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2009年03月05日(木) |
「安永徹:ベルリン・フィル退団 北海道に拠点、デュオ中心の活動へ」←インタビュー。3月4日毎日新聞/安永さんコンマスの「運命」 |
◆記事(インタビュー):安永徹:ベルリン・フィル退団 北海道に拠点、デュオ中心の活動へ(2009年3月4日 毎日新聞夕刊)
◇若い人と室内楽をもっと 演奏増え、何ができるかわくわくする
ベルリン・フィルの弦セクションを30年にわたってまとめあげてきたコンサートマスターの安永徹が3月をもって退団する。
今後はピアニストの市野あゆみとのデュオを活動の中心にし、拠点も北海道に移すという。安永と市野に思いを聞いた。【梅津時比古】
◇市野あゆみ、学生の同時指導にも力
昨年末、来日公演を行ったラトル指揮ベルリン・フィルのブラームスでは、従来以上に弦が安永の品性の高い美音に染まっていた。
安永は「ロマン的な解釈のラトルのブラームスで、バイオリンの音もロマン的にすると(表現全体が)大時代的になってしまう。
ラトルも『どういう弾き方があるか?』と聞いてくるので、『弓先だけでこういうふうな感じで』とか実際に弾いてみせると、皆すぐ分かる。
そういう機会が増えたことと、僕がやめることを分かって皆が結束してくれたのでしょう」と説明する。
それは、ベルリン・フィルが安永をいかに必要としているかを示すものだ。57歳での退団は驚きを呼んだ。
「定年の65歳までいたら、その後にエネルギーが残らない。20年ぐらい前から市野と2人でデュオの演奏をしていて、
2人を中心に若い人と室内楽をすることもある。そういうとき自分が充実しているのを感じる」
「コンサートマスターをしていると、次(の公演プログラム)の準備に時間がかかり、公演が重なると自分の時間がなくなってしまう。
デュオや室内楽のことを考えると、技術的にも基本的なことからやり直さないと間に合わない。
これから年をとる一方だし、どちらかにしぼらないと、と退団を決めました」
約30年の在籍で得たものは?
「偉大な芸術家、たとえばピアニストではアラウ、ルプーらと間近で共演できたことが大きい。
指揮者ではやはりクライバー。リハーサルでも楽団員全員が静かにクライバーの言を聴く。
他の指揮者のときなど、けっこう皆、雑談してます。クライバーは、自分はこういうイメージを持っていると、
ちょっと言葉で言って、それを指揮棒でやる。その棒がなるほどと思うほど、的確なんです。あそこまで、棒で表情を表せた人はいない」
今後の活動の選択肢は多いだろう。
「実は決めてはいないのです。帰国して、まず体を休めてから。市野と2人でやってきたことを中心にするのは確かですが」
と安永。その言葉を受けて、市野が教育活動のイメージを示してくれた。
「10年ほど前から2人で、バイオリンとピアノの学生への同時レッスンを始めました。
ピアノの学生は友達とちょっと合わせるぐらいでは、弦楽器がどういう楽器か分からない。
弦楽器の先生もピアノの学生には、やはりバランスのことぐらいしか教えられない」
「技術的なことに関しても同時にレッスンすると分かりやすい。ピアノの学生がピアノの先生から指導されていることを
バイオリンの学生も聞いて、ピアノにとってはどういうことが難しいのか、バイオリンの学生が知る。その反対も。
そういう機会を通して、今までとは違う視点で、音楽や演奏を考えてみるきっかけになれば」
彼ら自身の演奏活動も当然増えるだろう。
安永は「自分たちで何かをつくっていきたい、という思いが強くなっています。
今後、演奏は国内を中心に。デュオでまだやっていない曲もあるし、これからどういうことができるか、わくわくしています」。
最近はオーケストラの弾き振り(バイオリンと指揮)も始めた。
「指揮者が許可する範囲で音楽をするのではなく、皆でこうしたいな、と話し合って音楽ができればと思ったので。
そういう共演関係は続けたいと思いますが、指揮者になるつもりはありません」
住むのは北海道。市野は
「周りに何もないので防音もしなくていいし、夜中の2時に窓をあけてピアノを弾いていられる。すると夏は眠っていた小鳥が鳴きだすんです」
と楽しそうだ。(注:色文字、太文字は引用者による。)
◆コメント:「わくわくする」「楽しそうだ」の文字を見て安心しました。
インタビューをしている、梅津時比古(うめづ・ときひこ)氏は毎日新聞文化部の音楽専門記者を経て今は、音楽専門の編集委員。
多分、日本の新聞記者の中で一番クラシックに造詣が深く、正しく音楽や、演奏の価値を評価出来る人だと思います。
安永さん、ベルリン・フィル退団の報を聞いて、最初に記事を書いたのは奇しくもちょうど一ヶ月前でした。
2009年02月04日(水) 「ベルリンフィルコンサートマスター 安永さんが退団へ」←ものすごいショックですが、安永さん、長い間お疲れ様でした。(ココログ)。
