スカーレットの心のつぶやき
つぶやき 目次|過去|未来


2006年01月24日(火) ペルソナ��

叔母の葬儀でRと再会したことは

私の心を見つめる良い機会になったような気がする。

夫のRへの気持ちを思うと、

何かとても複雑なものがある。

夫は、結婚して三年目に

私が自殺を図るとは思ってもみなかったはずだ。

夫と出会い、

夫とHとの間で揺れた私の心も、

そしてHの涙も皆知っている夫にとって

今回のRとの再会は

とても辛い思いのするものだったと思う。

今改めて夫との関係を考えてみたい。

夫と付き合ううちに病気が再発し

最期の九州大学附属病院へ入院した私は

行動制限をされた。

お金も持たされず、

部屋か病棟以外は外出禁止になり、

痩せているということだけで

自由を奪われてしまった。

まるで精神科の閉鎖病棟に入れられたみたいだった。

勿論面会は禁止された。

家族に電話したくても

電話代すら持てない私はかけることも出来なかった。

個室に入り、

毎日窓から空を見ては遠く離れた家への郷愁を募らせていた。

この入院の時の主治医は

一番初めの主治医とは違った意味で

また私にとって忘れられない人になった。

研修医だった。

顔を見た途端に私にはきっと合わないだろうという

直感が働いた。

でも、この医者に任せるしかない。

半ば諦めの境地だった私は

彼との交換日記を始めた。

毎日の出来事、食べることへの思い、

退院した後の私の夢、

そして夫のこと・・

こうしてつぶやきに書いているように

私の心の中を全て彼に日記で伝えた。

この入院中も私は吐くこともなく

体重も順調に増え、優等生の入院患者となっていた。

その頃には同じ病気で入院している人たちの数も増えていた。

十人は居たと思う。

勿論この病気が思春期痩せ症と言われるくらいだから

年齢は私と10歳は年下の人たちばかりだった。

皆家族との葛藤、友人との軋轢、

そして自分自身を突き詰めて考える性格から

発症していた人たちばかりだった。

アメリカに留学して帰国したばかりの女の子も居た。

彼女の場合は母親との関係が大きな原因となっていた。

同じ病気の人たちが集まっての

集団療法の中で

それぞれの悩みや苦しみを知り、

私は年長者として彼女達を支えていた。

どうして入院している間は優等生なのだろうか・・・

本当に不思議だった。

体重が増えるに連れて

制限されていた行動も少しずつ緩み、

最後は面会も試験外泊も許されるようになった。

夫は両親と共に二回会いに来てくれた。

試験外泊は三度した。

そして外泊の度に夫と真剣に話し合い、

結婚を考えるようになった。

私はずるい女だ。

本当にそう思う。

夫との結婚は、結局退院後の私の生活のよりどころとしてしか

考えて居なかったような気がする。

夫と結婚したいのではなく

退院したいから結婚を決めたのかもしれない。

そして、退院して三ヶ月後に夫と二人だけの結婚式を

立山の山頂のホテルで挙げたのだ。


スカーレット