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2005年01月09日(日) |
<大相撲>升席にも灰皿なく 館内全面禁煙 嫌煙者の硬直的思考(追加分を含む)。 |
◆記事:<大相撲>升席にも灰皿なく 館内全面禁煙
今年から6場所すべてで館内全面禁煙を打ち出した大相撲。初場所の幕が開いた両国国技館でも、升席に置かれていた茶屋名入りの陶器の灰皿が姿を消し、喫煙派は取組の合間に、館外に設けられた喫煙場で、寒さに身をすくめながら、たばこをふかした。
1日に2箱の喫煙をするという千葉県船橋市の男性会社員(40)は「席では吸えない方がいい。国技ですから。中入後は相撲を見たいからたばこを我慢します」と熱心に観戦していた。(毎日新聞) - 1月9日20時56分更新
◆コメント:タバコの害を強調するなら、酒の害については何故言及しないのか。
相撲はどうでも良い。
所謂嫌煙運動とか、タバコ嫌いの人の主張を読んだり聴いたりしていつも気になるのは、「自分は絶対に正しい。タバコを吸う奴はバカだ。」という独断的な論調である。
タバコを公共の場で吸うのが何故いけないかというと、副流煙や、喫煙者が吐き出したタバコの煙を吸うことによって、非喫煙者の健康を害する可能性がある、ということだろう。要するに、喫煙者が肺ガンになるのは勝手だが、他人を巻き込むことは許されない、といいたいのであろう。
タバコと対にして語られる嗜好品は、云うまでもなく、酒=アルコールである。
嫌煙者には、酒、ないし、酒飲みの行為には寛容だが、喫煙者に対しては異常なほど厳しいことをいう人が、多いというのが私の経験から受ける印象である。
ところで、酒飲みは他人に害を及ぼしていないとでも思っているのか?(念のため書き添えるが、「全ての飲酒者が他人に対して害を加えている」、と主張するつもりはない。但し、「無視できないほど高い割合で、『はた迷惑な酒飲み』が存在する」というのが、私の認識である。)
◆アルコールは向精神薬である。
タバコの人体に及ぼす悪影響については、あれほど喧伝されているのに対して、同じ嗜好品であり、しかも人間の身体と精神に影響を及ぼすアルコールについては、何故啓蒙活動がなされないのか不思議だ(要するに、タバコは嫌いだが、酒は好きだという人が多いだけのことだろう)。
昔から「酒で身を滅ぼす」という慣用句はあるが、「タバコで身を滅ぼす」という言葉はない。アルコールは人一人の人生を棒に振るほど、強い向精神薬である。
普段おとなしい人が、酒席で人格が変わったかのようになるのを見たことがないひとはいないだろう。一方、タバコをすって、急に人にカラむ人がいるだろうか?
臓器に与える害は、いうまでもなかろう。飲み過ぎれば肝臓を痛める。そのまま行けば肝硬変になる。肝硬変になると血液の流れが悪くなり、バイパスとして食道内部を走っている動脈の血流が増えて、盛り上がってくる。盛り上がってコブになることがある。これを食道動脈瘤という。
何かの拍子にこの食道動脈瘤が破裂すると、患者は、病室の天井まで届くほど、猛烈な勢いで、噴水のように血を吹き上げて、こときれる。
殆どオカルト映画である。大袈裟ではない。常識だ。
◆私が酒飲みから受けたトラウマ
私の死んだ父親は銀行の支店長で、1月2日が誕生日だった。毎年、正月2日は、部下を呼んで(呼ばれた方も迷惑だったろう)、酒宴をひらく。母親は前日遅くまで、翌日、酒飲みたちに出す料理の準備で大わらわであった。
当日、何十人という銀行員が私の実家の座敷に入れ替わり立ち替わりやってくる。
私は、母を手伝い、料理の皿や、ビールや、お銚子を座敷に運び、まめまめしく働いた(無論、無報酬である。上司の子供にお年玉を与えるのは失礼に当たるのだ)。
さて、来客たちは、最初こそおとなしいが、酒が回り始めると、世間の例に漏れず、酒癖の悪い奴が大声を出し始めたり、後輩にねちねちと小言を言ったりし始める。
その頃から私は、大の男の酔態を見るのが大嫌いになった。
宴の始まる前は、彼らは「支店長のお坊ちゃま」である私に対しても、礼儀正しくしているが、アルコールでタガが外れると、その醜いこと・・・。
中には私に酒臭い息を吹きかけて、10歳にもならない私に抱きついてくる奴もいた。そのときの、ぞっとするほどの嫌悪感は、今でも忘れることができぬ。
フラッシュバックが起きるのである。こうなると、一種のPTSDである。酔っぱらいは、このようにして人を傷つけているのだ。
