職業婦人通信
DiaryINDEXpastwill


2004年06月30日(水) 氷水と専務

私はかつて、ほんの数か月だけ役員秘書の仕事を
今の仕事(広報)と兼務していたことがある。

それまでの秘書が辞めちゃって、次の秘書が見つかるまでの
期間限定だったので、

「ちょっと秘書ってカッコいい響きだし、
 面白そうだからやってみてもいいんじゃん」

ぐらいの軽い気持ちで引きうけたのだが・・・

----

私が担当した役員は専務1名・常務2名・監査役2名の計4名。
この4名に対する1日の主な秘書業務を列挙してみると、


【千代子 1日の秘書業務】

 8:30 朝刊を全役員の机に置く。
      専務と監査役2名に日本茶、常務2名にはコーヒーをお入れする
      1日のスケジュールを伝える
      お昼ご飯が必要な役員から店屋物の発注を受ける

      (以降、適宜来客があれば茶を入れる)

 9:30 専務の喉が乾くので茶を入れなおす。おしぼりもつける。

10:30 また専務の喉乾く。茶を入れなおす。おしぼりつき。(以下1時間ごとに繰り返す)

11:50 天丼やそばなど、店屋物が届く。
      お茶とおしぼり、インスタント味噌汁を添え、全役員に配布

12:40 昼食を下げる。器を洗う。
      全役員に茶とコーヒーを入れなおす。
      専務には薬を飲むための水を1杯。

13:30 専務の喉は断続的に乾くので午後も1時間ごとに茶を入れなおす

14:00 もらいもののお菓子があるか在庫確認、
      なければ買いに行く(役員のおやつ用)

15:00 全役員におやつと茶を出す(おしぼりつき)
      (15:30に下げる)

16:00 夕刊を全役員に配布

17:00 専務に薬を飲むための水を1杯出す

18:00 全役員を見送り、役員室の簡単な掃除をし、鍵をかける



これだけだったら「別に大したことない雑用じゃん」って思われるかもしれないが
私は一応、自分の本来の仕事(広報)を持っている。

広報の仕事もしながら他人の世話をつきっきり(に近い)で
やらなきゃならないので、もんのすごぉぉぉーーーーく面倒だった。

とにかく手がかかるのは専務。
しじゅう喉がかわくわ、薬は飲むわ。
そのくせ専務はほとんど仕事らしい仕事をしておらず、
新聞と本を読んでるところしか見たことがなかった。

ちょっと広報の仕事に集中していると
すぐに専務にお茶を入れ忘れてしまうため、
ついには目覚し時計のアラームをセットして
1時間ごとにお茶を入れ替えていた千代子であった。

そんなある日の夕方。

専務室から電話があり、専務が
「千代子ちゃん、水と氷持ってきてくれる?」
という。

(さっき薬を飲むための水は持っていったばっかりなのにまたかよ・・・)
と、心の中で舌打ちしながらも
コップに氷水を入れて持っていくと

「ちっがーーーーう!」と一喝されてしまった。

見ると専務の机の上には
上物のウィスキーが1瓶、置いてあるではないか。

専務は「氷水」ではなく、
ウィスキーを飲むための「氷水」が欲しかったのだ。

・・・あんたねぇ・・・。

1時間に1回お茶が入り、
一日中新聞読んだり本読んでのんびりしてて、
毎日3時にはおやつが出てる
至れりつくせりの環境にありながら、

ついには酒ですか。

役員といえども、就業時間に机で酒を飲むのですかアンタは。

----

私は、自分が出世とは縁のないヒラOLであることに何の不満もなく、
出世したいなどと思ったことはただの一度もないが、

このときばかりは思った。

「アタシも専務になりたい・・・」
と。

だって専務になったら
仕事しないで酒が飲めるんでしょ?(大きな勘違い)


2004年06月25日(金) 「太く短く」、そして

千代子がピチピチのOL1年生だった頃。

当時、会社にいた宮本部長(仮名・当時55歳)は、
花形部門の部長として誰もが認める、華やかなイメージの仕事人であった。

宮本部長は会社の対外イベントをすべて取り仕切るイベント屋。
うちのようなお堅い会社としては珍しかった
クラブイベントを主催したりと、ユニークなイベント屋として
社内外で名を馳せていたのである。

