Sports Enthusiast_1

2002年07月28日(日) Jリーグが危ない

ちょっと留守をしていたので、きのう、再開後のJリーグを初めて見た。率直に言って、Jリーグは危ない。
日本のプロサッカー界は、W杯で日本中を沸かせたものの、あの人気は舶来信仰、日本人の海外好みの変形であって、サッカーそのものの人気の高まりではなかった。再開されたJリーグは、一時的W杯人気を本来型(地域に根付いたクラブ運営)に引き継ぐ重要な役割を担っていたはずだった。ところが、W杯開催によりスケジュールが過密化し、選手が疲労のためベストパフォーマンスできないでいる。その姿は痛々しいほどだ。
日本の夏は欧州と違って、サッカーという激しいスポーツには不向きだ。にもかかわらず、週2試合とはひどすぎる。これもJリーグ運営がお粗末なためだ。欧州の夏は日本より過ごしやすい。とくに夜になれば、日中30度を超えていても、長袖が必要になる。それでも、欧州は夏場のこの期間、リーグ戦はお休みなのだ。サッカー関係者は、ビールを飲みながらのナイター観戦という、日本の夏の風物詩をサッカーに当てはめようとするつもりか。野球とサッカーは選手の消耗度がまるで違うではないか。
さらに今年はW杯イヤー。過酷な試合を経験した代表選手の寿命を考えると、微妙なケアが必要なはずだ。十分な休養と移籍が最善手。両方可能であれば言うことはないが、そうもいかない事情もあろう。ところがきのう書いたとおり、Jリーグはリーグを中断してW杯に突入し、しかも、わずか2週間で再開するという狂気の日程を組んでしまった。再開はこの夏場だ。こんな殺人日程を4年後のドイツ大会で繰り返せば、日本の代表選手達――多くの逸材が、使い捨てとなって消えていくだろう。
きのうは鹿島vs神戸を見ていたのだが、この試合には、前回フランス大会代表選手が多数登場していた。彼らは年齢から言えば、十分日韓大会に出場できた。フランス大会出場の経験も生かせただろうし、また技術に磨きがかかり、代表レギュラー間違いなしのはずだった。にもかかわらず、代表に残れなかったのだ。神戸には城というFWがいるのだが、彼はこの試合、ベンチにも入れない。故障という話も聞いていない。城はW杯後、スペインリーグにも行った逸材なのだ。
ヒデと森島以外、2大会連続して代表レギュラーの座を守なかった。それだけ、競争が激しいと言えば聞こえはいい。はたしてそれだけだろうか。2大会連続して代表になるほうが難しい、という見方もあろう。そのとおりかもしれない。しかし、きのうの神戸対鹿島に限って言えば、前大会代表選手は、技術・気力等すべてのパフォーマンスにおいて、明らかに後退している。つまり、新しい力の台頭によって落選した面もあるが、むしろ、自らその力を落として代表に残れなかった。これこそ、現状のJリーグとJリーガーに内在する大問題なのだ。
W杯の遺産を残すためには、日程を含めて、代表選手に対する精神面、技術面、待遇面のケアが必要なのだ。それには、自己管理、リーグ関係者・クラブ・サッカー市場など総合的視点で取り組まなければいけない。W杯後のケアにサッカー選手・関係者が関心を示さなければ、代表選手の寿命はますます短命となろう。危ないな、と思っていたのだが、再開されたJリーグを見て、この思いは残念ながら確信に変わってしまった。



