I think・・・(かくれ対人恐怖症にっき)



 究極

そのことは

「したくない」のか
「できない」のか

自分で突き詰める勇気を持つ。

2002年12月22日(日)



 正論

この人の心の奥底には
人情とか一抹のジョークとか娯楽とか
ないのではないかと思えるほど固そうな人でも
人は常に正しさだけでは動いてはいない。

むしろ好きかキライかで動く。

どうして?
いつもドライで合理主義者なら
それで通してほしい。
こんなときばっかりすきだのきらいだの
分けわかんないことで判断しないでよと
思うこともあるけれど

正しくても採用されないこともあれば
正しくなくとも採用されることもある。

たしかに理不尽。
すごく理不尽だけど、

その理不尽さに
心がかたくなになってしまうのは
わたし自身が自分の「正しさ」に
こだわっているせいなのかもしれない...ね。


2002年12月20日(金)



 繋がり

なんとなく・・・
なんとなくだけど
この人はとげとげした感じだ、とか
時間がゆっくり流れている人だとか
何を話しても聞いてくれそう、だとか
人慣れしてる、とか

好きとかキライじゃなく
受ける印象、っていうものがある。
本来の性格には関わらず。


生まれてこのかた
誰も教えてはくれないこと。

それは
たとえば、

人を待っているときの待ちかた、
人と話しているときの視線の合わせ方
もしくは視線のはずし方。
友達と会う頻度。
凝視するでもない、微笑むでもないときの
相手にとって心地よい中間表情。
自分の中のルールの守りかた。
人のルールの受け入れかた。


これが、もし
仕事は責任を持ってすべき。
勤勉に勉強すべき。
といったわかりやすい基準ならば
わかるのだけれど


誰も教えてくれないこと
感じ方はいろいろなことだから
自分でさえこうありたいと思う雰囲気を
身につけていくことは
むずかしい。


だけど
きっとそんな曖昧な部分で人と人は
よりつながっているんじゃないかな・・・

それが深いつながりであればあるほど。



2002年12月03日(火)
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