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ごっちゃ箱
双葉ふたば
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2003年03月31日(月)
「髪を切る日」(2)









思えば17年間ここにかよったのだ
今日もいつもどおりに髪を切ってもらっていたのに
今月でねこの店を閉めるのよ、と言われてしまった
体力も気力もあるうちに次の扉をあけたいから

それで僕は何も言えなくなってしまったのだ
いつもあったかくてお母さんみたいな場所だったのに
引越しをした後もここへは通うって決めていたのに
ふたばさんなんて、こんなにちっちゃくてかわいかったわね
なんて思い出話なんかされても

案の定この理容室のファン達からは
やめないでコールが起きているのだそうだ
2週間、いや3週間に一日でもいいから開けておくべきだと
僕もそう願っている

最後にちゃんと来てもらえてよかった、なんて
言わないでください

だけど僕はそうですか、としか言えなかった
40年間きっとこんな空気だったこのお店の
おばちゃんを慕って遠方からもたくさん
人が集まってきていたこの小さな理容室の
ながい時間を前に僕は何も言えない

おばちゃんにしてもらう最後の散髪は
亡くなった旦那さんの思い出話を聞きながら終わった

財産を残せなかったとかね
そんなちゃちなもんじゃなかったのよ ふたばさん
私はここでたくさんの、人に会うことができたの
いつかこんな時が来る、来るって思ってたけど
たくさん挨拶もしなきゃいけないし
引き止めてもらったりもして困っちゃうわ 涙がでちゃうわね














2003年03月29日(土)
老いていく(2)








バイトの帰りの電車で
優先席の前に立っていた

発車間際に白い杖をもったおじいさんが
奥さんに手を引かれて乗った

私達も席のひとも
すぐに場所をあけた

おじいさんは手すりをつたいながら
腰をおろし
静かにありがとうと言った
奥さんは深くアタマをさげた

私はそのご夫婦と
できたら話がしたかった













2003年03月22日(土)
「クマ」







「 午後からの雪が 薄く土にかぶさり
  ほのかな においを はなちはじめる
  あの角の向こう
  昔 死んでしまった
  犬が尻っぽをふって来たの
  ーかわいい
   おまえにゃ嘘はつけないわ
   私の心は おみとおしー
  うでの中のもの すべてこわれてしまう
  行き止まりの 私の目の前で
  尻っぽの方から だんだん溶けてゆく
   おまえはどうして
       あらわれたのか      」



                 矢野顕子 「クマ」
                 アルバム「ジャパニーズガール」から







爽健美茶を買うとアロマベアーがついてくる
どのへんがアロマかというと
匂いのするクマなのだ

いまえらいこと気に入っている
愛情さえ感じている
バイト中に一日一本必ず買って
デスクにクマを並べている

隣りの女の子が
ちょっと無理やり笑みを浮かべて
お気に入りですね、と言ってくれたが

集めてるんですと正直に言うには
少し勇気が足らなんだ











2003年03月16日(日)
3月ふたたび







大学を卒業しました。
卒業式には出席しなかったけど
お酒飲みにだけ行ってきました。

大勢で飲んでいると
ひどく自分がしあわせなんだと
思い出すことがあります

酔っ払ってるのをいいことに
「ろくでなし」を歌わされました



3月は別れ
3月はふりかえり
3月ははじめる

ことしもはじめることが
ちゃんとあります



ごっちゃ箱は2年目
読んでくれてありがとう













2003年03月13日(木)
老いていく









適当な話しが流れてしまうのは
答えがないのがこわいからです
私もそうです

ごまかすと言ってしまうのは乱暴だけれど
納得に足りる答えを欲しがってウロウロします
簡単なことなら意外に簡単なことで見つかったりします

けれど老いていくことについては、ずっと
ずっと見つからないでいます
だから老いていくことについては
私はこわいまんまなんです

老いていくのはこわい
体の自由がきかなくなって
当たり前が苦労になって
先に失礼できたらいいけど
当然のように友達がひとりずつ死んでいくかもしれない
チューブにつながれて
死んでいないだけの私や
息子達のことを想う事で納得することや

ふっといなくなることより
そんなことのほうがずっとこわい

若いときだけのことで
なんとかなっていく不安ですか
そんなこと考えないために
だんだん考えられなくなるのですか
飽きてからおぼえる楽しみというものがあるのでしょうか

そんなものはないというなら
上手な嘘より上手い言葉で 誰かに
教わることはできないでしょうか












2003年03月05日(水)
「指定券」







「 もうこれまでねと 君はうつ向いて
  左の頬だけで ひっそり笑った
  北口改札を 仔鹿のように
  鮮やかにすりぬけて 出て行った
  
  せめてもの お別れに
  一度だけ 振り向いてくれたのに

  丁度今着いた 修学旅行の
  制服達が 君をかき消して
  最後の声さえ 食べてしまう 」




               さだまさし「指定券」
                アルバム「帰去来」から







ひとむかしまえ音楽はテープで聴いていた。
(メタルテープってなにがちがってたん?)
これ好き!っていうのを一度聴いたら
もう一度聴くまでに74分待っていた。
だからそれほど印象のよくない曲も自然と通過する

そのなかで、おんや、これすごくいいがな!ってあるとき気付くことが
多々あるわけで
こんなにいい歌詞だっけって気づくのは
何度も聴いて、自然とくちずさめるぐらいの余裕が持てて
やっと見えてきた部分ということなのだろうか

なにげなく聞き流していた、仔鹿。
ちょっとキザに聞こえていた、仔鹿。
けれどこの一頭の鹿が
「ゆっくりに見えた」や「スローモーション」というような
率直な言葉では、不可能な演出を
この歌の中で果たしている