2002年07月27日(土) Jリーグの運営

海外旅行から帰ってみると、Jリーグが再開していた。W杯が終わって2週間しかたっていない。何度もいうようだが、Jリーグのスケジュールは海外サッカーの流れから外れている、というか、サッカーの本質から外れている。
プロサッカーの本質はリーグ戦である。クラブチームの強化が基盤となりリーグが充実し、そのおまけがW杯なのだ。あくまでも、クラブチームの充実が最優先。
しかるに、サッカー後進国の日本では、リーグが成熟する前にW杯が開催されてしまったため、国中がW杯を中心としたサッカー観をもってしまった。換言すれば、JリーグがW杯のために中断されて不思議と思わないサッカー環境は、きわめて異常なのである。しかも、2週間のインターバルというのも、選手、とりわけ代表選手にとっては、過酷というほかはない。リーグ関係者はサッカーをまるでわかっていなのである。
その点、海外移籍が決まった代表選手は幸せである。環境を変えて自分のモチベーションを保つことができるからだ。私は海外移籍できる選手が何人増えるかがW杯の成果だと繰り返しているが、鹿島の鈴木がベルギーリーグに決まったことは喜ばしい。三都主、柳沢、市川、戸田にはぜひとも早いところ、移籍してもらいたい。
さて、再開後のリーグ戦をまだ見ていない。新聞報道の限りでは、代表選手に疲労が蓄積しているらしい。当然である。今シーズンを振り返ると、リーグでの活躍が代表の条件とリーグ戦で煽られ、次に、テストマッチが最終試験だと脅され、ハードスケジュールで本番に突入。激戦を終えて2週間でまた、リーグ戦である。サッカー協会、トルシエ、リーグ関係者のエゴ、無知、無理解の犠牲者以外のなにものでもない。サッカー協会の人事が一新されたようだが、4年間で素人集団から脱却できるのだろうか。



2002年07月11日(木) 取り残されたかも。

世界のサッカー市場が活況を呈してきている。超大物の移籍はまだないが、代表クラスの移籍がそこそこ動き始めた。また、各国の代表監督も選出され、欧州は2年後の欧州選手権に向けてチームづくりを始めた。欧州選手権の実力度はW杯をしのぐといわれてきた。今回のW杯前までは、アジア、北米、アフリカが入ったW杯を、欧州だけの大会の下にみる傾向があった。確かにFIFAランキング上位の欧州の国が予選で破れW杯に出られないのに、アジア枠でランキング下位の国が出てくるのだから、それもいたしかたない面があった。しかし、アジアで大会を開いてみると、ホームの2国が強かったりアフリカ勢が世界一を破ったりと、欧州優位が揺らいだのだ。けれど、今回のW杯だけで欧州優位が崩れたところまではいっていない。韓国がホームの利で欧州強豪に一泡吹かせたというところだろう。
さて、その欧州チームから日本選手にお声がかからない。その反対もない。Jリーグに移籍してくる大物といえばいまのところ、ブラジル代表のエジウソンだけだ。元柏なので復帰だが、柏時代はセレソンではなかった。エジウソンはロナウジーニョの代役を務めたバリバリのセレソンだが新鮮みには欠ける。でも、Jリーグで腕を上げてセレソンに選ばれるというこの事例は悪くない。トゥット(浦和)、エメルソン(浦和)の2選手にも、その可能性がある(と私には思えるのだが)。
日本におけるW杯後のサッカーの話題がジーコの代表監督就任だけでは寂しい。日本から海外のリーグへ、あるいは海外からJリーグへ、代表クラスがどんどん移動してほしい。こうしたグローバルな流動性がサッカーの魅力なのである。海外移籍しなくても強化は図れると、韓国の例をもって主張する人もいるかもしれないが、W杯だけがサッカーではない。リーグが基本なのだ。その意味で、日本は取り残されているかもしれない。



