I think・・・(かくれ対人恐怖症にっき)



 沈黙

誰かと話していて
自分から発している言葉によって
自分自身が振り回されているような気がしてしまう
ときがあったりする。

何も話せないのに、心地の良くないことを
話すことはない。
そんなときは迷わず沈黙を選ぼう。
不審と思われても楽しくない人と思われても
そのほうがきっと
わたしらしい。

2002年05月31日(金)



 good idea

顔で笑ってこころで泣いたとしても
どんなに内面が混乱しているときでも
平静をよそおってなんでもないわよ
って顔をすることは

不正直じゃなくて
粋なんだ。。。とおもってみた。



2002年05月28日(火)



 嘘つきの価値

他人がウソをつくと
したたかに生きていくための爪を
隠し持っているように見えて
かっこよくさえある。

しかし、わたしがウソを1つでもつくと
どうしてこうもまぬけな
単なる大ウソツキになりさがるのだろうね。

たったウソ1つとってみても
人と優劣がついてしまうのは
いわれもなく
顔の美醜を指摘されたときみたいで
さみしいね。。。


2002年05月24日(金)



 灯り

薄暗くなってから家路についたとき
ふとよその家からさんまの焼けるにおいが漂ったりしてくると
空腹と孤独といろんなことがいっぺんにやってきて
悪いことを何にもしてなくても
なんだかごめんなさい・・・ってあやまりたいきもちになる。


無数にあるかのように見えるマンションの窓も
昼間はこっちを睨んでいるかのように見えるのに
夕方になると
虫食い状に灯りがともる。
その灯りをぼーっと眺めてると
それぞれの人たちがそれぞれの人生に
毎日必死で灯りをともしているのを
垣間見るかのよう。


わたしと違う他人の灯り。
何に必死かはいろいろだけど、
必死で灯りをともす様子に
一瞬同調しようかとおもう。
でもどこかよそよそしげで、硝子のように冷たく
それぞれにあったかい。
同調しようとうらやましかろうと優越感に浸ろうと
そこに一線がある。


さあ、うちに帰ってあかりをともそうか。


2002年05月23日(木)



 愛想笑い

愛想笑いはむなしかったり疲れたりもするけど
案外捨てたもんじゃないかもしれない。

笑っているうちに、緊張がほぐれて
ほんとうに笑ってお話しできたりするときもある。

そして・・・
お互いが不安に駆られないための
保険のようなものなのかもね。



2002年05月21日(火)



 つよい人

自分が追いつめられて1人になりたいとき
勝手に1人になりたいくせに
自分は暗い和室にいて
ふすま1枚へだてた向こうでは
大宴会をやっているような感じがしてしまう。

一人一人の人生なんて
他人に見えているとおりじゃないよね。


どんな状況におかれようとも
じぶんのことをこれっぽっちも
みじめだなんて
思わない人が
やっぱり強いのだろう。

あしたは光の方を向けるかな...

2002年05月19日(日)



 あやつり人形

言いにくいことを伝えなければならなかったり
どう行動したらいいのか自分の本心も
わからなかったりするときは
まわりの人だったらなんて言うか、
どう行動するかを
想像してその操り人形になってみる。
たとえば「断る」という行為がとても苦手なのだけど
あの人だったらこんな風に断るんじゃないかな?という
予測通りにやってみたり・・・
今日は誰とか風、なんてね。

十代のころはそのとき人気のある有名人をそれに見立てて
いたこともあった。
ファンとかじゃ全然ないのだけど、あの人だったらこんな風に
インタビューに応えそうかなと思ってわたしもそう演じてみる。

こういうことをしていると
どうあればよいのか一瞬自信がなくてわからない自分が
麻薬でごまかされるように楽になる
楽になるというか、自分が自分のゴーストになれるので
深く考えるのをやめられる。
物事を深く考えるってことは
いいことばかりじゃない。
考えを深く巡らせてると
自分が自分で用意したぬかるみにどんどんはまっていく。

でもなんか変。
自分の好きな人をお手本にしてるんじゃなくてほんとうは
強烈なイメージをもつ人ならだれでも良いのかもしれないから。

確固とした自分を持つ人とわたしのちがいは何?
人は信じられても
自分の答えに自信を持つやりかたってどんなのだろう?