宮本部長はプライベートでもちょっと変わっており、
55歳にしてブレイクダンスの名手(頭で回ることもできた)で、
六本木あたりのクラブやディスコにはたいてい出入りし、
ヒップホップ系の音楽にやたら詳しいという変なオヤジではあったが
公私ともにお祭り男として楽しく生きている模様であった。

そんな彼は、役職定年(部長だと57歳で定年を迎えるシステム)が
導入された瞬間に
「これからも太く短く、楽しく遊んで暮らしていきたい」
との言葉を残してあっさりと会社を去った。

それから数年、去るもの日々に疎し。

宮本部長のことは忘れ去られつつあり、
「太く短く生きているのであろう」と誰もが思っていた
今日のこと。

宮本部長の消息を人づてに聞いた私たちは唖然とすることになったのである。

宮本部長は今、浮気がバレて奥さんに離婚され(当然慰謝料を支払った)、
それまで住んでいた家を追い出されて中野の小さいアパート「××荘」で一人暮しとなり、
まもなく胃がんをわずらって入院したのだという。
無収入のうえに
慰謝料でほとんどの貯金(もともと遊んでばかりで貯金はそれほどなかったらしい)もなくなり、
生活保護を受けながら、相当厳しい闘病生活を送っているらしいのだ。

あんなに女と音楽と踊りをこよなく愛し、天真爛漫に遊びまわっていた宮本部長が
今では見る影もなく痩せ細り、お金もなくひっそりと老後を迎えているという事実は
私たちにとって驚愕のきわみであった・・・。

ある者は
「宮本さんも遊びすぎたツケが回ってきたんだよ、自業自得だね」
と言い、またある者は
「それでも宮本さんは後悔してないんだろうからいいんじゃないの?それも男の生き方さ」
と言った。

太く短く生きようとした宮本部長が
今、どんな気持ちで生きているのかは私たちの想像を超えているし
それは本人にしかわからないことだから、
他人が忖度することは無意味だ。しかし、宮本部長は親しい知人に対しても
ここ1年は全く連絡を断っているのだという。

そういうことを見る限り、
今の自分を見られたくないのだろうと想像せざるをえない。

----

太く短く生きるのは、簡単そうに見えるけれど
その幕引きまでも太いままで生きることはきっと、とても難しいことなんだろうなぁ・・・。


2004年06月24日(木) ヨン様を探せ

ヨン様といえば誰も知らぬもののない今日この頃である。
冬ソナがNHK地上波で3回目の放送に至り、
そこらじゅうでオバさんが「先週の冬ソナ」について語り合う
風景が見られる。

でも、今冬ソナで盛り上がるのは遅いわ!
私は1回目の放送(1年くらい前だっけ)から
冬ソナにハマっていたのだ(自慢げにふんぞり返りつつ)。

その頃は、「『冬のソナタ』っていう韓国ドラマがさ〜」
などと話しても、会社の同僚などは誰も乗ってこず、
「ペ・ヨンジュンっていう人がね」なんて言ったところで
「ハァ?ペ?」などと鼻であしらわれるのがオチであった。

そんな頃がウソのように、今やすっかり韓流ブーム。
大久保はペ・ヨンジュン一色となり、
本屋では平積みで韓国スター特集のムックが売られ、
ヨン様が来日するといえば数千人が成田に押し寄せ、
ついにはサンヒョク(冬のソナタでヨン様の恋敵役。本名パク・ヨンハ)まで
来日し、あげく感極まって泣くしまつ

しかし千代子が冬ソナを見るのももう3回目。
さすがにちょっとここまでブームになるとちょっと食傷気味ではある。

そんな感じで、いいかげん冬ソナにもヨン様にも飽きてきていた
昨日のこと。

千代子が「グリコ 黒ごまプリッツ」をボリゴリと食べつつ
いつものようにアンニュイなOLの午後を過ごしていると、
電話が鳴った。出てみると、相手は某テレビ番組制作会社の人。

彼の話をかいつまんでみると、

----
今、素人のOLを集めて「負け犬VS勝ち犬」で闘わせたりなどして
イジる特番の制作を進めており、
この番組の中で「わが社のヨン様」というコーナーを考えています。
ついては、千代子さんの会社にヨン様に似た方はいないでしょうか。
いらっしゃいましたらぜひ、番組に出演していただき、
会社の事務所での取材もさせていただきたいのですが・・・
----

