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2006年01月01日(日) |
「ウィーン・フィル、ニューイヤー・コンサート」まだ演奏されていないCDの売上げが一位というのもすごいね。(含、再放送予定) |
◆ネットショップを見てびっくり。
ウィーンフィルのことを検索していたらネットCDショップで「ウィーンフィル・ニューイヤーコンサート2006年」が売上げランキング1位になっているのを見てびっくりした。
毎年こうなのだろか(私は、ニューイヤーコンサートのCDを常に買うわけではないので、知らないのだ)?
2006年のウィーンフィル・ニューイヤーコンサートは現在演奏中であり、従って、CDはまだ製作されていないのだが、予約で、売上げ一位なのだ。
◆ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
日本語では「管弦楽団」がついているが、ドイツ語の本来の名称は、「Wiener Philharmoniker」である。フィルハーモニーカーとは「音楽愛好家」が元来の意味である。
ウィーンフィルは普段は、「ウィーン国立歌劇場管弦楽団」である。
ニューイヤーコンサートやウィーンフィルの定期演奏会が演奏されるのは、「ウィーン楽友協会ホール」だが、
それとは別に、ウィーン国立歌劇場(シュターツ・オーパー)というオペラハウス(=歌劇場)があり、
そこで、オペラの伴奏をするのが本業である。
「ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団」は「ウィーン国立歌劇場管弦楽団」の有志によって、
自主的に運営されているオーケストラであり、謂わば「同好会」なのである。
一方、昨夜ジルベスターコンサートを行い、日本人の安永さんがコンサートマスターを務めるベルリンフィルハーモニー管弦楽団は、
N響や、シカゴ交響楽団や、ロンドン交響楽団と同じように、
もっぱら、交響曲をはじめとする、管弦楽のための作品を演奏するためのオーケストラである。
何故、ウィーン・シュターツ・オーパーのオーケストラから、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団が誕生したか?
オペラは、歌手が主役。オーケストラは「伴奏者」であり、ずっとピットという「あなぐら」に入ったままだ。
誰が弾いたり、吹いたり、叩いたりしても、ごく一部を除き、お客さんからは見えない。
どんなに名演奏をしても、拍手喝采を浴びるのは、歌手である。
オペラの伴奏に徹していたら、一生、交響曲など演奏できない。
たまには、自分たちがオモテに出たいという自然の欲求によるものだろう。
しかし、あくまで本職はオペラで、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団は、誤解を恐れずに云うなら「趣味」の活動なので、
コンサート専門のオーケストラに比べて、定期演奏会の回数はとても少ない、1シーズンで8回ぐらいではなかったか。
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の定期演奏会の会員はウィーン市民の中でも特定の人たちが代々受け継いでゆくので、
滅多なことでは新規で定期の会員にはなれない。聴く方も筋金入りの「プロ」なのである。
だから、「ウィーン・フィルの定期」の指揮者に選ばれる(楽員の投票で決める)、ということは、
世界中の指揮者にとって、「夢」なのだ。
ましてや、本業のウィーン国立歌劇場管弦楽団の音楽監督が日本人の小澤征爾であるということは、
目も眩むほどの栄誉なのである。
◆マリス・ヤンソンス氏(指揮者)
実は、私はこの人の演奏を聴いたことが無い(生で)ので、評価を下すことは出来ないが、
ウィーンから伝わる噂では、評価が厳しいウィーンフィル定期会員の間で絶賛されており、
「今、ウィーン・フィル定期にいつでも来て欲しいのは、ヤンソンス氏だ」とまでいわれているそうな。
1943年1月14日、ラトビア生まれ、というから、既に62歳。
ラトビアは現在は独立国だが、ヤンソンス氏が生まれた頃は旧ソ連に属していた、
バルト3国(エストニア、ラトビア、リトアニア)の一つ。ソ連から独立したのは、1991年である。
