DiaryINDEX|past|will
2005年09月10日(土) |
小選挙区と比例区に重複立候補が可能な制度の問題。小泉氏の首相としての不適格性 |
◆小選挙区と比例の重複立候補が可能な現在の選挙制度には問題がある。
今回、郵政民営化法案に反対した全ての衆議院議員の選挙区には、これを落選させるべく「刺客」が送り込まれたのは、もう、うんざりするほど、マスコミが報じている。
ところが、マスコミは現象面ばかりを取り上げ、面白おかしいワイドショーにしてしまい、この選挙の争点及び現在の選挙制度の問題点の指摘に、あまりエネルギーを割かなかった。
これは、よろしくない。
「刺客」という言葉は、もともとマスコミが言い出したのだ。
大衆の好奇心を集め、テレビの視聴率、新聞の売り上げを増やすために大きく貢献したに違いない。
今年の流行語大賞を「刺客」にしても良いぐらいだが、流石にこのような物騒な単語は選ばれないだろう。
◆「刺客」は例え小選挙区で敗れても、比例の上位にランクされているので、どっちみち当選する。有権者の選択の意味がない。
「刺客」に関して、小泉首相は、ある時、何処の局か忘れたが、取材されて、こう説明していた。
「郵政民営化に反対する人たちの選挙区には、民営化に賛成する候補者も立てないと、有権者に選択肢が与えられない、与党としてそれは無責任なので、このような手段を取った」
一見、もっともに聞こえる。これが、天才的詭弁術の使い手、小泉純一郎の真骨頂である。
「刺客」たちは、同時に比例代表にも登録されている。しかも、皆、上位である。だから、例え、小選挙区で落選しても、比例で復活する。
これでは、仮に、有権者が、郵政民営化に反対する候補者に票を投じても、賛成する議員はどっちみち、国会議員になってしまうのである。
従って、小泉首相が云うことは、ウソで、有権者に真の選択肢は無く(落としたい候補を落とすことが出来ないからだ)、どちらに投票しても、郵政民営化賛成議員が既に20名は投票を待つまでも無く当確なのだ。
そんなことは百も承知のくせに前述の如く「有権者に郵政民営化是か非かの選択肢を与えるため」というウソを平気でつくのが小泉純一郎という人なのだ。
◆今更遅いが、選挙法を改正せよ。
重複立候補は、できないように関係諸法令をを改正するべきだ。
それから、インターネットでの選挙活動が禁じられているというのは、直ちに撤廃するべきだ。
選挙期間中でも、有権者が、何時でも分からないことを問い合わせることが出来るようにするべきだ。
また、候補者も、例えば、今回郵政民営化造反議員は、自民党執行部の誰から、いつ、どのような圧力を受けたのかを公表できるように、法律を整備するべきであろう。
圧力をかけたら、それが瞬間的に全国民に知れ渡るようになれば(何なら音声ファイルもサイトにアップロードすればよい)、如何に「自民党執行部が汚い手を使うか」が良く分かるだろう。
秘密にするから、国民は「何があったのかな・・・」と勝手な想像を巡らせる。
そして、これは収集がつかなくなるかも知れないが、各党首と、あらかじめ抽選で選ばれた有権者がチャット討論するのも良かろう。
加われない人は、メールでその場で質問出来るようにするか、それが出来なくても最小限ROM出来るという場が有ればよい。
候補者の演説会なんて、わざわざいかないでしょ? 少なくとも都会ではいかない。誰も。
タダ酒を飲みたい、近所の商店主のオヤジが行くだけ。意味がない。
どっちが勝っても、妨害された候補者は、選挙後、洗いざらい暴露することだ。
◆投票、開票が公正に行われているということを、国民は確認できない。
言いたくないが、小泉首相がこれだけ汚いことをやるようでは、不正投票、不正開票が行われない、という保証は、何処にもない。
皆、まさか、と思っているだけに、意外に盲点なのだ。
有権者が投票所で投票する間、選挙管理委員が監視しているが、選挙管理委員が、買収されていないという確証が無い。
こっそり、投票用紙を書き換える(今の投票用紙は出来ないこと担っているらしいが、鉛筆で記入することに拘るところが、怪しい)かも知れない。
