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JIROの独断的日記
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2006年04月15日(土) 「<中教審方針>英語必修化に教師が尻込み 混乱や動揺も?」←文部科学省は何故これほど馬鹿なんだ?

◆記事:<中教審方針>英語必修化に教師が尻込み 混乱や動揺も?

中央教育審議会の外国語専門部会が先月「小学校高学年で英語を必修にする」との方針を示した。

アジア各国で必修化が相次ぐ中、英語コミュニケーション能力の育成が不可欠と判断したものだが、現場の教師は「発音に自信がない」と尻込みし、自治体教委は「親のプレッシャーが強まる」と不安を募らせる。

「学校英語教育の大きな転換」(文部科学省幹部)というが、混乱や動揺を引き起こしそうだ。

◆アレルギー

東京都内の“英語教育先進地”北区。04年度から区立小全38校の全員が、週1時間英語を学ぶ。

カードゲームやインタビューなど年間40時間。泣きどころは「先生たちに英語アレルギーがある」(区教委指導主事)ことだ。

「私は『さんきゅうべりまっち』の世界。こんな発音で教えちゃまずいわよね」。昨年度、総合学習で英語を教えた都内の区立小女性教諭(41)は、50代の同僚から不安を打ち明けられた。

小学教員免許の取得に英語は必要ない。女性教諭が学んだ英語は大学1年が最後。

「会話ゲームが中心で英語力は必要ない」と本人は総合学習を苦にしないが「プロ意識の高い先生ほど『発音が間違ってないか』という不安が相当ある」と同僚の気持ちを代弁する。

◆自治体側の懸念
文科省によると、全国に約2万3000校ある公立小学校のうち、昨年度93.6%が英語に取り組んだ。しかし、大半は特定の学年にほんの少し触れさせた程度だ。

北区と接する足立区で、英語に取り組んだ学校は昨年、区立小72校中49校(68.1%)にとどまった。

足立区教委は昨春、小学教員を集め、英語導入に向けた検討会を発足させた。

しかし、ある指導主事は「先生により力に差があるのも事実。『隣のクラス担任に比べ、わが子の担任は』と親のプレッシャーがのしかかるのでは」と懸念する。

◆教育産業は歓迎

英語必修化について、進学塾は私立中の受験に影響がないため事態を静観するが、英会話教室は熱い視線を送る。

最大手NOVA(大阪市中央区)は99年に小学生の教室を全国展開し、00年には外国人指導助手の派遣も始めた。広報担当者は「英語の必修化でマーケットは確実に広がる」と期待する。

民間調査機関によると語学スクールの市場規模は04年度約3600億円で、前年度より減ったが、幼児子供向けの英語スクールは、少子化にもかかわらず堅調だ。

04年度910億円で、初めて全体の4分の1を超えた。



◇英語必修化検討の背景

中教審が小学校の英語必修化を検討する背景には、英語への取り組みの質と量が学校や自治体間で異なる現実を是正しようという狙いもある。

小学校の英語への取り組みは、02年度導入の総合学習でなし崩し的に始まった。一方、学習指導要領に縛られない教育特区でバイリンガル養成を掲げる自治体も現れた。

実際、東京都内の北区と足立区の取り組みには差があり「英語の出来不出来が社会的格差につながりかねない」と懸念する親もいる。
必修化といっても、中教審は道徳のような扱いや総合学習での取り組みを想定し、教科として英語を教え、点数をつけることは当面、考えていない。

私立中学校も学習指導要領下で、入試に英語を課すことはできない。とはいえ、近年の英語教育熱が必修化で一段と熱を帯びるのは確実だ。(毎日新聞) - 4月15日12時4分更新


◆コメント:考え得るありとあらゆる馬鹿な「方針」を決める「文部科学省」という役所。

国家公務員第1種試験(昔は国家公務員上級試験といった)に合格した者を俗に「キャリア」、「キャリア組」と呼ぶ。

同じ国家公務員でも2種や3種とは「格」「身分」が違い、出世の速さもまるで違う。というか、別の体系なのだ。

役所の中ではキャリアはあたかも人種が違うかのごとく振る舞い、彼ら自身、とくに財務省キャリアは自分のことを「この世で最も優れた人間」と思っている。



しかし、「偽メール事件」で天下に馬鹿さ加減を晒した永田元議員がその「大蔵キャリア」だったのだから、なかなか笑わせてくれる。

あそこまでのバカは珍しいのだろうが(そう願いたい)、あの程度の若造が他にも多少はいると推測せざるを得ず、「キャリアが優秀だ」という認識が幻想なのは明らかである。



それでも、国家公務員第1種試験で最も成績が良かったのが財務省に行くのであり、最も成績が悪い者が文部省(今の文部科学省)に配属となることは昔から有名である。

その所為かどうか知らないが、文部科学省は凡そ考え得る、ありとあらゆる「愚策」を実行する。

近年では「ゆとり教育」を導入し、土曜日を休みにして、「総合学習」という要するに「自習時間」と大差ない時間を週に2時間も3時間も導入したがために、算数、国語の授業時間を減らした。