2002年07月10日(水) なるほど。

朝のテレビで、日本代表GP楢崎選手のインタビューを偶然みた。いい男である。落ち着いている。人柄の良さがにじみ出ている。トルシエが楢崎選手をレギュラーにした理由がわかったような気がした。
GKというのはサッカーという競技の中でもっとも行動範囲が少ない。にもかかわらず、責任は最も大きい。およそミスが許されないポジションである。サッカーはミスの競技だといわれるが、GPだけは例外である。FWはシュートをミスしても頭を抱えれば済むが、GKは失職するだろう。
さて、今大会、最優秀選手に選ばれたのがGKのカーン(ドイツ)であったが、決勝でミスをし(チームは負け)た。イングランドのシーマンも同様である。そして相手はいずれも優勝したブラジルであった。ブラジルは相手チームのGKのミスで優勝したのだろうか。そのシーンを振り返ってみよう。カーンは、りバウドの放ったシュートを前にはじいたところをロナウドに決められた。シーマンは、ロナウジーニョのフリーキックを前に出過ぎて頭を越された。両者ともミスといえばミスだが、一瞬のスキををついたブラジル選手の勝負強さの結果だともいえる。ミスか相手の好プレーかの判断は、素人の私には難しすぎる。が、二人のGKには悔いが残ったことだけは確かである。
今大会、私にとって最も印象的だったGKはマルコス(ブラジル)である。マルコスはほぼ完璧(ノーミス)であった。カーンやシーマンのような派手さはないが、堅実かつ素早い反応で、決定的場面を何度も防いだ。優勝したチームだからいうわけではなく、GKがミスをしないことも優勝の条件の1つなのかもしれない。
マルコスのいいところは、球筋を読む力である。だから華麗な守備というよりも、堅実さが光るのである。もしかしたら、楢崎選手もマルコス型のGKかもしれない。しかし、才能があるGKがどんなに練習をしても、全試合にノーミス、あるいは好プレーを連発できるわけではない。説明のつかない運、バイオリズム、集中力があって、完璧さが成就されるのである。何度もいうように、GKもまた、運命のような偶然さからは逃れられない。



2002年07月08日(月) 海外移籍

W杯に出場した日本代表メンバーの海外移籍が決まらない。決まったのは藤本主悦(オランダリーグ)、中村俊輔(イタリアセリエA)と代表外れ組だ。稲本はフルハム(イングランドプレミアリーグ)に移籍するらしいので、この分だと、中田、小野、稲本以外の代表メンバーは海外移籍にかからないことになりそうだ。噂の柳沢(ペルージャ・セリエA)も進展を見せない。一時、三都主のポルトガルという話もあったが、立ち消えのようだ。西沢、川口は実績を残すことなく帰国か。この分だと、海外移籍組がW杯開催前より減少してしまう。いまサッカー界はW杯バブルのような様相で、日本のランキングが24位まで上がってしまった。FIFAの評点方法には細かな規則が定められているようだが、私には、この位置は実力以上だと感じられる。
さて、ジーコは日本代表を南米型にモデルチェンジすると宣言したらしい。いまさら、サッカーに欧州型も南米型もないと思うが、要は1対1に強くて守備と攻撃の切り替えが早く、全員が守備と攻撃に参加する、というチームをめざすことが現代サッカーの基本だろうから、あまり言うほどの変化はないのではないか。
ただ、トルシエが主張した守備のフラット3という「システム」は、あまり、実態を反映したものではなかったように思う。実際の試合になれば、マンツーマンで相手を捕まえなければ守れないのだから。ラインをむやみに上げるのも、いまのオフサイドの「規制緩和」からすると、かなり危険であることがW杯前後の数試合で証明されたと思われる。
以前、日本代表の実力を計るにはW杯の戦績よりもW杯後に何人が海外移籍するかだ、と書いたが、この分だと、海外からのオファーがないということになる。まだ結論には早すぎる時期ではあるが。
私の不安をよそに、ジーコジャパンが走り出す。



2002年07月05日(金) ジーコ代表監督に断固反対する。

W杯余話の極めつけは、日本代表監督の選出だろう。噂どおりジーコ(ブラジル)である。この人、「神様」らしい。現役のプレー、とりわけ黄金の中盤と呼ばれた時代、私にはジーコよりも、長身のソクラテス(名前がすごいので)のプレーぶりのほうが記憶に残っている。鹿島にきてからは、読売とのプレーオフだったか、カズのPKのボールにつばを吐いたことを覚えている。たしか、審判のジャッジに対する抗議のためだったと思う。そのときは、日本サッカーをなめているやつだな、と腹立たしく感じたものだ。
私はこの人選に反対である。「神様」と呼ばれている人物が日本代表のためにドロをかぶるとは思えない。「神様」は勝負にこだわった代表監督などに就任すべきでない。あのセレソンでも、ジーコはテクニカルディレクターであった。しかも、日本代表監督は、完成された選手をつかうブラジルチームとは違う。発展途上の選手を育成する必要がある。私はトルシエは嫌いだが、U21、オリンピック代表、フル代表・・・と、一貫して彼が指導してきたシステムはいいと思っている。ジーコの下に現場の監督を置くというのもおかしな話だ。
ジーコには求心力がある。偉大な選手であった。しかし、代表監督というものは、象徴的な存在ではなく現場的なものである。とことん、勝ち負けにこだわり、成績だけがその存在価値なのである。言葉は悪いが、使い捨てである。
ジーコがやってもだめだった、という敗北のエクスキューズを協会は用意したか。サッカー協会の官僚的体質は救いようがない。早いとこ空中分解して、地道な人物による、地道な強化に戻ってほしいものだ。



