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2009年02月25日(水) WBCの投球数制限は必要

WBC予選開催を間近にひかえ、日本代表がオーストラリア代表と調整試合2試合を行った。報道によると、2試合とも超満員の観客を集めたという。巨人戦TV中継の視聴率低下に代表されるとおり、野球人気は衰えたといわれてきたが、代表戦は練習試合であるにもかかわらず、チケットを求めるファンが大阪ドーム周辺にあふれていたというから、わが国における「野球人気」は相当根強いものがある。この現象からして、「野球人気」ではなく、「巨人人気」が衰えたというべきなのかもしれない。ファンのお目当ては、イチロー、松坂、岩村…らのメージャーリーガーか。

筆者はJスポーツで2試合を見ようとチャンネルを合わせたものの、あまりの退屈さに辟易し、いずれも2、3イニングでチャンネルを変えてしまった。

さて、WBCの話題の1つとして、投手に係る制限が挙げられる。WBCでは、1試合における1投手の球数制限と登板間隔制限が予選・本戦で設定されている。日本球界ではWBCが設けたこの制限に対して概ね批判的で、野球評論家諸氏は異口同音に、こんな制限はいらないと発言しているようだ。

日本野球の場合、発育途上にある高校生に1試合150球以上投げさせた挙句に連投を強いるのが甲子園大会の「常識」となっている。若者の健康管理にはうるさいはずの大新聞・朝日新聞等がこのような愚挙を「熱投」と称し礼賛する。投手の投球数に無関心というよりも、球数が多いのが美徳というのが、日本の野球風土の大きな特徴となっている。

甲子園野球出場高では、運動能力に優れた万能型高校生が「エースで4番」の「ワンマン・チーム」が標準型。だから、エース1名で予選、本戦が賄われる。予選、本戦の1試合の球数は軽く120球を超える。本戦出場を果たした場合、出場高のエース高校生投手は、甲子園大会において優勝決定までの4〜5試合を連投する。なかには延長18回引分の後の再試合に完投する投手もいる。まさに異常、残酷物語だ。

異常な甲子園野球がもてはやされる野球風土であるから、日本プロ野球の場合、練習・調整における「投げ込み」が奨励され、投手に、先発完投が義務付けられる。それに耐えられる「強い肩をつくる」ために「毎日投げ込む」ことが求められる。投手といえば先発完投型が理想とされる。

発育途上の高校生が硬球を1試合100球以上投じ、しかも3連投、4連投することが、肩の筋肉、関節等にいい影響を及ぼすはずがない。スポーツ医学に携わる者は、医学者の専門知識と良心に基づいて、甲子園野球の投手のあり方に異を唱えていただきたい。

健康面ばかりではない。野球はグループ競技であり、機会の平等性が確保されている。それゆえ、野球は、アメリカ型民主主義を象徴するスポーツであるとも言われている。また、そのことが、野球の特徴の1つでもある。

この精神を職業野球に当てはめると、1人の投手が独占的に登板することは、他の投手の生活権を奪うことになる。そのため、先発投手は中4日間、登板間隔を空ける(ローテーション制度の採用)。さらに、先発、中継ぎ、抑えの分業体制をとる。投手には資質があり、短いイニング数で才能を発揮するタイプと、100球程度で才能を発揮するタイプに分かれるから、分業制を用いて、それぞれのタイプが共に試合に出場できるよう、機会をつくることになる。

アマチュア野球の場合、とりわけ、ハイスクール・ベースボール、カレッジ・ベースボールでは、できるだけ多くの若者が試合に出場することが才能を育む必須の条件となる。だから、職業野球選手と同様、投手のローテーション制度と分業制度を採用することは必然となる。アマチュア時代、多くの者が多くの出場機会を得ることにより、複数の者が指導者にその才能を見出されるチャンスを得る。こうした機会均等が、メージャーまで上り詰める可能性を多くの若者に開いていくことになる。

WBCは、野球の基本精神に忠実であるがゆえに、投手に球数制限と登板間隔制限を課したのだと筆者は考える。制限を設けないと、たとえば、米国で開催されるWBC本戦において、日本が「松坂」を何試合も登板させて優勝してしまう可能性すら生じる。その場合、「松坂」の熱投、自己犠牲を日本のマスコミは礼賛し、お祭り騒ぎになる。だが、その一方、米国の野球ファンは日本の他の投手を見ることができないで終わるし、当の日本の投手が事実上大会に参戦できないという事実が残る。

