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JIROの独断的日記
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2004年03月13日(土) メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 と力士

◆「ジュピター」が売れているそうですね

最近、ホルストの組曲「惑星」の、「木星」に歌詞をつけて「ジュピター」と題して歌っている女の子がいる。CDも売れているようである。それはそれで、結構だ。けちをつける気は無い.。


音楽・美術などの好みは人それぞれであって、自分がいくら好きな作品であっても他人も同じように感じるべきだ、と考えたり、「この音楽を聴いて(この絵を見て、この小説を読んで、等々)何も思わない奴は感受性が鈍いのだ」と断定するのは、特に若い人が陥りがちの誤った考え方である。「鈍い」のではなく、いわば感受性のチャンネルの種類が異なるのだ。


何の根拠もないのだが、私のカンでは、多分このような「感受性のチャンネル」にも遺伝子が関係しているということが、いずれ解明されるのではないかと思う。但し、次のようなことは言える。


自分の感受性に適合した(文学的表現を用いるならば、自分の「心の琴線に触れる」)芸術を、自分がすべて知っている可能性は、極めて低い、ということだ。音楽に限定して言えば、今までは食わず嫌いで聴いたことが無かったのが、聴いてみたら、一編で気に入ってしまった、というのは、しばしばおきることである。


「ジュピター」が売れているのも、その一例といっていいだろう(但し、ここからはおせっかいだが、あの歌を聴いて、いいな、と思った人には、無理にとは言わないけれども、原曲、つまりフル・オーケストラで「組曲:惑星」を聴いてみることをお勧めしたい。ソロ・ヴォーカルとは全く異なる、大編成オーケストラのパワーに、きっと魅了されるだろう。さしあたって、ジェームズ・レヴァイン指揮、シカゴ交響楽団のCDがドイツ・グラモフォンという、クラシック・レコードの老舗から出ている。名演である)



◆メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲と尾車親方

メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲は、日本では「メンコン」の愛称(?)で呼ばれる、西洋2000年の歴史の中でも、最高峰に属する芸術作品である、と言って、過言ではないだろう。文句のつけようが無い名曲である。この曲を取り上げたのは、1845年の今日が、この曲の初演日だからである。159年前ですな。


それから、今までに、この曲は一体世界中で何万回演奏され、のべ何億人が聴いたか、計り知れない。しかし、それでも今なお、飽きられずに演奏され、聴くたびにジーンと感動する。こういう曲を書くのは、正に天才だけがなせる仕事だろう。


ここまで完璧な音楽を聴くと、永遠なる美、プラトンが云うところの「美のイデア」というものが、この世には本当にあるのかもしれないと思う。


えーと、それで、理屈っぽくなってしまったが、この曲にまつわる、とてもよい話がある。それを書きたかったのだ。


大相撲の現尾車親方はクラシックに詳しいが、これは、本当に偶然な出来事がきっかけとなっている。

あるとき、外出して、部屋に戻ろうと最寄駅で電車を降りた、当時の琴風関は、駅のホームのベンチに一枚のLPレコード(CDなんて、この世にまだ存在しなかった頃の逸話である)が置き忘れていることに気がついた。


届けようかと思ったが、なぜかどうしても聴いてみたくなった。クラシックなんて、全然しらなかった。メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲は、わずか1小節半のオーケストラの前奏のあと、いきなり、「天上の調べ」というしかない、美しく、物悲しい、ヴァイオリン・ソロが奏でられる。それを聴いて、琴風関は大変感動した。同じレコードをあきれるほど何度も聴いた。聴けば聴くほどきれいだと思った。それからは、自分でクラシックのレコードを買うようになった。今ではすっかり通である。


クラシックは堅苦しくて、何か理屈っぽい感想を言わないといけないのではないか、楽譜を読めなくては、聴いたことにならないなどという奴がいたら、無視してください。完全に無意味な思い込みだ。


「音楽とは、音の流れの美しさ以外の何物でもない」(ヘルベルト・フォン・カラヤン、故人・指揮者)。


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