Sports Enthusiast_1

2007年04月21日(土) アマチュア精神とは

日本では清貧とされるスポーツのアマチュアリズムの本質は、西欧の貴族趣味だ。西欧の貴族は、余暇に狩猟、乗馬、ポロ、ゴルフ等を趣味として行ってきた。彼らのスポーツは趣味であり、勝負は問題ではない。もちろん、彼らが中世の騎士道精神の後継を任じていたため、名誉としての勝利を目指していたことは実態として否定できないが、負けたからといって、生活に窮することはない。そこから派生したのが近代五輪で、クーベルタン男爵の「参加することに意義あり」という有名な言葉が、アマの真髄であるかのように日本では報道されてきたのだが、この言葉を発した人物の肩書き(男爵)が、まさに、アマの真髄を象徴している。アマ精神の根源は、貴族の趣味に求められる。

日本では、西欧の階級社会で育まれたアマスポーツの精神が学生スポーツに受け継がれた。その主因は、筆者の想像では、学生層(大学生)が近代初期の日本におけるエリート階層だったからではないか。庶民は、学生が学業に励みながら余暇のサークル活動であるスポーツに興じる姿をみて、憧れと尊敬の入り混じった感情を抱いたのではないか。日本の文武両道という概念は、西欧の騎士道に通じている。こうして、西欧のアマスポーツの伝統は、日本では学生スポーツに継承された。

西欧・日本のアマチュアスポーツの本質が、エリートの趣味であるということは重要だ。彼らは報酬、勝負、エンターテインメントという、現代スポーツがもつ要素を必要としていない。日本では六大学野球の人気が高かった時期があった。早慶両校は、英国のケンブリッジ大とオクスフォード大に置き換えられた。大学生がエリートだった遠い過去の出来事だ。

さて、スポーツが貴族の趣味である時代は終わり、スポーツ大衆化の時代を迎える。スポーツは金になるし、エンターテインメントであり、学生スポーツがミッションを帯びるようになった。スポーツが趣味から離れ、学校のため、地域のため、会社のため・・・「○○のため」という明確な目的をもつようになった。そうなれば、趣味=アマチュアではなくなる。

大学野球のミッションは、大学が学生を集める手段だ。敗戦後、人びとの嗜好は、大学生より若い高校生の野球に心惹かれるようになる。高校野球が人気を博するようになった理由は、『八月十五日の神話―終戦記念日のメディア学』(佐藤卓巳〔著〕)に詳しい。この書のサブタイトルが示すように、高校野球人気は、メディア主導による。

いま、高野連が野球特待制度の廃止を決め、特待制度を行った高校の野球部を解散させたと報道されているが、期限は夏の甲子園大会予選開始前までだという。偽装解散だ。高校生の野球は趣味ではなくなり、学校のミッションを担う限り、アマ野球ではない。アマとして高校野球を育むならば、マスメディアが一切報道しないことだ。高校生が自らのために、趣味として――西欧階級社会で育まれたエリート主義としてのアマ精神を時代錯誤的にひっそりと守れば済む。

A新聞の販売促進部である高野連が西欧貴族のアマ精神の後継者であるわけがない。彼らはスポーツエンターテインメント産業の経営者、すなわち、ブルジョアジーである。そこで、A新聞と高野連は、高校野球を教育の一環だと主張し始めた。商品コンセプトを教育にしたというわけだ。

だが、野球に限らず、学生スポーツが学校のための勝利というミッションを帯びる以上、それは強者のものだ。スポーツが教育になる理由がわからない。強いて探せば、相手のウイークポイントをついて勝利を呼び寄せる闘争技術や、進塁のためのバントを「犠牲バント」と称する全体主義が、富国強兵の「教育」に通じるかもしれない。チーム内では強者が敗者を補欠に追いやり、予選では相手高校を葬り、甲子園大会では一人の投手が200球も投げ、優勝旗を獲得する。それらを教育と呼ぶならば、高校野球は、まさに格差社会の象徴であり、勝組と負組の明確な現実を高校生に教えるという意味で、その教育効果は高い。さらに、指導者が裏金をこっそりとせしめる現実を高校生が身近に感じられることも、「教育的」かもしれないが。



