母のタイムスリップ日記
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2006年07月18日(火) イメージ


「やだなぁ〜」と思うと嫌な事が次々に繋がって来てしまう。
そんなループに入り込んでいるようだ。
だから 少しイライラしていた。

今日はオフ日で 合羽を着て鉢植えの整理をしてみた。
座っての作業なので 雨が本降りになると膝が濡れてきて途中放棄。
「根がないな」と嫌になる。

タラタラしていたら 上の弟から電話。
5月からの事が未だ片付いてない。
重たい現実である。
この連休に進展がある筈だったが 本人が逃げたため それも不可能だったという事だった。
でも この一週間の内に動くから…と弟は言っていた。

この問題は 下の弟の連れ合いの事だ。

5月に本人を抜いて両方の親戚で話し合った。
本人を追い込まないためでもあり その後弟に八つ当たりされにようにとの配慮からだった。
しかし 上の弟が集まった事を伝えたため 彼女は「何で自分を抜いたのかと」と怒ったらしい。
当然のごとく 提案した私をまた恨んだようだ。

その本人は 未だ真実を語っていない。
そして 昨日 本人の親戚が来たのに 逃げたらしい。
一昨日の実家の法事にすら出ていないらしい。

これから 父の13回忌の年がある。
「こちらの法事をしなくちゃいけない。姉さんは 7回忌の時には来なかったし…私しかやる人がいない」と言うほど法事に関しては熱心なのに…。
自分の家の法事には行かなかった。

彼女は 私が苦手と言うか嫌いなのだ。
私の悪い癖で ついつい正当論をかざしてしまう。
それが 嫌いの最大要因だと思う。

ここに来るまでの間に 専門の方(複数)のお話を伺い こちらに法律上の責任がないという事までは判っている。
でも 本人の中ではすり替えがあり「自分は悪くない」という思いになっていると思う。
変な話しだが 今日再逮捕された畠山容疑者と考え方が似ている。
これは 私だけでなく本人の親戚の方も言われていた事だ。

下の弟は父親に似ていて 黙して語らずのタイプ。
本来は 父や母の介護・看護にきちんと関るタイプだった。
一昨年に我が家に来た時も「最後は 家に引き取る。あいつにもそういってある」と言っていたのだ。
(それは 無理とは思っていたので 期待は全くしていなかったが)
「衝突が嫌だから いろいろ 言いたくない」とも言っていた。

私も嫌気が指し 母を引き取り(いや何の連絡も無いまま放置されたというのが現実だが)こちらから連絡する事もなくなり 重石の役目をする人が居なくなり暴走を始めたのではないかと思う。
もう少し 強引に帰省していればこんな事も避けられたような気がして反省するのだが…。
気持ちが狭いので そこまで気持ちの配慮はできなかった。
「まさか」という事態である。
大層な事のように書いているが 聞くところに寄ると 今 こういう事例が
非常に多いそうだ。
「どういう事例?」 それは 何れ決着が付いたら…。

昨日は 親戚と弟達で話し合いが出来たようだ。
本人の家(我が実家)で本人を抜いて…。
弟達は この数日 貫徹仕事が続いていたようだ。
電話も 疲労度が高いような声で「お金の心配と貫徹の仕事とどっちが大変かといえば やっぱりお金だから…」と言っていた。

そこで 母の事で突っ込みを入れようと思ったが やめておいた。
「弟たちとは距離を置く」と言うスタンスだったのに やっぱ放って置けない弱さがある。これは 夫も娘も同じだ。
「どうなった?」「〇君は大丈夫か?」と聞いてくる。
そういう役割なんだろう。

いろんな事を考えていても仕方ないので 傘をさし河原に出た。
人の気配のない雨の河原。
河川敷の葦の穂先にカワセミがとまっていた。
風にもなびく葦なのに…上手にとまっているなと感心してしまった。
2時間近く上流に向かってゆっくり歩いた。

出会った人は 5人くらいだ。
さすがに雨に日に歩く人はいない。
あまりに人気が無いので 遠くに人影を見つけるとドキッとする。
1人の人は 私の姿が目に入った時 土手を下りられて歩かれていた。
近くなった時姿を見るとリュックを背負った80近いくらいのご婦人だった。
同じ様な気持ちだったのだったろうなと想像した。

歩いて ちょっと気分転換できたみたい。
腰の痛みが消えていた。
両手首の痛みは増した。(剪定のせい)
友人から「魔球を投げているイメージをしてみたら…」と言うメールが届いた。友人は 今 軽やかにキッチンに立ってお料理している自分をイメージしていると言っていた。
「イメージすると良くなる」は 山坂を越えてきた友人の真実な言葉だ。


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