職業婦人通信
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2005年10月14日(金) いま、会いにゆきます(手土産服装編)

服装は結局、グレーのスーツにした。
ただ、「ビジネスっぽいのはダメ」という噂に従い
ジャケットの前をボタンじゃなくてリボンで留めるタイプで
スカートにフリルがついてるものにしてみた。

私はリボンだのフリルだのがついてる服なんて
めったに着ないので、鏡にうつった自分に
大爆笑モンの違和感190%であったが
もうこの際仕方がなかった。悩んでいるヒマはない。

色々情報をいただいた手土産については
これまた悩みぬいたものの
たねやの和菓子詰め合わせを。

自分自身がたねやの和菓子大好きだから、というのも
理由のひとつであったが
最後の決めては
「箱が立派だったから」。

・・・。
そんな理由かよ、と思われるかもしれないが
んもうこの際見た目重視である。

2段重ねの箱、という、
まるで時代劇で越後屋が悪代官に贈ってるような
(下の段にワイロが入ってる)見た目であったが
立派だったんだもの、全体的に。

最初、3段重ねを買おうとして
相方に
「そこまでするこたねぇだろ」
と止められ

さらに箱を包むラッピングを
別料金800円で販売されている風呂敷
(たねやでは「ひら包み」とか書いてあったが要は風呂敷)
にしてもらおうとして、また相方に
「そんなの大げさすぎるよ、かえって変だって」
と止められた。

ま、そうよね、3段重ねなんておせち料理じゃあるまいし
風呂敷だって今どきちょっと仰々しいよねぇ。うんうん。
かえって目立つようなことはしないほうがいいよね!
と思い、結局3段重ねも風呂敷もやめたのだが、

その時の私は知らなかった。

その「3段重ね・風呂敷問題」が
後日になって大きな禍根を残すことになるということを・・・


2005年10月13日(木) いま、会いにゆきます(前日編)

服装で悩んだり
手土産で悩んだりしているうちに
いよいよ先方のご両親への挨拶前日となった晩。

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私は緊張して眠れず

鏡の前で
白髪を抜いたり
(私は若い頃から時々白髪があるのだが
 ご挨拶の時に白髪があってはマズいと思ったので)
「笑顔でご挨拶」の練習をしたりしていた。

が、
部屋の鏡にうつった自分のぎこちない「笑顔でご挨拶」は
心底気持ちが悪くて泣きたくなった。

(うわーん、こんな笑顔がキモい女、嫁にしたくないよね向こうの親もー!)
と思うといたたまれず、ベッドの上でのたうちまわったりしているところへ
相方から電話がかかってきた。

相方「あのさ、明日午後3時にって約束だったじゃん、でも
   『5時に来い』ってウチの親が言ってるんだけど・・・」

千代「え、なんでなんで?別に何時でもこっちはかまわないけどさ」

相方「親が『せっかくだから夕飯食べて行け』って。
   そのほうが千代子も間が持っていいだろうと思ってさ、
   オレが勝手にOKしちゃったんだけど」

千代「・・・・・あ、そ・・・」

相方「マズかった?ウチでめし食うのイヤ?」

千代「いや・・・そんな・・お気遣いありがとうございます・・・」

なんとか取り繕って電話を切ったものの、
私はますます緊張が高まるのを抑えきれなかった。

ご飯、かぁ・・・
正直言って気が重い。

お気遣いは嬉しいけど、
私、食事マナーとか大丈夫だろうか?
今まで食事マナーで人から注意されたことはないけれど
彼ママに
「あの子ったら、マナーが全然なってないわ」
とか思われたらどうしよう?

そして、何よりも
どういうタイミングでお手伝いを申し出ればいいのか?
という大命題を抱えてしまうではないか。

彼氏の実家とはいえ
まだまだお嫁になったわけでもない私が
いきなり台所に入ったりしていいのだろうか?

「もう嫁気取り?気の早い子ねぇ」
とか思われたらどうしよう?

