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2005年01月28日(金) |
アシュケナージの「モーツァルト:ピアノ協奏曲第23番&第27番」を薦めます。 |
◆私は、ピアノは嫌いだったのです。
私は子供の頃から、オーケストラが好きで、ピアノは余り好きではありませんでした。
ピアノは、楽器の分類で「鍵盤楽器」だと云われるけれども、鍵盤楽器(英語だったら、「キーボード」です)といっても、ピアノと、その前身というか、今では全く別の楽器として存続している、チェンバロという楽器は発音体が弦ですが、パイプオルガンの発音原理は一部はリード楽器(ハーモニカとか、アコーディオン)と同じですし、別のパイプ群はフルートと同じように、振動する物体はなく、空気が渦巻きを作るときに出る音を利用しています。
鍵盤楽器というのは、それぞれの発音のメカニックを作動させる装置の一番末端の形状が、たまたま同じ鍵盤であったというだけなのです。
◆ピアノは打楽器です。
ピアノとチェンバロは弦を発音体とする点では共通していますが、音の出し方が正反対です。ピアノよりも前からこの世にあるチェンバロは、バロック音楽では欠かせない、とても繊細な美しい音を出しますが、これは、弦をはじいて音をだします。詳しく説明すると長くなるので仕組みは省略しますが、結果的に、音の強弱の差が出せない、あるいは殆ど出せないのです。
これに対して、ピアノは、グランドピアノの中をのぞいたことがある人もいるでしょうが、鉄製の弦(ピアノ線)をフェルトを貼ったハンマーで「叩いて」音を出します。従って、敢えて云えば、ピアノは「打弦楽器」です。
ピアノのアクション(キーを押さえてから弦を叩くまでのメカニズム)は、大変精巧なものです。天下の大発明です。
何故ならこれによって、強い音と弱い音の差をはっきり出せるようになったからです。ピアノの正式名称は「ピアノ・フォルテ」ですが、(本当はもっと長いのですが)そのような歴史的背景があるのです。
ピアノのダイナミックレンジ(最弱音と最強音との、音圧の差)はものすごいです。このおかげで、表現力がそれまでとは比較にならぬほど多様になりました。
しかも、不思議なことに、ピアノのアクションはどれも同じなのに、例え同じ楽器を弾いても一人一人、音色が違うのです。
私は、アシュケナージを聴くまでは、ピアノの打楽器的要素、つまり弦を叩くことにより避けがたい、キンキン(高い音)、ガンガン(低い音)と表現したくなる音色があまり好きではなかった。
そして、打楽器ですから、他の音楽家なら当然出来ること、つまり長く音をのばしながらクレッシェンド(段々音を強くする)することが出来ないのが、つまらないと思いました。
太鼓と同じ事で、ピアノはキーを叩いた瞬間(正確にはその何百分の一秒後)の音量が一番大きく、後は減衰するしかない。弦楽器や管楽器のように、ビブラートをかけて美しく旋律を「歌う」ことは、原理上、不可能なのです。
どうもその辺が気に入らなかった。
◆アシュケナージが弾くと、ピアノが「歌う」のです。
ここまで読んで、ピアノをご存じの方は、ピアノだってペダル(一番右のペダルを踏み込むと、鍵盤を放しても、しばらく音が鳴り続けます。ペダリングはピアニストの大切な技術なのです)があるじゃないか。と仰るでしょう。
しかし、ペダルを踏めばよいと云うものではない。極端な話、ずっと踏んでいたら、音が全部残って、混ざって、濁った音が出てしまいます。大変難しい。
ところがですね。アシュケナージが弾く、モーツァルト:ピアノ協奏曲第23番&第27番のCDをたまたま聴いたときに、私は、文字通りひっくり返りそうになりました。
それまでの私の知っているピアノとは全く別の楽器の音かと思いました。
一つ一つの音が、何かの光を放っているかのようにキラキラと輝き、しかも柔らかく、FFを弾いても耳障りにならず、PPを弾いても、はっきり聞こえる。
さらに、テクニック、要するに、ピアノが「上手い」ってことですな。これはもう、難しいのを弾かせれば、目の回るような曲も弾けるのです。アシュケナージさんは。
◆人類史上唯一無二の天才の作品を現代の大天才が演奏した贅沢なCDです。
それだけの技術を習得した人が、単純に指のややこしさとかからいえば、後生の作曲家、プロコフィエフとか、リストとか、バルトークに比べれば、表面上はずっと優しいけれども、これを弾いたら、ピアニストに限らず、その音楽家の才能が一遍でばれてしまう、人類史上最高にして唯一の真の天才、モーツァルトのピアノ協奏曲を弾いています。
以前紹介しましたが、 カール・フレッシュというヴァイオリンの名手にして大先生は、こう云っています。
「ある音楽家の教養の程度は、彼のモーツァルトに対する関係で分かる。相当の年にならねばモーツァルトを理解することができない、というのは、よく知られた事実である。若い人たちは、モーツァルトを単純、単調、冗漫だと思う。人生という嵐によって純化された人だけが、単純さの中の崇高さと、霊感の直接性を理解するのである」
というと、しち面倒くさそうに聞こえますがそんなことはないです。聴けば良いんです。
このCDにはいっている、23番と27番はその天才が書いたピアノ協奏曲のなかでも最も美しい。27番は最後の協奏曲です。
天才の書いた最高の作品を、現代の最高のピアニスト(この人は指揮もするのですが、この度、N響の指揮者になりました。私からすれば、夢のようです)が演奏した、大変贅沢なCDです。
一生に一度だけでよいから、試しに聴いてみて下さい。
くどいようですが、あれこれ理屈はいりません。ただ、聴いて下さい。
2004年01月28日(水) 身心の具合が悪かったら、早く医者へ診てもらうことだ。心配しながら過ごすのは損。
2003年01月28日(火) アメリカは何故イラクを攻撃するのか。