2002年07月04日(木) ワールドカップ余話(続)

W杯日本代表に選出されなかった中村俊輔選手が、イタリアセリエAのレッジーナに移籍するらしい。代表に選ばれなかった選手のほうが代表選手よりも早く、海外移籍が決まるとは、皮肉な話である。ところで、このレッジーナがどんなチームなのかまったく知らない。でもセリエAに所属しているからには、相当な強豪だろう。中村選手には、一日も早くイタリアのサッカーに慣れてもらって、活躍してほしい。よく言われるように、当たり負けしない強い身体能力をもつこと、プレッシャーにつぶされない強い精神力をもつこと――「強さ」がポイントだろう。
さて、中村選手が代表に選ばれなかったことについてはずいぶんと、議論があった。が、トルシエ流を一貫して批判してきた私だが、この件については納得している。確かに中村選手の左足は魅力的だが、サッカーは止まったボールを蹴ることは例外である。FKは試合中そう何回もあるわけではない。基本は相手が邪魔するなか、走りながら蹴るのである。そのためには、スピード、強さがなによりも重要である。中村選手は、2つの基本要素において、他の選手たちに劣っているように思えた。Jリーグの守備のレベルでは彼の技術でなんとかなった場面でも、W杯レベルではつぶされることが危惧された。現代サッカーでは、中盤も含めた前でボールを奪われることのリスクはあまりにも高い。中村選手よりも、小野選手、明神選手、三都主選手のほうが、このリスクを回避できる可能性が高いように思えた。
中村選手がセリエAで活躍すれば、私の予見は見当違いだったことになる。セリエAからも目が離せない。



2002年07月03日(水) ワールドカップ余話

次なるワールドカップ余話としては、次期日本代表監督候補の話であろうか。報道ではジーコが他を圧倒し監督に最も近い位置にあるようだ。報道が過熱したため、岡野サッカー協会会長が正式発表は7月20日、とその沈静化に努めた。私の予想はベンゲルだったので、まったくはずれた。ジーコならば、トルシエ路線の踏襲ではなく、新たな飛躍を目指すことになる。
まず大きなシステムの変更があるだろう。ブラジルに倣っての4−3−3である。今大会の代表で再編すると、CBは右が松田、左が森岡(宮本)、右SBが市川(明神)、左が中田(浩)、戸田のワンボランチ、MFの右が稲本、左が小野、FWは中央にヒデ、右に柳沢(森島)、左に鈴木(西沢)ということになる。これは超攻撃的な布陣でほとんど攻撃体制である。
これもなかなかだが、MF左に三都主が入って小野がボランチに下がり戸田がOUTしたらもっとすごいことになる。更に南米で腕を磨いている広山が右のMFに参戦するかもしれない。4バックも楽しみだ。