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モンモンと色々な思考が駆け巡り、
こういう時どうしたらいいのかを
あわててネットで調べたり

またも鏡の前で
「お箸を持ってニッコリの私」
の練習をしてみて
さらに深い自己嫌悪の泥沼に落ちたりしているうちに
いつしか当日の朝がやってきていたのであった・・・


2005年10月03日(月) いま、会いにゆきます(前回訪問編)

週末に
行ってきました
ご挨拶
(七五調)

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実は、
相手のご両親に会うのはこれが2度目である。

前回(初回)はもう4〜5年ほど前。

--以下、前回の経過--

もちろん婚約のご挨拶なんてもんじゃなく
「おつきあいしてるコを紹介がてら実家に連れてきてみた」
というシチュエーションであったが
普段着でまんまとお邪魔した私は
腰を抜かした。

庭付きの瀟洒な一戸建て(某高級住宅街)、
吹き抜けの天井の高いリビング、
ウッドデッキにサンルーム、
見るからに高価そうな家具の数々、
流れるクラシック、
マイセンだかなんだか(年代物)の美しいティーセット。

ティーポットをリビングテーブルの上で
アルコールランプみたいな専用の器具で
あっためていたのだが
そんなのを見たのも初めてであった。

その
はいそさいえてぃ〜な雰囲気に
私はすっかり気圧され→緊張→そして萎縮し
手が震えて
ソーサーの上でティーカップがカタカタと鳴った。

そして緊張のあまり、ご両親とはまったく会話が噛み合わず。
記憶も飛び飛びなのだが

主に
私の両親の仕事や
私自身の仕事や出自について尋ねられ
まるで面接のような気分になって
ますます緊張する羽目に。

仕事のことなどを色々聞かれている中で、
なんとなく給料の話になり、
「ホントに私の会社、お給料が安いのです」(事実)
と言ってみたら、お母様に
「あら、それなら辞めたらいいじゃない?」
と、あっさり言われたので
さらに萎縮した私はその後、ほとんど口がきけなくなった。

そしてお父様はしばらく一緒にお茶を飲んでいたが
15分後には私に興味を失ったのか
リビングの向こうで本を読みはじめ
その後の会話はないままに終わったのである。

1時間かそこらでお宅を辞去したが
しばらくはショックから立ち直れなかった。

自分や実家の環境とちょっと違うお宅だったからって
何も自分を卑下することはなかったのに
雰囲気に気圧されて萎縮した自分が恥ずかしかった。

そんな私をさらに追いこんだのが
その後、お母様から息子にかかってきた電話で
「あのコ(私のこと)、顔がおっきいわねぇ〜お母さんびっくりしたわよ」
と言ってるのを電話ごしに聞いてしまったという
なんとも脱力的ショックな出来事であった。

うん、顔おっきいけどさ。
まぁ、その通りだけどね。
本人もけっこう気にしてるよ。うん、おっしゃるとおり。

青木さやかを見ると
(アタシもテレビ映ったらこんな感じなのかなぁ)って心が痛むよ。

もちろんお母様は私に聞こえてるなんて
思っちゃいなかったんだろうし
なんせったって事実だからねぇ。
私がそれを恨みに思う筋合いはないよ、うん・・・(泣きながら)。

それでも、当時の、今よりももう少し若くて自意識もあった私は
なんだか激しく凹んでしまい
それからというもの、相方の実家恐怖症に陥り
5年近くの間、1回も会うことなくここまで来てしまったのであった。

--以上、前回の経過--

とはいえ、我々が付き合いはじめてから
6年〜7年の月日が流れ

そんなら一緒に住むベぇかー、
ついでに籍も入れっぺかー、
じゃあまんずセオリー通り
互いの両親に挨拶すっかー

となり、

結婚することになった以上は
相手のご両親とも仲良く、というか円満な関係を
築いてゆきたいので
前回の失敗を踏まえつつも
ここはひとつ腹を据えてご挨拶に行くしかない、
と悲壮な決意を固めたのだが

今回の訪問にあたって
私が手土産から着るものまで悩みぬいたのは
何しろ、この前回の時のショックが
トラウマと化しており
どういう感じでお伺いしたら良いものやら
さっぱりわからなくなってしまったからであった・・・。

(続く)


千代子 |MAIL
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