妄言読書日記
ブログ版
※ネタバレしています
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2005年01月30日(日) |
『もっと、生きたい・・・』(小) |
【Yoshi スターツ出版】
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・なんのコメントもしたくない、というのが正直な今の気持ちです。 が、山田悠介以下と知っていながら、買ってくれた友人へ感謝と慙愧の思いを込め、更には、これ以上間違って買う人が増えないように、感想を述べようと思います。
『DeepLove』によって、携帯小説の生みの親とか、鬼才だのと呼ばれるようになった、Yoshi氏ですが、ある種の“鬼才”と言えない事も・・・・言えないな。うん。 いい年して(いくつか知らないけど)、こんな文章を売りに出せる神経が鬼のように太いんじゃないかな。 山田とか、Yohiとか、読んでいると殺意すら沸いてきます。もう、今後は興味本位でだめだとわかっている本を読むのはやめます。 それがお互いの為だよね。
裏表紙には「本を読まない人達のミリオンセラー作家」と書いてありますが、この人の作品を読むくらいなら、永遠に本を読まなくても一向に構わないと思う。 もともと、何が何でも人生に本が必要だと思わないし。読まない人は別に読まないでいいじゃないか。 困るのは出版社だけ。 あとがきに「小説だからといって堅苦しくなく、誰でも楽しめる本にしたいと思っています」と書いてあるのを読んで、ああ、この人は小説を読まないんだなぁと悟りました。 小説が堅苦しいと思っている時点で、本を読まない人です。 なんで、わざわざそんな人が小説という媒体を選んだのかわかりません。 自分の興味のあるジャンルでやればいいのに。 それが携帯小説だったなら、書籍化しないでそのままにしとけばいいのに。 書籍化するなら、本としての体裁に合わせて書き換えるくらいの配慮ができない人に本を出してほしくない。 それは、横書きを縦にしろとかそういうことじゃなくてさ・・・。横書きする作家もいますし。篠原一とか。ほかに思いつかないけど。
中身についてですが、結末は誰にも教えないでほしい、とかお願いされても聞けません。 以下、結末どころかあらすじも説明します。
* * * 「down」という件名のメールが梨花の元に届いた。内容はただ「足の指」とだけ書かれている。 彼氏のいたずらだと思った梨花だが、翌朝目覚めてみると、いつの間にか切り取られたかのようにきれいに、自分のすべての足の指がなくなっていた。 事件を調べるため、本田警部がメール発信元を突き止めるべく、メールの中継センターであるサイバーフォン社を訪れると、担当者は梨花の元彼氏・神野であり、更にメールの発信者が神野自身であることを知る。 当然のごとく容疑者扱いされる神野であったが、自宅に戻ると更に驚くことに、ウイスキーのボトルの中に梨花から切り取ったと思われる足の指が入っていた。 その後も、次々と神野の親しい者へ「down」という件名のメールが送りつけられ、鼻・耳・目などの体の一部が切り取られ、神野が隠したボトルの中に入り込んだ。 自分の周囲で起こる不可解な事件に、恐怖と怒りを覚えた神野は梨花の妹の手伝いを得ながら、自ら真相を突き止めるべく動き出す。 * * *
あらすじをまとめるのが面倒くさくなってきた上に、なんだかこう書くと面白そうですらある・・・。 この後、「伝説の天才プログラマー」である神野は、自分がかつて組んでいた人工知能プログラムが関係していることを突き止めます。 突き止めるというか、向こうから教えてくれます。親切なプログラムです。 その上で、人工知能・イエスはメールサーバーに入り込むための暗号解析プログラムを作ることを神野に要求します。そんなに優秀なら、暗号くらい自分で解析できるんじゃないの。 作ったプログラムは、イエスを破壊するためのものであり、一時はそのプログラムによってイエスは破壊されたかのように見えました。 それから半年後、メールを受け取った人間が殺人を犯すという事件が日本各地で起こり、警部と神野は事件が終わったわけではないことを知ります。 実は、破壊プログラム作動後も、体の一部がなくなる事件は続いていたということを、ここでようやく二人は知ります。 神野はともかく、警部だろ!?知っとけ! それと同じころ、梨花の妹・真由美は大学で不思議な男子学生と出会います。ほのかに神野に憧れていた真由美は、神野と似た雰囲気を持つその亮という学生に惹かれていきます。
