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2004年09月04日(土) |
「ロシア学校占拠、制圧 死者322人・病院搬送704人 」 ロシア大使館にメールを送った。 |
◆記事1:ロシア学校占拠、制圧 死者322人・病院搬送704人
ロシア南部の北オセチア共和国で起きた学校占拠事件で、ロシア連邦軍は4日未明(日本時間4日早朝)、武装集団を制圧した。現地対策本部によると、死者は子供155人を含む322人に達し、約80人が体育館のがれきの下に残っているという。病院に運ばれた負傷者は704人。チェチェン独立派によるとみられるテロとしては最悪の惨事になった。武装集団は27人が死亡、3人が逮捕されたが、数人が逃走中という。死亡した武装集団のうち10人はアラブ人で、国際テロ組織が連携したとみられる。
内務省関係者の話として現地メディアは、爆発で崩れ落ちた体育館の屋根などの下には、約80人の遺体が残っていると伝えた。緊急事態省によると、病院収容の負傷者のうち子供は283人で、92人は重体という。
◆記事2:背後に劇場事件と同じ最強硬派司令官 ロシア学校占拠
ロシア・北オセチア共和国の学校占拠事件で脱出した人質の証言などから、チェチェン共和国の独立を要求する武装勢力の中でも最強硬派のバサエフ野戦司令官が背後で事件を操っていた可能性が高まってきた。
3日付のコメルサント紙によれば、実行犯のリーダー格は3人。マガス、ファントマス、アブドラとそれぞれ名乗ったという。ロシア治安当局によれば、マガスは6月にイングーシ共和国の内務省を襲撃した武装集団の主犯。この襲撃事件はバサエフ派が関与したことがわかっている。今回の事件でもマガスが主犯格だったと見られる。
◆コメント:ただ、「ひどい事件だ」と言っていてもしかたがない。
以前、チェチェンの武装勢力により、大勢の一般人が犠牲になったのは、2002年10月のことである。モスクワの劇場をチェチェン武装勢力が占拠した。あのときは、銃撃ではなく、ロシア側が犯人制圧の為に、鎮静ガスを注入したところ、その使用量が多すぎて、人質が100人も亡くなった。
私はそのときに、あまり簡潔にまとまっていないが、チェチェン紛争の基礎知識をまとめたので、お読み頂きたい。
前回も今回も感じるが、プーチンは初めから、人質の命をさほど重要視していない。チェチェンをのさばらせる方が危険だと考えている。ロシアという国は歴史的に見てもどうもそういう傾向がある。
今回も、強行突入はプーチンの画策だろう。状況証拠でしかないが、 現場の指揮官はテレビ(BBCだと思う)のインタビューに対して「我々は、強行突入するつもりではなかった」という、重要な証言をしている。
プーチンは、国際社会に向けて、ロシアは民主国家だと見せかけているが、前回の大統領選のときには、対立候補を妨害したり、その前から、プーチンに批判的だったマスコミの重要人物を弾圧して、彼らを国外に追放した。また、自分がソ連時代に属していた、KGBを復活させて、反体制分子を監視させようとしている。要するに、独裁国家に戻そうとしている。だから、今回も、国民から非難の声が上がっても、多分、強硬手段を用いても、口を封じてしまうだろう。
そして、これは、チェチェンとは関係が無いけれども、モスクワの劇場占拠事件のさらに2年前、2000年8月12日、ロシア北洋艦隊の原子力潜水艦「クルスク」が、バレンツ海に沈没した。救助が難航して、ついに乗組員全員が死亡した。このとき、ロシア政府が本気で乗員を救出しようとしているのか疑問に思えるほど、救助活動はもたついていた。乗組員の一人の母親が、息子の死を知り、政府の乗組員家族への説明会の席上、副首相を大声で罵倒しはじめた。
すると、うしろから、数人の人間が静かに近づいた。一人の手には注射器があった。白衣を着た女医がその注射を、泣き叫ぶ母親に突き刺したら、わずか数秒で意識を失い、どこかへ連れ去られてしまった。この様子はテレビ映像で全世界に流れ、ロシアはやはり、民主国家ではないことを印象づけた。
◆パイプラインがチェチェンを通っているから、ロシアは、独立を嫌がる
チェチェン紛争が絶えないのは、チェチェン共和国の独立をロシア政府が認めないからであり、それは何故かというと、チェチェンの国土をパイプラインが通っているからである。この大切なエネルギー供給インフラを、「他国」のものにするわけにはいかない、というのが、ロシアがチェチェンを弾圧する最大の理由である。チェチェン独立を求める人々をプーチンは「ペスト」と侮辱している。
◆親ロシアのアフマド・カディロフ大統領が5月9日に爆殺されてから、激化している、ロシアの暴虐。
テロは許されないが、今年の5月9日、チェチェン共和国の首都グロズヌイで、親ロシア派の大統領、アフマド・カディロフが、戦勝記念式典の最中に爆殺された。これは、チェチェン過激派の犯行だとされ、それ以降、ロシア兵士のチェチェンにおける拷問や婦女暴行が行われていることは、アムネスティ・インターナショナルとヒューマン・ライツ・ウォッチの共同声明で暴露されている。
◆イラクの人質問題の時などはあれほど団結するのに、こういうときは知らん顔をする日本人。
イラクで3人の日本人が拘束されたとき、日本の大衆は、こぞってこの3人にたいして、あらゆる手段で非難し、嫌がらせを、行った。
それは、世界中のマスコミが驚いて、それぞれの自国に伝えたほどだった。
ついにはアメリカのパウエル国務長官にまで、「イラク人の子供を助けていて、こういう目にあった高遠さんを日本人は誇りに思うべきだ」と諭されてしまったのを忘れた人はいないだろう。皮肉なことに、日本の大衆、世論が、世界の「注目」を浴びた、希有な例だった。
イラクの件や「自己責任」問題と今回の「チェチェン紛争を背景とする人質事件」との間に関係はない。私が言いたいのは、日本人は弱者を攻撃するときにだけ、異様に情熱を燃やすが、他国、それもロシア政府などという「怖そうな相手」に対しては随分、弱腰だね、ということだ。
イラクの人質事件のときに、やや大袈裟に言えば、「世界を動かす」(感心されたのではなく、軽蔑されたのだが・・・)ほどのエネルギーが発揮できたのだから、こういうときにこそ、それを活用すべきだ。
今回の悲劇に関して、「2ちゃんねる」に書き込んでいるヒマがあったら、全員、ロシア大使館に抗議メールを送ってはどうだろうか。但し、ただ感情的に攻撃的なことを書いてはだめだ。 私は、既に、送った。「私は、貴国の芸術に対しては以前より、深い尊敬の念を抱いてきた。しかしながら、ここ数年、貴国の対チェチェン共和国政策には、疑念を抱かざるを得ない。チェチェン過激派のテロ行為は正当化されないが、アムネスティ・インターナショナルとヒューマン・ライツ・ウォッチによって報告されている、貴国によるチェチェン一般市民に対する残虐行為も、同様に正当化されない」
読まれもしない可能性が高い。私の名前は彼らの何らかのリストに載るだろう。しかし、何もしないよりは、いいだろう。
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