妄言読書日記
ブログ版
※ネタバレしています
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2009年05月25日(月) |
『高校球児ザワさん 1』(漫)『ジェネラル・ルージュの伝説』(小) |
【三島衛里子 小学館】
高校野球部に一人だけいる女子部員ザワさんの漫画なのだけれど、その描き方が独特。 連作短編みたいな作りで、毎回誰かの視点でザワさんが語られるというよりはウォッチングされてる感じ。 他校の野球部員だったり、クラスメートの女子だったり、同じ野球部員だったり、時には同じ電車に乗り合わせてるオッサン(やや危ない)だったり。 みんなちょっとだけザワさんと距離があり、直接言葉を交わすことはほとんどない。 その辺がフェチな漫画と呼ばれる所以なんだろうなぁ。 また切り取るシーンもフェチっぽい。 森薫のフェチっぽさと似ています。ほとんどセリフがないシーンも毎回多いあたりも。 で、ザワさんがどんな性格なのかいまだよくわからない、と。 授業中はメガネで、実は巨乳なあたりがいいです。やや天然っぽい。なんだかちょっと心配。
+++++++ 【海堂尊 宝島社】
デビュー3年にして、早くもファンブックが。 ほとんど海堂先生が書いてるページなのも凄いなぁ。 タイトルになっている速水が何ゆえ、ジェネラル・ルージュとなったのかということがわかる、例の火災事件の話しが半分ほど。 猫田さんはやっぱり凄いなーという印象ですけど、私は。
海堂先生の生い立ちは意外にも面白かった。 作家になってからはあちこちに噛み付いて訴えられたり、ドタキャンされたり、ほんとまんま白鳥だと思うんだけどなぁ。自覚してないのかなぁ。
だがしかしハードカバーで出してくるなんて反則じゃないのかなぁとは思います。 こういう読本は大抵ソフトカバーじゃないのねぇ。
2009年05月24日(日) |
『しゃにむにGO! 31・32』(漫) |
【羅川真里茂 白泉社花とゆめコミックス】
最終巻は2冊同時発売。 インターハイ、シングル決勝の試合がほとんどです。 四の五の言わず感動したというだけで終わっとこうと思います。 よかったです。
次回作も楽しみにしております。 一体次はどんな題材を持ってくるのか。
2009年05月21日(木) |
『極北クレイマー』(小) |
【海堂尊 朝日新聞出版】
いままで話題に上がっていた極北市が舞台。 主人公は三枝先生だとばっかり思い込んでいたのですが、左遷されてやってきた外科医の今中が主人公です。 実際のところ三枝先生が主人公のほうがよかったような気がしましたが。 どうも今回の主人公はキャラが弱いなぁと。 北の田口先生といった役どころ。
私が北海道人なので、一番身近に感じる作品になっていました。 しかし作品の出来としては、何かの前哨戦のような雰囲気のまま終わってしまった部分もあり、これ一作ではいまいち評価が上がらないだろうなぁ。 三枝先生も逮捕されたっきりだし。 海堂先生はそろそろもうちょっとゆっくり作品作った方がいいんではないの?と思いますが。
姫宮は看護師の時よりも有能で驚きます。 それにしても、もう少し出番が長いかと思ったらけっこうあっさりと帰ってしまって、目的がわかったようなわからないような。
直接には出てこないけれど速水も元気そうで何より。 ラストに出てきた人がしばらく誰だったか思い出せなかった・・・こんな人になってたのかぁ。
あまり褒めてないけど、ラストの清川先生や今中の決断には胸打たれます。 いつもの熱い海堂節であることは間違いない。
北海道人としてはテキトーきわまりない北海道弁が気になりましたが、まぁいいです。海堂先生だから。
2009年05月18日(月) |
『サウンドトラック 下』(小) |
【古川日出男 集英社文庫】
解説が珍しいことに柴田元幸なんですよねぇ。 日本の小説の解説で見かけるのは珍しい、ですよね? ということで、 「ヒートアイランド化を通り越して文字どおり熱帯と化した東京で、漫画的なドタバタさと黙示録的な深遠さを兼ね備えたすさまじいクライマックスに向かって物語りはつっ走っていく」 という柴田氏の言葉そのままの下巻でした。
舞台が丁度2009年に突入し、熱帯と化した東京では本来流行るはずのない病気が蔓延し始めるという、なんだか今流行の新型インフルエンザを思い出さずにはいられない展開。 しかし主人公達は不思議と感染とは無縁に、馬鹿馬鹿しいほどの狂騒を演じる都民をよそに、ヒツジコは踊り、トウタはレニを守りつつ破壊を目指す。 そして最後の最後の最後にようやく二人の人生はもう一時交差するのだけれど、その後のことは一切わからない。 東京の狂乱は一切収束することも無く、混沌のまま終わる。 なんとも想像力を試されるラストです。
地方人の一部にはどうも東京壊滅願望があるんだろうなぁと読みつつ思いました。 あの大都市がこの国からなくなったらどうなるんだろうなぁと。 大抵の物語は東京が舞台なのだけれど、本当にどんな荒唐無稽な設定も飲み込む場所です。
2009年05月16日(土) |
『サウンドトラック 上』(小) |
【古川日出男 集英社文庫】
