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2004年07月31日(土) |
リコーダー(縦笛)というのは、皆が考えているような、幼稚な楽器ではない。 |
◆日本で「縦笛」として用いられたリコーダーの悲劇。
誰でも、小学校と中学校で「縦笛」を習う。その扱われ方がいい加減なので、この楽器は偏見を持たれてしまった。ある日記作家さんが(その方の日記によれば、テレビでどこかの「有名人」も云っていたらしいが)、学校時代に習ったあの縦笛は、社会人になってから役に立った試しがない。あんなものは無駄だ。と書いていて、非常に腹が立って、悲しくなった。
◆「役に立つもの」だけを教えるのが教育ではない。
そもそも、楽器を習うのは「役に立つ」ためではない。「役に立つ」をあえて「金儲けに役立つ」という意味に解釈するならば、そもそも、教育は金儲けに役立つ事ばかりを教えていてはいけない。役に立たない知識や芸術を楽しむのが人間のインテリジェンスである。それがないから、拝金主義の下品な人間が出来る。
役に立たないものは要らない、というのであれば、小説も、音楽も、絵も、映画も、全く無駄であり、この世から放逐すればよい。繰り返すが無駄を楽しむのが人間が高等動物たる所以である。
もっとも、この日記作者さんは「縦笛など、役に立たない」というのは、ご自身の嗜好される音楽にとっては何の役にも立たない、という意味であるらしい。ハーモニカなどは将来ストリートをやるときに少しは役に立つかもしれないなどと書いてある。冗談じゃない。ストリートミュージシャンって、日本人はカタカナにすると何でも有り難がるが、日本語では、古来ああいうのは「大道芸人」という。大道芸人になるために役に立つものを義務教育で教えるとしたら、それこそ問題だ。
大道芸人は大嫌いだ。音楽をなめている。私はロンドンでも大勢大道芸人を見たが、いきなり地下鉄の中に入ってきてギターをかき鳴らして、がなり始め、1曲終わると、空き缶をもってカネをくれ、とせびるのである。音楽はそのような甘いものではない。音楽を人に聴かせて、お金を取るということは、大変な修練を必要とするものである。
きれいなドレスを着て、ピアノリサイタルを開催する女性、オーケストラでヴァイオリンを弾く男女を見ると、普通の人たちは、「どうせ裕福な家に生まれた、お坊ちゃん、お嬢さんで、大した苦労も知らないのだろう」と、僻みも加わって、思うようだが、とんでもない話で、彼ら、彼女たちは子供の時から何時間も毎日楽器の練習を続け、レッスンでコテンパンに絞られているのである。
◆音楽は厳しいものだ。
町の音楽教室とはことなり、プロを養成する音大でのレッスンの厳しさは想像を絶っする。普通の人間よりも遙かに音楽的才能に恵まれているはずの生徒が、1日に8時間も10時間も練習してレッスンに臨んでいるのに、先生が気に入らないと、いきなり楽譜を取りあげて、床に叩きつけ「そういうのを、デタラメというんだ!」とか女の先生が「あんたなんか、死になさい!」と烈火のごとく怒るのは、日常的風景である。
プロの音楽家はそういう試練を経て来ている。
先の日記作者さんは、どうせなら、キーボードかギターを教えるのがいいが、予算的に無理そうだから、「ハモり」を教えるのがいい。これならカネがかからないと書いていて、私の血圧は上がった。
あのねえ。以前、テレビでやっていた「ハモネプ」なんてのはね。あれこそ、デタラメというのだ。アカペラなんてそもそも、限られた、非常に良い耳の持ち主にしか、できないことである。絶対音感を持っていることは最低限の必要条件であり、全く十分条件ではない。声のハーモニーを完璧に調和させるためには1オクターブを単純に12に分けた、「平均率」という音程では駄目で、純正調という音程をも使えなければならない。
詳しく説明すると長くなるが、ピアノの鍵盤で「ド・ミ・ソ」を押さえるときれいな和音として聞こえているようだが、本当は濁ったひびきなのである。完全に調和させるためには、ドミソのミをごくわずか、低くしなければならない。プロの合唱団員はそういうことが出来る人たちである。はっきり言って生まれつき非常に鋭敏な耳をもっていなければ、無理である。
◆リコーダーのプロ演奏家が存在する。彼らも、そういう試練を経ている。