という依頼であった。

その、ひとくくりにOLをバカにしようとする番組のユルい企画意図もさることながら、
いまさら『負け犬の遠吠え』をコンセプトにして女同士を闘わせたり、
コメンテーターが倉田真由美や室井佑月だったりと、んもうその番組全体が
内容を聞けば聞くほど見るに耐えないバカ番組だ・・・とは思ったものの、

これも仕事のうちである。

社名のPRにつながるとあれば、一応のところは協力する姿勢は見せねばならぬ。

そこで電話を切ったあと、しみじみと
「うちの会社のヨン様」について考えてみたのだが・・・

いねぇよ。いるわけないよヨン様。

一応、都内の同僚ネットワークを使って、
「都内在勤の数百名いる社員のどっかにヨン様に似てる人がいない?」
と尋ねてみたのだが、

「いるわけねえよンなもん」という返事がワンサカ戻ってきただけであった。

ある部署に在勤している同僚からは
「ヨン様似どころか、若い男すらいない」
という、侘しすぎるメールが。

----

そう、ヨン様に似てなくてもいい。
30代の男性すら極端に少ないわが社の状況をどうにかしてほしい、
と、強く強く感じた千代子であった・・・。



最近読んだ本

大沢在昌「灰夜」(光文社文庫)★★★☆ 
 最近の「新宿鮫」シリーズの中ではかなり良。
 レギュラー陣が出てこないほうがむしろ新鮮でいいような気が…。

京極夏彦「嗤う伊右衛門」(角川文庫)★★★★
 読まず嫌いの京極夏彦に初チャレンジ。


2004年06月22日(火) 乙女心の凄まじさ

千代子の会社は年に一度の健康診断シーズンを迎えている。

----

35歳以上のの社員は
バリウム飲んでぐるりぐるぐると回されたり
眼底検査と称して目にショックを与えられたりと
色々追加メニューをこなす必要があるものの、

千代子はまだ30歳、
着々と迫り来るバリウムの足音には耳をふさぎ、
身長・体重・尿検査・血液検査・視力聴力といった
ベーシックメニューを消化するのみである。

しかしやはり体重を会社で量られるというのは
なんともイヤなもので
昨日からご飯を減らし、酒を控え、
今朝は当然朝ご飯は抜き、測定に備えた千代子であった。

そして今日の昼前のこと。
いよいよ、私が健康診断を受ける時間帯がやってきた。

性別とか部署によって受診時間は決められており、
私が振り当てられたのは「本社の女子社員+企画部門の女子社員」の時間帯である。

千代子の会社の本社部門はほとんどが派遣社員さんで
残された正社員(女子)は千代子を含め数名しかいないのだが、
一方、一緒の時間帯を割り当てられた企画部門の女子社員は数十名の大所帯。

私は適当にさっさと一人で受けてこようと思っていたのだが
普段はそれほど仲良くもない(仲が悪いわけでもないが)
本社社員のMちゃん(2年後輩)からわざわざ内線がかかってきて

「すみません千代子さん、一緒に健康診断行ってもらえますか?」

という。

健康診断くらい一人でも受けられるでしょアンタ、と
ちょっと思ったが、まぁそこはそこ、女子の人間関係というのは
何かと面倒である。

普段本社から出ることがなく、他部署にあまり知己のないMちゃんは
企画部門の女子社員多数にかこまれて
一人で健康診断を受けるのがイヤなのであろう。

私自身は企画部門の女子社員たちと仲良しなので
その手のプレッシャーは皆無であったが、
Mちゃんと一緒に行くのがイヤなわけではないので、
結局は一緒に連れ立って健康診断会場へ向かったのであった。

そしてともに採尿し、採血したのち、
今日の(千代子的には)メインイベントである、体重計測の順番がめぐってきたのである。

が、何やらMちゃんの様子がおかしい。

「千代子さん、どうぞお先に」
と言いながら、何かモゾモゾしているので

「あっそう、じゃ、お先に」

と言い、私が先に体重を計測
(息をとめ、身体をできるだけ中空に浮かそうと努力したが当然意味なし)した。

そして振りかえると、Mちゃんはなんとなんと、
制服(スカート・ブラウス・ベストの銀行員3点セット)のベストを脱ぎ、
さらにブラウスの下のブラジャー(ヌーブラ)をごそごそとはずしたところであった・・・。

千 「Mちゃん・・・なんでブラを・・・?」
M 「だって千代子さん、ヌーブラって重いじゃないですか〜。
   制服のベストとヌーブラできっと何百グラムかは違いますって」
千 「・・・・なるほどねぇ・・・」