あー面倒くさいなぁ。 結論に飛びます。
神野にはかつて瞳という婚約者がいましたが、プログラムに没頭する神野に絶望して自殺をしてしまっていました。 神野は死んだ瞳が、自分の作りかけのプログラムを使い、自分を、そして幸せそうに生きている人間を呪っているのだと思うのですが、調べるうち、瞳が死んだとき神野の子を身ごもっていたということがわかります。 一方、真由美は亮がイエスの作り出した合成人間だと知り、その上、神野と瞳の子どもであると、イエスの口から告げられます。 すべては、生まれて20分しか生きられなかった瞳の子どもが、プログラムを使い優秀な人間だけの世界を作ろうとしていたのでした。
もう、本当にどうでもよくなってきたのですが、ここで止めるのもなんですからがんばります。
イエスは、神野に完璧な人工知能プログラムを作ることを要求。 神野はこれを作り、死ぬ覚悟を決め完成させます。お前が死んでどうなるもんでもないよ、と思う。 完成したプログラムをインストールしたイエスは、ある異変に気づきます。 神野は真由美に頼まれて、プログラムに「愛」を組み込んでいたのです。 もういい加減にしろーっ!!という瞬間です。 愛を知ったイエスは、すでに自分が作りだした人間にその完璧なプログラムをインストールすることを望み、自ら命を絶ちます。
メールはイエスによって作られたすべての人々に転送され、愛がインストールされた。
最後の一文。 私の心には、憤怒とか苛立ちとか憎悪とか、まあ、とにかく負の感情がインストールされたような気がします。
このような小説ですが、気になった方はお読みになったらいいんじゃないでしょうか。立ち読みで。 あと、グロいと評判の挿絵ですが、本文よりよほど価値はあると思います。
本当に陳腐としか言いようがないなぁ・・・。せめて文章をなんとかしてもらえませんか。
2005年01月29日(土) |
『オペラ座の怪人』(映) |
【監督:ジョエル・シュマッカー アメリカ】
感想を書こうとして、二度までも落ちた・・・。ファントムの呪いですか!?
初日から張り切って観て参りました。 数年前に四季の舞台を見てから大好きです。 映画に、舞台の迫力は求めていませんが、映画ならではの視覚効果、豪華絢爛の衣装と音楽を楽しみに行ってきました。 さすがの、セット、衣装! 可愛いやら素敵やらです。 シャンデリアはもちろん、オペラ座の舞台のセットも豪華。 眼福です。 映像的には満足であります。
映画としては、良くも悪くも舞台版の影響が諸に反映していて、舞台をそのまま映画に仕立てたような印象。 もう少し、映画ならではなものが欲しいような。 ただ、怪人とマダム・ジリーの出会いのエピソードは、知らなかったので、ようやく納得しました。 ああ、そういう関係だったのか、と。 舞台版では、映画ほどジリーは怪人との関わりを匂わせてませんでしたから、気にはかけていなかったのですが。
さてさて、キャストですが、舞台を見て恋をせんばかりに怪人にときめいた私としては、今回のジェラルド・バトラーの怪人は、声が…歌が・・・・・・という感じでした。 歌わなければ、セクシーだったと思うんですけど。 ミュージカルではなく、普通の映画ならこのキャストでもよいかもしれません。 顔が原田大二郎に見えてしょうがなかったということを除いても、歌に色気が足りなかったです。 怪人は、顔はどうでもいいんです!!だって、顔がよかったら怪人になりませんから!!とにかく、歌!歌!! その声では、クリスティーヌもラウルの元に行くのもしょうがない、という気になります。
怪人の狂気とか悲哀がいまいち感じないのもなんだかなぁです。 屋上のシーンとか、墓地とか、振られて可愛そうな人、くらいになってました。 そうじゃないんだよ・・・。 あそこは、若い恋人たちと、闇の中で生きる怪人との対比が胸に迫るシーンなのに。
