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2005年05月13日(金) |
不適切発言でおわび…読売・大阪本社 ←本当に反省しとるんかい!! |
◆記事:脱線事故会見巡る不適切発言でおわび…読売・大阪本社
読売新聞大阪本社は12日、尼崎脱線事故記者会見での同社記者の不適切な発言について、社会部長名で談話を出した。
◇
脱線事故をめぐるJR西日本幹部の記者会見で、読売新聞大阪本社の社会部記者に不穏当・不適切な発言があり、読者の読売新聞およびジャーナリズムに対する信頼を傷つけたことはまことに残念です。読者や関係者に不快感を与えたことに対し、深くおわびします。大阪本社は事実を確認した段階で、ただちに当該記者を厳重注意のうえ、既に会見取材から外すなどの措置を取っています。
本社は日ごろから、日本新聞協会の新聞倫理綱領、読売新聞記者行動規範にのっとり、品格を重んじ、取材方法などが常に公正・妥当で、社会通念上是認される限度を超えないよう指導してきました。今回の事態を重く受け止め、記者倫理の一層の徹底を図ります。
JR西日本の記者会見は記者クラブ員のほか、新聞、テレビ各社から常時100人から50人の記者が出席して事故発生の4月25日から連日開かれています。
当該記者は、5月4日から5日未明の幹部の会見で、事故直後の対応や天王寺車掌区の社員がボウリング大会や懇親会を開いていた問題の説明を求め、「あんたら、もうええわ、社長を呼んで」などと声を荒らげたり、感情的発言をしたりしていました。
JR側の説明が二転三転したため、会見は全体として詰問調になったようですが、当該記者の発言の一部は明らかに記者モラルを逸脱していました。
この模様がテレビや週刊誌で報道されると、読者から叱責(しっせき)や苦情が寄せられました。使命感や熱心さのあまりとはいえ、常に心がけるべき冷静さを欠いたと言わざるを得ません。日ごろの指導が生かされなかったことに恥じ入るばかりです。
脱線事故報道では今も、社会部などの記者70人前後が取材を分担、遺族らの声に耳を傾け、事故原因やその背景など、惨事の真相に迫る努力を続けています。引き続き全力で取材に取り組みます。 大阪本社社会部長 谷 高志 (2005/5/13/03:09 読売新聞 )
◆コメント:JR西日本に対しての謝罪の言葉が無いじゃないか。
この文章を一瞥すれば、読売新聞は問題の所在を理解していないことが明らかである。
まず、読売新聞は記者が非礼を働いたJR西日本に対して謝罪するべきである。
読売新聞は、何故、読者が怒ったのか、本気で考えたのか?
記者会見の席で、いくら事故を起こした当事者とはいえ、ただひたすら頭を下げるJR西日本社長らに対して、たかが一新聞記者があそこまで、横柄な態度で、横暴な口をきく権利はない。取材する人間とて、礼を失するべきではない、と考えたからである。
従って、読売新聞は、本当に問題のありかを理解して、反省するのであれば、事故に関する全貌は未だ明らかになってはいないが、あのガラの悪い記者と大阪本社の最高責任者がJR西日本に出向いて、頭を下げるべきなのである。
それを済ませてから、その事実も含めて、新聞紙上でJRと読者に反省の弁を述べるべきなのである。
ところが、実際はどうか?
私は、読売新聞がJRに直接頭を下げたという事実をいまだに、知らない。
その上、上に引用した「談話」が意識しているのは、読者(読売新聞購読者)のみであり、JRに対する謝罪の言葉は全く含まれていない。
繰り返すが、本当に反省しているなら、まず、直接暴言を吐いた相手である、JRに対して謝る筈なのだ。
そして、責任者だけではなく、あのガラの悪い記者本人の実名と反省文と顔写真を載せるべきだ。JR経営陣の実名も顔写真も載せたのだから。
狡いではないか。
◆反省しているのではない。読売新聞購読を解約されるのが怖いだけだろう。
要するに、記者の態度に腹を立てた読者が新聞購読を止めるのが怖いから、形だけのこんな談話を載せただけなのだ。
「謝りました」という形式だけだ。しかも、ただひたすら謝っているのではない。「使命感や熱心さのあまりとはいえ」と言い訳をしている。
潔くない。あんな態度が「使命感」から出てきた訳がない。傲慢なだけじゃないか。
読売新聞のサイトをご覧になると、一体どこに、この謝罪文が載っているのかわからない。本当に謝罪するなら、トップページに誰の目にも入るように、レイアウトすべきだろう。上の謝罪文は社会面に他の一般の記事に紛れるように、小さい見出しが出ているだけなのだ。これが社会面だが、すぐには見つけられないでしょう?
◆本日(13日)付 読売新聞の社説は・・・
読売新聞は、自分が謝っているときに他のマスコミを批判する資格はない、ということすら分からないようだ。
今日の社説の表題を見てご覧なさい。なかなか、笑える。
[TBS盗用問題]「報道倫理に対する背信行為だ」だってさ。
その社説は次のセンテンスで始まる。
「盗みとウソ――。二重の背信行為に、怒りを通り越して、あきれてしまう。」
私どもは盗作はしていません。態度が悪いだけですというわけか。他人のことを言えた義理じゃないだろう。 この、馬鹿新聞め。
2004年05月13日(木) 「厳しく油断できず」サマワの治安、陸幕長 自衛隊の長が危ないといっているのに、撤収させない総理大臣。
2003年05月13日(火) 人間は覚える事は意識してコントロールできるが、忘れる事はコントロールできない。