2007年04月15日(日) 亀田父は危険人物

JBC(日本ボクシングコミッション)の試合役員会が、亀田父(三兄弟のトレーナー)の処罰を求める要望書をJBCに提出した。役員会が問題としたのは、3月24日に興毅がエベラルド・モラレスに判定勝ちした試合の後、試合を裁いた浦谷伸彰レフェリーに対し、興毅がダウンを奪った際にKO勝ちにしなかった措置や、興毅に対する再三のバッティングの注意について、亀田父が暴言を吐いたこと。要望書ではこうした行為を「もはや抗議ではなく、どう喝や脅迫と呼んで過言ではない」と、ライセンス停止を含む厳しい処分を求めた。

要望書を受けたJBCは、協栄ジム、亀田父から事情を聴き、協栄ジムの金平会長の謝罪でことを済ませようとしているようだ。

亀田父は昨年9月の二男・大毅の試合後、リングサイドで起こった暴力騒動に加担しようとして、JBCから厳重注意処分を受けている。筆者はそのとき当コラムで、亀田父のライセンスを剥奪せよ、と書いた。そして、亀田父は近いうちに問題を起こすことを予告しておいた。にもかかわらず、JBCは動かなかったし、いまも動こうとしない。JBCはことの重大性をまったく理解していない。

まず、ボクシングはルールに則ったスポーツであり、しかも、命にかかわる危険なものであるため、選手、関係者には厳しいモラルが求められる。選手は試合以外では、その技術を使用してはいけない。試合前後には、選手・関係者は互いにリスペクトしあう。試合中は、レフェリーの指示に従う・・・等々が最低限の規律として選手・関係者に求められている。日本ボクシング界では、これまでのところ概ねこの規律は遵守されており、ボクシング選手のリング外の暴力事件などは発生していないし、日本ランカーの試合に限らず、4回戦、6回戦においても、試合後、互いの健闘を讃えあうマナーは遵守されている。判定についてはこれまで、いろいろな騒動があったけれど、審判、ジャッジに脅迫・恫喝が及ぶということは聞いたことがない。

ボクサーがリング外で暴力事件を起こせば、法律がそれを裁く。選手・関係者が試合前後、審判・ジャッジに圧力を加えれば、コミッショナーがそれを裁く。このたびの亀田父の行為は、常識的に考えて、日本プロボクシングの審判制度への圧力・侮辱にとどまらず、破壊行為であり、社会的には、レフェリー(個人)に対する脅迫行為であるから、コミッショナー及び法律の両面で亀田父を裁かなければならない。

刑事事件は当局の管轄だから、ここでどのような判決が適当なのかコメントできない。もう1つの、コミッショナーが裁く措置について論じれば、ライセンス剥奪が適正だと思う。亀田父は過去に厳重注意を受けているわけだから、 再犯に当たるわけで、謝罪で済まされるものではない。亀田三兄弟がボクシング人気を盛り上げたからといって、亀田父の過ちが軽減できるものではない。判定結果に圧力を加えたということは、次は有利に判定せよ、と強要していることだ。審判(制度)への干渉に当たる。

当コラムで以前、書いたとおり、筆者は亀田父がテレビの朝のワイドショーで、やくみつると喧嘩をした場面も偶然見た。そのときの亀田父の言動は、十分危険性を感じさせるものだった。筆者はこのような人物がボクシングという命にかかわるスポーツに携わることの「危なさ」を感じた。その後、テレビのスポーツニュースで、亀田と対戦相手との計量や調印の場面で、エキサイトする亀田父の態度を見せられて、「亀田父の危なさ」を確信するに及んだ。

亀田父の暴言・暴行未遂・恫喝で話題にのぼったものをまとめると、ワイドショーでの“やくみつる事件”、二男の試合の後に起こした“観客暴行未遂事件”そしてこのたびの“審判恫喝事件”と続いている。その間、計量、調印等々で対戦相手選手・陣営に与えた意味不明な恫喝、メンチ切りなどを加えれば、スポーツとしてのボクシングの品位を落とすにとどまらないどころか、いずれ、刑事事件に及ぶことはだれの眼にも明らかだ。今回の事件に対する、JBCの断固たる処置を期待したい。



2007年04月12日(木) 脱税を見逃すな―アマに渡った裏金は―

横浜球団が、アマとプロとで定めた契約金の上限規定を超えて、アマの指導者・関係者に不適切な金銭を渡していたという。選手の契約金に選手育成費を上乗せしたらしい。いまのところ、横浜球団だけが実態を暴露したかたちだが、この先、複数の球団、いや、全球団において、裏金の支払があった可能性を否定できない。