クリスティーヌはよかったです。 ラウルは、甘い声で、いかにも甘甘の正義感にあふれた坊ちゃんという感じでよいです。 メグが可愛かった! カルロッタは、もう少し威厳のある感じがよかったなー。
舞台版がまた観たくなりました。
2005年01月27日(木) |
『ハウルの動く城』(映) |
【監督:宮崎駿 日本】
観ないで終わるかと思っていましたが、観に行って来ました。 周囲で観た人の感想は概ね「宮崎映画としては・・・」という感じだったし、私も観た感想はそう大差はありません。 ただ、映画館で観ていたら隣に座っていた4、5歳くらいの女の子が、いちいちリアクションがかわいくて、まあいい映画だったのかな、と思います。 隣の女の子が楽しそうだったので、巷で言われているような感想は省きます。
わかりにくいと言われていますが、私は原作を読んでいたのでそれほどではありませんでした。 とはいえ、これはもう原作とは別物のストーリーです。 全然別の話。 テーマからして違ってるし。 一番残念だったのは、ソフィーが魔法を使わないことですね。私は、原作のソフィーの変わった魔法(言霊のような)が好きでしたので。
荒地の魔女とソフィーの関係は、映画の方が面白いかもしれません。 あんなにソフィーと仲良くなるとは驚きです。
マルクル(原作ではマイケル)がかわいかったです。 映画で幼くなりましたが、擬似家族を演出する意味では必要だったのかも。
それにしても、全編にわたって濃厚な戦争の雰囲気。 これだけはどうもいただけません。 宮崎駿なら、もう少しうまくやれたんじゃないかと思うのですが。 んー。
ハウルは、普通にかっこよかったです。全然弱虫でもへたれでもないじゃん! キムさんの声はやっぱり、合ってると思いました。 原作読んだ時から、合ってるんじゃないかなと思ってたので。 イメージ的に合ってるんですよ。
カルシファーは青いんだとばかり思っていました。 それとカカシが思いのほか可愛い顔していて意外でした。原作のカカシは不気味な感じでしたから(ソフィーに散々嫌われる)
なんだかもやもやっとする出来栄えでした。なんだろうなぁ。
2005年01月26日(水) |
『おおきく振りかぶって3』(漫) |
【ひぐちアサ 講談社アフタヌーンコミックス】
ようやく読めたー!!
最近、新刊が待ち遠しい漫画ってこれくらいしかないような気がします。 他にも楽しみにしている漫画は確かにありますけれど、これほど待ち侘びることはないような。
阿部君と榛名の因縁が明らかに。 中学の阿部君、可愛いー 榛名は嫌な奴なのかと思えば、やっぱり可愛いー(『基本のキホン!』を読んで) 他の高校のライバルたちも顔見せし、変な子ばっかりだけど、なんでみんな可愛いんだ。
そして、三橋くんは一体なんの動物なのかという、挙動不審ぶり。 阿部君に大分懐き、田島君とも仲良くなり、栄口くんにもお世話になり、その他みんなにもお世話になり、新種の動物としか思えません。 可愛いですが。 犬が苦手なんだねー。可愛いねー
これを読むと、可愛いなあという言葉しか出てこないです。 花井君をキャプテンに、これから彼らがどう成長していくのか楽しみです。 いいなぁ、高校球児。
2005年01月25日(火) |
『金田一少年の事件簿 吸血鬼伝説殺人事件』(漫) |
【原作:天樹征丸 漫画:さとうふみや 講談社マガジンコミックス】
数年ぶりの金田一君です。 まー、しかし〜伝説にしないとならんのですかね。毎回、伝説考えるのも大変でしょうに。
久しぶりですが、相変わらずです。 相変わらず美雪の下着シーンに色気はありません。 謎な服装趣味ですが、ある意味マニア受けするものが美雪にはあるのかもしれません。 まあ、美雪ちゃん可愛いですが。
犯人は緋色さんかと、ファーストインプレッションで決めたら外しました。 推理しろって。 だって、二つ目の死体見つけたとき、あまりに丁度よく出てきたから。 緋色さんも、美雪と一緒に金田一君を呼びに行ったんですか?あのシーン。
青子は名前に親近感を覚えたら、犯人だった・・・。 珍しいはずの、ボンベイタイプ血液型が、結果的に4人も出てきて、どれはどうだろう、という気になりましたが、深く追求するまい。そういうこともあるよね。金田一君!