そんなことまでして体重を減らしたかったのか・・・アンタ・・・

----

たしかにヌーブラは、中にジェルだかなんだか入ってるから重い。
それはわかる。わかるんだけどね。

Mちゃんは私なんかよりよっぽど華奢で細身なのに
なぜそこまでして体重を少なくしたかったのであろうか。

「連れ立って健康診断に行きたい」という心理もそうだが、
「ヌーブラを外してまで己の体重を軽く計測したい」という乙女心?に
同性ながら、女の執念を垣間見たような気がした千代子であった・・・。


2004年06月18日(金) 伝説の上司

この日記で何度かご説明してきたとおり、
私の上司は毛深い。とにかく毛深い。

腕から手首、手の甲までびっしりと密生した
毛の間は漆黒の闇と見まごうほどで、

『ある夏のこと、彼の血を吸おうとした蚊が
 その腕毛に絡めとられて出口を失い、死に至った』
という伝説が言い伝えられる男である。

そんな彼を、私たち女子社員は敬意をこめて
「大帝」(ジャングルだから)と呼んできたのだが
(役員には昔「ケガニ」って呼ばれていた。ひどい)

最近、上司としてムカつくことが多くなったため
敬意が薄れ、新たに千代子が命名したあだ名のが
「ケブー」。

「“毛深いケモノ”っぽい感じが出てていいよぉ」
と、同僚の女のコに誉められたあだ名である。

----

前置きが長くなったが、ケブーはとにかく
天然というかバカというか、
信じられないような素っ頓狂な奇行をしでかすことがあって、
その毛深さ以外にも驚かされることが多い。

たとえば、私がケブーの部下となってまだ数か月の頃の話。

千代子が来客応対中のケブーにお茶を入れようと
応接室のドアをあけてみると、
ケブーはあるビデオをお客様に見せようとしていた。

が、見せたい部分の頭出しができていなかったようで
巻き戻しと早送りをガチャガチャ繰り返している模様。

それでもなかなか、お客様に見せたい部分を再生できないケブー。
焦っているのが傍目にもよくわかる。

「んなもん、客が来る前に頭出ししときゃいいのに・・・」
と、上司のマヌケぶりに心の中で舌打ちした千代子であったが、

その次の瞬間、千代子はかつてないほどの
激しい驚愕に襲われることとなった。

焦ったケブーはついにビデオテープを取りだし、

B面に入ってんのかな?」

と、ビデオテープの裏をチラリと眺め、

そしてそのテープを

裏返しに、
・・・いいですか奥さん、裏返しにしてですよ!

ビデオデッキに再度、突っ込んだのである。

当然「向きがちげーよ」とばかりに異音を立て、
挿入を拒否するビデオデッキと、
「なんだよ、入らねぇな」とばかりにテープを
無理やり押しこもうとするケブーとの戦いが数秒続いたのであった。

音楽用のテープじゃあるまいし、
ビデオテープにA面もB面もあるかい!

私は茶を取り落としそうになり、
客は驚愕のあまりソファの上で固まっていたのだが、

客はその後、ツボに入ってしまったらしく
肩をふるわせて笑いをこらえはじめた。

それにも気付かぬケブーは
「いやー、ビデオの調子が悪いみたいですいません」
と、汗をふきふき、何事もなかったかのように
ふるまったのであるが、

ツボに入った客の肩は
小刻みに震えつづけたのであった・・・。

----

その後もケブーは常識はずれのことを
いろいろやらかしてくれるので
部下としては恥ずかしい思いをすることもあり、
腹の立つこともあるのだが、

「ビデオテープにB面がある」と、
おそらくは今も信じている上司が
少しかわいくも思える今日この頃である。トシかしら・・・。


2004年06月16日(水) 脳内メロミックス

ふとした瞬間に、頭の中に何かの歌とか音楽とかが残ってしまって
一日中、その歌が離れないということはありませんか?