いまマスコミは、このことを悪事であるかのように報道しているが、筆者の見解では、これはまっとうな経済行為の結果報酬の受取りだと思うのだが、いまのプロとアマの倫理規程に違反しているという意味において、不正ということになる。アマは報酬を受け取らないと宣言している以上、アマが裏でその宣言に反し金銭を受け取ったのだから、アマは自分が課した規律に違反した。筆者は、アマは(実態に即してアマであることを自己否定して)、選手育成の対価をプロに要求すべきだと思うのだが・・・

重要なのは、プロ側が裏金を使ったことではない。裏金を受け取った側――つまりアマ側の問題を掘り起こすべきなのだ。

日本の野球界では、プロは金のために野球をやる不純な場所だとされる。“職業野球”という言い方がそれを象徴する。一方、アマは名誉や趣味や夢のために野球をやる神聖で純粋な場所であるかのようなイメージが流布されている。ところが、今回の裏金問題で、アマの世界が建前と本音の使い分けがはなはだしい、偽善に満ち満ちた世界であることが明らかになってきた(もちろん、そんなことは昔から常識でありながら、いまなぜか、大衆的に明らかになりつつあるのだが・・・)。

巷間既に話題に上っているとおり、裏金は税制において問題だ。アマ関係者がプロから金銭を受け取った場合、所得税ではなく贈与税がかかる。年間1000万円以上(控除額:225万円)の贈与を受けた場合の税率は50%。所得税でない理由は、アマの指導者・関係者が高校生・大学生・社会人に野球を教えた報酬は、アマという立場上、発生し得ないからだ。アマには、選手はもちろん、指導者、関係者にも野球に関する報酬はない(ことが建前になっている)。たとえば、アマ野球の監督の場合、彼の実態上の仕事は野球を教え、チームの指揮をとることだが、それに対しての報酬を受け取ることを禁じられている。アマの指導者は、アマ選手を育成する仕事及びチームの指揮をとる仕事しかしないにも関わらず、その報酬ではなく、教員、学校職員等の名目で所得を得ている。

このたびプロから裏金を受け取ったアマ関係者は、それを贈与として税の申告をしなければ、贈与税の未払いに当たる。横浜球団の件では、アマ側に流れた裏金は3,000万円になると報道されているので、かりに3,000万円が12球団の希望枠1選手の指導者等に渡ったと仮定すると、年間3億6千万円がプロからアマへの贈与となる。プロとアマのこのような不適切な関係が5年間続いたとすると、アマの受取り総額は18億円超となり、贈与税9億円が未払いとなる。これを当局が黙って見逃すのは、社会正義に反する。裏金を受け取ったアマ関係者を黙認するのは、巨悪を見逃すことになる。当局はこの実態に大いに関心を示すべきだ。裏金を受け取ったアマ関係者の罰は、粉飾決算で2年半の実刑を受けたホリエモンと比して、重いのか軽いのか――裁判所がこれら贈与税未払者にどれくらいの刑を課すのか興味がある。

さて、繰り返すが、今回の裏金問題を誘発した一番の要因は、アマでないものをアマとする“粉飾報道”にある。プロであるものをアマと称するマスコミ報道が悪(罪)の根源なのだ。たとえば、年がら年中野球しかしない高校生を純粋アマと規定できるのか、年がら年中、高校生に野球の指導しかしないコーチ、監督をアマの指導者と規定できるのか――常識として、まずもって、(高校生以上に)高校野球の監督・コーチはプロそのものであり、専門職にほかならない。高校野球の指導に付随して、人間教育や集団教育も派生的に行われることもあろうが、それが彼らの業務の本質ではない。高校野球の監督、コーチの評価は、まずもって、“甲子園”に一元化されているからだ。人間教育に長けた監督であっても甲子園に出場できなければ、彼らに高校野球部監督の「職」はない。

アマの虚像が剥がされている今日、プロがアマに不適切な金銭の支払を自粛したとしても、問題は解決しない。日本のプロが選手育成をアマ側に完全委託している以上、時がたてば、不正は復活するに違いない。