どうやら、これからは金田一君は高遠さんの呼び出しで全国各地津々浦々を旅する模様。 やはり、旅行→殺人が!という毎度の展開を続けるのは大変だと思ったのでしょうか。そんなことは気にせず、毎度ワンパターンでいいのに。金田一君は。 高遠さん好きとしては、嬉しいですが、どうせ出てこないんでしょうねぇ。 お久しぶりの明智さんは、なんだか若返ってました。 好きだからいいですけど。
2005年01月23日(日) |
『おぞましい二人』(絵)『家族のそれから』『フルーツバスケット16』(漫) |
【エドワード・ゴーリー 訳:柴田元幸 河出書房新社】
久しぶりに、ゴーリー絵本を。 タイトルどおりのおぞましい二人、なのですが、いつものゴーリーと違う雰囲気です。 いや、いつも通りと言えば言えるのですが、残酷ながら乾いたユーモアがあるのが常ですが、これはそれがないように思います。 それは、実際にあった事件だからでしょうか。
ゴーリー絵本の中でもっともおぞましい作品であることは確かだと思います。
+++++++++ 【ひぐちアサ 講談社アフタヌーンコミックス】
デビュー作含む、短編集。 おお振り3巻が、こちらではまだ発売していないんだもの…。
「家族のそれから」 絵が古いー。 少し読み辛いです。 ひぐちさんなら、もう少しつっこんで描けたかもーという気もします。
「ゆくところ」 高校生の同性愛を扱って反響だったらしいですが、ボーイズラブ(の中にはたまに真面目なものもある)を読みなれている私には、わりと読みなれたテーマでした。 「お前の劣等感好きだよ」というのは、『ヤサシイワタシ』を描いたひぐちさんじゃなきゃ、出てこないセリフだよなぁと感心。 デビュー作ならではの、勢いと未熟さが目立つ作品でした。好きですが。
++++++++++++ 【高屋奈月 白泉社花とゆめコミックス】
表紙は魚ちゃんかと思ったら、今日子ママでした。 今日子さんと、透ちゃんのお父さんの話です。 透ちゃんのパパは、実は曲者だったのですね。
ふとグレさんは、最初の頃より老けたような気がするのは気のせいですか。 見た目というか、中身?
2005年01月22日(土) |
『ネバーランド』(映) |
【監督:マーク・フォスター イギリス・アメリカ】
泣いた。涙腺、壊れたかというほど泣いた。 泣いた泣かないは、直接作品の良し悪しには結びつきませんけれど、いい映画だったと思います。地味ですが。 私は、『ピーターパン』やバリについては全く詳しくなく、むしろ『ピーターバン』というのは子どものころに絵本で読んだ時に、全くよくわからない、不条理な話だと思って以来、あまり良い印象がありません。 読んでみないとなぁ。
パンフレットで、バリと子どもたちのその後を知ると、映画のエンディングほどに幸福なものではなかったようです。 それを知っていたら、また、これほど素直に感動しなかったかもしれません。 もっとスキャンダラスなストーリーにすることもできたでしょうけれど、そうせずよくもこれだけ、抑えて美しい物語に仕上げたものです。 また、監督が意外にも若くて驚きです。 今回ばかりは、バリのこと時代背景など何も詳しく知らなくて良かったなと思います。
ジョニーはよかったです。好きなのでいつでも、いいと言っている様な気がしますが。 入場の時に、なぜかジョニーの生写真もらいました。嬉しいです。男の人ももらうんでしょうか。それも気になります。
子ども達も可愛かった。 犬も可愛かった。
ちょっとだけ出ていた、バリの友人がコナン・ドイルだと知って、妙に嬉しかったです。 そうかぁ。この時代か。
2005年01月21日(金) |
『裁くのは誰か?』(小) |
今年の目標は上半期中に、数十冊単位で溜まりに溜まった未読の本を読み切ることです。 がんばります。
【ビル・プロジーニ バリー・N・マルツバーグ 訳:高木直二 創元推理文庫】