----

昨日の夕方突然、何の脈絡もなく

“もー恋なんてしないなんてぇー言わないよぜぇったいー♪”

という、マッキーの歌(たぶん「もう恋なんてしない」っていう曲名)
が頭から離れなくなってしまった。

電車乗ってもマッキー。
爪を切りながらマッキー。
煙草吸ってもマッキー。
ずっとずっとマッキーである。

困った。

私は別にマッキーのファンでもなんでもないし、
その曲もたしか何年も前、大学生の頃に流行っただけで
特に思い入れのあるようなものではない。

なのに頭から離れない“もー恋なんてー♪”。
もともと私はもう恋なんてしないなんて言う気はまったくないし、
正直言って非常に不快である。

そして夜。

しだいにマッキーの呪縛も解け始めた私は
録画していた番組のビデオを見ていた。

しかし、今度は
たまたま録画されていたCMの歌によって
新たに私の頭はジャックされてしまうこととなった。

“かーさん お肩がーこぉーってるの
 プチプチプチプチプチシルマー♪”

しかも林家ぺー師匠と研ナオコのCMソングであった。最悪・・・。
(プチシルマのCMをご存知ない方、すみません)

私の脳内は完全にプチシルマに支配され、
林家ぺーと研ナオコが
プチプチと舞い、歌い、そして踊っていた。

「いかん!シャワーで洗い流して気分を変えよう」
と、シャワーを浴びてもプチシルマ。
ドライヤーかけてもプチシルマ。

おまけに、私にしては珍しく昨晩は寝つきが悪く、
プチプチプチプチプチシルマーに脳内を支配されたまま
転々と寝返りを打ち、寝苦しい夜を過ごしたのであった。

----

そして今朝。

マッキーともプチシルマともお別れしたつもりでいたのだが、
電車の中で発作的に脳内を流れ始めた歌は

♪もー恋なんてしないなんてぇー
 プチプチプチプチプチシルマー♪

ついに両曲がブレンドされ、
今も、私の脳内はマッキーとぺーとナオコが
不思議なメロミックスの中で歌い踊っている状況に。

寝不足とあいまって、
非常に苦しいです。


2004年06月15日(火) 三十路の挑戦 その2

こちらで書いたとおり、何をどう間違ったのか
バイクの中型免許を取るべく、教習所へ通い始めた千代子である。

----

私は高校生時代、「ママチャリの千代子」として
ママチャリの運転技術とスピードでは
高校でもちったぁ名を知られた女子高生であった
(↑世界一ムダな自慢、そして多少の脚色あり)。

いかなる急坂(下り)でもスピードは落とさず、
いかなる急坂(上り)でも立ち漕ぎで上りきり、
カーブでもスピードは落とさず身体をバンクさせて曲がりきることを信条とし、
歩道にあっては歩行者を脅かし、
車道にあっては車をどかせて走行する、
迷惑暴走チャリライダーであったのだ。

したがって、二輪に対する根拠のない自信は持っており、

「バイクなんて、チャリと似たようなもんじゃん?
 チャリならアタシも昔とった杵柄だし、ちょっと練習すりゃ
 バイクだってどってことないわよ」

などと豪語していた私であった。


そして教習所初日。

「まずこのバイク(←400ccクラスの一番重いヤツ)を起こしてみて」

と言われ、横倒しにしたバイクをもとの通りに起こす、というのをやらされた。

がっしとバイクの横腹をつかみ、

「んぬぉぉぉぉぉをを〜」

と、力を入れたものの、バイクはビクとも動かず、
先生にさんざんコツを教えられて20分後、やっと起こすことができた。


教習2日目には、

教官 「千代子さん、この左側のレバーはなんだか知ってますか?」
千代 「ブレーキです(きっぱり)」←正解:クラッチ
教官 「・・・じゃあ、この左側のペダルはなんでしょう?」
千代 「??? 脚を置いとくところでは・・・」←正解:ギア

こんな問答があったあと、

教官 「千代子さーん、あなた原付乗ったことある?」
千代 「ありませんねぇ」
教官 「うーん、車の免許持ってるよね、マニュアル?」
千代 「オートマ限定です(きっぱり)」
教官 「・・・・」

という応酬があり、はじめて、
「バイクはオートマじゃなく、ギアとクラッチを使わなければいけない乗り物だ」
ということを知ったのであった。(←バカ)

こんな無知な私であったから、当然、
◆発進するにも「半クラッチとは何か」がさっぱりわからずエンスト連発
◆ギアチェンジしようとしてアクセル全開、大暴走
◆止まるにも止まり方がわからず、あげく急停止して転倒
◆転倒しても起こせない
という、目を覆わんばかりの惨状を呈し、あっという間に教官から呼び出されて