苦悩は黒々と深く流れる川のようにつづく。



2002年05月18日(土)



 オモテとウラ

人には裏表があってもいい。

裏には裏の
表には表の
あなたなりのこころを

わたしは信じるからね。



2002年05月16日(木)



 理屈かもしれないけど

人との関わりの中で、
どこからが「迷惑」で
どこからが「親しみの表現」なんだろう。

どこまでが「厚意に応える」ことで
どこまでが「ずうずうしさ」なんだろう?

たとえば、新しく知り合った人に今度遊びに来ない?って
誘われてもたぶん3度くらい誘われるまでは
じぶんからは行かないほうだと思う。
でも、相手の人がとてもさそい上手なひとで
しきりに誘ってくれたりしたら
1度だけのお誘いでも行ってしまうかもしれない。
けっこうあいまいなものだ。

もしもこまっているひとがいて、わたしのほうがそのとき
役に立てる立場なら構わないのだけど
自分がこまっているときに、
手をさしのべてくれる人がいたら
いったいどこまで人に甘えてもよいのだろうか?

上手に甘えることはきっと滑らかな会話以上に
人間関係に潤いと豊かさをあたえてくれる。
自分ばっかりカードをきるのではなく
相手にもきってもらって、
いっしょにカードゲームをたのしむような。。。
こんどはわたし、つぎはあなたの番ね、
っていうやりとりは
ときとして面倒で億劫なときもある。
だけど、めんどくさいことをすべて排除して
自分だけがカードをきるより
相手をたいせつにできる豊かな世界がひろがってるのよね。
(なかなかできることじゃないんだけど・・・)

「相手にカードをきってもらう」
ここまではいいとしても
そのあと互いに楽しむ術をしらないわたしは
いつもそこで立ちつくしてしまうのだけど...ね。

人と人との許せる距離感はそれぞれに
ちがうものだとおもうから、
あることが迷惑かどうかや、その人との距離は
それぞれの人との関係の中で
オーダーメイドでつくりあげていかないといけないんだね。
きっと。


2002年05月15日(水)



 いつかできたらいいこと

人にもっと思う存分
弱さをださせてあげればよかったとおもう。

弱さをだす「相手」にわたしをえらんでくれて
ありがとう・・・



自分が強くて人が弱いとき
ちょっとばかりふりまわされたり
同じように弱いということでしか
相手をなぐさめられなかったりする

でも相手が泣いているときに
一緒になくことだけが
なぐさめる方法ではないかも。
今自分が強いことに奢らず、かといって謙遜しまくらず
自分のある立場から冷静にその人のことを
考えるって方法があってもいいと思う。


自分が弱くて相手が強いとき
うらやましくて背伸びばかりして苦しくなる。
だけど、
わたしは弱いわ「今は」と
期間限定で認めてしまえたときは楽だった。


人の強さにも弱さにも
たじろいだりせずに
たがいの強さや弱さをキャッチボールできたら
どんなにすてきだろう。

いつかできるかな・・・そんなこと。
きっとできそうな気もする。



2002年05月14日(火)



 さりげなく・・・

どうしていつも
さんかくの積み木を
むりやりしかくのいれものに
しまうような
無理を重ねてしまうんだろう。


池に鯉を放つように自然にゆるりと
さりげなく
こころをときはなてたらいいのにね。



2002年05月13日(月)



 ものさし

人からどう思われているかは気になるけど
自分が自分のことをどう思うのかの方が大切。

いつのまにか人からのものさしでしか
じぶんをはかれなくなって
じぶんのものさしをわすれてる。

たぶん、

人はその人の見たいように
物事を見ている。
だからこそ、
「私」の見方がたいせつなんだね。

そして、

わたしが見ている「人」も
私が見たいようにしか見てないってことも
わすれないでいよう。
見ているその人=本当のその人
ではないかもしれないから・・・



2002年05月12日(日)



 忘れていて

いちいち何もかもが照れくさい、はずかしい。

知ってる人が向こうから歩いてきて、
こんにちはって言うには、だいぶ距離が遠いとき。
でも知らん顔ってできない。
相手もこっちもその存在には気づいていて。。。
こんなときは、何処を見ながら歩けばよいのだろう??
ふつうのひとは、どうしているの??
互いが気づいてから、挨拶ができるまでのタイムラグが
とってもはずかしい。

いきなり顔見知りの人に会うのも時と場合によっては恐怖。
エスカレーターでふと気づくと、前に知り合いの人がいたら
上りのエスカレーターでも、迷わず1人下っていくだろう。
肩をぽんぽんってたたいて、挨拶する勇気はあるときとないときと...