リコーダーが縦笛と呼ばれ、幼稚な楽器と見なされるようになったのは、息を吹き込めば誰にでも音が出せることと、プラスチックの大量生産が可能で費用がかからない、というだけの理由で、日本の音楽の授業で安易に取り上げられたからである。音楽教師は、ピアノは弾けるが管楽器の経験はない。だからデタラメを教える。
管楽器の演奏上、発音する際に、舌で一瞬息の流れをせき止めた後にこれを解放することで、音の頭をクリアにする「タンギング」という技術が必要であり、また、管楽器である以上、長い音を音程が揺れないようにしてならす「ロングトーン」という訓練をしないといい音が出るようにならないが、学校の音楽教師はそんなことは知らない。タンギングをしないで、フウフウと息を吹き込むから、あのような間抜けな音になるのである。
◆ルネサンスからバロックにかけて、「フルート」と云えば、リコーダーのことだった。
本来、歴史の古い、由緒正しい楽器なのだが、上に述べたような、間違った導入のされ方をしたために、日本では誤解されている。バッハのブランデンブルグ協奏曲第2番のフルートソロのパートは、アルト・リコーダーを想定して書かれている。
音楽をいくら言葉で説明しても仕方がないので、リコーダーとは、本来これほど、素晴らしい音色と、表現力をもった楽器なのだ、ということを知ってもらうために、考えた。
プロの演奏家で現在世界で最も人気があるのが、ミカラ・ペトリという1958年7月にデンマーク、コペンハーゲンで生まれた女性奏者。美人である。リコーダーがあまりに地味なのでこれを少しでも世界に知らしめるための、天の采配ではないかと思われるほどだ。天才です。8歳でプロデビュー。ものすごく上手い。
沢山CDを出しているけれども、ベニスの愛/リコーダー名曲集を勧めます。特に、表題になっている「ベニスの愛」というのは、1970年のイタリア映画に使われ、有名になった、マルチェルロというバロック時代の作曲家が書いたオーボエ協奏曲をそのまま、リコーダーで演奏しているものだが、ま、兎に角、聞いて下さい。背筋がゾクゾクっとする。
ちなみに「ベニスの愛」という映画は大変ロマンチックで悲しい作品である。あらすじの一部は以下の通り。
水の都ヴェニス。彼(トニー・ムサンテ)は別居中の彼女(フロリンダ・ボルカン)を駅に迎えた。彼は彼女をつれてヴェニスの街を歩く。二人の胸にはあの輝くような青春の日々が蘇える。学生時代に知り合い、激しい恋に燃えそして結婚した二人……。しかし才能豊かなオーボエ奏者として将来はオーケストラの指揮者を目指す彼にとって、結婚生活は大きな障害となり・・・
最後、泣けますよ。「冬ソナ」どころじゃないですよ。
同じCDにパガニーニの「無窮動」という作品が収録されている。オリジナルはヴァイオリン曲。4分30秒ほどの曲ですが、ずーっと、早い16分音符を引き続ける、一カ所つまずいたら、おしまいというスリリングな曲。これをなんと、管楽器であるリコーダで演奏している。私は生でも聞いたことがあるけれども、すごいテクニックが必要なのである。「循環呼吸」といってね。息を吐きながら吸うのです。
口の中に空気をためておいて(頬をふくらませるわけです)、その空気を吐いている間に、鼻から肺に吸気するわけです。そんなバカな、と思われるかもしれないが、同じ管楽器で、トランペットのウィントン・マルサリス、ロシアのセルゲイ・ナカリャコフ(以前NHKの朝ドラ「天うらら」のオープニングを吹いた人)が、コンサートで大勢の聴衆の前で、今や普通のことのようにやっている。ちなみに凡人には出来ません。
要するにこのCD一枚で、貴方のリコーダーに対する認識は革命的展開を遂げるでしょう。
それから、CDではないけれど、リコーダーの広場というサイトが有るから、見て下さい。アマチュアのリコーダーアンサンブルが90以上も登録されている。更に、リンクをたどると世界中にこれほどリコーダー愛好家がいるのかと驚かされる。
興奮したので、ひどい文章になってしまった。
兎に角、世の中先入観で物事を判断してはいかんです。ネットが普及して、何かを調べるということに関して、もの凄く便利な世の中になったのですから。人間は誰でも、世の中の殆どのことは知らないのです。
2003年07月31日(木) 「わずか数日でPTSD兆候 宮城地震被災者に強いストレス」 「数日」ではPTSDとは言えないが、早く専門家によるケアが必要だ。