母のタイムスリップ日記
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2006年04月23日(日) あちゃ!

 この所 パソコンの調子が悪くて 閉口気味だった。
昨日娘の友人が 暇を作ってはるばると見に来てくださった。
ハードには何の問題もなくて 知らないうちに 余計な操作をしてしまったことが原因のようだった。
ようやく元に戻り 気持ちを楽にパソコンに向かえるようになった。

相変わらずのパソコン音痴だ。
学ぼうとする意欲はあるのだが 自分で理解するための努力を怠るのだ。
また 反省。
娘に聞いても 面倒がって教えてくれない事も娘の友人は教えてくれる。
(あっ こう書くと娘怒るかな?)
「面倒じゃなくて時間がないの『Windows』は詳しくないの」と言うだろう。


朝からパソコンに向かって唸っていた。
資料作りである。伝えたい事はいっぱいだ。でも欲張ると焦点がぼける。(この日記を読んで下さる方なら整理して伝えることが如何に下手かが お分かりになるだろう)
変換間違いや打ち間違いも日常茶飯事なので 注意しなければならない。

時々認知症の方のブログに目を移した。
短歌のコーナーである。
忘れる事全てが 病のせいにしたくないと言う風な短歌があった。

確かに 忘れるという事が病だが 病がなくとも忘れる事はある。
最近の自分は「忘れる天才だ」と思うほどだ。

病でない人は「良性の物忘れ」と言う表現をする。
でも 病の人に良性の物忘れってないの?
介護仲間が「アルツの初期に 通院時に自分よりもしっかり覚えていたのでアルツなんて感じなかった」と言われた事があった。

長い経過をみれば やはり病の進行による物忘れは歴然と区別されてくるが…初期の頃は やはり混ぜこぜ。
母もそうだった。
判ったり 判らなかったりが傍にいるとややこしいのだ。

また 母もそうだったが 病の方は「頭に霧がかかったようだ。とか靄がかかっているようだ」と言う表現をなさる。
この状態がなかなか理解できない。
記憶が靄に包まれているという表現だろうと思うが…。
私達が思い出そうとしても思い出せない状況の時に似ているのだろうか?
それと何処が違っているのだろうか?と思う。

初期においては 良性の物忘れも病の物忘れも混在しているのだろうと素人ながら考える。

さてと 1日かかっても資料は完成しなかった。
「これからは 基礎資料を作って置こう」と呟いたら 娘が「パソコン遣っているなら当たり前でしょ」と何を寝ぼけているのか…といわんばかりに突っ込まれてしまった。「あちゃ!」


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