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五十嵐 薫
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エンピツユニオン

2013年03月12日(火)
クロワッサン

開場の10時にはだいぶ間があったが、カトリック雪ノ下教会大聖堂の前には長い行列ができていた。
鶴岡八幡宮、鎌倉市仏教会、鎌倉市キリスト教諸教会による東日本大震災の追悼・復興祈願祭に出席する人たちだった。
キャップを脱いで、列の後ろに並んだ。

聖歌隊の合唱の中、堂内に入る。
十字架の前には位牌がおかれ、祭壇の前には焼香台が据えられていた。
まず、清泉小学校の児童によるカトリックの歌。
続いて鎌倉仏教会有志による読経。
鶴岡八幡宮の神職による雅楽奏上に続き、建長寺からは鎌倉流御詠歌が奉詠された。
ここで会場を出た。
プロテスタントの分担する部分は会場の外で頭を垂れて拝聴した。



鶴岡八幡宮に向かう。
休館の神奈川近代美術館では何やらアイドルグループが撮影をしていた。

神前で祈る。
世界の恒久的な平和から身内の学業成就、贔屓のスポーツ選手の活躍まで。
随分と長い時間手をあわせていた気がする。
何か目に見えないものに何もかもを委ねたかった。

絵馬を奉納する。



海に向かう途中、ユニオンに寄り日本酒の五合瓶を買った。
長谷辺りの海岸で、震災の犠牲者に祈ろうと思った。
気持ちがさざ波立ったら、高徳院に赴き大仏の慈悲に縋るつもりだった。



14時を少し回ったところで携帯が震えた。
「もしもし、今どちら?」
「鎌倉だけど?」
「あのね、この前のパン屋さん、今日は限定のクロワッサン焼くってツイートしてたの」
「へぇ」
「予約の電話入れるんで寄ってもらえない?」
「いいけど。今日何の日か知ってる?」
「もちろん。でも、限定のパンが…。」
笑いながら携帯を閉じた。



そうだ。人は悲しくたって飯を食う。
恋もするし、未来を夢見る。
彼女の子供が生まれたのだって震災の翌年だ。
未来を悲観して足元ばかり見るより、限定のパンに目を輝かす方が健康的だ。

人はパンやブドウ酒のみで生きて行くのではない。
そう、聖書ですら神の前にパンやブドウ酒を置く。



14時46分。
沖にはウィンドサーフィンやヨット。
海岸にはサーファーや観光客。

黙祷から顔を上げる。
横のカップルも丁度同じタイミングで顔を上げるところだった。
五合瓶の日本酒の栓を開け、海に注ぐ。
波が靴を舐める。
旋回する鳶の影。
何してんの?この人、って顔で僕を見る高校生くらいの男の子。
二十歳を過ぎたら判るよ。



大仏には寄らなかった。
長谷駅から藤沢行に乗った。
七里ヶ浜や鎌倉高校前で、車窓から海を眺める。
強い風で少し汚れた窓から、キラキラと輝く海が見えた。



藤沢からパンを抱えて電車に乗った。
クロワッサンもいいけど、僕はクルミがぎっしり入ってるこのライ麦パンが好きなんだ。


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