教官 「千代子さん、悪いこたぁ言わないから小型限定からチャレンジしたほうがいいよ」
千代 「えっ・・・小型っつうことは125ccまで・・・」
教官 「あのねぇ、今のままやってっても、申し訳ないけどたぶん相当時間オーバーするよ」
千代 「あの・・でも私、女にしては背は高いほうだし・・・中型、ダメですか?」
教官 「うーん、とりあえず小型の免許とって、そのあと限定解除して
    中型の免許とったほうが経済的だし、時間的にも中型が早く取れると思うよ」
千代 「そうですかぁ・・・」

ということになってしまった。

つまり私は

小型限定(125ccまで)の免許を取得
→限定解除コース(5時限)を受講した後
→中型免許の卒業検定を受ける

ということになったのである。
あまりに短い中型への人生であった。

一方、もともとマニュアル車をこよなく愛し、ギアチェンジ大好きという変人(失礼)の
相方リョウスケは、着々と中型免許の教習をこなしつつあり、

相方 「いやぁ中型は楽しくてしょうがないよー・・・あっ、千代子小型だっけ、ゴメン」

などと嫌がらせまで言うようになりやがっていた。
そもそもアタシについてきた立場のくせに・・・くっ・・・(拳を握りしめつつ)

----

早くも挫折気味のバイク免許への道。

小型限定コースに変わった後も、うまくいけば2時限ですむ教習を
すでに6時間かけている私は
はたして無事、中型の免許を取得することができるのであろうか?


(まだたまに続く)


2004年06月14日(月) テキトー大久保ガイド

先週の木曜日は、大久保でこちらの素敵なお姉さまとご飯を食べてきた。

軟骨の唐揚をばりぼりごりと噛み砕きつつ
まったりと沖縄のことや韓国のこと、
そして30代女性同士として、色々なことをお話するのは
とっても楽しいひとときであった。

なお、今回はじめて利用した
タイ料理のクンメー、ホントにおいしかったのでオススメ。
個人的にはグリーンカレーと焼きそばが美味。

あと、韓国文化に興味のある方、冬ソナにハマってしまった方は、
大久保に行くことがあったら「コリアプラザ」や「韓国広場」も結構面白いので
こちらもオススメ。
その時は、ドンキホーテの前にある「21世紀ホトック」もお忘れなく。

以上、すごい適当な大久保ガイドでした。

(大久保・職安通りのことはこちらに詳しく出ています。)

----

最近読んだ本:「葉桜の季節に君を想うということ」歌野晶午(文芸春秋)★★★☆


2004年06月10日(木) 不安定の理由

30歳独身女性として
負け組まっしぐらの人生を送っている私だが
先日、負け組女友達と酒を飲みながら
「はたして我々に子供を産む日はやってくるのか」
という議題で語り合っていたところ
友達が
「あたしはいつ何があってもいいように
 基礎体温だけはキッチリ測ってるわよ」
と言い出した。

----

ふーん・・・・
基礎体温ねぇ・・・

私はいままで、婦人科系の病気とは
縁のない人生だったし
「子供を産む」という事態が
私の人生に具体性を持ったことは
一度もなかったので
基礎体温を測る必要を感じたことはなかった。

が、考えてみたら私の生理の周期はガッタガタで
おまけに毎月PMSに悩まされているのだ。
いよいよ30歳になったことだし、
やはりここは正しい婦女子のたしなみとして
基礎体温を測ってみるのもよかろう。

しかし問題があった。
私は決定的に朝に弱い。

基礎体温とは、朝起き抜けに
横たわったままで計測し(トイレにも行っちゃダメらしい)、
その数字を記録しなければならないのだ。

果たして、こんなに朝に弱い私が
そんなビッグプロジェクトを毎朝実行することなど
できるのであろうか。

「測るだけならともかく、それを毎朝記録するなんて
アタシにできるかしら」

と、友達に言ったところ
コレを紹介された。

さっそく、体温計そのものに
アラーム&記録機能がついているという
それを購入したのだが、
使い始めてみるとなかなか便利であった。
(ただし星占い機能は無駄)
これまでほぼ毎日、朝まで飲んでた日をのぞけば
欠かさず計測している。

というわけで、計測をはじめてから数か月が経過したのだが
どうも私の基礎体温グラフはおかしい。

基礎体温のグラフとは、超簡単に言えば
低温期と高温期の二層に別れるグラフになるはずなのだが
私のは毎月ガッタガタのギッザギザなのである。
高温も低温も中温もなにもありゃしないのだ。

