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2004年08月10日(火) |
「国際連合」は「連合国」という意味なのです。ignoreの1語と原爆。 |
◆国連は「連合国」。日本は「枢軸国」。
国連=国際連合はUnited Nationsの日本語訳とされているけれども、United Nations とは正しくは、第2次世界大戦時で勝った国々「連合国」のことである。中心となったのが、アメリカ、英国、ソ連、中国、フランスなので、この国々が今でも国連安保理の常任理事国になっている。
つまり、国連とは当初、第2次大戦での戦勝国の集まりで、国連憲章も一見、人道主義的であるが、制定された時点では、まだ、ドイツ、日本などの枢軸国(連合国の敵だった国)を警戒している。そのため、未だに国連憲章第107条、いわゆる「敵国条項」が残っている。
敵国条項の対象とされた「枢軸国」とは、ドイツ・日本・ルーマニア・ブルガリア・フィンランド・ハンガリーであり、これら「枢軸国」が国連憲章に反した行動をとったら、これに反対する国は、国連決議を待たずに、無条件に軍事的制裁を加えて良いと云うことになっているのである。流石にいまは、殆ど無効化しているが、1945年に国連憲章が採択された当時は、有効だったのである。
だからですね。国連憲章が制定された後に原爆が投下されたこと自体は、不思議ではないのです。
◆英単語の選択の誤りが原爆投下の引き金になった。
1945年7月26日、米・英・中3国の首脳(トルーマン、チャーチル、蒋介石)の名で、日本に対して無条件降伏などを求めた、「ポツダム宣言」が発表された。その内容は、正確に記すならば、
(1) 日本軍国主義の駆逐および軍国主義指導者の権力と勢力の永久除去,
(2)〈平和,安全及正義の新秩序〉が建設されるまでの連合国による日本占領,
(3) 日本国の主権の本州,北海道,九州,四国および連合国が決定する諸小島への制限,
(4) 日本国軍隊の完全武装解除と兵士の復員,
(5) 戦争犯罪人の処罰と日本国内における言論・宗教・思想の自由および基本的人権の尊重,
(6) 軍需生産の禁止,
(7) 前記諸目的が達成され,日本国民の自由意志による平和的政府が樹立された後における占領軍の撤退,
(8) 日本国軍隊の無条件降伏。
を要求した。これを受諾していたら、原爆は投下されなかった。あるいは、受け入れないとしても、婉曲な表現を用いれば良かったのだが、日本政府、鈴木貫太郎内閣は軍部の圧力に屈して、わずか、2日後、「ポツダム宣言を黙殺する(ignore)」と返答した。これが、アメリカに、原爆投下を決めさせたと云われている。
では、何といえば良かったか?同時通訳の神様といわれる國弘正雄さんが、後に知的階級にある米国人・英国人に訊いてみたところでは、返答をwithhold(保留)する、ととりあえず云っておけば良かったのだという。そうすれば、連合国も、日本は考えているな、と思って、いくら何でも原爆を落とすわけにはいかなかったであろう、と。無論その後の対応次第では、同じ歴史的結末を迎えたかもしれないのだが。
◆語学を甘く見てはいけない。
ということをいいたいのである。
勿論、原爆の投下は非戦闘員を無差別に、24万人も殺戮した、人類史上最悪の言語道断のテロリズムである。落とした方が悪い。しかし、相手に口実を与えてしまう、日本の稚拙な外交にも問題がある。もっと英語に堪能な人物がいてignoreを使わなかったら、運命は変わっていたかもしれない。ただの1語の選択ミスでである。
太平洋戦争開戦、すなわち真珠湾攻撃はアメリカ人は未だに、日本人は宣戦布告もせずに奇襲してきた、卑怯なやつらだ、と云うわけであるが、それは、日本が宣戦布告の正式文書、最後通告を作成する際に、外務省から、アメリカの日本大使館には、これは、極秘だから、タイピストに打たせるなという指示をしてきたため、タイピングの遅い書記官が文書を作成せざるを得ず、真珠湾攻撃が始まってから6時間以上も経ってから、当時の野村駐米大使が、ハル国務長官に最後通告を手交するという、ドジを踏んだからである。
実際には、戦後、アメリカ人自身の研究により、当時のアメリカ情報部は、日本の暗号を全て解読しており、ルーズベルト大統領は真珠湾攻撃が、いつ、どのように行われるか知っていたのにも関わらず、米国民の反日感情を高めるために、わざとハワイの太平洋艦隊には教えなかった事が、議論の余地がないぐらい、明らかになっている。
それは真珠湾の真実 ― ルーズベルト欺瞞の日々を読めば分かる。
しかし、このときも、いくら秘密保持のためとはいえ、文書作成に要する時間を読み間違えて、最後通牒を後から渡す、というのは、いかにもお粗末だ。
日本の役所は昔から今まで、通訳とかタイピスト(今はパソコンだが)とか、技術者を軽んじる悪い癖がある。職人というのは、どこでも大切にしなければいけないのである。国の運命は時に、実につまらないことで変わってしまうのである。
本論はさておき、小生の誕生日祝いのメールを下さった読者の方、
誠に有り難うございました。
心より、御礼申し上げます。
2003年08月10日(日) 「あしなが育英会」 無償の愛