開票の時にも不正のチャンスはいくらでもある。特定の政党の票を故意に破棄する(ポケットに入れてしまえば分からない。たまったら、こっそり処分する)。
このような疑惑を払拭するためには、投票所、開票所にライブカメラを様々な角度で設置して、監視するぐらいのことが必要である。
ただし、誰が監視するか。という問題があるのだが。その監視する人間が、不正を見つけても見逃すかも知れない、と考え出すと、きりがない。
いっそ、これも映像をネットに流して、日本中の人が全国どこの投票所、開票所の様子も見られるようにするか。
◆清濁それぞれ。
理想主義を貫いて、青臭いことを書けば、本来、政治が汚くては困るのである。
しかし、今回ほど、政治家、政界の「汚さ」を国民に知らしめた選挙も珍しい。
私は、こじつけかもしれないが、分かったのだ。芸能人がしばしば、選挙に担ぎ出され、案外簡単に引き受ける理由が。
彼らには、共通する資質(?)がある。
一つは、強い自己顕示欲。
普通のまっとうな一般庶民は、宣伝カーの上にたって、あの、キュウリの束か白菜のようにぶっといマイクの束を握りしめ、
不特定多数の人間の注視の中、大声を張り上げて演説することなど、恥ずかしくて出来ない。
政治家は(それだけが、必要な資質ではないが)、旺盛な自己顕示欲が無ければならない。
そして、芸能人が自己顕示欲が強い人たちであることは、言うまでもない。
また、芸能界も政界も、「立身出世」の為に手段を選ばぬ汚い世界であることも共通している。
両者とも、カタギには想像もつかないぐらい、汚いことが横行する世界。
要するに、乱暴に括れば、政治家と芸能人は、同じ穴のムジナなのだ。 住んでいる世界の空気がにているのだろう。
選挙が終わったら、出来ることなら、暫くは音楽の話ばかり書きたいと思っている(そうもいかないだろうけどね)。
人間の汚い面についてばかり書いていると、実に嫌になる。
昨日、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を久しぶりに聴いた。
第1楽章の冒頭、すぐにソロ・ヴァイオリンが、背筋がゾクゾクっとするほど美しい旋律を奏でる。
ジノ・フランチェスカッティという、既に故人であるが、世界的な名手が、ソロを弾いているCDで聴いた。
この音楽は、完全に評価が定まった、文句のつけようのない、完璧な作品である。これに関しては誰も異論を唱えない。
そして、作られてから、200年経っても色あせない。
優れた芸術作品の美は永遠である。
しかし、200年、一つの政党、政権が生き残ることはない。
芸術は、欲にまみれた政治の世界よりも高潔で長生きする。汚い者は滅びる。
断っておくが、まだ、選挙の結果は分からないことは、言うまでもない。
最後に申し述べる。
◆小泉純一郎は、内閣総理大臣として不適格である。
不適格である理由は、数え上げればキリがないが、いくつか列挙する。
- この選挙戦の間、ずっと、郵政民営化の事にしか言及しなかった。北朝鮮に拉致されている日本人の救出より、郵便局の方が大事だというのは、物事の軽重を判断できないか、分かっていて、敢えて無視しているかのいずれかである。前者ならば、宰相たるにふさわしい知能を有していない。後者ならば、人格に問題がある。
- イラク戦争という、明らかに国際法上、違法な行為を支持した。イラク戦争はイラクが大量破壊兵器を持っていようがいまいが違法であった。挙げ句に、アメリカが「『イラクが大量破壊兵器を持っている証拠がある』というのは嘘だった」と明言した後も、小泉首相は「今でもあの戦争は正しかったと思っている」とい言い張るのみで、その論理的根拠を全く示さなかった。憲法で、平和国家を標榜する日本国の宰相が、違法な武力行使を正しいと認識すること自体、許されない。それは、日本国憲法第99条の「公務員の憲法遵守義務」に違反している。
- 自民党員の、思想・良心の自由を侵している。基本的人権を抑圧する人物が民主国家の指導者になるべきではない。