こんなタイトルですが、法廷は何も関係ありません。わかってますよ。ちゃんと。 帯に森博嗣推薦 「これを読んだときは「ぎりぎりだ!」と思った。今でも、これがミステリィの最先端だろう。」 と書いてあるのにつられ買いました。 普段は滅多に、帯では買わないのですが。
この本はなんの情報もなく読まないと楽しめないので、未読の方、読む予定の方はなるべく以下の感想を読むのは辞めた方が無難です。 犯人もばらすし。
ぎりぎりだ、と森博嗣は言っていますが、ぎりぎりかどうかと言う点よりも、全体的に読み難かったです。 ラストのオチに関しては、ミステリーとして反則、というほどでもないと思います。 ぎりぎりアウト、なミステリーも、これ以上に読み終わった後に「なんじゃこりゃ!?」と言いたくなるものもありますから。
実は、これ一年以上も前から読んでいたと記憶しています。 一人目が死ぬまでが、だるくてだるくて・・・。 アメリカ大統領の周辺で起こる殺人、という珍しいシチュエーションは興味深かったですが、それだけ、という感じがします。 とにかく、ラストのどんでん返しだけが、重要な小説だと思います。 最後に驚ければ面白いといえる人ならいいですが、驚くよりも前に、とにかく話の展開がだるいというか、細々と視点が変わり過ぎというか。 変わり過ぎなのは、まあ、誰が犯人かわからなくするためなのだろうし、ラストの「実は全員一人でした」というオチを効かせるためなんだと思うのですが、どのキャラもさっぱり印象がなく。
大変、冒険心溢れる作品だと思いますが、『ファイト・クラブ』の方がマシのように思います。 読みながら、終始現アメリカ大統領の顔が浮かんで、なんとも複雑な気分になります。 92年が初版ですから、関係ないのですけれど・・・
2005年01月16日(日) |
『アブダラと空飛ぶ絨毯 ハウルの動く城2』(小) |
【ダイアナ・ウィン・ジョーンズ 訳:西村醇子 徳間書店】
結局、いまだに映画のハウルは観ていないのですが、なんだかこのまま観ないで終わりそうな予感。
動く城の続編ですが、主人公はアブダラです。 以下は一応、ネタバレには注意してください。
仕掛け絵本のような小説でした。 もしくはオセロとでもいいますか、最後にはみんな白から黒にひっくり返されたような、面白み。 ただ、どうもその仕掛けだけの本だったという気がいたします。 <真夜中>がソフィーだったりとか、ジンニーがハウルだったり、絨毯が実はカルシファーだったりというのが、次々にわかるラストは意外の連続で面白いのですが、ストーリー的にはどうもいまいち感があります。 キャラクターがどれも、なんか好意を抱きにくい性格してるんですよね・・・。 動く城の方が面白いなぁ。
これは、動く城を読んでいない人には、全く面白みがわからない本のような気がします。
元に戻ったはずなのに、どうしてか私の脳内ではいまだにおばあちゃんのままのソフィー。 おばあちゃんのままの方が、好感度はあったかも。
2005年01月15日(土) |
『平家伝説殺人事件』(小) |
【内田康夫 角川文庫】
タイトルの割りに平家伝説関係してないじゃん、と思ったら、あとがきで「羊頭狗肉だった」と自ら言っているので、言わないでおきましょう。
平々凡々としたミステリーでありますが、昨今の新本格で疲れたところには丁度よい感じがします。 奇想天外の域をとうに飛び越えちゃってますからねぇ。 それはそれで嫌いではありませんが、やはり疲れる。
これほど長いシリーズにするつもりはなかったという、浅見光彦ですが、そのへんがうかがえる、シリーズ三作目。 もっとも人気の高いヒロイン・佐和だそうですが、私としてはあまり印象的ではなく…。 佐和と光彦くんは、婚約のような状態で終わりましたが、今後のながーいシリーズの中で、佐和は再び出てくるのでしょうか? 光彦くんは歳を取らないらしいので、出てこないのかも。
