I think・・・(かくれ対人恐怖症にっき)



 やさしさのカタチ

見方によっては多少おせっかいともとれるけれど

そんなふうなやさしさのありかたもあるのだと

あなたから学んだよ。


2002年04月28日(日)



 疲れた...

何かがとてつもなく不安・・・
こんな日はどうすればいいのだろう
いやほんとうは、
不安なことの種は自分でもわかりすぎるくらい
わかっているのかもしれない。
でもそれを正視することがこわいのかも。

人がこうしてほしい、って思っていることが
手に取るようにわかるのに、
そのことにどうしても応えられないなと感じるとき
どうしたらいいのだろう?

いろんな人がいて、いろんな考え方があって、それは当然で
なのに、ちがうっていうだけでこんなにも心に摩擦力を
感じてしまうわたしがなぜだかとってもなさけない。
人は自分とちがう考え方の人を憎むわけではないと
わかっていても
迎合するだけがいちばん上手くやっていく近道のように
思ってしまう。

できないとかわたしはこういうやり方なの、っていうのは
とっても勇気がいるね。
和して合せず、ほんとむずかしい。。。
だけど、たぶん
そういう違いの中で自分というものを見失わないことが
本当に人とつきあっていくってことなんだな、と
思います。


なんか・・・
今日のわたしはこれ以上思考がはたらかないみたい。
ぐっすり眠って元気になるわ。





2002年04月27日(土)



 たまねぎのドレス

おともだちがふえてね、うれしいわ。
〜ほんとうは少しだけコワイのです。


またいつでもいらしてくださいね。
〜せいいっぱいのはったりだ。


オープンマインド、
〜胸に息を吸い込みすぎてくるしい。。。


言うだけですっきりすることってあるかもよ。
〜言ってしまったら心の負担が増えるだけです。


相手につたわっただろうか
〜1匹狼気取りのくせして、誤解されるのはこわい。

一枚一枚、本音と建て前の吹き溜まりを
たまねぎのかわのようにはがしていったら
なにがのこるかな。。。

だけど、はがした皮をすてちゃうわけじゃない。
はがしてむいて裸になってすっきりしたら
また、わたしは拾いあつめて
たまねぎの皮のドレスを着てみます。
性懲りもなく。。。



2002年04月26日(金)



 たとえば...

すべてを知ることが必ずしも愛情ではないよね。


だれの心の中にも
きっと立入禁止区域ってあるのかもしれないから。。。

そんな愛情に上手に着替えられるようになりたいな。



2002年04月25日(木)



 ごめんね...っていわれたら

靴下を手洗いしながら、ふとおもいました。


幼児が自分の力ではじめて靴下をはけたとき
たとえそれが、うしろまえ逆でも満足そうな顔をします。
母親の手をかりないで自分がぜんぶできたってことに
心が満足を感じるのです。

「もっとこういうはきかがあるのよ」
と靴下を取り上げるよりも
すべてを見守って全部自分ではいたということを経験させることのほうが
そのときの優先順位は上。


日々の会話もそんなシーンがよくあったりなんかして。。。。
相手が「ごめんなさいね〜○○が△△しちゃって〜」と
言ったとき
わたしなんかは、人にあやまられるとどうしていいかわからなくなるため
「そんなことないわ。○○□□よ。」と相手の言葉を遮るがごとく
いってしまうときってある。
あやまられてどぎまぎしているのと、相手にあやまる言葉をいわせたくないって
無意識におもっているのかな?


だけど、相手は今、「あやまる」ということを達成したいのかもしれない。
あやまることで伝えたい。
あやまってみたい・・・

そんなときあやまられた側は、はやるきもちをおさえて
あやまられてみるといいのかもしれない。


そして

相手がぜんぶを言い終わった後でもいいよね。

「そんなことないわ。気にしないでね」って
キモチを伝えるのは。。。


2002年04月23日(火)



 やたら心の準備がいるひと

たとえば、朝の9時から仕事だったら
いかに時間に余裕があるときでもそれ以前に人と立ち話をしてから
仕事に行く余裕みたいなのは、わたしにはないな...。
100%キモチの照準を仕事に合わせておかなければ、
あとあとこころがもたないな・・・。

