だわ。
それにまだ、もう少し今の恋を燃やしてみたいし。

でももう、24歳。今年末で25歳。妙齢。
幼稚園が同じだった、23歳で結婚したクミちゃんは秋に出産予定とうわさを聞き、なんか心ざわつく初夏、台風直撃予定日前夜。


2002年07月07日(日) 幸せを運んできた天ぷら鍋

とうとう本日、「片手天ぷら鍋」を購入し、興奮のあまりもう今夜は眠れない・・・ってこともないけれど。

夕飯の支度はわくわくしちゃってしょうがありませんでした。早速天ぷら鍋を使うためにさっさか洗ってよく拭いて、少しそのまま放置して完全乾燥させて、サラダ油をトクトク注いでやりました。本番です。
天ぷら鍋で揚げるものといったら、天ぷら、掻き揚げ、から揚げとかですな。お野菜もお魚もお肉も何でもござれです。私は早速、豚肉団子の甘酢あんかけ作るべく、ひき肉こねて団子作って、さくっと揚げてやりました。
ようやく、温かい揚げ物が食べられた瞬間、もう、やっぱり手作りはいいよねえ!って感想しかなかったですわ。うふふふふふ、熱々肉団子♪


そういえば、話は変わりますんですが、趣味「料理」って言うと、過剰反応する殿方多くて困っちまいますな。でも、私のはあくまで「趣味」であって、それをすることが毎日の仕事に近くなっている主婦のと混同されちゃ困りますわな。あくまで自分好みの自分のペースで作っていて、他人のお口に合うかどうかなんてこれっぽっちも考えてないですし。外のものを買ってきたり、食べに行ったりすることも結構ありますし。まあ、人がくるときだけ、人並みのものを作ろうかなあって気を使うくらいのもんで。
最近ねえ、私が彼氏持ちっていうこと知らない同僚が、知り合いの独身男性と会うと「趣味「料理」の独身女性がいるんだけど」って、私のこと持ちかけているようなんですよ。
あーもうっ! 余計なことせんといて!!!


2002年07月06日(土) こだわりの一品 〜 たかが天ぷら鍋、されど天ぷら鍋

私にはこだわりの品というものがあって、今日言いたいそれは何某のブランド品とかではなくて、ただただ色、素材、大きさなどにこだわる「こだわり品」というもので。
現在、私が探し回っている「こだわりの品」は、料理に欠かせぬ揚げ物を揚げる「天ぷら鍋」である。

「天ぷら鍋」と聞いて、人はどんなものを思い浮かべるのであろう。それは、一般的に広く売られ、使われている、上からのぞくと丸い、黒い鉄鍋に半円の銀の網がかかっている、両手で持つものではないだろうか。もしくは最近見かける銀かホーローか。しかも、ご親切なことに温度計もついていたりして。
けれど、私の求めあぐねている天ぷら鍋は違う。鍋自体の素材には特にはこだわらない。まあ、強いて言うのであれば、ホーローは重いのでちょっとご勘弁といったところだ。
私の好みは、「片手天ぷら鍋」なのだ。片手・・・だから、径が大きすぎても小さすぎてもいけない。16センチ以上20センチ以下。そうじゃないと、油を入れると重くて片手で持つと手首に負担がかかって水がたまってしまいそうだからだ(その手首に水がたまる疾病名を、ガングリオンという。思春期の多く、テニスとかでもなる場合がある。ちなみにうちの母は圧力鍋のせいで、40歳過ぎてから罹った)。
この片手天ぷら鍋、なかなかない。丸井・SOGO・パルコ・三和・アルプス・ダイエー・イトーヨーカードー・ダイクマ・ケイヨーD2など、デパート、スーパー、ディスカウントショップのはしごを約1ヶ月、何十軒して、ようやく2種類見つけられた次第だ。2種類のうち、1種類はお弁当用のとても小さいやつで、これは値段も手ごろだったが、少々大きめのとんかつが揚げられないので却下だった。
もうひとつ・・・そう、これが21センチの、網はないけれど温度計つきの片手鍋だった。少しだけ予算オーバーしていたが、どうしてもその形にこだわっていた私はそれを購入することを決意した。
しかし、それを見つけたその日、私はラタンの電気傘を持ち帰りで購入してしまっており、手が空いていなかった。だから、次回ね、と心の中で鍋に約束して家に帰った。
後日、私は片手鍋を打っていたスーパーに行った。知らずに行ったのだが、その日は台所用品2割引の日だった。
鍋はなかった。誰かに買われたあとだった。私は定価で買うつもりだったのに。