日本では、アマ野球がプロ野球以上に人気があるため、それを後援するマスコミ(全国紙)に莫大な利益が転がり込む。アマ球界で育成されたアマ選手は、プロ入団時に多額の契約金で報われる。プロはアマが育成した選手を入団させて、収益を上げる。ところが、野球によってもたらされるこれらの経済的恩恵の連鎖に一切与らないのが、アマの指導者たちだ。たとえば、高校野球で利益を上げるのは、朝日新聞と毎日新聞と野球名門校だが、アマ選手を育成しプロに提供する役割――つまり、現在のプロ野球を下支えするアマ球界の監督、指導者は、経済的恩恵を一切こうむることがない。せいぜい、“甲子園の名監督”という名声を博して、参議院議員(政治家)に転身するしかない。指導力に限界がくれば、使い捨てにされるだけだ。

さて、筆者のスポーツ観戦の目的は、選手(チーム)の高い技術と旺盛なファイティングスピリットの鑑賞だ。さらに、チームと地域の関係を重視する。筆者が東京(日本)に住む以上、東京以外のチームを、個人競技ならば、日本人選手以外の選手を、応援することがない。プロであるかアマであるかに関わらず、高いパフォーマンスのもので、その内容に満足を得られれば、入場料を支払う。

良いパフォーマンスを得るためには、才能のある選手を集め、適切な指導をし、勝つためのノウハウと勝利に貢献する規律を叩き込むことが必要となる。筆者はいまの高校野球の指導方法は、19世紀後半から20世紀中葉まで機能してきた産業労働者に規律を強いるフォーディズムとテーラー主義に近いものを感じている。21世紀、ポストモダンの社会では、このような規律重視だけでは、対応できない。選手の自由な才能を活かすためのシステム構築が重要だ。高校野球が日本の野球レベルの向上に果たしている役割と成果を認めつつも、限界が見えてきている。限界に達した主因は、アマとプロの自由な交流が阻害されていることが1つ、そして、プロ野球を目指す若い選手が“甲子園野球”以外の野球の道を閉ざされていることが2つだ。

とにかく、プロ野球12球団という受入先では立ち行かない。プロ球団数がもっともっと必要だし、才能をもった若者が甲子園以外の価値基準で野球をすることが重要だ。甲子園以外の価値基準とは、報酬を指す。実力があれば、下位組織から上部組織に上がれるシステムだ。甲子園に一元化された高校野球では、野球部に適応できなければレギュラーになれず、優秀な選手であっても野球部に塩漬けされるか、退部して、普通の高校生に戻るしかない。若者の野球の道が、高校の野球部(甲子園主義)に一元化されていることが危険なのだ。甲子園有名校で補欠であった高校生や退部した高校生が、日本のマイナーリーグでプロ契約をし、そこで腕を磨き、日本のプロ野球やMLBにいける可能性を残しておきたい。もちろん、いま現在、プロテストという入団方法があり、四国リーグという独立リーグがあることを承知しているけれど、この2つの選択肢は、才能発掘システムとしてはあまりに脆弱である。

プロ球界自らが本気で、素材の発掘とその受入の幅を広げれば、もっともっと多彩な才能をもった若者がプロに集まることになる。プロがそれをネグレクトしている以上、育成費という裏金がアマの指導者についてまわることになる。がんばって高校生を指導しても報酬を得られない現状がある以上、裏が機能するのだが、裏を機能させれば、日本の諸制度のどこかにひっかかるものだ。このたびは、裏金だから贈与税という税制度にひっかかったわけだ。税制というのは、たいへんわかりやすい。

朝日・毎日の大新聞社、高野連、野球有名校は、甲子園野球がプロである事実を認め、適正な報酬を選手(高校生)・関係者に還元すべきなのだ。プロは、甲子園野球に育成を依存するのではなく、自らが選手育成に励むべきなのだ。そうすれば、高校野球は普通の高校生のサークル活動のレベルに落ち着く。甲子園野球をプロと規定すれば、指導者(監督・コーチ)にそれ相応の報酬が支払われるようになる。また、才能のある選手は、甲子園野球を経ずに、プロ契約を締結し、プロとしての待遇と報酬を獲得するようになる。そうなれば、一軍で(はもちろん、そもそもプロとして)の実績がない選手に多額の契約金が発生す余地はなくなる。そればかりか、裏金が発生する余地もなくなる。プロはプロと規定したほうが、わかりやすいし、すっきりする。