人と待ち合わせが12時だったら、
最低限11時から心はその待ち合わせ場所にいる。
とても、ちょっとついでに郵便局に行って
書き留めだしてきたのよ、なんてことはできない。
わたしのこころは、もう何日も前からその人との
「約束いろ」に染まってしまう。
どうしてこう融通がきかないんでしょう。。。

すっごく急いでいるとき。
もし電話がなったら、親しかろうと親しくなかろうと
私は電話に出られない。
忙しいってことを、相手の気分を悪くさせないように
言える自信はないから。
(一瞬迷ってしまうけど・・・)
もし、受話器をとってしまったら、
1日中自分の受け答えに対して
こういえばよかったと悩むような気がする。


なにごとも人一倍準備と余裕がいるみたい。


ヨソノヒトはみんな涼しげな顔で
わたしがむずかしいと思うことを
いとも簡単にやってのけているような気がしてしまう。

もしかしたら
とっても簡単なことをわたしは
いつもむずかしくかんがえているのかな?
ああむずかしい、むずかしい、と思って
「むずかしい」ってことを考えているから
「かんたん」ってことに気がつかないのかしら。。。

長年のクセだけど、その本当の理由ってわからないのです。

2002年04月21日(日)



 give&take

遠慮のしすぎも逆に人に気を使わせてしまうことってあるみたい。

人に何かをしてもらったとき
ありがたい、うれしいというきもちと
ああどうしよう、それ以上のことをわたしは返せるのかなと
いう心配とが同時にでてきてしまう。

たとえば、人から旅行に行ってきたときのおみやげをもらったら
単純に「まあうれしい、おいしそう!」とまずはうれしい。
でも、それと同時に
「ああ・・・こんなすてきなものもらっちゃって、わたしは当分
旅行なんて行く予定はないし、お裾分けでとかでお返ししたいな〜」
という漠然とした思いが時間をおうごとに
心のおもしや強迫観念にさえなってきて、苦しくなってしまう。

どんなお返しをすればいいか

ということが大きくのしかかり、その事が達成されるまでは
ものすごく拘束されてたきぶんになってしまう。


もちろんこんなことは贈り物をくれたひとには内緒の内緒。
せっかくわたしに贈ってくれたというのにまったくね〜
わたしったら器がちっちゃいんだから。


自分が相手より多くのことをgiveしているときは
安心なんだけど
どうしてこんなにtakeが苦手なんだか・・・

相手がgive役のときは
take役を気持ちよくできればいいのに。
giveさえしてれば、礼をわきまえていることにはならないんだよね。
相手がgiveしてよかった...と思わせるような
度量の大きいtake。

これがわたしの課題なんでしょうね。

2002年04月20日(土)



 排泄ブツ

わたしのにっきって
ほとんど排泄行為だね・・・。

いつも排泄物をまき散らしてごめんなさい。
懲りずにこうやってまたかくわたしは
排泄物愛好家なのかしら・・・ね?

予測しなかったことを訊かれたり
しゃべるハズのないことをしゃべったりしたときって
どっと疲れる。
よけいなことばかり言ったのではないか、と
じわじわと後から自分の心を痛めつける行為が始まる。

じぶんの吐いた言葉、書いたことを愛したり末永く責任なんて
もてない。
言うことや書くことは、すべてよけいなことだから。
では、よけいじゃないことってなんだろう?
それはきっと言葉にならないことなのかもしれない。


だけど、わたしは他人の排泄物は愛す。



2002年04月18日(木)



 Myパートナー

こんな孤独癖のわたしにも、パートナーがいる。


パートナーと昔はよくけんかをした。
生まれも育ちもちがうのだからあたりまえといえばあたりまえ
なのだけど・・・

今ではけんかをしなくなった。
それはたぶん、何かに食い違いが起こったとき
自分の思いを知ってもらえればいいだけなのか、
意志を通したいのかの違いをその場で判断できるようになったから。

...女

そんなこといちいち言わなくてもわかってよね、
言ってやってもらうのなんてうれしくない。

...男

言わないとわからない。
やってほしいことがあるのなら素直にたのめばいい

男と女の間柄ではしばしばこんなすれ違いがある。
どっちかが一方的に悪いということでもない。

だけど・・・

けんかによって100%相手をやりこめたとして
いったいなにがのこるのだろう?
いまここで、自分の正当性を
口論で勝ち取ることが目的なの?
と自分に問いかけてみると

