I think・・・(かくれ対人恐怖症にっき)



 ご近所さん

パートに行かなくなったわたしに近所の人がいち早く
気づきはじめた。
「え〜〜っ?やめちゃったの〜〜いいなぁ。。。
わたしもやめたい」とか

「ショック〜」とか

「なんか最近早い時間にふとんがとりこまれているから
そうじゃないかなっておもったのよ〜」
って。

よく見ているんだ〜〜って
ビックリです。
それに
わたしが仕事していることとあなたが
仕事していることはなんの関係が^^;


昔のわたしだったら、身近な人の目って
うっとおしいなって思ったかもしれない。
今も自分の存在をいちいち気にされるのは
ちょっとね・・とおもわないこともないけれど

わたしがいつも朝仕事に行っているのを見かけたりして
その人達もがんばろうとか
つらいのは自分だけじゃないぞとか
親近感があったのかも?と思うのです。

ときどき見かけるだけのアノ人は
知り合いじゃないけれど...
ときどき会う同じマンションの人とは
ぜんぜん親しくもないけれど...
ただひっそりと同じ地域に住んでるだけでも
お互い影響しあって
生きてるのかもしれないんですね。

それにしても・・・
また仕事始めたら
こんどはどこに行っていて何時までやってるのとか
聞かれるんだろうな〜
やっぱりちょっと
うっとおしいかも。

自分の私生活をそんなに親しくもない人に
ひけらかすのは心にちょっとひっかかってしまうけれど
そんなことオープンにしたくらいで
自分があけすけになるわけでないし。
なんたところでどうにかなることでもないし。

仕事先でいっぱい人と接したおかげで
ちょっと楽な
自分の人への抽出法を覚えました。



2003年10月31日(金)



 過去の人

人とのつながりや縁ってなんなのでしょう。
いろんな人と巡り会い別れゆくときに
わたしは
その後の自分を
その人々からの眼差しの中から
完全にクローズしてしまおうとします。
感謝の気持ちや想い出はあっても
その関係をいつまでも続けていくことが
得意でないのかもしれません。

そしてどこかで思うのです。
最後の最後のトコまで
私という人間をさらさずに
途中で消えることが出来てよかった・・・と

連絡がくれば会うこともあるし
楽しいおしゃべりにも
花が咲くのだろうけれど
新しい世界での自分と
過去の人(過去の自分)との狭間で
なんとなく違和感が生じて
くつろげなくなることもあります。

だけどこれじゃさびしいよね。。。
過去の人をそのままに
自分らしくある方法ってないのかなと
この頃考えてしまうのです。

過去の人たちとの間で
なにか伝えきれなかったこと
相手を受容しかねたこと
表現しきれなかった何か
これらに
強制的に蓋ができるのが
別れだと思います。
だから別れもキライではない。

だけどいつかきっと
相手をクローズさせなくても
そこに
ただただながれる水のように
あれたらいいなと
思っています。

次に人と出会うときには
そんな別れがしたいです。


2003年10月02日(木)
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