『アラビアの夜の種族』の時は、ああいう話しだから文体も語り口調なのかなと思っていたのだけれど、近未来物である本書も疾走感ある語りで古川日出男はこうなんだな、と。 よくロックに喩えられる文章だけれど、その例えにも納得。
それぞれ別の理由から無人島にたどり着いた、トウタとヒツジコという二人の子どもが主人公。 二人は二年ほどで保護されるのだけれど、その後を小笠原で過ごし、ヒートアイランドと化した東京へ舞台を移していく。 トウタとヒツジコはそれぞれに世界と立ち向かう、と書くとなんだか前向きな感じがするが、どちらかというとそれは破壊。 熱せられ続ける東京と、トウタ、ヒツジコそれぞれがどうなるのかは下巻で。
【武者小路実篤 新潮文庫】
『百年の誤読』で散々に言われていたから逆に気になって読んでしまいました。 1ページ目から面白すぎた。 前書きにあたる自序からしておもしろいのだけれど、本編1ページ目も、
この日も彼は友人に誘われてなければ行かなかった。誘われても行かなかったかも知れない。その日は村岡の芝居が演られるので、彼はそれを読んだ時から閉口していたから。然し友達の仲田に勧められると、ふと行く気になった。それは杉子も行くと聞いたので。
なんだこのツッコミどころの多い文章は。 その後、杉子というのが仲田の妹で、写真で一度しか見たことのない相手だとわかるのですが、万事こんな感じで主人公の野島の非モテぶりが面白すぎる。 最後は最後で、恋の相談をしていた大宮という友人と杉子が結局くっつくのだけれど(それもしょうがないという感じ)それを、野島に知らせる方法はもっと穏便な方法があったのではないか・・・?と。 何もやり取りした書簡を同人誌に全部掲載しなくっても。 漱石とか鴎外の主人公だったら死んでるよ、という仕打ち。 でもなんだか、全体的に楽観的な小説でした。 それは実篤の生まれのよさもあるんでしょうか。
杉子の言い分は結局、「嫌いじゃないけど生理的に無理」というやつですね。
笑いどころがいっぱいあったのはあったけれど、それなら私は森見登美彦で充分だな、という感想。
2009年05月07日(木) |
『レッド・クリフ II』(映) |
【監督:ジョン・ウー アメリカ・中国・日本・台湾・韓国】
ようやく赤壁の戦いが始まった最終章。 前後編でいいじゃないか。 1の時はなんだろなーという感じだったのですが、終わってみれば面白かったな、と。 なんだか和気藹々とした三国志でした。 孔明、周瑜がなか良しなのを筆頭に、呉蜀も仲良く、それぞれの国の中でも朗らかな感じで。 魏だけ殺伐としてましが。 呉蜀であんなに和気藹々と赤壁に挑まれると、もういっそ仲良く統一しなよ、という気分になってきてしまいました。
以下ネタバレあり。三国志知ってたらそうでもないけど。
ラストもそこまで追い詰めて、曹操帰しちゃうの!?というびっくり。首獲らないんだ・・・。いや、歴史上そうなるのは知ってるけど。 まぁ、仮にも皇帝から正式に任命されてる曹操ですから、あそこで討ってしまうと逆賊の謗りは免れないから・・・という見方もできますが。
10万本の矢は読んだときもそんなバカな・・・と思ったけれど、実際見てもちょっと簡単すぎる作戦じゃあるまいかと思いましたが、エピソードとしては面白いことは確か。 苦肉の策が却下されて、小喬が行っちゃったのはえぇーですが。 小喬が単身乗り込むのはいいけど、苦肉の策もやって欲しかったなぁ。
曹操役の俳優が大変よかっただけに、もう少し色ボケじゃない曹操にしてほしかったです。 苛烈な部分はいいと思うのですが。 きっと俳優が違えば、本当にただの色ボケにしか見えなかっただろうなぁ。
1に引き続き、2にも面白ポイントがいっぱい。 尚香はいちいち、こらこらという行動ばっかりだし、魯粛はかわいいし、蜀軍はみんなで団子作ってるし。 周瑜にみんなで団子あげるシーンは、都督をよってたかって喉詰まりさせるつもりなのかと思った。 団子にどういう意味合いがあるのか正確には知らないからなんとも言えない部分はあるけれど、かなり面白いシーンになっていました。
あ、甘興のこと甘寧なのかなと思ってたのだけれど、オリジナルキャラだった。 甘寧がモデルではあるだろうけれど、やっぱり赤壁って特に有名な武将が死なないから、甘興や、魏の淑材みたいなオリジナルキャラクターが必要だったんでしょうか。
どうなるかと思ったけれど楽しかったです。
2009年05月06日(水) |
『アラビアの夜の種族 III』(小) |
【古川日出男 角川文庫】
ファラーとドゥドゥ姫のくだりあたりがどうも読んでて楽しくなくて減速してました。 急に文章が砕け過ぎる。同じことがサフィアーンのパートでも言えるのだけれど。 ファラーと魔王サフィアーンが再び戦うシーン以降は楽しく読みました。 思いがけない形で、三人の主人公はそれぞれにハッピーエンド。 また、ハッピーエンドの後に明かされる、アイユーブの身の上が新たに物語に追加され、終わってみれば、現代のパートすらも含めて語りであったようにも読める。
一冊の本に耽溺したことのある人ならば、一つの物語と一人の聞き手もしくは読み手の邂逅は出会うべくして出会うということに深く納得できるのではないでしょうか。 物語ることの意味、役割をとことん追求した物語だったと思います。
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