2007年04月06日(金) アマ野球が抱える大いなる矛盾

MLB(大リーグ)のドラフト会議は、アメリカ合衆国・カナダ・プエルトリコの高校・大学および独立リーグの選手を対象にした新人選手選択会議である。ファースト・イヤーとも呼ばれる。だが、MLBの場合、高校・大学・独立リーグの新人を狙うよりも、全世界に張り巡らされたスカウト網から人材を得るルートがある。たとえば、あまり裕福でない中南米の若者は地元で野球の腕を磨き、MLBのスカウトの目にとまればマイナー契約をしてプロ選手となる。1A、2A等と契約すれば、ドラフトにかからない。

日本プロ野球(NPB)は、MLBに相当するプロ球団は12しかないので、高校生、大学生、社会人のいわゆる「アマチュア野球界」がプロへの人材供給源となる。アマ選手がプロ野球と契約する場合、プロとアマが定めた1種類の規程(もしくは協定)に縛られる。

今回発覚した希望枠と裏金問題、もしくは、プロからアマへの金銭供与の問題については、プロのカネにまみれた汚い手が、純粋なアマをかき回したかのような報道もあったが、そうではないことがこのたびの調査報告で明確になってきた。プロが汚く、アマが純粋であるかのような既成概念では割り切れない。

当コラムで既に書いたとおり、プロもアマも同根の病巣を抱えている。このたびの裏金問題は、本来はアマチュアでない高校・大学・社会人野球界がアマと呼ばれるがゆえに、プロ側から供与される正当な金銭を表立って受け取れないところに起因する。人々は、プロは裏金を支払ったが、それを受け取ったアマがいたことにもっと、関心を示すべきだ。

以前書いたとおり、アマとは建前で、アマ選手は高校・大学・企業の知名度アップや受験生集めに一役買っており、明らかに、高校・大学・企業の利益のために野球をやっている。というよりも、学校経営者が学生に野球をやらせている。アマチュア選手は、現金(=報酬)を受け取っていないが、それに代わる対価(=便宜供与等)を受け取っている。対価の中味としては、学費免除、授業免除、卒業資格免除、寮費免除、スポーツ用具・用品等の供給等々が挙げられるが、なによりも、好きな野球に3年間、ひたすら打ち込める環境提供が一番である。

一方、何度も言うとおり、高校・大学・企業の経営側は、野球部強化によって、校名、企業名がマスコミに報道されることにより、経営上、多大な利益を得る。また、学生野球を報道するマスコミは、アマチュア野球が優良なスポーツコンテンツであるがゆえに、新聞・雑誌の拡販が可能となるばかりか、中継・特番のテレビ視聴率までが稼げる。

プロ球団は、本社からの援助金、チケット販売、放映料、グッズ販売等を収入とし、そのなかから練習場設備等の整備費や選手への報酬を支払う。アマ球界は、入学金、授業料・寄付金等を収入とし、練習場設備の整備費を支払うが、学生である選手に報酬を支払わない。さらに、学生野球を後援するマスコミは、報道するだけで、莫大な(新聞・雑誌等の)売上を上げるが、学生選手には一銭も支払わない。マスコミが学生選手に対価を支払わない理由は、彼らがアマチュアだからだと説明する。アマ野球を楽しむ――たとえば高校野球ファン――は、雑誌や新聞を買い、その対価をマスコミに吸い上げられる。アマ野球、とりわけ、甲子園大会は、マスコミがコストをかけずに莫大な利益を上げる打出の小槌というわけだ。

マスコミは、たとえば高校野球において、新聞・雑誌等の売上を上げるため、野球美談をつくりあげ、年端の行かぬ若者をヒーローとして扱う。さらに、ルックスの良い野球高校生にハンカチ王子、マークン、コーチャン、バンビ・・・(列記するだに恥ずかしいが)と愛称をつけアイドル扱いする。これも新聞雑誌の売上を高める。

さて、学生野球の選手たちは3〜4年で学校を卒業する。有望選手は、プロに入団するのだが、プロ球団にとって、人気野球アイドル高校生は喉から手が出るくらいほしい存在だ。マスコミが付加価値をつけてくれたから、人気先行で実力が後からついてくれば元はとれる。人気高校生が多額の契約金で金満球団と契約するとなると、実力よりも人気の不均衡が生じる。日本では高校生の野球選手の方が大学・社会人よりも人気があるから、まずもって、高校生をドラフトにかけ、大学生、社会人に希望枠を使える制度で全球団が一致をみた。しかし、高校から大学、社会人に進めば3〜4年後に希望枠が使えるわけで、このたびのような裏金が使われるようになった。“3年後よろしくネ”というわけだ。

