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2005年02月28日(月) |
Top of the world(カーペンターズ)を聴くと、泣けるのです。 |
◆まるっきり、書くタイミングを逃したが、2月4日はカレン・カーペンターの命日でした。
2月4日に書こうと思っていたのですが、当日、「国内初の変異性クロイツフェル・ヤコブ病を確認」というニュースが出て、書き損ねて、書こう書こうとしている間に、月末になってしましました。
今の若い方も結構、カーペンターズの歌を知っているのですね。私は正直に言うとそれほど知らないのです。
しかし、"Top of the world"の美しいカレンカーペンターの歌声を聞いていると泣けてきます。
◆今頃になって一昨年の冬のドラマ、「ビギナー」を見ているのです。
なぜ、急にカーペンターズを書くのかというと、一昨年の10-12月期の所謂「月9」で「ビギナー」という、司法修習生を扱ったドラマを、フジテレビが放送していました。
そのエンディングが、カーペンターズの"Top of the World"だったのです。
このドラマが放送されていた時期は、息子が中学受験のために必死に勉強していたので、親父の私だけがテレビドラマを見て遊んでいるというのも、気が引けましてね。見なかったのですが、最近少し落ち着いたので、DVDで見ているのです。
ドラマは非常に良くできています。殆ど画期的です。
完全にセリフで見せる芝居、セリフ劇なのですね。舞台に近い。
内容もかなり専門的なのに、よく芝居にしたと思います。脚本は水橋文美江さんです。
派手な大ヒットドラマにはならないけれど、昔から、しみじみとしたシナリオを書く人だと思います。
◆カレンカーペンターの死、
話が逸れました。
カレンカーペンターの歌声というのは、完全に独自の世界で、私が普段聴いているクラシック音楽とは別だけれども、芸術の域に達しつつあります。
あれほど、明るく、優しく、聴く人の心を慰める歌を歌っているけれども、カレン自身の人生は決して幸せではありませんでした。
カレン・カーペンターは1983年2月4日にわずか、32歳で亡くなりましたが、死因(直接の死因は心不全か何かでしょうが)は、拒食症でした。
日本で、拒食症(今では、過食なども含めて摂食障害といいます)という病気が知られるようになったのは、カレンの死が非常にショッキングだったからです。
◆母の愛情を渇望した、カレン・カーペンター。
拒食症になるのは、ダイエットの失敗だと思っている人が多いでしょうし、実際、そのようなケースもあります。
しかし、かなりの場合、拒食症には家族の問題が関係しています。
カレンの場合は、子供の頃からずっと、母親が、本当は自分を愛していない、という葛藤に苦しみ続けました。
コンサートの映像などを見ると、とてもそのような悩みを抱えている人には見えませんが、人はそれほど簡単に見た目だけでは分からないものなのです。
カレンの母親は、どうしたことか、カレンの兄、リチャードを偏愛し、カレンには冷たく当たりました。もう少し複雑な事情があります。
それは、カレン・カーペンター―栄光と悲劇の物語という本に詳しく書かれています。
これ、はっきり書いておきますが、読了するのが辛いですよ。抑うつ状態の方は読まない方がよいと思います。
少しだけ、書きます。カレンは衰弱してゆく中でも母親の愛情を渇望していました。
「私のママになってよ」
というカレンの言葉を読むと、打ちのめされます。
悲しいことに、彼女の悲痛な願いは最後まで、叶えられなかったように思います。
◆辛い人生を送っている人が、これほど明るい歌を歌えるという奇跡と悲劇。
"Top of the World"はカントリー・ポップス調の、しかし、決して軽薄ではなく、雲ひとつなく澄んだ青空を想起させる、聴くと心が洗われる歌ですね。ここで描かれているのは、理想の彼と出会って、幸せの絶頂、まさに「世界の頂点にいる気分」の女の子の気持ちです。
1番だけ、英語と日本語で書いてみます。
Such a feelin's comin' over me
There is wonder in most everything I see
Not a cloud in the sky
Got the sun in my eyes
And I won't be surprised if it's a dream
Everything I want the world to be
Is now coming true especially for me
And the reason is clear
It's because you are here
You're the nearest thing to heaven that I've seen
(*) I'm on the top of the world lookin' down on creation
And the only explanation I can find
Is the love that I've found ever since you've been around
Your love's put me at the top of the world
なんて素敵な気分なのかしら 見るものすべてが驚きよ
大空には雲ひとつなく 目にはお日さまが映るだけ
これが夢でも ぜんぜん驚かないわ
私が望んだものが全部
今 特別に叶えられようとしている
理由はカンタン
それは あなたがここにいるから
あなたは私が知る中で 最高に天国みたいな人
私は今 世界のてっぺんから 下界の創造物を見下ろしている
その理由はただ一つ あなたと出逢って知った愛のせい
あなたの愛が私を
世界の頂上に舞い上がらせたの
日本語にしてしまうと、ちょっと書き写すのが恥ずかしいぐらいです。
しかし、だからこそ、悲しい。
この歌は聴く人を幸せな気分にします。「心が洗われたような気持ち」というのは、この歌を聴いた後の、あの気持ちを云うのでしょう。
残念なことに、カレンカーペンターは、現実の人生では、この歌で描かれたような幸福を味わったことがなかった訳ですね。
ずーっと、彼氏どころじゃない。母親に愛されたいと願っていたのですね。それを考えると胸が張り裂けそうです。
◆モーツァルトもこういう人だったのです。
モーツァルトの音楽は圧倒的に長調が多いのです。彼の作品に駄作はありません。
人類史上、唯一の本当の天才だと思います。しかし、モーツァルトは事情は違うけれども、やはり私生活では不幸な人でした。
彼が死ぬ2ヶ月ほど前に書いた「クラリネット協奏曲」という美しい曲があります。
これを書いたとき、モーツァルトは自分に死が迫っていることを知っていました。
それでも、この音楽は、イ長調で書かれています。1楽章は天衣無縫。第2楽章は私はこういうのを「天上の調べ」というのだとおもいます。終楽章のロンドも、あくまで、突き抜けるようにさわやかです。
ところが、感受性に富んだ人が聴くと、違うのです。
吉田秀和という希代の音楽評論家は「この曲では、音楽の天才が、音楽と人生に別れを告げているのが聞こえる」と書いています。
歴史的経緯を知っているから、そう書いているわけではありません。
音楽を創ったり、演奏するのには才能が必要ですが、「音楽を聴く才能」も間違いなく存在します。
吉田秀和さんというのは、そういう感受性がずば抜けている人です。だから、この人はモーツァルトの「クラリネット協奏曲」に、本当にそのような悲しさを感じるのだと思います。
◆悲しいのに明るく去っていった人たち
私たちは、他人から、演歌の歌詞のように、「私は、辛いです、悲しいです。苦労しているのです。」と云われると、「おまえさんだけじゃないよ」と、却って意地悪な気持ちになります。
しかし、本当はもの凄く辛いのに、あくまでも明るさを貫かれると、逆に悲しくなります。それが彼らの意図ではなくても、です。
モーツァルトやカレン・カーペンターは最後まで、明るく、他人を幸福にする音楽を書き、歌を歌いました。偉大だと思います。
けれども、私はどうしても彼らの胸中を思って、胸が痛みます。
だから、本当は、こちらが泣いてしまっては彼らに悪いのだけれども、"Top of the World"とモーツァルトのクラリネット協奏曲を聴くたびに、私は、どうしても泣けてしまいます。
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