早急に天ぷら鍋を買うつもりでいたので、近所のスーパーの日曜朝市の198円大特価のサラダ油1リットルも買ってあった。100円ショップダイソーの油粕とりも買ってあった。カラッと揚げる天ぷら粉も、サクサクパン粉も買ってあった。
そう、あとは鍋を買うのみだった。すべての準備はなされていた。
いつ入荷されるのでしょうか、片手天ぷら鍋。店員さんに聞いてくればよかったのに、当日ブツがないことにショックを受けた私はそのままふらふらと帰ってきてしまったんですわな。本当、馬鹿です、私。妙なところで繊細で、凹みやすいです。

ところで、どうして片手天ぷら鍋にこだわるのかと言うと、以前一人暮らししていたときに使っていたのが片手天ぷら鍋で、実家で使っている両手天ぷら鍋よりも使い勝手がよかったからなんですわな。その鍋、どうしたのかというと、この4月に東北に行った妹に持っていかれてしまったんですわ。というか、うちの妹、私が短大時代一人暮らししてた頃の台所用品一式、持って行っちまったんですわな・・・お陰で、就職したてというのに姉は一から揃え直し。お玉からやかんまで、お気に入りの一品たちを揃えるのは大変でした。その日々も、ようやく終結が見え始めというのに。あることは分かっているのに手に入らないなんて、なんて高嶺の花な存在なの、片手天ぷら鍋。

早く、天ぷら鍋がほしいです。あの片手天ぷら鍋が。
コロッケとか鳥のから揚げとか天ぷらとか、早く熱々が食べたいです。食いしん坊の私に天ぷら鍋がない生活は、本当に味気のないものですわ。
ふう。


2002年07月01日(月) 少しだけ贅沢を

いくら技術職で同じ年齢で就職した人よりも少しは大目でも、初任給なんてたかがしれてる。
特に、私なんて4月にいきなり実家を出たもんで、給料の大半は新居のために費やされているのが現状。我が夏のボーナスは、同僚がバッグだ靴だと言っている間に、みな家電に消えた。
でもいいのだ。家電、好きな色とかデザインのにしたし。
当初の予算を少々オーバーしたが、秋葉原限定のデザインの家電が出回っているのをご存知だろうか? それを私は、冷蔵庫と洗濯機と掃除機セットで買ってしまった。そもそも、オレンジを取り入れた家電なんて少ない、というか、皆無だったのだ。そこに、私の好きなオレンジ色の入った可愛いデザインの家電があったら、もう買うしかないであろう。
だけどそれでも、予算オーバーしてしまえばそこからの生活は苦しいものは苦しいので、私は、電気屋のレジで「こんだけ買うんだから勉強しろ〜!!!」と粘り、約5,000円まけさせた。それでも予算オーバーには変わりなかったのだが。・・・嫌な客である。

だから、それのために、ちょっとばっか生活が楽しい。遊びに来てくれた彼や友だちに自慢しまくりである。飽きなんてくるわけがない。私はオレンジとピンクをこよなく愛する人間なのだ。暖色系統の人間なのだ。
カーテンも花柄ピンク。
オレンジとピンクの相乗効果で、なんだか部屋の中があったかい。冬にはとてもいい感じだ。
ただ、最近なんか色的に暑苦しい。梅雨真っ只中、私は部屋の中で夜、かなり腐っている。いかんいかん。もう少し涼しい色でも取り入れようかな。クッションカバーとか、夏っぽい涼しげな色と素材でも選ぶか。

そんなこんなで、毎日がとても楽しい。新聞の折り込み広告で安いものをみつけると、食材だろうと生活グッズだろうと見に行ってしまう。気に入れば即座に買うが、気に入るものはなかなかないから、探し回る覚悟も根性もある。

服とかバッグとかでは味わえない、生活の質を高める幸せ。
今、私はそれを楽しんでいる。


佐々木奎佐 |手紙はこちら ||日常茶話 2023/1/2




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