内田氏は、推理物を書くには性格が温厚というか、優しすぎで穿ったところがないような感じがします。 まあ、それが浅見くんの性格に現れていて、根強い人気を得ている所以なのかも。
今後も何冊か読んでみたいとは思っておりますが、到底全部を読む気にはなれず。 次はどこらへんを読んだらいいのでしょうか。 私としては、陽一郎さんが出ているのがいいんですけど。 浅見兄弟いいですよ。 優秀な兄にコンプレックスがある光彦くん。ちょっと、探偵役としてはめずらしいタイプですね。 平家の次はこれがよい、とか、浅見シリーズはこれがよい、とかあったら教えてください。本当に困ってしまいます。
こういった、やたら巻数の多いミステリーシリーズと言うのは、本格ファンに軽んじられる傾向がありますが、私はこれはこれで必要なんだと思いますよ。 赤川次郎で小学生時代を過ごした身としては。赤川だって、面白いですよ。10冊くらい読んだら飽きてきますけど。
2005年01月09日(日) |
『バッテリーVI』(小) |
【あさのあつこ 教育画報】
最終巻。 正直なところ、感想などという無粋なものを並べたいような気分でも、また、この読み終わってなんとも言えない深々とした感慨を上手く言葉に出来る自信もないです。
どうしてか涙の出る最終章。 感動ともつかないものが、溢れるというより満たされる感じ。 巧の投げたボールの軌跡が美しい。
このシリーズは、巧みの投げるボールのような真剣さと鋭さと、魅力に満ちていました。 この稀有な作品に出会えたことに感謝。
2005年01月04日(火) |
『煙か土か食い物』(小) |
あけましておめでとうございます。 今年は推理小説と文学あたりを重点的に読みたいなーという希望。 また何にはまるかわかりませんが、お付き合い下されば幸いです。
【舞城王太郎 講談社文庫】
帯「これが噂のMaijoだ」 というわけで、メフィスト賞受賞作です。 ようやく、舞城を読めました。 この賞を受賞した作品というのは、どうも構えますね。 吉と出るか凶と出るか、という感じがして。
さらに帯「小説界を席巻する「圧倒的文圧」を体感せよ」
圧倒的読み難さに、久しぶりに小説読んで苛々しました。 ヘイ!なんて気安く声かけんじゃねぇよ! と最初のうちは思っていました。
しかし、NINEあたりから、奈津川家の家庭事情が語られていくにつれ、意外と真面目な小説なのかということが、わかってきてからは、あまり気にならなくなりました。 これはどうやら、ミステリーと見せかけて、家族物だったようです。 推理小説としての、驚きや意外性、同じくメフィスト賞受賞の『ハサミ男』のような、からくりがあるわけではありません。 主人公の四郎が、キレ者なだけに、読者はとくに推理を働かせる必要もなし。
この小説を読むのに必要なのは、「ヘイヘイ、復讐は俺に任せろマザファッカー!」(裏粗筋より)というようなノリについてくるだけの、忍耐と寛容だけ。 それさえあれば、面白いしいい小説です。
まあ、なんでこんなノリなんだろうね・・・と思わずにはいられないけど。 読んでませんがひょっとしたら、モブノリオの『介護入門』もこんな感じなのかもしれません。
一見意味不明のタイトルですが、「人間死んだら、煙か土か食い物」という祖母の病床での言葉。 意味が分かれば、なるほどです。 そして、やっぱりこれは推理小説ではなかったんだなと理解。
そして意外にも、全て丸く収まるエンディングにほっとします。 舞城、エキセントリックなのかと思いきや、案外いい奴か? ラストは八墓村みたいなことになって、全員死ぬのかと思った。
三島由紀夫賞の時に、審査員が怒ったのもわからいではない文章ですが、話が面白いのでよいでです。 また文庫になったら読みたいと思います。あくまで文庫。
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