日本の野球高校生のうち数人は、プロに入ってすぐ一軍でプレーできる。アマのレベルが極めて高いのである。つまり、高校野球は、NPBのマイナーリーグに対応する。大雑把に言えば、NPBをMLBにたとえるならば、イースタン・ウエスタンが3A、社会人・大学・高校が2Aというわけだ。筆者から見れば、社会人・大学・高校は実態上プロ選手なのだから、プロ同士、自由な契約でかまわないと思うのだが、とりあえず。建前のアマチュアを尊重して、完全ウエーバーにすればいいと思う。

繰り返しになるが、そんなことよりもっと重要なのは、NPBがマイナーリーグを整備することなのだ。若い優秀な野球選手は、甲子園大会を目指すことなどせずに、マイナーリーグのプロ球団とプロ契約し、プロとして活躍すればいい。たとえば、高野連に加盟しない高校の野球選手が、高校に通学しながらプロとして野球ができれば理想的だ。高校に行かない若いプロ選手が、たとえば、アメリカの2A、3Aのような日本のマイナーリーグで腕を磨ければいい。冒頭に書いたように、MLBのドラフト会議対象者は、米国、カナダ、プエルトリコの3ヵ国のアマチュア選手であって、メキシコ、パナマ、ドミニカ等の中南米アマチュア選手は対象とならない。MLBのレギュラー選手は、3国以外の、ドラフト会議の対象とならない国籍の選手で占められつつあるように筆者には思える(統計的根拠はないのだが・・・)。

MLBにおいては、選手供給源としてのドラフト会議の重要度は低下(まったくなくなったとは思わないが)したように思う。世界中に張り巡らせたスカウト網を使って優秀な若者を発掘し、自前のマイナー組織で鍛え上げ、MLBに昇格させるシステムへと変わったのではないか。

NPBは、選手育成システムをアマ側に委託し、優秀なアマ選手獲得に当たっては、指導者・関係者に報道されない対価を支払い、高校生本人に契約金という対価を支払う。契約金は、アマチュア時代、無償でプレーしてきたことの功労金のようなものだ。良識あるスポーツコメンテーター諸氏は、「活躍できるかどうかわからない高校生に多額の契約金を支払うのはばかげている」と言うが、筆者は、そうは思わない。プロが支払う契約金は、アマチュア選手がこれまで行ってきた無償のプレーの数々を精算するという意味で、概ね妥当な金額なのだ。アンバランスなのは、選手は契約金で一気に報われるが、アマ側の指導者・関係者への正当な対価が支払われないことだ。アマでしこたま儲けるマスコミは、アマ野球で儲けながらカネを出さなばかりか、アマの純潔・純粋ばかりを強調する。だから、指導者・関係者は表だってカネを受け取れなくなってしまう。そこで、裏ガネの授受が発生することになる。

結論を言えば(繰り返しになるが)、日本で野球をするアマチュア選手がプロ球団に入る経路に制約が多すぎることが問題なのだ。日本にはプロ球団が大都市偏在の12球団しかない。地域に根を張ったマイナーリーグが実力順に段階的に設立され、マイナー契約の選手がそこで自由に腕を磨けるようになればいい。高校・大学・社会人という巨大な「アマチュア野球」(実はプロ野球)とNPBというプロ野球が高い壁で仕切られていて、選手の流動性を妨げている。MPBからマイナーへの降格や、マイナーからMPBへの昇格が頻繁に行われるようになれば、選手の実力も上がる。

そればかりではない。優秀な高校生が仕方なく大学野球、社会人野球に進むのは才能の浪費だ。また、優秀な高校生で高校を卒業する意思のない者は、すぐプロ契約をして高い報酬を得るべきだ。もちろん、高校に行きながらプロ選手であってもかまわない。

日本のプロ野球レベルが高いのは、高校野球のレベルの高さゆえである。だが、高校野球の世界は欺瞞に満ちており、新聞社(マスコミ)が利益を独占するシステムとして完成し、高校野球関係者・指導者は、その利益から排除されている。

西武球団の裏ガネ問題調査報告から、日本のアマチュア野球が抱える矛盾が見えている。とはいえ、マスコミが自ら築き上げた収益機会を簡単に手放すはずがない。マスコミにはこの問題を解決する意欲もなければ、反省する気配すらない。悪いのはプロ、で一丁上がりか・・・


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