I think・・・(かくれ対人恐怖症にっき)



 

今ここにあるコップをテーブルの上から
突き落としたとして
コップが落ちて大きな音をたてて割れる


...とは限らないのが


人と人との間柄ではないかな・・・と。



あの人にああしてあげたい
こうしてあげたいと
思うのは
大部分は人の立場を
自分の目で勝手に解釈して
そう思っているにすぎないのかもしれない。

だからなんとなく
咲くことを期待されずに
ぽつんと咲く花のように
なれたらいいのに。

2002年09月30日(月)



 強くなりたい?

強い人なんてはじめからいなくて
いるとしたら強くなろうとしてきた人
わたしもよくむかしから
ツヨイヒトって言われてきたけど
中身はすかすかで
強くなんてない。
でも強くなりたいと思う。
きっと
強い人に見える人=強くなりたいと思っている人
なんじゃないかな。。。


強さがあれば何でもできるような気がする。


だけど、ふと
「強くなりたいと思わない人」も
いるかもしれないと...

強くなりたくない人もいても
いいんじゃないかって
おもうのです。

強くなりたい人がいるのならば・・・



2002年09月27日(金)



 

あまりエレガントでないお話しなんだけど・・・
朝、6時
意識がうっすら起きたまま
毛布にかかとのざらつきを押しつけて
ああ、かかとと毛布の間に摩擦力が発生している、
と半分寝たまま思ったのです。


このざらつきは何とも言えない。
毛布をいたぶっているような感覚と
毛布にひどいコトしてるのに、どうしてあなたは
私にしっかりとしたリアクションをくれるのだろう?とかね。


生きていくってのはてごたえなんだな、と
毛布をいたぶりながらおもいました。

受け入れられる てごたえ。
聞いてくれた てごたえ。
愛している てごたえ。
愛される てごたえ。
傷つけて、傷つく てごたえ。
嫌われたという てごたえ。
失ったという てごたえ。


今日はどんなてごたえがある1日なのでしょう?
まだなにも記されていない今日がたのしみです。


2002年09月26日(木)



 いい人。

いい人でいることってやはり名誉なことだろうか。

人の役に立てるいい人
人からやさしいと思われるいい人
痒いところに手が届くいい人
いい人っていわれると
なんだかほめられているような
認められているような
きもちになるよね。
いやな人っていわれるよりは。。。

だけど
いい人になるのが
結果でなく目的になってしまうと
相手にとって「都合のいい人」に成り下がり
自分にとってはぜんぜんいい人でなくなるのでは
ないだろうか?

たまには、じぶんにとっての
「いい人」でありたい。


2002年09月23日(月)



 拷問?

なにか人から言葉やものをいただいて
その気持ちのお返しにと
次の機会にそのことに応えていく。
またあるときには、
こちらから何か言葉をかけたり
なにかを贈って
そのお返しにと
人から気持ちをいただく。
そのやりとりは
ああ、たしかに私たちは
ロボットではなくて
血の通った人間なのだなと思い
そんなやりとりをうれしく思う。
なぜか、無条件に。
うれしい。

だけどときどき
ふっ。。。とめまいがするときがある


「どうぞ、ありがとう」
「この前はありがとう、どうぞ」


「おはよう、いい天気ですね、失礼します」
次の日も
「おはよう、雨ですね、失礼します」
次の日も
また次の日も。
たぶん、その次の日も。。。
1年先までまとめて今日言ってしまいたい。

穴をほっては埋めるのくりかえしの
ロシアかどっかの拷問みたいに
人間関係も
ある意味先が見えすぎる拷問かも。。。
でもほんとは見えてないのだけれどね。

バイクにのってるとき
ガードレールばっかり見てると
ほんとうにガードレールにつっこむように

あしたもおはよう、失礼しますって
いうだろうな、と夜寝るとき思って
そして次の日思った通りの方向に
つっこむ。

こんな毎日をいちいち
うれし、
はがゆい、
はずかしい、
とこころの琴線にふれてしまうわたしのほうが
きっとどうかしているんだろうと
まわりの人たちを見て
思う。





2002年09月20日(金)



 次にあったときに

週末の子どもの運動会の競技に
「まめしぼり」がいるので
今日探しに行きました。
それにしてもまめしぼりなんてどこに売っているんだろう??
百貨店にはなし、スーパーの衣料売り場もないし・・・

学校に持っていくものって、
ときどきそれをどうやって急にもっていくことに?
というものが多い。

まめしぼり、小石、フィルムケース、にんじんの皮
新品のタオルで縫ったぞうきん、
トイレットペーパーの芯・・・etc
一般家庭には常備されていなくては
ならないものなのかしら。。。


と考えつつ、最後の頼みの近所のドラッグストアに行った。
ここは雑貨もたくさんある。
わたしが「まめしぼりはおいてありますか」と聞くと
顔見知りの店員さんが
「あ〜運動会にいるんでしょ、ここにはないんだけど○○って
お店にはあるとおもうわ」と教えてくださった。
そのお店を私は知らなかったので、再び聞くと
詳しく地図まで書いていただきました。
その地図のおかげで、
そのお店にたどり着くことが出来ました。

しかし、今日は定休日らしかった。

でも、「祭り用品あり」と看板に書かれていたので
あしたまた来てみようと思い、ホッとして帰りました。

まめしぼりを買って、またドラッグストアにいったら
レジにいつもいるその店員さんに、無事みつかったことと
お礼をいいたいな。
わたしは住む土地に顔見知りがたくさんできることも
特定の店のお得意さんになることもキライだけど
その人には「ありがとう」って言いたいな。
言えるかな。
言えそうかな。
なんだか言えそう、

言いたい。


2002年09月17日(火)



 わがまま

ものごとを成就させる人や幸せ(?)な人は
わがままなひとが多いと思うのは気のせいだろうか?

考えてみればそれはそうかもしれない。
わがままにもいろいろあるけど、わがままは
ある意味自己の欲求に素直ってことになるから
中途半端に妥協するひとよりも夢に近くなるのは
当然のことかもしれない。
自分の思っていることをどれだけ正当化できるか
どれだけ意志を通すことに迷いがないか
これが決め手なのかもしれない


2002年09月12日(木)



 鳥かご

他者との会話の中で
楽しい気分になったとき
その楽しい素直な気持ちのまま
いられたらよいのにね。

会話が楽しかったのは
相手がわたしというお客さんのために
マナーとして用意した「鳥かご」なんだと
思ってしまう。

その鳥かごの中で一瞬あそんでもらっただけ。
そうおもって
いたたまれない気持ちになって
すーっと氷のように気持ちが引いていく。

...でも
そういえば私も他の人に
鳥かごを用意するときがあるわ

それは敬意であったり
最低限の自分の演出であったり
自尊心をくすぐるお作法であったり
本心を隠すための保護色であったり

...いや、単純に楽しいだけであったり

いろいろだけど

こういう感情のオン・オフを
ちょっと寂しく感じたりするとき
微妙な不安に気分が揺れる。

2002年09月10日(火)



 失点

何かに失敗したときは
もちろんその中には自分を反省すべき点が
あるのだけれど
悪い点ばかりじゃなかったはずだ。
その過程には
よい点もあったはず。

悪い点ばかりにめげず
よい点ばかりにあぐらをかかず

これって人とつきあっていくときの
バランスみたい。
悪い点ばかりを批判せず
あの人はよい人だからと、妄信的にならず。
これが一番相手を尊重する事になるのかもしれない。

自分とのおつき合いも
やっぱりバランスが大切。

2002年09月03日(火)
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