指揮者は誠に厳しい世界で、ヤンソンス氏も既に何十年も音楽をしているが、
近年になってようやく、しかし、あっという間に有名になった。
ヤンソンス氏はヨーロッパの数あるオーケストラの中で、ウィーン、ベルリン両フィルハーモニーを超A級とすれば、
それに次ぐ、それでも十分世界的に見て超一流のオーケストラの常任指揮者を2つも兼任しているのだ。
2003年からは、バイエルン放送交響楽団の首席指揮者に。
2004年には、オランダのロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団(「コンセルトヘボウ」とは、「コンサートホール」の意味。
昔はこのオーケストラは、「アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団」という名称だった)の常任指揮者に就任、
というのは、今までの常識では考えられないほどの快挙であり、並の音楽家ではないことが十分推察できる。
◆ウィンナー・ワルツはウィーンのオーケストラでなければ、弾けない。
ここから後は、クラシック・ファンは、既によくご存じだと思うけれども、お付き合い頂ければ幸い。
ニューイヤーコンサートのプログラムの中心は、ウィンナー・ワルツ、
つまりヨハン・シュトラウス(これ、父子共に作曲家なのだが、同じ名前なのでややこしい。
面倒なので、しばしば、「ヨハンシュトラウス父子のワルツ」という)が作った作品群を中心とする、ウィーンで育った作曲家が作ったワルツである。
これは、譜面を音にするだけならば、他でも出来る。
勿論、日本のオーケストラでも出来る。
しかし、ウィンナー・ワルツをウィンナー・ワルツたらしめているのは、伴奏のリズムにある。
ウィンナー・ワルツにおいて、気持ちよくメロディーを弾いているのはもっぱら第一バイオリンである。
第2バイオリン・ビオラは大変である。
3拍子をしばしば「ブン・チャッ・チャッ」と表現する。
一拍目の「ブン」はベースである。チェロ・コントラバス、チューバなど。
2拍目、3拍目の「チャッ・チャッ」をずーーーっと弾くのが、第2バイオリンとビオラである。
プロでも本当に腕が辛くなるそうだ。
しかし、この伴奏者こそ、「ウィンナー・ワルツ」の影の主役である。
ウィンナー・ワルツにおいて、3拍子の「ブン・チャッ・チャッ」は等間隔で演奏されず、
一拍目と二拍目の間隔が普通の三拍子よりもわずかに短い。
このわずかなリズムの特殊性が「ああ、ウィーンだ」と思わせるのである。
これは、マネできそうだが、ウィーンで生まれ育ち音楽を身につけた者以外の音楽家が演ると、どこか違ってしまうのである。
ウィーン人にはこのリズムが遺伝子に情報として組み込まれているに違いない。いくらよそ者が演ってもダメだ。
言葉における「お国なまり」=「方言」のようなものだろう。
何となく真似はできるが土地の人が聴いたら一遍で「あ、どこか違う」とばれてしまう。
というわけであるから、ウィンナー・ワルツは、ウィーンのオーケストラ(ウィーンフィル以外にも、
いくつかオーケストラがある)以外では聴かない方がいい。
故・芥川也寸志氏(作曲家)がやはり、そう書いている。
「餅は餅屋です」。
◆昨年は聴けなかったラデツキー行進曲
ニューイヤーコンサートでは、絶対に変えない「しきたり」がある。
主なプログラムが終わってから、何曲かアンコールが演奏され、
漸くウィンナー・ワルツの代名詞、「美しき青きドナウ」が演奏される。あれは、アンコールなのである。
その後、本当の最後に「ラデツキー行進曲」が演奏され、この時は聴衆も手拍子をする
(一年を通じて、ウィーン・フィルが演奏している最中にお客が音を出すのはこの時だけ、である)。
これで「お開き」となるのが、「ウィーンフィル・ニューイヤーコンサート」というものである。
ところが、昨年のニューイヤーコンサートでは、数日前にスマトラ島沖大地震により、20万人が亡くなった直後であったため、
指揮者ロリン・マゼール氏はラデツキー行進曲の演奏を止めることにした。
やむを得ないが、寂しいことであった。 今年はそれが聴ける。めでたいことである。
なお、ニューイヤーコンサートは、再放送がある。
1月3日午前11時から、NHK教育テレビで。ご参考まで。
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