妄言読書日記
ブログ版
※ネタバレしています
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【飯嶋和一 小学館】
全然、内容を知らずに読んでたら、あれ、これ島原の乱の話しか、と大分経過してから気づきました。 私が学校で習ったことをすっかり忘れ去ったせいかもしれないのだけれど、島原の乱と言えば、弾圧されたキリスト教信者たちによる大規模な反乱、というくらいのものだったのですが、読むとそれだけではない根深い事情があるんだということがわかってくる。 史実がどうかは知らないが、とにかく飯島和一は島原の乱を圧政、そしてそれを生んだ幕藩体制にまで原因があると読み解く。 そういう風に言われると、急に島原の乱に対して興味が湧いてくる。
また、どうして途中まで島原の乱だと気づかなかったかと言えば、舞台が島原ではなく、有家村サイドであり、四郎もほとんど出てこないから。
面白かったのだけれど、中盤やや説明が多くなってくるところでだれる。 恵舟先生が好きだったので、意外に登場しなくてそこんところもやや引きがない。
伊藤悠が漫画化したら良さそう、とぼんやり思いました。
2009年06月15日(月) |
『竹中先生、経済ってなんですか?』(他) |
【著:竹中平蔵 漫画:藤井昌子 DMD JAPAN】
政経オンチをどうにかしたいということで、中学生向けあたりからはじめたらよいのではないか!とようやく気がついた次第。 そろそろ選挙もあるだろうし。
中高生あたりに向けられた本の典型的な作り。 中学生の主人公達が、竹中平蔵先生に経済の基本的なことを教わる、漫画と会話形式の文章で構成されてます。 まぁ、私はもういい大人なのですが、再確認することが多く、ようやっと腑に落ちた物事の因果関係なんてのもありました。 郵政民営化ってそういうことだったのか・・とか。今更。 郵便局を民営化してそれがいったいなんなのかってところが、ようやく今になって・・・。 あと、バブルってそういう発端なのか、とか。 物心着いた頃にはバブルも末期だったんで、なんでこうなったのか、「失われた10年」ってなんだよ、みたいな。
いや、ほんとちゃんとした大人の皆様は今更な話しなんでしょうけどね。 投資についても考えますね。 どうもね、金の話しや儲け話をするということが良いことではない、という風潮が日本にはあるのだけれど、経済って大事よね、と今更です。
2009年06月12日(金) |
『「悪いこと」したら、どうなるの?』(他) |
【藤井誠二 漫画:武富健治 理論社よりみちパン!セ】
悪いことしたらどうなるというか、主に少年法の話しです。 冒頭にある武富健治の漫画がまた濃い。ページ数が少ないからあまり踏み込めてないけど、このテンションで普通の長さの漫画だったらしんどすぎる。 さすが鈴木先生。
少年院では贖罪教育が遅れているという部分が、なるほどなぁと思いました。 更正は聞くけど、贖罪についてはそういえば聞いたことがない。 そもそも被害者と加害者が全く接点が持てない現状ではそれも無理なこと。 被害者の権利について多くのページが割かれていましたが、現状、ようやくそこに目が向いてきた、というところですね。
制度というのはなんとなく今がベストなんではないか、という風に思いがちだけれど、いざ当事者になったときになって初めてその制度の綻びや穴に気がつく。でもそれでは遅い。 少年法だけではなく、刑法そのものにだって綻びはあって、それが迅速に修正される社会だといいんだけれども。 知るべきことも考えなければならないこともまだまだ多いなぁと思う昨今です。
2009年06月10日(水) |
『失敗の愛国心』(他) |
【鈴木邦男 理論社よりみちパン!セ】
鈴木邦男は知ってるような知らないような・・・なんですが、長年右翼やってた著者の自伝というよりは、もっと内省的な内容。 私、政治経済が本当にダメで右も左もわからないくらいなんですが、ようやく左右の区別が付きそうです。 何度言われてもわからない、学生運動のこともなんとなくうっすらわかってきました。
40年間右翼をやってきて、今、愛国心は心の問題だ。主張したり強制したりするものじゃない、というところまで来たのは立派なものだと思う。 まぁ、普通のどっちにも寄ってない人は多分、だいたいそう思って生きてるとは思うんだけど。 愛国心教育が問題になる昨今、愛国心について考えるよい機会になる一冊かと。
