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2005年03月13日(日) |
プロの音楽家になる、ということは、想像を絶するほどの才能と努力が必要である |
◆「音楽大学など行こうと思うな」と私のトランペットの師匠は云った。
巷で、音楽大学を舞台とした「青春もの」の漫画が売れているそうだ。
勿論、漫画は娯楽であり、事実に忠実である必要は無く、誰にも迷惑をかける訳ではないのだから、読者が喜んでいるのなら、それで良いのかもしれない。
私がこれから書くことは、その意味でやや、大人気ない。
しかし、プロとなった音楽家達がどれほど厳しい修行を積んでいるか、ということは認識していただきたいのである。
このことについては、以前、少し触れたが、読んでおられない方も多いと思うので、重複を厭わず書く。
◆音楽大学のレッスンは「おけいこ」ではない。
音楽大学の学生で一番多いのはピアノ科である。大部分はコンサートプロには、なれぬ。
それでも、そのレッスンの厳しさは、一般の人々には、到底想像不可能だろう。
まず、基本的な技術は、大学にはいるまでに全てできあがっていなければならぬ。
音大に入ってから、指の形がどうのこうのなどと云われているようでは、問題外である。
ピアニストになるような人間は、遅くとも小学校中学年で、そういうことは終わらせている。
芸大、桐朋、東京音大のピアノコースには、普通のピアノ科と、演奏家コースがある。後者に入るような人間は、皆、「神童」とか「天才」と呼ばれていた人間である。
例えば、私と同い年の清水和音というピアニストは4歳でショパンの幻想即興曲を弾いていた。
音大のレッスンは、音楽的な演奏内容を「芸術」に高めるためのものであり、一般コースの学生といえども、教師は容赦しない。
素人が趣味でピアノを習っている場合、半年ぐらいかけて、こなすエチュード(練習曲)や一般曲を、音大では、一週間程度で仕上げるのが当たり前であり、そのために、学生は一日十時間以上も練習することを当然要求される。強制されるのではない。そうならざるを得ないのだ。
それでも、前回のレッスンで指摘された、音楽表現上の問題が治っていないと、大抵の先生は烈火の如く怒り始める。
演奏中にいきなり女性の先生に楽譜と取り上げられ、ビリビリに破かれて、床にたたきつけられ、「出て行きなさい、あなた、もう、辞めなさい」と全人格を否定するようなことを云わるのは、毎日の日常的風景である。
「あんた、もう、死になさい」等と言われるのもざらである。何せ、芸術家というのは、一般人から見れば、変わった人が多い。
こんなことで驚いていては、やっていけぬ。
かつて、日本一のピアノ教師と呼ばれた井口愛子(中村紘子さんなど、数多くの優秀な弟子を育てたことで知られる)先生はすさまじく、中村さんぐらいの才能がある人でも、演奏上の問題点を延々、30分も叱られ、ケチョンとなっているのに、なんと、井口先生は「一体、貴女みたいなひとには、どうやって怒ったらいいのかしらね」(もう十分怒っています・・・・)とのたまうのだそうだ。
◆仲間同士励まし合うなどという、甘い世界ではない。
多分、評判の漫画では、「音大における楽しいキャンパス生活」が描かれているのであろうが、そんなものは、存在しない。
なにせ、2日か3日後には、またレッスンがある。そのときまでに、指摘された問題点が克服されていなければ、張り倒される。
「死になさい」、と云われたぐらいで、泣いているようでは、問題外。
そんなことでめそめそしている暇があったら、直ちに帰って練習するのだ。友達に愚痴るなどという暇もない。何故なら、他の学生も同じようにしごかれていて、一刻も早く練習を開始しなければならないからである。
◆どの楽器でも同じですよ。プロになるということは。
音楽大学に入ることは、たとえ、99パーセントはソロ・ピアニストになどなれないことが分かっていても、なお、「本物の」音楽を身体の芯にたたき込む訓練をすることであり、言語に絶する厳しい生活を少なくとも4年間続けることを意味する。
多くの音楽大学では夏休み明けに試験(勿論実技ですよ)があるので、夏休みに旅行に行ったり、遊んでいる暇はない。ただひたすら練習するのだ。
私のトランペットの師匠は、私の才能と性格を見て、到底そのような試練には耐えられないと判断したので、私に向かって「音楽大学には行くな」と云って下さったのである。これは、大変親切なアドヴァイスである。
◆最後に一つ。ベルリンフィルの例
今まで書いたのは、音楽家の話ではなく、その前段階、音楽家になるための修行をする学生の話である。プロになる前でもこれだけ厳しいのだ。
プロの演奏家にもしもなったら、これは、お客からカネを取って音楽を聴かせるのであるから、より一層厳しい試練が待ち受けているのである。
キリが無いので一つだけ書く。 私が、この日記で今まで何度も取り上げた、ベルリンフィルという、フルトヴェングラー、カラヤンという大巨匠が何十年も音楽監督をしていた、世界一のオーケストラがある。無論、オーディションを経て楽員になる。
弦楽器も管楽器も、打楽器も超一流の名人ぞろいである。
しかしながら、ベルリンフィルでは、リハーサルで続けてミスをすると、クビになる。
無論、本番でのミスが問題視されない訳ではない。が、少なくとも、本番ではプレッシャーがある。
プレッシャーの無いリハーサルでミスをするようなヘタクソは要らないという意味なのである。
どうです?厳しいでしょう?本当の音楽を奏でる人々は、みな、このような試練に耐えてきたのだ。だから、私は彼らを尊敬する。
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