WBCは、おそらく、このような日本型野球を認めない。日本型野球の弊害を、大会(短期決戦)において、できる限り排除しようとしたのだと思う。「一人」に依存することは、野球の精神に反するのだ。

日本の高校生が参加する甲子園野球は、プロ以上に勝ちにこだわった大会だ。その理由については以前いろいろと書いたので繰り返さない。エース酷使の残酷物語によって、才能ある若者の肩が磨耗し、痛めつけられる現実を見過ごしていいはずがない。

筆者はスポーツ医学の専門家ではないから、WBCの投球数制限が適正だ、と、医学的見地から断言する資格がない。しかし、スポーツの健全な普及を願う者の一人として、WBCの投手に係るレギュレーションを支持する。また、医学・健康を無視した日本の野球風土が一日も早く是正されることを望む。大新聞をはじめとするマスコミの野球担当記者、アマユア野球指導者、なかんずく高校野球指導者、そして、プロ野球解説者が、正しいスポーツ医学に基づく日本野球のあり方を考える時期にきている。一方、スポーツ医学者は、日本の野球風土を改革するため、彼らに対して、進んで医学的啓蒙を行っていただきたいものだ。



2009年02月11日(水) 2009年 暗い旅(第3章)

オーストラリアは余裕のドロー。日本はホームで負けなくてよかった。ここで負ければ、岡田監督の進退問題に発展することも考えられたし、W杯予選敗退の心配をする必要もあった。しかし、最悪の状況を回避できたというだけだ。この引分は、日本代表が抱える問題の解決を猶予しただけにすぎない。病気発見後、手術をためらったため、病状を悪化させたケースというのはよくあることだ。前の当コラムで書いたとおり、この試合のドローによって、日本は予選A組において、不動の2位を確保したという「成果」を得たものの、オーストラリアというリトマス試験紙を使って得られたのは、“日本と世界の距離はより遠くなった”という反応だった。

日本ホームのきょうのオーストラリア戦、相手はリスクをおかさない作戦であることは明確だった。深いバックライン、固いブロックで日本の攻撃を跳ね返す作戦だ。日本がとった作戦は、後方の選手が前線の選手を追い越して裏を取る作戦と、サイド攻撃だった。悪くない作戦だし、間違ってもいない。相手を崩すシーンもあった。

問題はここから、ゴールに結びつける動きだ。得点に近づいたシーンも3度くらいあった。前半開始直後の玉田、後半の遠藤のミドルシュート、長谷部のヘディング失敗・・・しかし、そこまで。繰り返すが、相手のオーストラリアはリスクを犯さない作戦。日本がボールを支配し、ボールをまわす余裕があった。プレスもそれほどではない。明らかにアウエーの戦い方だ。そんな相手を慌てさせるシーンが3度くらいでは、勝ち点3は得られないのが、日本の攻撃の精度なのだろう。

断言できるのは、日本はW杯ドイツ大会から進歩していない、ということ。いまの攻撃レベルでは、世界レベルの守備を崩せない。対処方法は、さらなるスピードアップと運動量だ。後半、オーストラリアの守備のスピードが落ちた、そういうときに、相手を上回るスピードで攻撃を続ければ得点シーンは増える。その積み重ねしかない。いまの日本サッカー界には、世界的ストライカーは不在のままであり、W杯南アフリカ大会開催までに出現する予兆はない。別言すれば、いまの材料をつかって、いい作品をつくるしかない。

いまの日本選手で構成された代表の監督は、「W杯ベスト4」などという、現実と乖離した目標を掲げてはいけない。ホームでオーストラリアに確実に勝てるチームをつくる、という目標でよい。高速で組織化され、運動量をもった作品で世界と勝負することだ。

2009年、日本代表の旅立ちを、筆者は「暗い旅」と喩えた。ホームのオーストラリア戦で勝ち点3を上げられなかった事実は、日本サッカーの退歩、弱体化を大衆レベルで明らかにした。日本のサッカー業界には、W杯アジア予選2位通過で満足する者もいるだろうし、世界レベルのサッカーを目指す方策を考える者もいる。きょうの勝ち点1は、後者には、重い結果だと思うがどうだろうか。