そのとき、ここには、書きませんでしたが、mixi日記にも色々思うことを書いたのです。
それに対して、「安永さんは『辞めるのは個人的な理由』と言っているが、体調が悪いのだろうか?」というコメントを頂きました。
私はそうではない、と思い、次のとおり、レスを書きました。
ベルリン・フィルの定年は65歳で、まだ安永さんは8年もあるのにお辞めになったのは、
ご本人にうかがったわけではないので想像するしかありませんが、
ベルリン・フィルのコンサート・マスターともなれば、ヴァイオリニストとして「超」が付くぐらいの一流で、
本来ならばソリストになってもいいような方な訳です。
安永さんは、「オーケストラは十分に経験したから、そろそろ、ソロ活動をしたい」とお考えになったかも知れず、
それには65歳の定年からでは少し遅い、ということではないか、と思います。
或いは、ご自分が30年以上もドイツで音楽家として身につけたものを、日本の若者に伝えたい、とお考えなのかも知れません
(繰り返しますが、これはあくまでも私個人の「想像」です。これらが最も一般的に想像出来る、「個人的な理由」だ、ということです)。
冒頭のインタビューをご覧になるとお分かり頂けると思いますが、私の想像はほぼ当たっていました。
非常に安心しました。
つまり、ベルリン・フィルのコンサート・マスターは、我々の想像を絶する激務なので、もしかすると
「精も根も尽き果て」たのかも知れない、という、一抹の不安を抱いていたのですが、そうではなかった。
やはり、オーケストラで弾くということは、それはベルリン・フィルで、「超」がつく一流ですが、
要するに、「棒(指揮者)の音楽」ですから、必ずしも、自分の好きなようには弾けない。
それに、自分だけではなく、オーケストラ全体に気を配るために、
指揮者と同じかそれ以上、勉強していないと務まらない。
そろそろ、自分の弾きたい音楽を演りたい、ということだと思います。
安永さんの
何ができるかわくわくする
という言葉と、夫人のピアニスト・市野あゆみさんの言葉に続く記事の最後の言葉、
楽しそうだ。
を読み、ホッとしました。
これで、私もベルリン・フィルを安永さんがお辞めになったことを引きずるのではなくて、今後安永さんのソロや室内楽を聴けるのだ、
と嬉しい気持ちに切り替えようと思います。
それにしても、インタビュー記事で太文字で強調した部分、
デュオや室内楽のことを考えると、技術的にも基本的なことからやり直さないと間に合わない
確かに、ピアノとのデュオや室内楽では、オーケストラと違って、安永さんの音が裸で聞こえますから、
一層厳密な技術や、微妙な表現が必要となる。それは、理屈ではわかるのですが、
天下のベルリン・フィルのコンマスを25年も務めた方が、「基本的なことからやり直さないと」
と、おっしゃるのですから、全く頭が下がります。一層安永さんへの尊敬の念を新たにしました。
◆とはいっても、ベルリン・フィル時代の安永さんの熱演もご覧頂きたい。
今後の安永さんの日本での活躍は、大変楽しみですが、だからといって、ベルリン・フィル時代の活躍を忘れなければならない理由はない。
このところ、YouTubeで、安永さんがコンマスを務めている(乗り番のときの)ベルリン・フィルを毎日見つけています。
今日は、クラウディオ・アバド=ベルリン・フィルがローマに演奏旅行に行き、ベートーベン交響曲全曲チクルス(連続演奏会)を
演った時の一日、(時期は不明)、交響曲第5番ハ短調作品67「運命」全曲をご覧頂きましょう。
第一楽章です。
Beethoven - Symphony n.5 [1/4] - Abbado (Berliner Phil) Rome
第二楽章です。
Beethoven - Symphony n.5 [2/4] - Abbado (Berliner Phil) Rome
第三楽章全部とフィナーレの最初の約2分。
Beethoven - Symphony n.5 [3/4] - Abbado (Berliner Phil) Rome
フィナーレ冒頭リピートするところから最後まで。安永さん熱演です(勿論全員熱演ですが)。ブラボーと拍手の嵐。
Beethoven - Symphony n.5 [4/4] - Abbado (Berliner Phil) Rome
オーケストラのプレイヤーは、勿論、指揮者の棒を見ていますが、細かい所は安永さんを見て合わせている。
安永さんの動きが大きくなるのは、一種の「合図」を皆に分かるように示しているときだと考えていいでしょう(全部が全部ではありませんけど)。
まだまだ、ありますから、順次ご紹介したいと思います。
皆さんはさほど関心が無いかも知れないけれども、私は、あるんです。
それでは、今日はこの辺で。
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