2002年07月02日(火) ワールドカップ・ストーカー

最優秀GKに選ばれたカーン(ドイツ)を、地元新聞が責めたという。ブラジルとの決勝戦で犯したミスのことだ。これはW杯の余話として、比較的大きなものの1つではないか。ドイツの新聞も過酷なことをするものだ、と私のような日本人気質の持ち主には思えるのだが、欧州・南米などでは当然のことらしい。いいプレーをすれば賞賛し、悪ければ非難する。4年前、ベッカム(イングランド)も「愚か者」と非難されたし、ロナウド(ブラジル)も「小心者」と呼ばれた。この二人がいずれも今大会で汚名を晴らしたことは喜ばしい限りだ。カーンもこのままでは終われまい。4年後か2年後か知らないが、この批判を受け止めて更なる飛躍を目指すことだろう。
日本ではどうか。日本のスポーツマスコミは、選手ならびに関係者を非難・批判することはなく、むしろ、まったくスポーツとは関係ないイエロージャーナリズム(B社、S社の類)のほうが、検討違いの批判をすることが多い。スポーツジャーナリズムが選手を批判をしないのは、選手から取材拒否にあったり協力を得られなくなって、売り物の「特集」が組めなくなったりするかららしい。だから、「よいしょ」記事は腐るほどあるが、選手を叱咤激励する記事は皆無というわけだ。スポーツと関係ないゴシップ、スキャンダルか、「よいしょ」か、あるいは、見当違いの誹謗中傷記事しかわれわれは読むことができないのである。
これでは、ファンはたまらない。知らないことを知ることがファンの権利であって、そのためにスポーツジャーナリズムが存在しているのではないのか。知りたいことを代表して調べるために、ジャーナリストは取材という特権を持っているのではないのか。
日本では、たとえば、トルコ戦で不用意なバックパスをして相手にCKを与え、結果、相手の得点に結びつけてしまった中田(浩)を批判した記事をみかけない。決勝Tのトルシエの不可解な選手起用も、ジャーナリズムが調べない。ジャーナリズムが追求しないから、うやむやなままである。監督には選手起用の権利があるのだから、どんな起用をしてもかまわない。ただ、その理由、根拠を明らかにする(ジャーナリズムはそれを聞く)義務があるはずだ。納得できるものならば、それはそれでかまわないが、納得できないものならば、それについて批判を展開することのほうが自然である。
選手の精神面を育てるのはサポーターとスポーツジャーナリズムである。両者とも、悪いプレー、納得いのいかない結果には断固、ブーイングをする権利をもっているからである。その意味で、選手とサポーターは「一体」ではない。サポーターは応援をするが、それは一方的な「愛」とは違う。応援は批判と裏腹の関係にあり、それは極めて緊張した関係なのである。一方的な惰性の「愛」など、ストーカーのそれであって、真のサポーターの心情とは遠い。
日本のサッカー界には、いや、スポーツ界全般において、こうした関係が築けていない。大きな大会に乗じて、熱狂的な「ファン」と称する「ストーカー」ばかりが増えるのである。こうした「ファン」(すぐに醒めてしまうのだが)を即席に増殖させるのが、日本のジャーナリズムの仕業なのである。彼らは勝ち負けにこだわった、思い入れたっぷりの作文は得意だが、分析や調査といったスポーツに必要な取材はしないようだ。



2002年07月01日(月) 「プライド」

の地上波テレビ放送があった。あの総合格闘技である。高山(ノア)とドンフライがノーガードの殴り合いを演じていた。負けた高山の顔が異様に腫れ上がって痛々しかった。
この格闘技、ご存知のとおり、グラブをはめてパンチ、蹴り、締め、関節といった攻撃が許される。凄惨な試合、一方的な試合、瞬間的に終わってしまうものなど、必ずしも見ていて面白い試合が多いというわけだはない。けれど、この競技の誕生によって、日本の格闘技の様態は劇的に変化したことは確かだ。プロレス、アマレス、空手、柔道、相撲、ボクシング(国際式、ムエタイ、キック)、サンボといったいろいろな分野の格闘技から参加者が増え、いっきにブレークした。
海外では米国を中心に、「アルティメット」(「究極の」という意味か)と呼ばれ、マイナーながらファンを増やしていったらしい。
日本ではショーとしてのプロレス(八百長という言葉は正確ではない)に見切りをつけたグループがそれぞれレギュレーションを決めて、戦いの場を広めた。前田が自分の団体(FMWだったか)を創設したのが皮切りだったかもしれない。
ケーブルテレビで「パンクラス」をやっているので、たまにみている。この団体は(私が通っているスポーツクラブのインストラクターによると)、スター不在でいずれ消滅する可能性が高いとのことだが、私にはわからない。「プライド」とのレギュレーションの違いも、私にはわからないけれど、鮮烈なKOシーンを見たことがない点では一致している。
それでも、一瞬に決まる関節技は美しい。格闘技も驚異的な進化を遂げていく。


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