その結果、加速度的に子供がバカになってしまい、あわてて「見直し」たのが、「愚策」の典型である。


◆国語が出来ないのに、英語どころじゃない。

公立小学校における教育水準がここ20年ぐらいの間に低下してしまったのは、近くの小学校で授業の様子を見れば明らかである。

とりわけ、国語は全ての学問の基礎であるのに、そのレベルの低さは目を覆いたくなるぐらいの有様だ。

小学校高学年の作文がかつての1年生か2年生のレベルだし、そもそも教科書を音読させてもまともに読めない者が異常に多い。

それは、「なんだこれは!」と叫びたくなるような、悪夢のような、しかし、現実なのである。


◆「言葉」は「こと(事)」の「は(端)」なのだ。

「言葉」という単語の語源は「事の端」だという説がある。

この場合、「事」とは「知識」を意味している。「事」を表現するから、「事の端」即ち「言葉」である。



当然のことながら、人間は知っていることしか話すことが出来ない。知識が無くては話すことがない。

国語力が低下するのと知識が低下するのは悪い相乗効果である。

国語力がないから、知識を吸収出来ない。知識が増えないから、話すこと、書くことがいつまで経っても幼稚なのである。

「事」を持たない子供に、他の国の「言葉」を教えても意味がない。



外国語の勉強を始めるに当たっては、まず、「母国語たる日本語の語学力が相当程度確立していること」と、日本語で話すことができる「知識をもっていること」が前提となる。


◆語学教師は専門職だ。

日本人が日本人に英語を教える場合、或いは英語に限らず外国人がその母国語を日本人に教える場合必要なことは何か。

いずれの場合も、まず教師本人が、語彙、文法、語法、発音の知識を伴う、外国語の高度な運用能力(読み、書き、話し、聴く)を備えていなければならないのは言うまでもないが、

その他にそれを人に「教えるための技術」の習得が要求される。

日本人が英語を学ぶときに陥りやすい間違い、欠陥に通暁し、それらを矯正する方法、という類の知識を持ち、手段を習得することは、それ自体「専門技術」である。



今の案は無茶である。現場の教師が自信が無いといっているそうだが、当たり前である。これまで英語を教えたことがない、つまり自分も英語が出来ない教師に英語を教えろ、と云っているのだ。



それは、例えば、貴方が全くピアノを弾けないのに、他人にピアノを教えろ、と云われているのと同じ事である。

ヤマハピアノ教室で「バイエル」を習って、翌日に自分が昨日習ったことを人に教える、という事態を想像してみると良い。これで自分を「ピアノ教師だ」と称するのは詐欺に近い。

文部科学省の計画はそういうことを平気でやろうとしているのだ。

また、現場の教師が「発音」を不安に思うのは正しい。「発音」は語学の一要素であって、全てではないが、日本では非常に軽視されがちである。

ネイティブと全く同じになる必要は無いが、発音をおろそかにしてはいけない。
外国に住むと分かる。発音が下手だとバカにされやすい。これはこれで先方の勘違いなのだが、「知能が低い」と思う奴らさえいるのだ。



いずれにせよ、「語学学習の初歩段階において『発音』は二の次で良い、」というのは、完全な誤りだ。

最初に「他の言語は日本語とは全く異なる音声体系を有している」ということを認識させないから、日本人の英語(発音)はカタカナ英語(発音)になるのだ。


◆今、英語の達人と云われている人達は、皆中学で習い始めたのだ。

高度な語学力を必要とする専門職の一つが通訳者であることは周知のとおりだ。

日本語で、同時通訳の神様と云われる、國弘正雄、村松増美、小松達也、鳥飼久美子と云った人々(いずれも、もう、現場の第一線ではないが)は、小学校から英語を習っていない。

今のような語学用の電子機器やPCなどが無いころに、中学から英語を習い始めて、それでも外国人が驚くほどの英語力を習得した。

更に遡れば、はじめから英語で(しかも、ネイティブが驚嘆するほど格調の高い文体で)「Bushido(武士道)」を書いた、新渡戸稲造も、英語で詩を書いた夏目漱石も、小学校(現在の学制に当てはめた場合)から英語を習い始めたのではない。


◆本人がやる気にならなければ、早くから学校で教えても絶対に上達しない。

語学は、学校の授業で習えば話せるようになるものではない。

本人がやる気になり、自宅で繰り返し音読し、英文を書き、あるいは独力で英語の本を読んでやろうという意気込みがなければ、絶対に上達しない。

そもそも、役所の覚悟が中途半端だ。記事の終わり近く。

必修化といっても、中教審は道徳のような扱いや総合学習での取り組みを想定し、教科として英語を教え、点数をつけることは当面、考えていない。

そんな生半可なことなら、止めるが良い。

現在の公立小学校では、私たちの頃よりも遙かに覚えることが少ないのに、それすらこなせていないのである。

新しい言葉など、教えることも出来なければ、必要もない。それどころではない。文部科学省は、まず国語力の低下に危機感を抱くべきである。

喜んでいるのは「NOVA」だけじゃないか。


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