初日 最新 目次 MAIL HOME「馴れていく」


ごっちゃ箱
双葉ふたば
MAIL
HOME「馴れていく」

My追加

2008年05月26日(月)
五分後






五分後彼は気付く
ズボンのチャックが開いてることに
でも今はまだ気付かない
隣りの女性に囁いている
キミは自分がどんなに美しいか知っているかい?

五分後彼は慌てふためく
運転中に火をつけた葉巻が股間のうえに落ちてしまって
でも今はまだ鼻歌を歌っている
ハンドルの上に片手を置きあらかじめ用意したCDを流して
ジェームズボンドになりきっている

五分後彼は祈るしかない
詰まったトイレの水が流れずにみるみる溢れてきそうになって
でも今はまだ座ったまま考え事をしている
眉間に皺しわ腕組みをして
我々の実存は荒野を彷徨う狼の様だとかなんとか

五分後彼は気まずい
電車は動き出してすぐに緊急停止した
でも今はまだ発車ベルに涙を流してる
彼女と離れる辛さをからだ一杯にあらわして
電車に合わせて走る体勢をとりながら手を振り続けている

五分後彼はくじける
玄関を出てすぐに物干し竿に頭をぶつけたのをきっかけにして
でも今はまだ颯爽とカバンを肩に掛けなおしている
なにか始めても五分ともたないそんな自分を見つめるために
新しい自分を探すためにインドに旅に出ようとしている













2008年05月19日(月)
ご来訪








突然こうしてやって来たにしては
彼は遠慮もなく僕を知っていたようで

その図々しさからきっと災いではないかと言うと
似てはいるがもっと身近な間柄だと言うので

それならきっと病にちがいないと言うと
似てはいるがもっと金のかからない間柄だと言うので

それならまあ、そのようなものなのかと言うと
ええまあ、そのようなものでと言うので

まあ、僕もそうではないかという気ははじめからあったのであって
つまりはじめから知っていた気安さもあったので

わざと気付かない振りも幾分失礼かとは思うのだけれど
かといって、言い当てでもしたら堪らないところもややあって

いやまあ、
僕は僕である振りをしてるくらいだからと言うと

いやまあ、
彼も彼である振りを懸命にしてるくらいだからと慰められたもので

向かい合って最後の煙草に火をつけ合って
あとは二人して可笑しく黙り、外の戦火を眺めたのだ













2008年05月12日(月)
とても簡単











ひとりでいるのが
とても上手だったので

ただいま、と上手く言うのが
とてもむずかしいことでした
















2008年05月05日(月)
ひどいバンド









ひどい演奏だったのである
その場にいた観客たちが誰一人席を立たずに
ただ首を、横か後ろへだらりと放り投げて
持っていたグラスも煙草も床に落としたくらいの

突然の不幸とは我々にどんな意義をもたらすか
考える余暇もない
ただ膝から来る震えを両腿のところで抑えるのに懸命なだけで
隣りで聴いていた女の子は慌てて般若心経を唱えはじめたのだし
後方座席で屯していたあの屈強そうなアメリカ人グループでさえ
まむ。か、ごっど。と満開瞳孔で呟くしか術がなく
このような事態に迅速に対応すべきライブハウスのスタッフですら
PA卓に突っ伏したまま動かなくなってしまったのである

ほんの一、二分間の
この演奏に起因したのかどうかは証明する手立てもないが、
この惨事の同時刻、街では子どもたちがいっせいに泣きだした
言わずもがな犬達の遠吠えも一斉蜂起だ
鳥達はビルディングの窓に映った夜空へと集団による投身自殺を図り
本物の方の夜空では星がいっせいに暗雲の裏側へと後方退避を余儀なくされ
中央公園では大型竜巻が唸りをあげ
東シナ海上では超弩級台風が一瞬にして現れ、消えるという現象が観測された
複数の交差点では信号機が一斉に故障を起こしたのと道路の陥没とが重なり
その日一日間の交通事故者数は過去30年間の最多記録を更新し
逃走中の重大凶悪事件の被疑者達はこぞって近場の警察署へと出頭をし
救急車のタイヤは次々とパンクを起こした
これらの偶然とは片付け難いタイミングに呼応するかのように
原因不明の電波障害によって有無線、ネットでの連絡手段が絶たれていたこともあって
後日、専門家達の間では
未明のハイテクノロジーによる国際的テロ説、
国家陰謀的新型兵器実験説などの憶測が飛び交い
又、インターネット掲示板上での議論が発端となって
UFO、超能力、地底人、人面魚などの
21世紀初頭に於ける一大オカルトブームの再来を呼び込んだのである

これら一切の出来事とは関わりなく当の彼らは
「まだ、この曲のワンコーラスしか練習してないので、これで終わりまーす」
どうもありがとうー、と満面の笑みで手を振り、ステージを降りていった

嗚呼、そうだそうだよ
確かにひどい演奏をしたバンドだったけれど
彼らにひとつ言えることがあるとすれば
とてもとても楽しそうだったのだ
ギターもボーカルもベースの青年もドラムの女の子も
あんなにキラキラな汗をかいた
やりたいことをやりたいようにやりきった、という自信に溢れた若者の笑顔だ
どんなに下手でやかましくて不愉快だとしても
音楽とは
演奏をするとは
やはり素晴らしいものだったのだ

と、納得しようなどとは今更誰も思わないだろうけど
倒れこんだまま人事不省に陥った観客数名を除外したとしても