母のタイムスリップ日記
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| 2010年09月05日(日) |
1日で3本締め2回も… |
姪っ子は数年前に結婚した。 挙式はしなかった。
この夏 男の子を出産。 義父母さんが孫に逢うために日本に見えた。 そこで出産のお祝いを兼ねて親族の会食をすることになった。 それが 今回のお食事会。
弟が指定した日は 母のショートが入っていた。 このショートは 3日の用事とこの日の夜の情熱大陸の談志と爆笑問題のライブを見るためのものだった。
母を同席させたいと思ったのだが 長時間は無理で 母が食べられる物も少ないだろうと想像できた。 それでも「出来れば...」と思い ショート先には「この日外出するかもしれません」と伝えていた。 でも どう考えても夜の時間に響くので母を連れて行くことは断念した。 自分の楽しみを取りやめたくないという我儘だった。
弟のお嫁さんのお母さんも 圧迫骨折後歩行が大変になっているので 会場はそちらの近くに決めた。 何となく元気な人優先させてしまった。 主体は 実家のことなので母を優先させても問題はないと思うのだ...。 でも 言い出せなかった。
私自身も自分の都合を優先したので 人の事を責める事は出来ないのである。
下の弟も夫婦で参加。 この10年来 我が家に来てはいない。 だから 心の隅っこでは 遠路はるばる来たのだから母の顔を見て行ってくれればいいなってちょこっとだけ期待していた。 が結局のところ誰も見えなかった。 電車で20分足らずの所まで来ていたし 宿泊は隣の駅近くだったのだ。
食事会の時1度だけ直ぐ下の弟が母の存在を義父母に伝えた。 でも 話だけなので携帯の待ちうけ画面にしている母の写真を見ていただいた。 母のことが話題になったのはこの1度だけ。 あっ いや 後1度あった。 お嫁さんのお母さんが「今日は お母さんにお逢いできると思っていた」と。
ふたりのお嫁さんから母のことは1度も聞かれなかった。 父の法事の話を切り出しても母をどうするなんて話もなかった。 そういうことだと十分想定できていたのだけれど 終わってみると「やっぱり」と重たい気分になった。 家の家族も皆同じ思いで 帰路重苦しい気持ちとなった。
普段は 自分のために母と暮していると思っているのだが...自分しか暮す人がいない母だと突きつけられたような感じがした。
義両親との食事会は 楽しく笑いに満ちた時間だった。 義父母さんと姪の婿殿は イスラエル出身。 前日にネットで調べてヘブライ語の祝福の文字と簡単な挨拶のメモを作って準備した。
ご両親が到着した時「シャローム」と出迎えた。 とても驚き「シャローム」と返してくださった。 遠い所から逢いに来て下さった御礼の想いが伝わればと思いて土産も渡せた。
夫も話し込み お父さんが幼い頃フランスで暮らしたことがあると判り話しも弾んだ。 娘は 浴衣だったので それも喜んでくださった。
姪には 出産のお祝いと品物を準備してそこには ヘブライ語の言葉を添えて...。婿殿はそれを非常に喜んでくれた。 勿論 両親へのお土産にも同じヘブライ語のカードをつけて...。 言葉も判らない者としては 最低限のお礼のつもり。
お食事会も時間も押せ押せで 最後は3本締めで。 夫曰く 手拍子という物は何処の国もあり 3回やれば 最後はリズムを掴んでばっちりと合うものなんだよ...と。
ご両親からスカーフのお土産を頂戴した。
それぞれ 帰路に着き我家族も1度家に戻った。 戻って直ぐに今度は赤坂に向う。
会場にはぎりぎりで着いた。 最初のトークは談志。 舞台に立ち Gパンとブレザー姿。 話しながら舞台下座から ゆっくりと中央へ。 「はなせるかなぁ...」なんていいながら じっくりと自分のペースで会場の人を引きこむ話術は健在だった。
次に爆笑問題。 談志を師匠と仰ぐ太田は非常に緊張しているように見えた。 それでも 今を切り込みながら 話は進み会場を沸かせた。
最後は 談志の落語。 楽屋で身支度を整える所からカメラでライブ中継。 大サービスというかなんというか...。 落語は 後半で落ちを口走りかけて...「まいいかぁ 落語ちゃんちゃかちゃんやるからな」とカバー。 見事最後は落語ちゃんちゃかちゃん。 緞帳が下りて 再度上がり 爆笑問題と〆。 そして 話を締めるのに また3本締めとなった。 実は 談志のトークネタの前ぶりは イスラエルの話題だった。
終わってみて 何の関連もない場所で イスラエルの話題・3本締め。 それも 最後の締めがだらだらしそうで 3本締めで終わるという結末にまるで私達の重たい気持ちを慰めてくれているような...そんな感じがしたのだった。 思い込みの強い私らしい感じ方です。ちゃんちゃん! 手前味噌的な日記となってしまいました。
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