こんなわたしでもいっちょまえに立ち話の話に入っているとき。
なんか人と共通の結界にいて、
上手にお茶を濁しつつ表面の気持ちいい会話をする。
なんだか照れくさくって逃げたくなる。

そうそう
お隣に子どものお友達家族が越してきた。
なんだか、窓の開け閉めの音でも存在が伝わるのだなと
思うと、網戸なんかそ〜っとあけたりして。
だけどけっしていやではない。

私の毎日はなんだかおにごっこかかくれんぼみたいだね。

人の記憶のキャッシュにのこるのははずかしい。
みんなわたしのことを忘れていてほしい。
みんな、みんな・・・


2002年05月11日(土)



 心が転んでも

他人のことを非難したくなったり
自分をじりじりといじめたくなったり

そんなときは

こころがやさしさを求めているんだということに
気づいてあげなければね。
それに気づくって実はすごい勇気だよね。

そして、たまには
自分の頭をなでたっていいじゃない?
あたたかい飲み物で自分に
お疲れ〜っていってみるのもいいかな?

そうやって
あしたも生きていこうか。


2002年05月10日(金)



 嗚咽

人前であまりにも自分をおもてにだしすぎた
疲れと不安感から
うちに帰るなり、勝手に意味不明の涙がでてきた。
半分は泣きたくてしかたなかったんだけど・・・
泣きすぎて食事もできなかった。

人と人、何もおそれることなどないと思うのに
どうしてこうも、こころに苦みがはしるのだろう・・・。

すべてはわたしの世界観のせい。


2002年05月07日(火)



 自分イジメ

同じことが同じように起こっても
なんとなく余裕がある人とああ、たいへんなことが!・・・と
思う人といろいろいる。
わたしはまぎれもなく後者。
前者になりたいんだけどね・・・。
ずうっとずうっととてつもなく
なりたいんだけどね。

いつのまにやら、不安と動揺の泡で体中が
満タンになっていて
一呼吸おいて物事を見てみたり
そんな余裕と笑顔が消え去っているのがわかる。
それを無表情で隠しているものだから
なにがなんだかわからなくなる。

他人のすてきなところを見つけると
ああ、わたしはこれをもっていない、あれももっていない
と自分に欠けているところばかりを
自虐的に集中攻撃して自分イジメをしてしまう。
自分イジメはたのしい。
でもかなしい。
だけどたぶん、
あのヒトのよいところを持ってない欠けた部分が
わたしのわたしである所以なんだ。
欠けているところにこそ、自分ってものが隠れているんだと
信じたい。


2002年05月05日(日)



 勝手におもってるんだけど

ネットをしていてHPとか人の書く文章だとか見ていると
ああ、この人がいとおしい・・・と
おもうときってあります。

恋だの愛だの重たい友情だの、そういうのじゃなくて
相手が人でもそうでなくても男でも女でもいい。
だけどこの人がいとおしい。

宇宙人と宇宙人の意志の疎通のような
いとおしさ。

わたしのいとおしいひとたち。
どうかあなたからの発信をやめないで・・・


2002年05月02日(木)



 空を見上げて・・・

目の前にあるものは
愛情?それとも執着?

どっちも双子のようなものだけどね。

あの人が幸せならわたしは都合の良い女でいい。
そんな思いが
愛情とはどんどんかけ離れた世界を互いにつくっていく
あの人が幸せかどうかは
私の犠牲の度合いによってきまるのではなく
あの人がきめることだからね。。。

遠い空で
それぞれの人生をはじめる勇気
きっと持てるはず。

どちらかが優れていてどちらかが劣っているから
その恋がおわったのではなく
それぞれの自由をみとめる愛情のステージに
変わっていっただけだよ...ね。



2002年05月01日(水)
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