愛国心もてる国にしてくれよ、という感じですけど。 そうは言っても、多分、多くの人は自分の住んでる国を愛してると思うんだけどな。ただ、死ねるかどうかで心を計るのは間違ってるというだけで。 国は人ですよ。
【監督:大友啓史 日本】
NHKドラマ異例の映画化ということで、観客側としても見終わった今も信じられない気分。 あのハゲタカがスクリーンで見られる日が来ようとは…。感無量です。
正直、感無量すぎて現実感がなくてなんというか記憶に霞がかって…。えっと多分、ちゃんと理解はしてると思います。
がんがんネタバレをします。
ドラマ版の流れをなぞるように、鷲津を劉に、芝野は鷲津に置き換えられ話は始まる。 あまりにドラマ版そのものではないか、というほどの既知感。 でも考えてみれば、ドラマも芝野を追う鷲津という構図は、鷲津を追う治という関係で二重になぞられ、立場を異にし敵対する者同士でありながら、共鳴し合う人間模様が描かれていたわけで、そのテーマは映画になっても踏襲された様子。 その証拠に劉は鷲津に「私はあなただ」と言う。そのセリフは最後にも形を変えて登場する。
ドラマの時同様、登場人物たちの心情がわかるセリフが少なく、一人一人のショットに長い時間を使う。 見ている側が不審に思うほどの長い間を演じる役者たちは大変な演技力を要するのだろうなぁ。 そして見ている側の集中力、読解力、想像力も問われるように思う。
ドラマはサブタイトルに「ROAD TO REBIRTH」とついているだけあり、鷲津の再生の物語でもあったのだけれど、映画では劉に救いが用意されていなかったことが意外であった。 末路の違いが鷲津と劉の違いを表しているのかもしれない。 劉が自分の出自すら偽り求めたのが、子どもの頃に見たアカマの自動車であり、それは劉にとっての成功、幸福の象徴であったのだろうし、それを作り出す日本という国そのものへの憧憬や羨望、もしくは劣等感を抱くに繋がっているのだろうと思う。 劉が最初の方で言う「私は日本人だ」というのは願望でもあったのかもしれない。 鷲津がドラマの最後で撃たれ、それでも再生できたのに対し、劉が暴漢に襲われ命を落とすのは、劉自身が何者でもなかったからなのかもしれない。 なんだか『インファナルアフェア』のアンディ・ラウを思い出させる。 極貧の農村に生まれ、アカマの自動車と、それを生み出す国に憧れ、本来の名前を捨ててここまで登り詰めた先、名無しの一人の人間として死ぬ劉という人物がひどく哀れであり、その最後の言葉を聞いた鷲津はまた重いものを一つ背負ったのだなぁ。
ハゲタカらしい過剰演出はやっぱり映画向きだなぁと嬉しく思いました。 買い叩くはドラマファンへのサービスっぽかったけど。 ばら撒かれた札束を拾う守山のシーンとか、何回かある記者会見シーン、劉の刺されるラストシーン。 そういやドラマは雨がよく降っていたけれど、映画はこのラストだけでした。 屋内のシーンが多いドラマなのだけれど、外のシーンはもの凄く暑そうか、雨のどちらかというメリハリ。 ただ、手持ちカメラは大画面だとややオエっとなる。
とりあえず、あと何回か観てもう少し理解を深めたいです。 なんやかんや書いたけれど、鷲津がエロいというその一点に尽きる(全部台無しの一言)。
2009年06月04日(木) |
『世界を信じるためのメソッド ぼくらの時代のメディア・リテラシー』(他) |
【森達也 理論社よりみちパン!セ】
中高生に向けて書かれている新書シリーズよりみちパン!セです。 なかなか面白そうなのが多くていいですね。
メディアとはなんぞやという話しから、メディアの受け取り方、利用の仕方、さらには世界の見方まで、森達也らしいやんわりな語り口。
すでに知っていること、当たり前のこと、でもどうしても忘れがちなことが書かれています。
オウム事件からもう大分経つのに、それでもやはり、信者の多くは優しくて善良だったという森達也の言葉を受け入れるのは難しい。 絶対悪を求めることの愚をわかっていながらも実際に多様性を認めるのは本当に困難だ。 なんでも簡単に考えてしまいたくなる。
わかりやすさには本当に警戒すべきですね。
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