心の中で、なにかをぐいぐい力任せに引っ張ってた
自分の手を
ふとゆるめることができる。

〜yuri's格言?
女は何も言わないのにやってくれたことに感動をおぼえ
男は言われたことをしてあげることに満足をおぼえる。

ちがうってことは
ときどき腹の立つこともあるんだけど
=キライってことじゃないよね。

だからこそつながりをもてたんだって思いを
忘れないようにしたい。




2002年04月17日(水)



 color

服装でその日の行動が何となく支配されることがある。

スカートをはくと椅子に座るときでも膝に意識を集中させて
きちんとすわることができる。
パンツだと知らないうちに膝がひらいちゃったり・・・
ヒールの靴を履いている日はなんとなく姿勢ものびるし
スニーカーだと大股で元気に歩いたりね。


だからわたしはときどき自分のサガを忘れてみようと思う。
自分でつくった自分のイメージカラーを上手に払拭するために。


人に不審に思われようと
ときどき矛盾したカラーを臆面なく出してみるよ。
ときどき、後悔したり弱気にもなるけれど・・・


わたしにとって人とかかわるって
そんなことの連続。



2002年04月16日(火)



 うれしかった

わたしがあまりしゃべるのが得意じゃないせいか
大勢で話しているとき
わたしが話すと、身を乗り出して聞いてくれる人がいる。

とってもうれしい・・・


人は人の悪意にも影響されてしまうけれど
人は人の厚意には応えようと思うものなんだよ・・・ね。


2002年04月14日(日)



 痛み

キッチンばさみで指をきってしまったの。

・・・ぜんぜんたいしたことない傷。
バンドエイドなんかひさしぶりに貼ってるけど、
キーボードをうつ指が他人のものみたく感じる。

痛い。
浅い傷って思いの外いたいみたい。。。

他の人にとって、たいしたことないようにみえることでも
本人にとっては痛みを感じることってあるよね。


「人からキライといわれて、あんたもその人をキライなら
なにを悩むことがあるんだ!」と
こどもに言っている人がいた。

たしかに、人から言われたことばかり気にしていたら振り回されちゃう
ときもあるけれど・・・
だれだって、人からきらわれて、あーよかったと思う人って
いないんじゃないかな。
その人の感じ方にもよるけど・・・

わたしは相変わらず白線ぎりぎりのところを歩いているカンジだよ。

人に嫌われるのがこわいじぶん。
人に嫌われてもいいから自分の心の在処を確かめるじぶん。

自我をまっすぐにおしとおすか
相手に開かれるか
ぎりぎりのじぶん。


2002年04月13日(土)



 無題


...あなたの笑顔は 効きます 


 

2002年04月12日(金)



 限界

わたしにもテンション高くおしゃべりをしてみたり
オープンマインド風にふるまってみたり
できたりする。本当は。


だけどいつもテンション高い自分でいる自信がないので
あらかじめ力の出し惜しみをしていたりする。

そうしないと

あのときはあんなによくしゃべる人だったのに今日は
調子でも悪いのか、とか思われるのが疲れる。

でも、ほんとうは
いつもおしゃべりな人が必ずしも常に
おしゃべりとは限らないし
いつも元気な人が死ぬまで元気だとも限らない。


なにをいってるんだか自分でも分けわかんないんだけど・・・


たった1日「愛想の良い人」をたまたまやったからといって
人がつぎ会ったときにも
人が自分のことをそうおもうだろうな、と勝手に考えるのは
人の見る目を自分の見る目よりも
軽くみているってことに
なるのかもしれない。

自分が予測できる「人が見ている自分」も「自分が見ている人」も

きっと・・・
自分の限界がつくった幻想にすぎないのよね。


2002年04月11日(木)



 コトバガデナイ

きのうはどうもありがとう

このあいだは助かったわ・・・


と、この間のお礼のキモチをどんなにほんとうに
伝えたいなとおもっていても
「ことば」をいわなきゃいわなきゃと
タイミングをはかってばっかりで
ほんとうのまごころが消えてしまうくらい
「言わなきゃ・・・」という状況に緊張してしまう。