2009年02月09日(月) 「暗い旅」は終わるのか

天下分け目の決戦――11日に日本ホームで行われるW杯アジア最終予選オーストラリア戦は、日本サッカーの命運を決める日となる。

日本がこの試合を落としたとしても、W杯にいけなくなるわけではない。残り試合を順当に勝ち進めば、おそらく、グループ2位で南アフリカ行きの切符が手に入る。2010年まで、日本のサッカー人気は衰えることはない。

問題はそのようなことではない。日本代表の進歩・退歩、もしくは、その実力を測る絶好の機会という観点なのだ。ご承知の通り、2006年ドイツ大会グループ予選の初戦、日本はカイザースラウテルンでオーストラリアに(1−3)負けた。同大会、オーストラリアはベスト16に進出し、決勝トーナメントでイタリアに0−1で惜敗した。

ドイツ大会予選無勝利(勝ち点1)の後を受けたオシム・ジャパンは、アジア杯決勝リーグ(ハノイ)でオーストラリアに辛勝(PK戦決着)し、カイザースラウテルンの借りを返した。近年、日本がオーストラリアと公式戦で対戦するのは今回が3戦目、しかもホームであるから、負けるわけにはいかない。

オーストラリアのサッカーは短期間で急成長した。実態として、来日するオーストラリア代表は、英国プレミア、スコットランドプレミア、トルコ等の欧州リーグで活躍する選手(国内リーグは1名のみ)で占められている。日本はドイツブンデスリーガ3名(長谷部・大久保・稲本)、スコットランド1名(中村俊)、フランスリーグ1名(松井)であり、しかも、日本代表の場合、レギュラーで中心選手となっているのは中村俊のみにとどまる。

そればかりではない。相手はリーグ戦終盤に臨んでいる選手たちばかり。コンディションが一番上がっている時期にあたる。その反対に日本はオフシーズンで、公式戦2試合、練習(親善)試合1試合の計3試合を消化したにすぎない。客観的条件としては、日本が絶対不利にある。

予選リーグA組の動向という観点では、日本の勝ち点は現在のところ7(2位)。日本の予定は、オーストラリア戦後、アウエーのウズベキスタン(アウエー)と戦い、ここで敗戦もしくは引分けとなると、勝ち点7〜8でバーレーン(ホーム)、カタール(ホーム)の2試合に臨むことになる。ホームの2試合で勝ち点4(1勝1分け)に終わると、最終戦(オーストラリア・アウエー)に勝利しないと最終勝ち点11程度にとどまることになる。グループAでは、現在3位(勝ち点4)のカタールが順調に勝ち点を積み上げたと仮定しても、2位争いは混沌とする程度にとどまる。すなわち、現実問題としては、オーストラリアが日本に勝った場合は、オーストラリア独走によるリーグ突破で幕を閉じ、日本はカタールと低レベルの2位争いを演じた末、結果として南アフリカ行きを決めることになる可能性のほうが高い。

このことは何を意味するのかといえば、日本は、このたびの最終予選におけるグループリーグ抽選において幸運に恵まれ、アジア予選をめでたく突破したということだ。かりに、Bグループに振り分けられたイラン、韓国、サウジアラビアのW杯出場経験国の1国が日本と同組になったとすると、日本は予選リーグ敗退の危機に見舞われた可能性のほうが高い。

日本がオーストラリアに勝つか負けるかは、予選リーグを突破するか否かという問題を離れている。オーストラリアにホームで負ければ、日本のレベルは世界レベルから遠いことの証明となる。よしんば、アジア地区最終予選を突破できたとて、抽選の妙で低レベルの2位争いを抜け出しに過ぎない。そうなれば、現代表監督(岡田)が掲げた「W杯3位以内」というスローガンは、お話にならない夢物語であって、彼の超現実主義的大風呂敷であることの証明となる。

オーストラリア戦に負けて岡田の超現実主義が証明されてもいまさら、仕方がない。敗北の総括は、ジーコ→オシム→岡田へとバトンタッチされた代表監督選考の責任問題へと発展すべきなのだ。