◆タバコを吸いながら歩いている人を見ると殴りたくなる、と書いていた医学生がいた
本当に、嫌煙の話になると、普段は、冷静で論理的な文章を書いている医学生すら、驚くほど、情緒的な表現が目立つようになる。
「タバコを吸いながら歩いている奴を見ると殴りたくなる」とまで書いた医学生の日記をちら、と読んだことがある。
それなら云わせて貰う。
酔っぱらいが大嫌いな人間は、あのみっともない「酔態」を見るたびに、同じような感情を抱いているのだ。
私など、「殴りたい」どころではない。殆ど、「殺意」を覚える。
ただ、仕方がないので、必死に我慢しているのである。酒の席での振る舞いに関しては寛容であれ、という、日本社会の慣習(悪習だ)による無言の圧力がそうさせるのだ。
◆物理的な害のみならず、精神的な害もかんがえろ。
タバコの煙が非喫煙者の肉体的健康に害を及ぼすのは、認められないのであれば、酒飲みが、酒嫌い、酔っぱらい嫌いの人間に対して、酒席の度に与えている精神的な害についても議論されるべきだ。
女性など、酒の席だから、大目に見ろといい、酒臭いオヤジにセクシュアル・ハラスメントを受けて、相当に嫌な思いをしているはずだ。
イジメと同じで、こういうことは、行為者は大したことをしていないと思っているだろうが、被害者は、想像以上に精神的なダメージを受けているのだ。
私は、これは、精神的傷害罪とでも云うべきものだと考えている。
◆飛躍した議論はよせ。
嫌煙者は、「タバコを吸うような奴は、駄目な奴なんだ」などと極端なことを云う。
タバコとて、嗜好品の一種である。それを好んだことにより、全人格を否定するのは明らかに乱暴で、飛躍した議論である。要するに「言い過ぎ」だ。
かつて、日本で最初に生体肝移植を行った、島根医大の話を書いたことがある。
執刀医の永末助教授(当時)は、第二外科の全医局員とナースを集め、「我々は肝移植を標榜している。赤ん坊は死にかけている。家族は結果は問わないから移植手術をしてくれといっている。これで、この手術を引き受けないなら、明日から肝移植の研究など止めよう」とまで云った。
手術に失敗すれば、大学を追われる、ことによっては、医師を辞めなければならないかも知れない、と覚悟していた。
NHKのインタビューに答え、永末先生は、「医者を辞めても、私は英語が得意なので、英語塾をやれば、生活できるだろうと思いました」と答えた。
これほど、立派な先生を、私は他に知らない。私の身内が、この生体肝移植チームにいたので、知っているのだが、永末先生は、ヘビースモーカーである。
これでも、タバコを吸う奴は駄目な奴だ、と嫌煙家は主張するのだろうか?
◆追加
上の記述に対する反論として、「タバコの煙(副流煙)は周囲の全ての人体に影響するが、飲酒者は酒癖の悪い人間ばかりではない」、という意見があった。
では、タバコの煙は主流煙にせよ、副流煙にせよ、周囲の人に対して、100%の確率で生理的悪影響を与えることは証明されているのであろうか?
少なくとも主流煙、つまり能動的喫煙については、これが、癌を誘発するなどの危険因子として作用する人と、しない人がいる事は経験則から明らかである。
例えば、映画監督の市川昆氏は、テレビなどで見たことがある人もいるだろうが、ほぼ、1日中タバコを吸っている(全てを肺まで吸い込んでいるとは限らないが、それでも、舌ガンの誘発要因になるはずである)。本人が1日100本吸っているというぐらいだから、間違いなかろう。
市川監督は1915(大正4)年生まれだから、今年で90歳になる。長寿である。このような人は、市井の一般人にも大勢、いる。
このタイプの人の身体は、タバコの煙が含む、様々な有害物質に対して、何らかの生体的反応は起こしているのであろうが、疾病を誘発し、死を招く要因としてまでは、作用していないと考えられる。
副流煙に関しても同様の傾向があるのではないかという、推論が可能ではないか。それとも、別の根拠があるのだろうか?何故、害が出る人と出ない人がいるかといえば、素人考えながら、何らかの遺伝子が関係している、と想像される。が、それは専門家の研究を待つしかない。
2004年01月09日(金) 「防衛庁が取材自粛を要請 自衛隊イラク派遣の報道で」 言論統制、大本営発表となりつつある。大変な事になった。
2003年01月09日(木) アメリカを査察する計画。その後どんどん署名は増えているが、日本人が殆どいないのです。