妄言読書日記
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※ネタバレしています
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2013年01月21日(月) 『ルーパー』(映)

【監督:ライアン・ジョンソン アメリカ】

タイムループものがすっきりしたためしがないのですっきりしないんだろうなぁと思いつつ、観に行ったんですけどやっぱりすっきりはしないです。
予告で言う「意外なオチ」部分はこの手の映画の中ではわかりやすいのですが、それより前提となる設定部分に?がいっぱい。

タイムマシンが発明されたものの法律によって使用が禁止されている30年後の世界の悪い奴らが、タイムマシンを悪用して、自分達に不都合な人間を30年前(つまり現在。2013年よりはもっと先が舞台)に送り込んで、そいつを殺させる。その現代で、30年後から贈られてくる人間を殺して死体を処分する殺し屋をルーパーと呼ぶ。

わけなんですが、しょっぱなから死体だけ送り込んで処分させたらいけないのだろうかという疑問がふつふつ湧いて仕方ない。
30年後は身元を隠すことがほぼ不可能なので死体処理が出来ない→30年前に送り込んで処理させる、という理屈なのだけれど、生きたまま送るからその先で逃げ出されるんでは……というのが気になって仕方ない。
あと、30年後の世界にじゃあ殺人ないのかっていうと、マフィアだかギャングだかは普通に撃ち合ってましたけど、オールド・ジョーの嫁、普通に撃ち殺されてましたけど……というのも気になったけど、処理できない物を過去に送って処理するっていうのは面白いなーと思いました。
よく考え直すと未来でもいいんじゃないかって思ったりもしたけど、過去から未来には行けないのかもしれない。

ひょっとしたら死体は送れないのかもしれない、ということでその設定は譲歩して、現在においてセスが30年後の自分と遭遇して取り逃がしてしまった時、なんであんな頑なに30年後のセスを探すのかがわからない。
もう今のセス殺せばいいのに。
あんなどえらい拷問かけるくらいなら殺してやってよ!!と昨今で一番怖いシーンで前半やや心が折れました。
30年後のセスの身体に色々な後遺症が現れてくるっていうのがね……怖い怖い!!

未来人はTK(念動力)の才能に目覚める人間が現れるっていうSF設定はなんなんでしょうね。この映画に関してはそれいるのか、と。
シドが未来においてレインメーカーになるとしても、別に幼少時オーメンみたいである必要はあるのかと。
なんかもう、あの子怖かったし。
観てる側は本当にそれで悲惨な未来は回避できたのか!と言いたくなるくらいあの子が怖いので、ヤング・ジョーの犠牲的精神にもそれで本当に解決なのか!と念をおしたい気持ちになる。
ヤング・ジョーが一瞬、未来を予期するようなシーンがあるけれど、あれは唐突になんだったんだろう。オールド・ジョーがこれから起こることを見る、ならわかるんだけど。

30年後の世界でレインメーカーがループを閉じていくのは、母親が死なないようにするためだったんでしょうかねー。

一人で現在の組織を壊滅させたオールド・ジョーはさすがはブルース・ウィルスだなと思いました。
現在にやってきてヤング・ジョーに「タイムトラベルの話しはしない!」と言い切る姿勢、さすがです。そこ、説明しないのか!と。もっとつっこめよ、ヤング・ジョー!!と思いますが、ブルースがそう言い張るなら無理です。
ヤング・ジョーがちゃんとオールドを撃ち殺すループにおいて、徐々にジョーが年取っていく過程でブルースに交代する直前になぜかやや長髪になってて、長髪からのハゲは笑うべきか悩ましい部分でした。

観終わってなんかもやっとするのは、結局オールド・ジョーが守りたかった生活も、ヤング・ジョーが夢見た生活もどちらも存在しなくなったからなんだろうなーと思います。


2013年01月18日(金) 『ロマン II』(小)

【ウラジーミル・ソローキン 国書刊行会】

Iの方にもちょっと書いたけど、延々と続く19世紀的な描写はIIに入っても変わらず、結婚式、それからその後の祝宴でピークに達する観があります。
19世紀のロシア文学作品の踏襲というか模倣なんだろなぁという感じは薄々していたのだけれど、私がそこらへんに詳しくないのであまり確信も持てなかったんですが、解説で「精緻な模写」だと書いているから読む人が読めばすぐ分かるんだろうと思います。
IIの裏表紙にはあらすじが書いてあって、ロマンが殺戮にいたるその祝いの斧とやらはいつ出てくるんだ……と思いながら読むと、非常に唐突に提示されます。
ロマンはその斧の贈り手を、クリューギンだな、と言うのだけれど、読者から見ると作者からの悪意の贈り物にしか見えない。
結婚式のあたりからタチヤーナもうすでに、ひとつのセリフしか言わなくなってきていて、記号化あるいは背景と化していてなんだか怖いんですが。

斧を手に入れてからは、それまでのどこか古めかしい文体から現代的な文体へ気がつけば移行し、ロマンが家人を殺害して歩き、家人を殺害し終わってからはさらに文体は簡潔になり、最後はもはや紙の上の模様にしか見えなくなるほどに言葉そのものの意味もなくなり紙面を埋めるのは圧巻。
グロテスクだったのは最初だけで、ロマンの意味のない行動を目で追い続けている間、脳内にはなんの映像も浮かばなくなってくる。

全体の五分の四ほどを緻密に書き上げた上で、怒涛の終盤、そしてラストを読むとそんなに破壊したかったのか、と思うのだけれど、改めてIの冒頭に戻るとやはり驚くほど美しくて、ロマンの墓もひっそりと佇んでいて、破壊したかっただけではなく、ソローキンの言うところの「文学の埋葬」とはこういうことなのかと考え直したりする。
でも、だとしたら上手すぎるだろうとも思ったり、ただの悪趣味なのかもしれないと思ったり、そんな文学的背景は考慮せずに、普通に小説を読むように読むべきなのかと思ったりと色々と考えられる小説でした。


2013年01月01日(火) 『ロマン I』(小)

あけましておめでとうございます。
今年もいつも通り行きます。

【ウラジーミル・ソローキン 訳:望月哲男 国書刊行会】

現代文学のモンスターとか最悪の作家とか呼ばれているソローキン。
初めて読みます。
上巻の時点では、都会で弁護士をやっていたロマン青年が、弁護士を辞めて故郷の村で画家としての第二の人生を始めようと帰ってくるという部分。
ロシアの片田舎の美しい風景描写や、楽しい親戚一同との交流やら、初恋の相手との再会なんかが描かれる牧歌的な状況が延々続くので、いったいこれのどこがどうなって、スプラッターノヴェルに発展するのか上巻を読んだ今もわからない。
上巻の終盤、確かに少しずつ不穏なエピソードが増え始めるけれど、一体これがどう下巻で発展していくのかちょっと想像がつかない。
ので、取り急ぎ下巻を読みます。



蒼子 |MAILHomePage

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