I think・・・(かくれ対人恐怖症にっき)



 薫る女

とっても感じのよい人がいるんです。

ガムで、それ自身には香りはしないのに
噛んでいると薔薇の香りのするガムってあるでしょう。
においの味。
そんな感じの人。

そんな人を見たときわたしは
不思議と
「好き」とか
「友達になりたい」という
鑑賞の仕方ではなく

言ってみれば女としてライバル視しちゃいます。

でも、まったくのその人の受け売りじゃなく
わたしなりにそうありたいなと思う。
いい人、にはたやすくなれるんだけど
感じのいい人になるのはむずかしい。
真面目であるのは簡単でも
誠実であるのがむずかしいように・・・

だけど、こんなことを
がっついて
語るわたしは
感じのよい人とはほど遠い
ヤな奴...です。


2003年01月24日(金)



 1%の魔法

仕事でも対人関係でも
つらいことや苦しいこと、
迷い、悩み事の連続・・・。
でも
たとえ99%が苦難だったとしても
あとの1%、思いがけなく
ときどきうれしいことがあったりなんかして


だけどその1%に魔法の薬がかくれている。
ほんのちょっとのうれしいことや
喜びでそれだけで
がんばろうとおもえるもの。

だから自分の力をどうしても
信じることができないときは
自分の単純さだけを
信じてみる。
あしたは1%のよろこびの日かも
しれないと・・・信じてみる。

それだけでも
わくわくしてきませんか?



2003年01月22日(水)



 厚意とのかかわりかた


仕事の都合で小学校の「下校パトロール当番」の日にちを
交代してもらいました。


その人は快く日にち代わってくれて、しかも
「パトロールのためにお仕事休まれるんでしょう?
だったらここだけのヒミツってことで、
私、両日やりますよ〜」って
申し出てくださったのです。

もちろん、そんなことをしてもらうつもりはありません。
そんなことを人にしてもらうのは
私の方の気が済みません。
(反対の立場ならまだしも、相手に
自分の当番までさせるなんてとんでもない...)
なので、
ほんとに代わっていただけるだけで
ありがたいですって伝えました。

だけど、私の言い方がきっと恐縮しすぎたのでしょう。
なんとなく相手も恐縮した風になって
「あの、よけいなことまで申してすみません」なんて
言わせてしまいました。
(よけいなことなんかではありません)

わたしはこの方に日にちを代わっていただいて
しかもこんな気遣いまでしてもらって
うれしかったのです。

うれしかった。。。

だから恐縮ではなく、「ありがとう」の気持ちが
伝えたかった。
ここで一番大切なのは
相手のやさしい申し出にたいする気持ちを汲んで
ありがとうの気持ちを伝えること。
恐縮ではなく...ね。
そうでないと、相手は勇気を出して席を譲ったのに
無視された人のようにさびしい気持ちになると思う。

極度の恐縮はまた
恐縮しか呼ばないけれど
ありがとうの雰囲気は、相手にもうれしい気持ちを
もたらすからこっちの方がずっといい。

なのに、なのに
ありがとうのニュアンスは
どうしてこんなにむずかしいんだろう。
あまりにも安穏とありがとうって言っていると
相手の厚意に甘えすぎているようで
落ち着かない。
この人の厚意に対する「落ち着かなさ」こそが
わたしが人とかかわるのが億劫になる
要因の1つでもあるのだけれど。


でも人にされてうれしいのは
恐縮よりも屈託のないありがとう・・・なんだ。


「すみません」って腰を低く恐縮するよりも
相手を喜ばせる「ありがとう」を
上手に伝えられる人になりたい。

そう、厚意をくれたひとが幸せなきもちになる
ありがとう・・・を。




2003年01月20日(月)



 筋道

『それじゃあ何言ってるかわからないでしょう!

 何がどうしてどうなったの?

 筋道を立ててきちんと話してごらんなさい。』
 
 わたしが子どもに対してよく言ってしまうことば。
 
 
 そう、
 筋道は大切。
 
 
 だけどふと
 人生に筋道なんてのは
 ない...
 と
 車の窓から
 追いかけてくる月を見ながら
 思った。

2003年01月16日(木)
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