以前にも書いたとおり、筆者のささやかな夢は、筆者存命中に日本代表がホーム以外のW杯で勝利を上げること(決勝トーナメント進出=ベスト16入り)だ。それは、2002年、トルシエ・ジャパンが、雨中の仙台で行われた決勝T――対トルコ戦になすすべもなく完封された試合の虚しさを埋めるものとなる。あの虚しさを抱いたまま、彼岸へと旅たちたくはない。

あのとき、世界(トルコ)との壁(隔たり)は無限にも等しく感じられた。しかるに、W杯そのものの開催に酔う日本のマスコミ、サッカーファン等は、日本の善戦という総括にとどまった。また、協会は、「組織よりも個人」という謬見に規定され、ジーコ代表監督就任へと雪崩れ込んでしまった。2002年以降今日までの間の日本サッカーの退歩ぶりについては、当コラムでしつこいほど繰り返した。

さて、そのオーストラリア戦――サッカーなのだから、勝つこともあれば負けることもある。ホームだから必ず勝てると決まったわけでもない。筆者を含めた、すべてのサッカーファンがさまざまな思いを抱きながら、オーストラリア戦を心待ちにしている。サッカーとはそういうものだ。その思いがかなえられるかどうかは、神のみぞ知る。オーストラリア、日本の両代表選手たちの気力の入った試合が見たい。そうなれば、噛み合った好試合となるはずだ。



2009年02月04日(水) 5得点よりも1失点

フィンランド戦は、親善試合というよりも練習試合、もしくは調整試合にとどまった。背が高いフィンランド代表=オーストラリア戦のシミュレーションという位置づけだが、本当にそうなのか。この一戦がいまの日本代表にどれだけのプラスを与えたのか。フィンランドには真剣にファイトしてもらいたかった。

試合経過は省略する。プレスもかけない、マンマークもつけない、競り合いもない相手。もちろん、足元の技術もないし、組織性もない。フィンランド人選手で構成されているから「フィンランド代表」なのだろうけれど、慈善試合が似合う超ベテランのリトマネンがゲームキャプテンだ。その実力は…日本のJSLクラスくらいか。体格は確かに立派だが、J2のチームより弱いだろう。

日本が圧勝した。当然である。ゴールシーンが多くて、代表サポーター諸氏には「楽しい試合」だったのかもしれないが、日本の楽勝という結果よりも、セットプレーからゴールを割られた内容のほうを重視したい。アジア杯予選の2試合で露呈した、日本の弱点は修正されていない。

さて、本番の相手・オーストラリア代表選手が先に発表されている。一人を除いて、国外でプレーする選手ばかりの構成だ。南半球のオーストラリアだが、国外とは北半球=ヨーロッパ、つまり、シーズンたけなわのリーグに臨んでいる選手ばかりだ。フィジカル面では、オーストラリア代表のほうが、日本代表より優位にある。

日本の海外組は、俊輔、稲本、松井、長谷部、大久保の5人。以前に書いたとおり、DF陣は一人もいない。フィンランド戦では、内田(駒野)、長友(安田)の左右SBが好調に見えたが、相手が弱すぎるので、参考にならない。CBの中澤、闘莉王の調整も万全で、スタミナ、気力面で心配ないように見えたが、同様に参考にならない。

いまの日本の守備の弱点は、守備陣とGKの呼吸が合っていない点だ。ゴールに向かってくるボールに対してだれが処理をするのか、一瞬だが、ためらいがみえる。GKが仕切るエリアだけれど、川口、楢崎以外の代表GKが仕切れていない。経験不足だろう。

オーストラリアは、予選ここまで無失点。日本が属する予選グループの中で最も強い守備を誇っている。日本が先に失点をすれば、日本が勝つ確率は低い。フィンランド二軍代表相手の調整試合であるにもかかわらず、日本の守備陣は相手を完封できなかった。オーストラリア戦に不安が残る。この試合を観戦したピム・オーストラリア代表監督は、日本の弱点を「GK」と見極めて、前半から空中戦を仕掛けてくる可能性もある。

2006年W杯ドイツ大会、ジーコジャパンは、初戦のオーストラリア戦、ゴール前の混戦から失点した。2年半が経過したいま、あのような失点シーンの再現は見たくない。


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