「これは・・初めての婦人科へ行くべきかしら・・」
と真剣に悩んでいたのだが、

この「やけに不安定な基礎体温」の原因は
意外なところにあった。


朝に超弱い私は、

体温計のアラームで起こされる

眠いまま体温計を口に入れる

二度寝する

二度寝の最中に口をあいて寝る

よだれとともに体温計が流出

そのまま計測終了

という、誤った計測方法を
(本人はわかってないけどおそらく)
しばしば行っていた模様なのである。

毎日よだれは垂らしていないと思うが、
口から体温計が外れていたことは
そういえばよくあったような気が・・・。
(寝ぼけてるからよく覚えてないけど)

----

このことが発覚したのは
ある日、珍しく隣で目を覚ましていた相方が
一部始終を目撃したからで、

相方は
「よだれとともに体温計が流れていくんだよねー。
 おかしくてさー。なんていうかね、もう笑っちゃってオレ・・・」
と、鬼の首でもとったかのように嬉しげに、
腹を抱えてゲラゲラ笑いながら報告してくれた。

おかげさまで
体温がガタガタになる理由がわかったのはありがたいが、
彼女のことを大笑いしやがった罪により、
相方には硬めのゲンコツを
一発お見舞いしておいたことを付記しておきたいと思う。


2004年06月09日(水) 三十路の挑戦

お久しぶりです。

飲んだくれたり
飲んだくれたり
飲んだくれたりしているうちに
1週間以上過ぎてしまったわけだが
私は元気です。イベントも無事終わったしさ。

----

先日、私の「他人に言えない習い事(木彫り)」をしていた
話を書いたところ、
また新たな習い事をしたくなってしまった。

今度こそ、丸の内OL(死語)らしく、

(ほんとうの私は丸の内とは程遠い
ド汚い東京下町に在勤中という事実には
ひたすら目をふさぎつつ)

英会話か料理教室かパン教室か、
はたまたアロマかフラワーアレンジメントか。
とにかく嫁入り前のOLにふさわしい習い事を
しに行く予定だった私だが、

ふと気付いたら
私が申し込みをしたのは
そのどれでもなく、
おまけに「習い事」でさえなく、

自動車学校(普通二輪コース)であった。

英会話とバイクの免許の間には
深くて長い谷がある。
っていうか、違いすぎるにもほどがある。

友達にも
「なんでアンタ、そうやって当初と違う方向へ行っちゃうのよ?
最初は『お花かお茶を習う』って言ってたじゃん」
と呆れられたが、
ホントに自分でも、なぜそんなことになってしまったのか
よくわかってない。

とにかく、ある日ふとバイクに乗りたくなってしまったのだ。
それ以上は説明できないんだもんね。

相方リョウスケには
「やめとけよー、危ないし。だいたいお前、バイクのこと何も知らないだろ?
 免許取るまですげー大変だよ?」と止められ、

両親には
「三十路の女がそんなもん取ったら、
 ますます婚期が遠のくじゃない!やめなさい!」
と半狂乱で止められた(バイク=婚期が遠のくというのはわかるようでわからない)。

が、私はなんとか金を工面し
(また貯金を取り崩してしまった・・・)
深く考える間もなく教習所に入校してしまった。

そしたら相方リョウスケ(バイクの免許持ってない)が

「ちょっと待った!
 お前だけに免許取られるなんて
 男としてカッコ悪いじゃん」

と、まったく意味不明なことを言い出し、
一緒の教習所に、後を追って入校しやがったのである。

「リョウスケが免許を取るのは勝手だけどさ、
 一緒の教習所はやめてよー。バカップルまるだしじゃん!
 三十の男女が一緒の教習所なんてカッコ悪いよぉ」

と訴えたのだが、

結局は一緒の教習所で
私は中型(400ccまで)、
相方は中型と大型(400cc以上も乗れる)の免許を取るということに
なってしまった。

----

バカップル2人、三十路の挑戦は
こうしてはじまったのだが、

それが想像を絶する苦難の道だとは、
その時の私は知る由もなかったのである・・・。


(不定期的に続く予定)


---
最近読んだ本
 「娼年」石田衣良(集英社文庫)★★★
 「邪魔」奥田英朗(講談社文庫)★★★


千代子 |MAIL
ご感想をどうぞ。





My追加