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JIROの独断的日記
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2004年12月19日(日) 「目を閉じたまま音楽を聴くほど、馬鹿げたことはない」 (ストラヴィンスキー) 第九の季節ですね。

◆音楽は見るものだという話。

 

ストラヴィンスキーというのは、1882年生まれ−1971没ですから、クラシックの延長上ですけど、現代の作曲家です。20世紀最高の作曲家の一人です。

いろいろ書くとめんどくさい話になるから、要するに代表作が、バレー音楽の「火の鳥」、「ペトルーシュカ」、「春の祭典」です。

どれも傑作です。火の鳥は手塚治虫が影響を受けてマンガにしましたね。

「春の祭典」ってのは、もう、革命的なのです。

終わりの方なんか、1小節毎に拍子が変わるのです。

オーケストラの全てのパートが記されている、要するに指揮者が見る楽譜をスコア(総譜)というのですが、 ちょこっとでも、楽譜になじんだことがある人なら、この、変拍子の連続のところを見るだけでも面白いですよ。

「春の祭典」が1913年、パリで初演されたときは、観客の反応がすごかったのです。

客の約半分は、「これは、斬新な発想の、完全に新しい音楽だ。素晴らしい」といい、残り半分は「こんなもん、音楽じゃねえよ!」と怒りだし、とっくみあいの大げんかになったという有名なエピソードがあります。

ストラヴィンスキー先生も客席に居たはずなのですが、どうやって逃げおおせたのか、私は知りません。


◆オーケストラはCDで聴いているより、見た方が面白い。

 

ストラヴィンスキーの「目を閉じたまま音楽を聴くほど、馬鹿げたことはない」という言葉は実は私も今日、初めて知りました。

やっぱり、天才は云うことが違いますねー。

まあ、これは、楽譜を見ないで聴いても仕方がない、という意味でしょうが、それだけではないと思います。

私は、音楽は、勿論、音の流れでしかないのだけれども、演奏者の演奏している姿も、音楽の一部だと云っても良いと思います。

勿論、音だけで、十分、優れた芸術なのですが。上手い演奏家が演奏しているときは、見ていて、とても楽しい。


◆第九の第2楽章のティンパニ

もし、第九に行く予定の方があったら、第2楽章でティンパニ奏者に注目して下さい。

ベートーベンはティンパニの使い方がとても独創的です。

それまでの作曲家はあくまでもリズムというか、アクセントをつける効果が目的でティンパニを使っていましたが、ベートーベンは、時に、ティンパニをソロ楽器のように使います。非常にユニークです。

古典派の交響曲では、通常ティンパニは2個までしか使わない。ベートーベンも基本はそうなのですが、音の設定がですね。モーツァルトまでは、ほぼ100%、高い音がその調の主音(長調なら「ド」、短調なら「ラ」)、低い方が属音(長調の「ソ」短調の「ミ」)にチューニングするんです(ティンパニにはペダルがありまして、これを踏んで、音を調律するのです。打楽器奏者も耳が良くないと話しになりません)。

ところが、第九の第二楽章では、「ファ」(へ音、Fです)のオクターブという指定がなされています。ベートーベンは第九を書く前に交響曲第八番の第四楽章でちょっと実験的にこの使い方をしましたが、その効果が気に入ったようです。

第二楽章はスケルツォといって、早い三拍子です。

 始まってすぐ、五小節目にティンパニだけが音を出す。ティンパニソロですね。それまで、そんな使い方、なかったのです。

F(ファ)のオクターブは極めて印象的です。途中、あるリズムをff(フォルティシモ)で連打します。

 このとき、ああ、オーケストラは見るものだなとつくづく思います。上手い人は、左右の腕を交差させて、戻して、また交差させて、という具合に一小節ごとに切り替えます。この動きがとても美しい。音楽が見えるようです。

音楽評論家で吉田秀和さんという大御所がいます。

 この方の文章を読むと、音楽を聴く才能というのが、演奏とは別に存在することが分かります。

因みにホロビッツという、既に故人ですが、20世紀を代表するピアニストが晩年、日本に初めて来たのは良いのだけれども、演奏はミスタッチだらけの、もうお話にならないぐらいひどい演奏で、みんな唖然としてしまったことがあったのです。

このときに「ひびが入った骨董品」という言葉で表現し、その表現がやたらと流行った事があるのですが、元はこの方がNHKのインタビューに答えたときに何気なく口にした言葉です。

それでですね。この大先生がある文章の中で、神様が今日一日だけ好きな楽器の名人にしてやると云われたら、自分は迷わず、第九の第二楽章のティンパニを叩いてみたい、と書いていたのです。

先生結構ミーハーですね。


◆楽譜は少しながめるだけでも面白いことがいろいろある

 

前述の通り、オーケストラの全ての楽器のパートが載っている楽譜をスコア(総譜)といいます。

これが、第九のスコアの最後のページです。

 第九のコンサートでは、オーケストラが最後の音を鳴らし終えた瞬間、すごい大声で「ブラボー!」と叫ぶ人がいます。これは、もう、絶対いるんです。

しかし、楽譜の最後の小節をよく見ると、音符の後にまだ何か記号が書いてあります。全ての楽器、コーラス、歌のソリストのパートに休符が書かれていて、しかも、フェルマータ(長くのばす、という意味の記号)がついています。

このように全てのパートに休符が附いているのをゲネラル・パウゼ(General Pause)、総休止、といいます。

ベートーベンは意識してこのように書いているのです。

つまり音が鳴っているところだけが音楽なのではない。その後の静寂を含めて、余韻を味わって、初めてこの交響曲の演奏が終了するのです。

ですから、目立ちたいがために、最後の音が鳴ると同時ぐらいに、ブラボーを叫ぶのは、この楽譜に忠実な演奏を妨げているのです。

そんなことが分かるだけでも、楽譜を眺めるのは結構面白いのです。


2003年12月19日(金) <自衛隊派遣>空自に命令 本隊は首相承認経て1月下旬に ←反対。日本が戦争をしてはいけない。
2002年12月19日(木) 全ては幻想である。

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