ことばとまごころが二人三脚できたらいいのにね。


言葉で伝えるだけがすべてじゃないけど
言葉じゃないとつたわらない間柄もある
とってもむずかしい。

まごころがあると言葉にならない
言葉にすると心をなくす

こんなわたしってひどく不器用なのか・・・



2002年04月10日(水)



 縛り

あの人のようになりたい
こうでなければならない
理想をもつことはたいせつなことかもしれないけれど

理想でじぶんをつぶしたり卑下したりすることは
もうやめる。




2002年04月09日(火)



 専用のトンネル

外出するとき、私専用のトンネルがあったらいいのに・・・と
おもうことがある。

ドアToドアでいきたいところへいける。
だれにも会わないでどんなところへもいくことができる。

毎日そのトンネルを使うのは無理っていうなら
週に2回つかっていい券がもらえて、
どうしても人に会うのがつかれるとおもうときに使う。

使わないでがんばって券をためれば、
今週は1週間まるまるトンネルが使えるとかね。

ふつう、そのへんにいる人たちってどうなんだろう?
この感覚がわかる人っているのかな?

きっとだれでも理由なく1人になりたいときって
あるような気がするのだけど、
どうなんだろう・・・

2002年04月08日(月)



 3人

雑談が大のにがてなわたしが、他の人たちと雑談をしました。
3人で話していたのだけれど、一番よく話す人が私のほうばかり
むいて話しているのが
途中からどうしても気になってしまった。

その人がわたしに同意を求めるように話すので私もついつい
その人のほうを見ながら話す。
そうすると、なんか2人で話しているみたいで
もう1人の人が相づちだけになってしまう。

私が話すときには、2人の顔を交互に見つつ、
そのもう1人に意識的に顔を向けて
話すようにしていたら
こんどは、さっき話の主導権を握っていた人がだんまりに・・・。

3人で話をするのってなんだかむずかしい。
どうせならわたしが「顔をみられない1人」になりたい。
そのほうが気楽。

気の回しすぎなのかな?

なんかどっと疲れて、お口直しに
部屋に戻ってあたたかいコーヒーをのんで
やっとおちついた。

2002年04月05日(金)



 ハーブティーをのみながら

誰かをふいに思い出すとき、リアルタイムで
その人もわたしを思い出してくれないかな。

なんて・・・
いけない、いけない
勝手女のさびしがり癖。

だったらもうすこし、心の開き方しるべきだよ、私。

2002年04月04日(木)



 天城越え

春になって髪の毛を切る人が増え始めた。

ヘアスタイルといえば、わたしはだいたいストレートでロング。
セミロング〜セミショートくらいに変えてみたこともあったけど
やっぱり長い髪に行きついてしまうみたい。

こだわってるわけじゃないけどなぜだか落ち着く。


ショートヘアが似合う人ってステキ・・・
とってもさわやかだし、髪の毛でごまかせない分
表情が引き立って見えるのね。
そんな人をたくさんみかける。


私のロングヘアーはアクセサリーがわりかも・・・
髪の毛で横顔が半分隠れるので
なんだかちょっと安心できる。
まとめ髪にしても、バレッタをとればほら、もとどおりっていう
ワザも使える。
何かに片方ずつ足をつっこんで、片方の自分に決定したくない
よくばりごころ。
でもこんなささいなことがすごくうれしいの。

美容室に行くと、
長さはどれくらいにしますかって聞かれるけど
肩上か肩下かどっちにしようかとおもう。
せっかくカットしにいくんだから、少しはイメチェンしたいわ、と
思うと肩上。
安心したりアレンジしたいと思うと肩下。
(美容室に行ってから悩むな、ってカンジだけど)

肩のラインは、
女心の天城越えかもね。


肩上までカットしたらなんだか別の世界がひろがってそうで
わくわくする。
こんなこと想像するだけで、わくわくうれしいなんて
わたしのこころは十分すぎるくらい自由じゃない?


鏡の中で美容師さんと目があうのは
相も変わらずにがてなんだけど・・・ね。



2002年04月03日(水)



 ひとり静か

さびしいこころは高くつく。

じかんも
お金も
高くついてしまうね・・・



2002年04月01日(月)
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